先達
守衛室にいた丸ガーオマンこと丸山は、愛夢を見るなり素っ飛んできた。丸山は成らず者たちに向けていた鬼の様な形相ではなく、その名に相応しい優しい丸い笑顔で愛夢に詰め寄る。
「お嬢さん!無事に漁火君たちに会えたんだね!良かったー!本当は警察がお嬢さんに事情を聞きたがっていたんだけど、おじさんが上手い事言っておいたから安心しなさい!それから!あの不届者たちだけどね!おじさんが、きっちり!こっってり!!みっっっちり!!!絞っておいたからね!!!これから暫くは悪さはせんと思うぞー!」
身体ではなく心が山の様に優しく大きい、自衛隊員ですら取り押さえる事が難しい。丸山は一言で言うとパワフルだった。
愛夢はそんな丸山に圧倒される。
漁火は慣れているのか愛夢の前に出て、キリの良いところで丸山の話を遮ってくれた。
「丸山さん、お疲れ様です。西宮さんを守ってくださり本当にありがとうございました。本来ならば、それは私たちの役割でした。この場にはご迷惑をおかけした事をお詫びに参った次第です」
「漁火君!その通りだぞ!こんなに可愛い女の子にピンチに即時駆けつけんとは何事だ!旭夏君も中途半端に助けるんだったら最後まで助ければいいものを!」
丸山は漁火に詰め寄り声を荒げる。
「あっ・・・あのっ!漁火さんを怒らないでください!旭夏さんも、私をちゃんと守ってくださいました!丸山さんに迷惑をかけてしまったのは私です!ごめんなさい!私もお詫びとお礼に来ました!」
愛夢はケーキの入った箱を差し出し、丸山に深々と頭を下げた。だが丸山は箱を受け取らずに狼狽る。
「・・・っ怒っとらんぞぉ!お嬢さん!だからそんな悲しい顔をせんでくれっ!怖がらせてしまったのか?謝る事はないぞ!頭を上げなさい!」
丸山は愛夢に泣かれた時の美剣と同じ様に慌てる。
「丸山さんは、元自衛官で偉いお人でしたので厳しく聞こえてしまうかもしれませんが、知っての通り優しいお方です。ちなみに女性と子供限定ですが」
丸山の厳正な強さと、不動の安心感は元自衛官の重鎮であったが故だった。そして高校生であり女でもある愛夢に優しいのも、その理由からなのだろう。
愛夢は美剣が言っていた内輪の意味を理解した。
ただの優しいガードマンだと勝手に思っていた愛夢は丸山に畏敬の念を抱く。それを雰囲気で感じ取ったのか、丸山は少しだけ悲しい顔をしていた。
「・・・そんな事はない。漁火君にも優しいぞ!」
「そんな事はあるんです。私も大人になりましたから、丸山さんに甘やかしてもらう訳にはいきません」
その言葉で丸山の漁火に対する姿勢が一瞬で変わる。丸山の言葉には重みが含まれた。
「そうか・・・もう漁火君は大学生じゃないからな。それじゃあ、これからはお嬢さんをちゃんと守りなさい。今日の様な事は、二度とあってはならないぞ」
「承知いたしました。そのお言葉を心刻みつけて、今以上に尽力して参ります」
礼儀正しい漁火の一礼に愛夢も続いた。
「危ない場面を助けていただき、本当にありがとうございました。丸山さんのおかげで、私は無事に雇用契約を結ぶ事ができました。コレは漁火さんがご用意してくれたお礼の品です」
丸山は愛夢から箱を受け取る。その顔は、出会った時と同じ優しい顔をしていた。
「・・・そうか、やっぱりお嬢さんは漁火君たちと一緒に働くんだね。辛い事が多い仕事だが、頑張りなさい。何かあったら、ここまで愚痴りにおいで!」
「はい。よろしくお願いします!これからもお世話になります!」
愛夢もその優しい笑顔に応える。
漁火と愛夢は丸山に別れを告げ防衛省を後にした。
追弔に向かった時と同じ、黒の公用車の助手席に愛夢は座る。普段は見る事のないクリスマスの市ケ谷の町を横目に、愛夢は漁火との談笑を楽しんだ。
「丸山さん、とても喜んでくれましたね」
「漁火さんが言った通り、本当に甘い物がお好きなんですね」
「退役されてからは、甘い物の食べ過ぎで奥様に怒られているそうです」
「じゃあ、今日も怒られてしまうんじゃ?」
「もしかすると、ケーキは全て怒った奥様のお口に入るかもしれませんね」
