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ーNo titleー  作者: 一ニ三
31/39

雇用契約

 溝呂木は誰の名前も書かれていない連帯保証人の書類を持って奥の自動ドアへと向かった。

「おい!スカしたこと言い残してどこ行くんだよ?」

「溝呂木さん!どうなさるおつもりですか!?」

 愛夢は、ただ事の成り行きを見つめる。

「こんな書類が出来たのは僕の所為だからね。まぁ、何とかしてみるよ」

 そう言って振り向き様に髪をかき上げる溝呂木は、時が時、世が世ならば絵にして残され、芸術品として崇められていたかもしれない。そう思うほどに凛々しく完成されていた。

 その視線が愛夢にだけ向けられたのだから、頬は赤らみ立ちくらんでしまうのも無理はなかった。

「そこで三人でお茶でも飲んで待っていればいいよ」

 ヒラヒラと手を振りながら中へ消えていく溝呂木を残された三人はポカンと見送る。

「何なんだよ!ちゃんと説明してけよ!ギザ野郎め!」

「大丈夫ですよ!溝呂木さんが何とかすると言ったら本当にしてくださいますから!」

 美剣の怒りは先程までとは、まるで違っていた。

 漁火も安心しきっているように見えた。

「何とか・・・なるんですか?本当に?」

 愛夢は恐る恐る2人に尋ねる。

「安心しろ!もしダメだったらオレが溝呂木をブン殴ってやるから!」

「殴らないでください!その時は臼井教諭に頼むんですよ!全くもう!」

 美剣と漁火、愛夢が信じるニ人の仲間である溝呂木なら本当に何とかしてくれる気がした。ニ人のやり取りに安堵が生まれ愛夢の口元が自然と緩む。

「本当に茶でも飲んで待ってようぜ?」

「丁度いいタイミングでした!突然ですが、二人ともケーキはお好きでしょうか?」

「はい」

「本当に突然だな。買うまではしねぇけど食えるよ」

「西宮さんの進路が決まった時には美味しい物でお祝いをさせてください、というお約束をしたのを覚えていらっしゃいますか?」

「覚えています。でも漁火さんは、これまで私に美味しい物をご馳走し続けてくれていましたよ?」

「それは、それ!これは、これですよ〜!」

 そう言いながら漁火は白いケーキ箱を愛夢と美剣がいる席に置いた。そして楽しそうに上開きタイプのケーキ箱を開ける。

 箱の中には数種類のカットケーキとゼリーやシュークリームが入っていた。全て違う種類のケーキは彩り鮮やかで洒落ており、一目見ただけで高価な品物だと分かる。

「凄い!綺麗!お洒落!美味しそう!」

 宝石のようなケーキたちを写す愛夢の瞳はキラキラと輝いた。

「こうやって漁火は西宮愛夢を餌付けしてきたのか!」

「人聞きの悪いことを言わないでください。誰かさんが室温を上げた時はヒヤリとしましたが、保冷剤が仕事してくれて助かりましたよ」

「オレに今日の事を隠すからこんなことになったんだろ!突然リスケしやがって!ちゃんと説明しとけ!」

 美剣は漁火に文句を言いながらもエントランスに設置されているドリンクサーバーを操作した。

「・・・あの日の反省は無いようですね?私も美剣さんにだけは言われたくないんですけどぉ〜?」

 漁火もテーブルに手拭きに紙ナプキンとスプーンとフォークをセットをしながら美剣に文句を言う。

「あのっ!私も何かお手伝いをさせてください!」

 愛夢は動き続けるニ人に焦って声をかけた。

「お前は、そこに座って待ってればいいから!」

「西宮さんは、そこでゆっくりしててください」

 同時に返ってきた返事に従うしかなく、愛夢は行儀よく座ってニ人を見つめながら待つ。

 あれよあれよという間にテーブルはティータイム仕様にセッティングされていった。

 美剣が器用に持ってきた三つの紙コップにはコーヒーと緑茶が注がれている。コーヒーは美剣と漁火の前へ、緑茶は愛夢の前に置かれた。

「ウチの組織は女の子が好きな甘い飲み物とかは置いてねぇんだわ!緑茶でよかったか?オレのコーヒーと交換するか?砂糖とミルク持ってきてやろうか?」

 お姫様のような扱いに慣れていない愛夢の居た堪れない気持ちが頂点に達っする。

「緑茶を頂きます!申し訳ないのでお二人のお砂糖とミルクは私が混ぜます!混ぜさせてください!」

 愛夢の言葉に、美剣と漁火は軽く笑い合う。

「すまん〜!オレ、コーヒーはブラック派なんだわー」

「すみません、私もブラック派なんです。西宮さんのそのお気持ちが嬉しいです」

 以前ハンバーガーを共に食した愛夢は、漁火がコーヒーをブラックで飲んでいるのを見ていた。海老と和食が好きなことは覚えてはいたが、飲み物に関しては完全に抜け落ちた。これは愛夢にとっては失態と呼んでもいい出来事であった。

