入隊式
愛夢は再びマリアから送られたスーツに袖を通す。
今日、4月1日は愛夢の入隊式の日であった。
美剣がバイクで迎えにきてくれる為に、敢えて今日もパンツスタイルを選んだ。
「よしっ!」
クローゼットに備え付けてある姿見には見慣れた大嫌いな自分がいる。
だが今日からは、こんな自分でも美剣の役に立てる。マリアへも本格的に恩返しを始められる。
だからなのか、鏡に向かって毎日のように吐いていた悪態も少しずつ減っていった。
高校生だった頃には想像もつかなかった最高の生活は全て二人のおかげであり、こんな自分の命を二人の為に使える方法が見つかった愛夢は有頂天であった。
大好きなエンジン音が聞こえてきた後にスマホが震える。
美剣:着いたぞ
たったこれだけの文字が嬉しくて堪らない。
愛夢は玄関を飛び出した。
「おはよう、西宮愛夢」
「美剣さん!おはようございます!」
「うん!朝から元気で大変よろしい!」
愛夢は手馴れた手つきでヘルメットを着ける。
共に専門店へ行き吟味を重ねて選んだ愛夢専用のヘルメットは、メタリックのスモーキーピンク色で愛夢の大のお気に入りの宝物であった。
卒業式から今日まで、もう何度も美剣のバイクの後ろに乗せてもらっていた。
ある時は海を見に行きクレープを食べた。別の日は都内の有名な観光名所に連れて行ってもらった。
何度か途中で追弔が入ってしまったが、それでも愛夢にとっては最高の時間だった。
会う度に美剣は「何か心配事は無いか?」と気遣ってくれていたが、愛夢は「何も無いです」と答えた。だが、本当はずっとマリアの事が胸につかえていた。
だが恩返し以外に解決方法は無い。
だから美剣には何も言わなかった。
愛夢はバイクの後ろに跨り美剣の背中にしがみつく。大好きな美剣の背中を堪能する為に、あえて強めに腕をまわした。
もう美剣は以前のように愛夢に触れてくれない。もう抱きしめる事も、頭を撫でる事すらしてくれなくなってしまった。
理由は、愛夢が美剣の部下になるから。そういった行為が、セクハラに該当するからだ。
ようやく大手を振って会えてるようになっても、秩序や規律が新たな柵となって愛夢を苦しめる。
本当は美剣に頭を撫でてもらいたかった。
抱き締めてもらいたかった。
あの日のように、抱っこをしてもらいたかった。
でも、それらは全て飲み込む。
「もう大人なんだから・・・」
その呟きはバイクのエンジン音に消され、美剣の耳には届かなかった。
防衛省に着いた二人は地下ではなく上階へと向かう。広いエレベーターに乗っているのは美剣と愛夢の二人だけだった。
「今からお前の入隊式を行うそうだ。だけど、オレは命令で中には入れない」
「・・・どうしてですか?」
「まぁ理由は色々あるが、一番はオレがお偉方に嫌われているからだろうな。キレると面倒だから、ビビってんだろうよ」
「入隊式って何をするんですか?私、何をしたら良いんでしょうか?」
「そんな気負うな。別にオレらは軍人じゃねぇんだから、礼式とかは何もねぇ。だから好きにしろ」
「でも、何か粗相をして皆さんに迷惑をおかけしてしまうかも・・・」
「大丈夫だ!そん時は、オレが扉をぶち破って、それ以上の粗相をして怒られてやるよ!だから安心しろ」
「それは・・・ダメですっ!」
愛夢は全力で両手を振り美剣の提案を拒否した。
失敗をする事も、叱責される事も、嗤われる事も怖い。だが、それよりも美剣が誰かに悪く言われる方がずっと嫌だった。
「西宮愛夢」
美剣は優しく穏やかに愛夢の名を呼ぶ。それは、愛夢にとっては、いつもの美剣の声だった。
その声で不思議と不安は消えていく。
あの日のように紅炎が胸に灯った気がした。
「お前の失敗を嗤う人間は、ここにはいない。もうこの場所は、あの日みたいな金魚鉢の中じゃない」
美剣の言葉が、愛夢の不安を少しずつ燃やしていく。胸に感じるのは、じんわりと柔らかく、それでいて熱い熱だった。
「これからは、オレが側にいる。だから、お前は失敗を恐れなくても良い。もう二度と泣かなくてもいい」
「でも・・・」
「お前の為に、オレやアイツらがいる事を忘れるな」
「私の、為に?」