「でもあのケーキはとても美味しいので、きっと直ぐに怒りも収まってしまいますよ!」
「せめて一口だけでも丸山さんの口に入る事を祈りましょう」
楽しい会話に二人は小さく笑う。
愛夢は漁火が運転に集中できるよう、自分からは話を振らなかった。だが沈黙を感じさせない程に漁火は愛夢を会話で楽しませてくれた。
パンは溝呂木が教えてくれた店で買った事、しりとりの必勝法、美剣が禁煙した事、女神鉄塔の事、様々な話題に愛夢も気を使う事を忘れてしまう。
好きな教科と苦手な教科の話を終えると、話題は学校の事へと移っていった。
「そういえば西宮さん。ずっと気になっていた事を聞いてもいいですか?」
「はい、なんですか?」
「西宮さんが先生に生意気な口を利くなんて、余程の事があったのだと思います。その時の状況を知りたいのです。嫌なら無理にとは言いません」
「・・・あの時は、破かれた書類の事を早く漁火さんにご連絡したかったんです。でも私、スマホを持っていないから職員室に電話を借りに行って・・・」
「まさか、そんな事で怒られたんですか!?」
「いいえ!先生は、私には勿体無い話だから諦めろって諭してくれたんです。でも私・・・そんな話をしにきたんじゃないって言ってしまって」
「それだけで生意気な口を利いたと怒鳴られたのですか?」
漁火は強くハンドルを握るが、運転は変わらずに優しいままだった。
「はい」
「その先生に他に何を言われたのか教えていただけますか?後学の為に、愛のある教育とやらの詳細を是非に知りたいと思いまして」
「えっと・・・」
愛夢は担任に言われた言葉を思い出し、それを全て口に出した。
「お前は、まともな人間にでもなったつもりなのかって。私みたいな人間に、お役所仕事なんか無理に決まっている、と言っていました」
「何て事を言うんだ・・・!」
聞こえるか聞こえないか、分からない程の小さな声が漁火から漏れ出る。愛夢は自分の指先が冷たくなっていくのを感じ、拳を握った。
「それから、まともな学校生活すら送れていない周りの人間に迷惑をかけ続けている私が、このまま社会に出て上手くやっていけるのか。省庁から声がかかったからって調子に乗るな、と」
愛夢は担任に胸に刻むと誓った言葉を思い出し口にする。実際に心の傷となって刻まれた言葉たちは胸をズキズキと痛めた。
「あとは、自分の納めた税金が私の給料になると思うと腹が立つ、私なんかが自分より高い給料を貰うのは胸糞が悪い、と仰っていました」
「そんな言葉、許されるはずがないっ・・・!」
漁火は静かに怒り、変わらずに車を走らせる。愛夢は漁火の方を向く事ができなかった。
「臼井先生や漁火さんたちが優しいだけで、これが普通の人の考えです。言われた事は全部真実ですから」
「違いますよ!絶対に!」
漁火は即座に愛夢の言葉を否定する。
「でも私やっぱり諦められなかった。結局は雇用契約を結んだから、先生の教えを無視したんです」
「それは教えなんかじゃありません!そんな事を言われてよくぞ腐らず、曲がらず、折れずに今日まで頑張ってこられました!私は西宮さんを心から尊敬します」
その叫びは追弔に向かう車の中と同じだった。独白のような漁火の叫びに愛夢の頬は赤く染まる。
そうして愛夢の冷たかった指先が、傷付けられた心がじんわりと温かくなっていく。
「私は西宮さんがこれまでどれだけ一生懸命に頑張ってきたのかを知っています!貴女の誠実な人柄が、加入に反対していた私たちの心を動かし行動させた!そんな事ができるのは世界中でただ一人しかいない!」
美剣の心配事を燃やしてくれる様な熱とは違う、傷ごと丸ごと包み込むような優しさで漁火は愛夢を癒していく。心臓が頬と同じ様に熱く感じられた。
「私っ・・・漁火さんに恥じない人になりたい!漁火さんがくれた言葉に相応しい人間になりたい!」
「その必要はありませんよ。西宮さんは、もう充分に素晴らしい人だから」
宝箱には入れらない宝物を愛夢は心に抱く。
横目で愛夢を見た漁火は少しだけ顔を赤くした。
「西宮さんは担任の先生の事は好きですか?いなくなってしまったら悲しいでしょうか?」