「すみません!私・・・漁火さんがブラックコーヒーを飲んでいたのを、見て知っていたのに・・・!」

「お前、オレが肉好きなのも覚えていたよな?もしかして何を注文したのか覚えてたりするのか?」

「はい。美剣さんは特大のハンバーガーセットと単品。それとマスタードソースでナゲット、飲み物はコーラを飲んでいましたよね?後は私にくれたものを」

「オレですら忘れてんのにすげえな!」

「西宮さんは本当に人の事をよく見ておられますね」

「同じ物や好きな物を私が頼んでしまうと、相手を嫌な気分させてしまうから。そうならない為に、なるべく覚えるようにしているんです」

 過去の様々な記憶が今の愛夢を構成していた。悪い事の方が、嫌われる事の方が多い人生は、思考を消極的にさせて自己嫌悪を加速させ続ける。観察力と記憶力、そして危険察知能力も、そんな悲しい理由から身につけたものであった。

 愛夢の返答にニ人は呆気に取られていた。その理由が分からず愛夢は首を傾げる。

「私、何か変な事を言ってしまいましたか?」

「よく覚えておけ!オレは、お前と同じ物を食って一緒に美味いって喜び合いたいんだよ!」

「私だって美剣さんと同じ思いです!これからは、そんな事を考えないで、食事を楽しんでください!」

 美剣と漁火は必死な顔で力説した。愛夢は熱い2人の熱量に押され、小さな声で返事をする。

「・・・はい」

「残念ながらケーキは全て違う種類なので、今の言葉を証明するのは難しいのですが・・・。とにかく!好きな物を好きなだけ選んでください!」

「いっぱい食え!オレが取ってやるよ!どれがいい?」

「西宮さん!カボチャのケーキもありますからね?」

「えっ!?カボチャが好きなのか?でもほら!苺のケーキもあるぞ!?」

 グイグイと互いを押し退けケーキを勧めてくる美剣と漁火の優しさは、出会った時から何も変わっていなかった。愛夢の頬は嬉し涙で濡れる。

「・・・いただきます」

 ショートケーキからは、とても強い苺の香りがした。フォークで先端を切り口に運ぶと甘い幸せが広がる。軟らかく、しっとりしたスポンジは優しく舌で溶ける。なめらかなクリームと甘酸っぱい苺が合わさり極上の旋律のような刺激を口の中で奏でた。

 愛夢が今までの生きてきた中で一番美味しいと思った苺は、あの宝箱の苺であった。そして今、この瞬間に二番目が決まる。思い出に補正が入り誤認しているだけかもしれないが、やはり単体ではあの苺に適うものは無い。だが、このショートケーキは今まで食べたショートケーキの一番として、愛夢の中でこれからも君臨し続ける。

 行儀の悪い事だというのは分かってはいた。まだショートケーキを一口しか口に入れていない。だが愛夢はカボチャのケーキにフォーク入れる。

 どうしても美剣と漁火に、味の感想と今の想いを即座に伝えたい衝動が愛夢にそうさせた。

 一口分しかフォークに乗せていないのに、カボチャケーキはズッシリと重かった。口に含むと、ねっとりとした冬カボチャ特有の甘さが舌を撫でる。ペーストはトロリと軟らかく、歯を使わなくても口の中で自然で濃厚な旨味を拡げてくれた。

 このカボチャのケーキも、愛夢が今まで食べたカボチャのケーキの一番に輝く。

 美剣と漁火は、そんな愛夢の様子を拳を握って見守っていた。

「どっちも・・・とっても美味しいです。今まで食べたショートケーキとカボチャのケーキの中で、一番美味しいです!私・・・幸せです!」

 あまりの美味しさに、嬉し涙が出て口角もゆっくりと上がる。愛夢の涙を浮かべた朗らかな笑顔に、美剣と漁火はガッツポーズを決めた。

「もうっ!全部、お前が食っていいぞ!」

「買ってきて本当によかったぁ〜!」

「ありがとうございます!でも、ごめんなさい。2個でお腹が限界です。お二人は食べないんですか?」

 王道であるショートケーキ、その出来栄えでケーキ屋の力量は決まると言っても過言ではない。どちらのケーキも文句無しで非の打ち所がないのだから、他の品も美味であることは明白であった。愛夢は美剣たちにも、早くそれを食べてほしいと願う。その瞳と表情は、次第に捨てられた子犬の様になっていった。