「今まで楽な道じゃなかったけど、後に続くヤツの為にオレらは必死にやってきたんだ。ソイツがオレらと違う道を選んでも、同じ道を選んでも、困らんように助けてやる為にな!」
まだ一度しか追弔を見ていない。
漁火と溝呂木の話でしかLETの重責を知らない。
だが決して平坦ではない道を美剣たちは歩んできた事だけは分かっていた。
目的の階に到着したエレベーターが扉を開く。
その先には大きな扉と両脇を守護する自衛隊員がいる。
愛夢の前を歩く美剣は扉の前に着くと振り返り笑った。
「オレらがしてきた失敗に比べたら、どんな失敗も大した事は無い。だから、ドーンと行ってこい!」
触れられてはいないのに、美剣に優しく背中を押された気がした。
「・・・頑張りますっ!」
覚悟を決めた愛夢は会議室の扉をノックする。
広い会議室にはOの字型の机を取り囲むように座る壮年の男性が七人いた。そして部屋の両端を自衛隊員が二人が守護している。
威厳のある強面の男性の中で一人、愛夢のよく知った顔があった。
都知事の椚原だけが、この会議室で唯一、満面の笑みでこちらを見つめていた。
「西宮愛夢です。本日は、よろしくお願いします」
これが正解なのかは分からないが、愛夢は深くお辞儀をする。今は自分が思いつき出来得る最高で、この場所に挑むしかない。
「頭を上げてください」
中央を座る恰幅の良い男性の合図で愛夢は顔を上げた。
事前にネットで調べLETに関わりの深い組織の重要人物の顔は頭に叩き込んであった。
その甲斐があってか椚原以外の幾人かも顔と名前を把握する事が出来ていた。
会議室中の視線が自分に注がれる。
普段であれば下を向いて震えていただろう。
だが今日はマリアが送ってくれたスーツが愛夢を包んでくれている。
別部屋にいる美剣も、側で守ってくれている気がした。
だから二人に恥じない自分でいられた。
「まずは、この国の為にアスピオンと戦う決断をしてくれた君へ、謝罪と感謝を述べさせて欲しい」
椅子に座ったままではあるが、その場にいる全員が愛夢に頭をさげる。
先程とは真逆になった立場に愛夢は戸惑う。
「私には勿体無いお言葉です」
愛夢の言葉に頭を上げた面々は各々に口を開き始めた。
「普通の女の子なんだな」
「本当に間違いじゃないんですよね?」
スーツ姿の男性たちはヒソヒソ声で話してはいるが、この静かな会議室と愛夢の聴力の前では無意味であった。「他に見つからないのだから仕方ないじゃないか」と、自衛隊のかなり高い階級の男性が愛夢を見て盛大にため息を吐く。
「失礼。発言しても構わないかな?」
重い場の空気を変えたのは椚原だった。
「はじめまして、西宮愛夢君。東京都知事の椚原です。突然こんな知らないオジサンに囲まれて驚いただろう?」
「いいえ。事前に勉強はしていたのですが存じ上げでいるのは政務官の方だけです。無知で申し訳ございません」
「だろうね。情報として官僚の名前は載っていても顔までは載せていない。礼儀として名刺くらいは立てておくべきだと僕は思うよ」
そう言い椚原は机を指で叩いた。
言われて愛夢は気付く。机上で名刺を出しているのは椚原だけであった。
「我々の事は後で覚えれば良いでしょう。それよりも、さっさと本題に入ってください」
「今発言した彼は総務省の官僚だよ。名前は後で教えてもらうと良い」
「・・・はい」
話題にされた総務省の官僚は椚原を睨んだ。
その隣に座る自衛隊の制服を着た男性が立ち上がり、愛夢の前に来て敬礼をする。
「彼は見ての通り防衛省の人間だ。階級は1佐」
「よろしくお願いします!」
愛夢は敬礼に対して深く礼をして返した。
「西宮愛夢さん!貴女の勇気ある選択に隊員一同を代表し心より感謝を申し上げます。我々も護国の為に貴女方と共にアスピオンに立ち向かう事を、ここに誓います」
目の前の男性の宣誓により、この場は愛夢ではなく彼の入隊式のようになった。
男性隊員が席に戻ると今度は別の男性が愛夢の前へと歩み寄って来る。
「彼の事は分かるよね?厚生労働大臣、君たちのボスだ」
「西宮愛夢。君には入隊するに当たり密命が下される」
「密命?」
「そうだ。フロウティス部隊は、全員がそれぞれに密命を負っている。それは誰にあっても口外する事の許されない絶対命令である」