突拍子のない質問に愛夢は一瞬だけ戸惑う。自分の様な人間が人を嫌う資格が無いことは分かっていた。だから愛夢は、誰に対しても同じ対応をして、何の感情も抱かないように努めてきた。
愛夢に好意という感情を抱かせる人間は多くはない。そして愛夢の中には真に嫌う人間がいた。
「・・・正直に言うと、会話をまともにしたのは、昨日と面談の時くらいしかないので、それだけで好きか嫌いかを判断してしまうのは・・・」
「その面談、何を言われたのか聞いても構いませんか?」
「えっと・・・面談で就職をしたいって伝えたら、お前はちゃんとしていない人間だから難しい。したとしてもお前なんかいらないって皆んな言うぞ、って言われました。勿論、進学なんて論外だって。だから私、卒業したらバイトしようと思っていたんです」
担任に言われた言葉は、小さな棘となって愛夢の心に刺さっていた。
だが誰も自分を必要としなかったとしても、愛夢には美剣がいる。
美剣の為に自分の命を使う。だから担任よりも美剣の言葉を全力で信じると愛夢は決めていた。
「なるほど〜!担任の先生の考え方は、よぉ〜く分かりました!そうか!そうですよねー!年が明けてから西宮さんを取り巻く環境が少しだけ変わると思いますが、お心を砕く必要は全くありませんからねー!」
今の漁火は普段とは少しだけ違った。静かに燃え沸り怒りが渦巻くような語気に愛夢は少しだけ気圧される。漁火が何をするつもりなのかは全く分からない。だが、自分の為に怒ってくれていることだけは分かった。
「漁火さん、ありがとうございます」
愛夢には礼の言葉を口に出すことしかできない。
漁火は、美剣と同様に愛夢の為に本気で怒ってくれ味方でいてくれた。嬉しさで胸がむず痒くなり、愛夢はお辞儀をするフリをして下を向いた。
「いいえ、どういたしまして。私が車のドアを開けるので、そのままでお待ち下さい」
漁火は愛夢の言葉を送迎の礼として捉えてしまう。
気がつけば車は寮の前に停まっており、それは漁火と過ごす時間の終わりを告げていた。
車を降り助手席側に周る漁火に目を向けた時、愛夢の身体は強張る。
寮の出入り口を凝視している向井と目が合い、緊張と不安から呼吸が乱れていく。
溝呂木は、愛夢の入隊は誰にも覆せないと言ってくれた。だから向井がこれから何をしようとも、愛夢の心が折れなければ勝ちなのだ。
そう頭では理解していも、二年半も傷付けられた心は無意識に拒絶の反応を示した。
向井が近付いてくるのと比例して、体の震えは強くなる。それを無理矢理に押さえつけるが、体は言う事を聞いてくれない。
「彼の事は、私に任せてくれませんか?」
優しい漁火の声が一瞬で愛夢の緊張を解く。体の震えが止まり声の方へ目を向ける。気付くと漁火が助手席のドアは開けていた。寮の入り口までは、そのまま真っ直ぐに一直線に進むだけでよかった。
「でも・・・」
怒り狂った向井が何をするかは愛夢には想像すらできなかった。自分を襲った成らず者たちの仲間がここにいて、漁火に牙を向くかもしれない。
「西宮さんが美剣さんに全幅の信頼を寄せている事は知っています。頼りないと思われるかもしれませんが、どうか私も、貴女が信じる方たちの末席に加えていただけないでしょうか?」
切なげな懇願するような漁火の表情に、愛夢の心臓は大きく弾む。
「・・・私、漁火さんの事を信じています!美剣さんと同じくらい!」
その答えに、漁火はあの百点満点の笑顔をくれ応えてくれた。
「今のお言葉とても嬉しいです。では、まずはケーキを寮母さんにお渡ししてください。そして、お借りしている溝呂木さんの制服と、旭夏さんの傘を取りに行き、ここへ戻って来てください。最後にソレを私に渡す時には、全てが終わっていますから」
漁火は、愛夢が今やらねばならぬ事を口に出した。
自分のやらねばならない事は、向井から謗りの言葉を受けて詰られる事ではない。
愛夢は真っ直ぐに前を見据え、地面に足を着けた。
「それから、どんなに慌てても走ってはいけません。転んで怪我をしては大変ですから。どれだけ遅くなっても構いません。ゆっくりと歩いてください」