「漁火・・・すまん!オレ卒倒しそうなんだが!」

「私も美剣さんを助けている余裕は無いです!」

 その瞳に心を奪われ震えながら虚空を見つめていたニ人に、愛夢は追撃になる言葉を続けた。

「ニ人に食べてほしいんです!嫌じゃないのなら・・・あの日みたいに、三人で一緒に食事をしたいです」

 そう言い言い終わると、間髪を入れずにその願いは聞き届けられた。

 気がつけば愛夢の席の前に美剣と漁火が座ってケーキを選んでいる。瞬きするほどの間に、ニ人はフロウティス部隊の身体能力をフル活用していた。

「オレ、手で食えるヤツがいいな。シュークリーム貰っていいか?」

「私はゼリーを頂きます。残ったケーキはお土産に持って帰ってもらっても構いませんよ」

 美剣は大きな口でシュークリームに齧り付く。

 漁火も丁寧にグレープフルーツのゼリーを掬う。

 今度は愛夢が拳を握りニ人の様子を見守った。

「あっま!うっま!甘いモン久々に食ったわ〜!」

「このゼリー美味しい!苦味と甘味のバランスが絶妙ですね!」

 これまで3回しか食事を共にすることはなかった美剣と漁火、4回目のティータイムで笑い合う姿は友人同士のように見えた。愛夢はそんなニ人を、ハンバーガーを食した日と同じ様に見つめる。

 この穏やかな時間を享受していたのは愛夢だけではなかった。美剣と漁火も同じ気持ちでいてくれるのか、和やかな笑顔を返してくれる。

「オレとしたことが、まだ言っていなかったな!メリークリスマス!西宮愛夢!」

「そういえば私もまだでした!メリークリスマス!西宮さん!」

 美剣はコーヒーの入った紙コップを掲げ、漁火もそれに続いた。

 間違いなく昨日と今日は愛夢にとって最大の災難のクリスマスだった。そうであったはずの二日間を溝呂木が、漁火が、美剣が、最高のクリスマスに変えてくれた。そして旭夏と丸ガーオマンも、謀らずもそれに尽力してくれていた。

 愛夢もニ人に続き、紙コップを掲げる。

「メリークリスマス!私・・・お二人とクリスマスを過ごせて、とても嬉しいです!」

 何の音もしない静かな乾杯で、三人は神様の誕生日を祝った。

 向井に書類を破かれなければ今日の出来事は絶対に起こらなかった。ならず者たちに襲われなければ旭夏とも今日出会えなかった。

 美剣たちに出会ってから、転禍為福を体現していた。これまでの辛い人生は、LETへ導かれる為に有ったのだと気付き、愛夢は心の中でそれを甘受する。

 美剣が淹れてくれた緑茶を一口飲み込む。

 どこにである普通の緑茶、だが愛夢の中では世界で一番旨い緑茶であった。豊かな香りが鼻に吹き抜け、ほのかな渋みがケーキの甘さを引き立ててくれた。

「漁火さんが用意してくれたケーキも、美剣さんが淹れてくれたお茶も、すごく美味しいです!私、今日のことを絶対に忘れません!!」

「お前は本当にソレばっかりだな!そんなに喜んでくれるなんてオレも嬉しいよ」

「私も美剣さんと同じ思いです。西宮さんのおかげで素敵なクリスマスになりました!」

 いつだって過剰な程に美剣たちは愛夢に与えてくれた。温かい言葉、優しい笑顔、美味しい食事、そして居場所を。だからそれらに報いることができない自分が歯痒かった。

「ここまでしてやった甲斐があったなって思ってもらえるように、皆さんに役立ててもらえるように頑張ります!」

 愛夢の決意の言葉に、美剣は頭を抱えて盛大にため息をついた。

「どうしてお前はそうやって一人で突っ走るかなぁ?言っとくけどなぁ、オレと同等か、それ以上にならねぇと前線には絶対出さないからな?」

「えっ!?そんな・・・」

 戸惑う愛夢に漁火から追撃の説明が続けられた。

「私、言いましたよね?三か月のトライアル期間で適性を判断すると。つまり、その間はトレーニングに尽力してもらい追弔は見学のみとなります。西宮さんが前線に立つことは、絶対にありませんよ」

 絶対を強調する漁火の言葉に、愛夢は学び会得した諦めの悪さを発動した。

「私、その期間に強くなります!強くなって、皆さんの負担を少しでも減らせるように頑張ります!」

「おー!その意気いいねぇ!オレをぶん投げられるくらいに強くなってくれや」

 美剣と愛夢では筋力と体力で劣ってしまう。だが美剣がやり方次第だと言ってくれたから、挑戦してみようと思えた。美剣がくれた言葉たちが愛夢の心に灯り続け大きな紅炎となり原動力となっていく。