「絶対命令・・・。私は何をすれば良いんですか?」
「追弔においては、何を置いても要人の息子である溝呂木翼の命を最優先としろ。絶対に彼は生かせ」
大臣の言葉に愛夢は戸惑う。
愛夢の頭に残る三人の顔が浮かんだ。
「でも・・・他の人は?」
「他の人?美剣も旭夏も自分の身は自分で守れるだろう?だが・・・第二に、追弔システムの要である漁火星雪の命も優先的に守るように努めてくれ」
美剣の為に使うと決めた命ではあったが、その場面は、きっと全員が窮地に陥っている事だろう。
ならば、愛夢のやる事は変わらない。
この無駄な命を四人の為に役立てる。
「分かりました」
愛夢は大臣の顔を真っ直ぐに見つめて返事をした。
「・・・補足して伝えておくが、ここで言う優先とは己の命よりも彼らの命を、という事だぞ。無茶な事を言うな、と怒る気持ちは尤もだ」
大臣は呆れまじりに愛夢に語りかけた。
「いいえ。元よりそのつもりで、ここに来ましたから」
「元より?我々の事を詰って罵らないのか?」
「そんな事はしません」
「・・・これは本当に窮地に陥った時の話だ。滅多な事は起こらないはずだから、その日まで励んでくれ」
大臣は苦笑いんしながら後ろに後退りをした。そうして段々と愛夢と距離を取っていく。
「はい!頑張ります!」
「・・・以上を以て君の入隊式を終わる」
「ありがとうございました!」
愛夢の態度に椚原以外の人間は拍子抜けした顔をして部屋を退室していった。
残っているのは椚原と愛夢、そしてを二人の自衛隊員だけだった。
真っ直ぐこちらに向かって歩いて来る椚原に、愛夢も駆け寄る。
「椚原都知事!私ずっと、お礼を言いたかったんです。私の保証人になってくださり本当にありがとうございました!」
「気にしなくて良いよ。僕は、来るべき日に君たちを都知事直轄の組織にしたいと考えているんだ。だから、保証人くらいで縁を繋げるならお安いものさ」
椚原の言葉に愛夢は首を傾げた。
「都知事直轄?国ではなく?」
「この事例は現在まで都内でしか確認されていない。ならこれは僕の仕事だ。最初の事例で前知事が国に全権を渡してしまったから、こうなってしまっているけど、本当は今すぐにでも僕が指揮を取りたいんだよ」
「そうなったら・・・何か変わるんですか?」
全権が国から都に移ったとしても、愛夢たちがやる事は同じに思えた。
「先ずは、さっさと全てを公表をしてしまうよ。素直に全国民に協力を仰ぐべきだからね。そうすればフロウティス部隊の負担も減るし研究も進むだろう?」
「・・・そうですね」
もしそうなったのなら美剣たちの興味も新たな新人の方へ移る。そうなれば自分はお払い箱になるかもしれない。
そんなつまらない不安と嫉妬に襲われてしまう自分は、高校生の時から何も成長していなかった。
「君たちへの現状の待遇と評価は目に余る。僕ならもっと上手くやる。まぁ、必ず翼君と一緒に全権を取り戻すから、待っててね」
先程の密命から溝呂木の名前が翼だと判明した。
あの爽やかでハンサムな彼に相応しい名だと愛夢は思った。
「・・・はい」
突然消沈した愛夢に椚原は優しく声をかける。
「翼君とは上手くやれそう?」
「私、嫌われている思います。溝呂木さんを凄く起こらせてしまったので」
愛夢の返答に椚原は大袈裟に驚いていた。
「怒った?あの翼君が?女の子の君を?・・・やっぱり君は特別なんだね」
「えっと・・・私には、お二人の関係の方が特別に思えます。尊敬して信頼し合えていると感じました」
「僕の息子は翼君と同級生でね。それに彼のお父さんとも同輩だ。それだけだよ」
「そう、なんですね・・・」
「線引きされてしまっている、と言ったら良いのかな?彼にとって僕と息子は恩義を返さなければならない相手というだけ。それ以上でも以下でもない」
そう語る椚原の声は少しだけ寂しさを含んでいるように思えた。
「それから、さっきの密命の事は─」
椚原の言葉を遮ったのは愛夢の大好きな声だった。
「西宮愛夢〜!」
自分を呼ぶ声に振り返ると、美剣が会議室の入口にいた。
「終わったのに出てこんから心配したぞ〜」
そう言いながら近付いてくる美剣は、手に透明の袋に入ったグレージュの制服を持っていた。