漁火の言葉は、自分を如何に案じてくれているのかが深く理解できる。だからなのか、その教えはスッと頭に入っていき素早く行動に移すことができた。
「はいっ!」
あの日、寮へ戻るのが恐ろしかった自分を漁火がくれたパイの重みが勇気付けてくれた。
そして今日、直接勇気付けられている自分がいた。
当たり前だが、あの日のパイよりも手に持つケーキの方が重く感じられる。
その増した質量が、想いの重さの様に感じられた。
愛夢も漁火も、あの日のままではない。共に過ごし、互いの諦めの悪さを知り、それは信頼となった。
「行ってきます、漁火さん」
愛夢を守る様にそこに立つ漁火は、「はい」とだけ返事をして向井の方へと歩いて行く。
その漁火を信じて愛夢は寮へ歩みを進める。
自分を罵る怒号が聞こえるが、漁火を振り返る事も、向井の方を向く事もしなかった。
きっと愛夢よりも強い漁火に、向井は触れる事すらできない。心技体全てに秀でたフロウティス部隊である漁火の前に、己の無力を痛感するだろう。
愛夢すら捕まえられない男が、愛夢の先達である漁火に敵う訳が無いのだから。
愛夢は住み慣れた寮の廊下を進み、寮母を探す。
寮の生徒のほとんどは、クリスマス本番である今日に帰宅していた。残っているのは、家の都合や部活の都合がつかずにいた生徒や、愛夢の様に帰る事を躊躇う生徒たちであった。静かすぎる寮は愛夢にとっては居心地が良く、漁火に言われた通りにゆっくりと歩き回りながら寮母を探す。
手前にある事務室には寮母はおらず、心当たりは食堂しかなかった。
こうしている間にも、漁火は向井に暴言を吐かれているのかとしれないと思うと、どうしても気持ちが焦ってしまう。急いでドアを開けて中へ入り「失礼します」と声をかける。そこにはテーブルで難しい顔で書類仕事をしている寮母がいた。
寮母は愛夢の存在に気付き顔を上げる。
「あっ!おかえり〜!今日は早かったね、偉い!」
寮母は前日の愛夢の規則違反を蒸し返しはするが、冗談ぽく笑ってみせた。そんな態度が有難たい。
「昨日は、ご迷惑並びに、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。コレ、頂き物なんですけど、お詫びの品です。召し上がってください」
寮母は愛夢から即座に箱を受け取り「そんな気を使わなくていいのに〜!」と笑いながらも中を見た。
途端に寮母の表情は笑顔から驚愕に変わる。
「ちょっ、ちょと!コレ、テレビで紹介された有名なお店のケーキじゃない!?」
ケーキピック記された店名を指差しながら寮母は愛夢ににじり寄った。
そんな有名店のケーキをご馳走してもらった申し訳なさと、寮母の勢いに押され愛夢はたじろぐ。
そこから寮母の怒涛の売り込みのような店の説明が始まった。フランス帰りの三つ星レストランのパティシエが開いた店であり、毎日長蛇の列からの即完売のそのケーキは、日本のみならず各国から厳選された食材を使っていて、華やかな見た目に見合うお財布に痛いお値段であり有名なのだと力説される。
終いには合わせるお茶は何するか、高級な皿を出すべきなのか、という話になっていく。
愛夢は寮母の勢いに押し負けてしまいそうになるのを何とか耐え、話の切れ間に滑り込んだ。
「そんなに凄いお店だと知らなかったので、頂いた方に重ねてお礼を言っておきます!まだ、その方を外にお待たせしているので、これで失礼します!」
一礼をして去っていく愛夢を寮母は「ありがとう〜!私の分のお礼もよろしくね!」と盛大に手を振り見送ってくれた。
階段を登る足が早足になってしまうが、愛夢はそれを堪える。漁火に恥ずかしくない自分になると決めたから、言いつけを守りゆっくりと歩く。
「ゆっくり、歩く、漁火さんとの約束」
そう呟きながら自室に着くと、収納棚から制服を入れた紙袋と傘を取り出す。
窓を開けて外の様子を伺いたい衝動に負けないように、愛夢は今やるべき事を口に出した。
「漁火さんの所へ戻る」
階段を降り玄関口の扉を開ける。
そこには涼しい顔をした漁火が愛夢を待っていた。
「いいタイミングでした。流石ですね」
「・・・あの、コレがお借りしていた物です」
愛夢は辺りを見渡す。だが向井の姿は影も形も無かった。漁火は何事も無かったような顔をして、愛夢から荷物を受け取る。
「確かに受け取りました。何かお二人にお伝えしたい事はありますか?」
漁火にそう言われ、溝呂木と旭夏、見目麗しいだけではなく優しさと強さを兼ね備えた二人の顔を愛夢は思い出す。それは一瞬で頭から向井の事を弾き出す程に強烈な甘い疼きを起こさせた。
「えっと・・・お二人のおかげで風邪をひかずに済みました、本当にありがとうございました、と伝えて頂けますか?」
そうは言ったものの、今は火照る頬に冬の寒さが心地よく感じられた。
「分かりました、その様に伝え申しておきます。それから先程の彼の事なのですけど気になりますか?」
「気になります!漁火さん、何か酷い事を言われませんでしたか!?怪我はしていませんか!?」
「はい、大丈夫です。彼はもう帰られました。ご家族とハワイで年越しをするそうなので、色々とお忙しいのでしょうね〜」
漁火は向井を帰らせただけでなく雑談までやってのけていた。あの怒り心頭の鬼のような形相をしていた向井を、漁火はどの様にして落ち着かせて懐柔させたのか。その疑問は浮かんだ瞬間消えた。
誠実な人柄の漁火には、流石の向井も絆されるしかなかったのだと気付いたからだ。
「向井君と、そんな事を話すくらいに打ち解けるなんて、漁火さんはすごいです!」
「あはは・・・別に知りたくもなかった情報ですし、私と彼は絶対に仲良くしたくありませんけど」
関心する愛夢を他所に、漁火は心の底から嫌そうな顔をしていた。
「でも、向井君は怒っていたのに説得を受け入れて帰ってくれたんですよね?全然想像がつきません」
「・・・そこは、まぁ?仮にも私はインテリヤクザですし?怖ぁい顔をして、強請りと脅しで、ね?」
そう戯けたように苦笑いする漁火と、その口から出た「インテリヤクザ」と「強請りと脅し」という単語は余りにも対照的であった。
それが愛夢の笑いのツボに見事にハマる。
「あっははは!・・・っ絶対、嘘っ!似合わない〜!」
愛夢は捩れそうになる腹を抱えて大笑いした。
そんな愛夢に釣られて漁火も声を出して笑う。
「嘘なんかじゃありませんよー!インテリヤクザは情報戦を制しますから!脅しのネタには事欠きません!」
「やめてくださ〜い!お腹が痛い〜!苦し〜い!」
愛夢に罪悪感を抱かせた同級生の噂話は、笑い話へと変わる。
寮母分の礼を言い、雑談をして、ひとしきり笑った二人は、今年で最後となる別れの挨拶をした。
「それでは西宮さん、私は本部へ戻ります。素敵な冬休みと、良いお年をお迎えください」
「漁火さんも良いお年をお迎えください。・・・また、来年も漁火さんに会えますよね?」
「はい、必ず会いに行きます。私の大切な後輩となる西宮さんの様子を見に、学校にお邪魔いたします」
漁火を見送りながら、愛夢は心の中で小さな決意をする。あの空き部屋の一人の楽園を離れ、普通の学校生活を送る事を。
愛夢が一人でいると知った漁火は悲しい顔をしていた。もう二度とあんな顔をさせない為に、愛夢は再びあの地獄のような場所へ戻る事をひっそりと決めた。
冬休みが明けると、向井が停学となった事を知った。愛夢の担任も懲戒免職となり学校を去っており、学校は小さな騒ぎとなった。だが受験への大詰めと、新年の忙しさによって、それはすぐに静まった。
どちらも理由までは分からなかったが、漁火の言葉の通り愛夢を取り巻く環境は少しだけ変わった。
それらに漁火が大きく関わっている事など、愛夢は知らない上に、夢にも思わなかった。
愛夢は漁火に恥ずかしくない自分になる為にと、自ら楽園を捨てる。卒業までの間、普通の生徒と同じように教室で勉学に勤しんだ。
だが決意も虚しく、向井も担任もいない教室はとても静かで快適だった。むしろ愛夢よりもクラスメイトたちの方が針の筵にいるような顔をしていた。
だが、それは受験の忙しさによるものなのだろうと、愛夢は気にも留めなかった。
あと2ヶ月の時を耐えさえすれば卒業だと自分を奮い立たせて。