「ごめんね、美剣君。僕が彼女を引き止めていたんだ」
「相手は都知事でしたか。その節は、コイツの為にお力添えを頂き、ありがとうございました」
頭を下げる美剣に愛夢も続く。
今の美剣は、いつもの快活な彼とは違う。その大人の雰囲気と対応は、愛夢が初めて見る美剣だった。
「頭を上げて。一人の人間として君たちに恥じない行いをしたまでだよ。怪我は、もう良いのかい?」
「おかげさまで完治しています。全快を告げた時に溝呂木に蹴り飛ばされた尻が痛いですけどね」
「あの翼君が誰かに怒りの感情をぶつけられるようになっただなんて・・・。嬉しい変化だよ」
「・・・アイツ、いっつもキレてますけど?」
困惑する美剣を見た椚原は肩を震わせ笑った。
その笑顔につられた美剣を見て愛夢も嬉しくなる。
「その制服・・・溝呂木さんの同僚の方ですよね?」
三人の談笑に明るい色合いのツイードジャケットを着た秘書風の女が突如割り込んでくる。
その瞬間、椚原の顔から笑みが消えた。
「僕は君がここに来る事を許可していない」
静かではあるが刺すような椚原の怒りの声は、女には届かなかった。
「溝呂木さんは、こちらにはいらっしゃらないのですか?」
美剣に詰め寄る女を椚原は手で制す。
「彼らに迷惑をかける事は許さない。先に車に戻っていなさい」
「でも、ピアスのお礼を・・・」
尚も食い下がろうとした女に椚原は「僕の言う事を聞けないのであれば、雇用契約を打ち切らせてもらうよ」と冷たく言い放った。
悔しさを隠そうともしない女は踵を返す。だが去り際に女は愛夢を一目見て小さく嗤った。
女の巻いた長い髪と短いスカート、身に付けているアクセサリーは、都知事の秘書にしては派手過ぎるように思えた。
だが華やかではあった。
同性から見ても女はフェミニンで魅力的であり、そんな女に嗤われた自分は、ひどく子供じみて惨めなのだという自覚が出来た。
マリアのくれた上質なスーツまでをも馬鹿にされた気がして、愛夢は悔しさから俯き黙る。
格好が見合っていないのは自分の所為であり、マリアに申し訳無い思いで心が一杯になる。
だが頭の上から聞こえる声が、それを消す。
「お前に恥じる所は一つも無い」
「顔をあげなさい、西宮君」
美剣と椚原の声は同時だった。
「何着ても可愛いけど、お前は今日のスーツが一番似合ってるとオレは思う」
美剣はいつだって欲しい時に欲しい言葉をくれる。
「そのスーツは国内の職人の手による逸品だよ。日本の女性の骨格や身長に合わせた縫製をしていて、君の魅力を最大限に引き出してくれる匠の品だ。だから自信を持ちなさい」
そんな素晴らしい品だとは知らなかった愛夢は自分のスーツを見つめた。
自分の為だけの世界で一つだけのスーツを。
二人は何故か大きめの声で話を続けた。
「お前の事を一番よく知る人が選んでくれたんだ。門出に着るのに相応しいだろ?」
「今君が着ている品は、海外の服飾に強くない有名ブランドが作ったスーツに全く引けを取らない。それに無駄に着飾らなくても君は充分に魅力的だよ」
突然の褒めの波状攻撃に愛夢は「ありがとうございます」と答えるしかなかった。
いつの間にか巣食っていた女の陰は愛夢の心から消えていた。
「じゃあ名残惜しいけど僕は行くよ。このままだと彼女が翼君の所へ乗り込みかねないならね」
「それはそれで、アイツの自業自得な気もしますがね」
「そんな事言わないであげておくれよ。翼君も西宮君の為に要らない出費までしたんだから」
「じゃあ、またね」と言って去り行く椚原の残した言葉の意味は愛夢には分からなかった。
エレベーターを降りエントランスに着いた美剣は手に持っていた物を愛夢に手渡す。
「コレ、お前の制服だ。その似合ってるスーツが隠れちまうのは勿体無いな」
それは今、美剣が着ている物と同じ。溝呂木と漁火も着ていた、あのグレージュのジャケットだった。
「制服!?美剣さんたちと一緒!嬉しいです!着ても良いんですか!?」
思わぬ贈り物に愛夢は、はしゃぐ。
そんな愛夢に美剣も便乗した。
「うむ!今から中を案内するから、先ずは更衣室へ連れて行ってやろうぞ!」
こうして愛夢の社会人一日目が始まった。