「はい!」

「美剣さんを投げる西宮さん・・・。いっ・・・嫌だ」

 愛夢を危険から遠ざけたい漁火は消沈していた。

「私・・・漁火さんに早く楽になってもらえるように頑張ります!」

「言い方〜!!」

 愛夢の言葉に美剣はテーブルを叩いて笑う。首を傾げた愛夢に漁火も優しく笑った。

「その・・・お気持ちだけでいいので・・・」

 さらに気合いの入った愛夢の言葉と美剣の笑い声を遮ったのは自動ドアが開く音だった。

 三人の視線は一斉に奥の自動ドアに注がれた。

 白いエントランスを優雅に歩く溝呂木の手には1枚のクリアファイルに入れられた書類が見えた。

「・・・随分と楽しそうなお茶会ですね。僕のことは気にせず続けてくださって構いませんよ?」

 溝呂木は三人が座るテーブル席の側で歩みを止める。漁火はケーキの箱を持ち上げ溝呂木に見せた。

「よかったら溝呂木さんも召し上がりませんか?」

「ごめんね。僕、甘い物は食べないんだ。気持ちだけもらっておくよ。ありがとう」

 美剣も漁火も溝呂木に書類のことを聞かない。さも上手くいったと当たり前かの様に、仲間同士の会話を続けていく。そんな三人の会話に入れず、愛夢は溝呂木の手元の書類を見つめることしかできなかった。

「スカしやがって!激辛ケーキとかないのかよ?」

「そんな物ある訳ないでしょう!あったとしても西宮さんは辛い物が苦手ですから買ってきません!」

「マジかよ!オレ、バレンタインに唐辛子チョコ貰ったことあるぞ?」

「・・・その方は美剣さんのことが嫌いだったのではないでしょうか?」

「だろうね。それは精一杯の可哀想な意思表示だったんだ。察してやれよ」

「嫌われとらんわ!机の上に毎年置いてあるんだぞ?」

「言っておくけど、僕じゃないからな?」

「私でもありませんからね?」

 沈黙がエントランスを包んだ。漁火でも、溝呂木でもない、ましては美剣でも絶対にないのなら、導き出される答えは一つしかなかった。愛夢は沈黙を破る。

「じゃあ・・・旭夏さん?」

 自分を助けてくれたあの優しい美しい人の名を再び口にすると、胸がドクンと弾んだ。

「ない!ない!ない!」

 愛夢の言葉を、即座に三人が全く同じタイミングと動作で否定する。

 注目が集まったことで、ようやく愛夢は溝呂木から書類を手渡してもらえた。

 書かれたサインを一目見て驚愕で手が震える。

 その名前は愛夢だけが一方的に知っていた。

「んで?結局、誰にサインもらってきたんだよ?」

「・・・椚原さんだ」

「マジ☆ダリかよ!?」

 美剣が言うマジ☆ダリは愛夢でも知っている愛称であった。数々の手厚い制度や補助金、さらに自身の甘いマスクによって好評を博す人物。老若男女、全ての人間のイマジナリーダーリン、略してマジ☆ダリと呼ばれる東京都知事の名前がそこには記されていた。

 その椚原赫くぬぎはらかがやの名は芸能人のサインのようにデザイン性がある達筆で書かれている。

「今日、偶然にも、昨日の会議の議事録を確認する為にLETに来てくれていた」

「どうしてですか?私・・・都知事とは会ったこともないのに・・・」

「・・・皆が認めたのなら、それだけで信用に値する人間だと椚原さんは快くサインしてくれたんです。嫌なら返してくれますか?僕の恩人に失礼は許さない」

 戸惑う愛夢を溝呂木は睨みつける。

 その表情で、愛夢は溝呂木が如何に都知事である椚原を慕っているのかを理解した。

「違います!嫌なんじゃなくて・・・驚いてしまって。私なんかの為に都知事が連帯保証人になってくれるなんてって」

 美剣は席を立ち守る様に愛夢の側へと駆け寄る。

「おい溝呂木!西宮愛夢をイジめるな!」

「イジめていない。覚悟を問うだけだ」

 溝呂木の先程の訝しむようや表情は消えていた。

「覚悟、ですか?」

 美剣と溝呂木の間に入った漁火が、さらに戸惑う愛夢に説明を始める。

「これから都知事である椚原さんの名前はあらゆる所で西宮さんを守ってくれることでしょう。LETに関係する人間は、椚原さんに認められた者として西宮さんを認識し無条件に信頼します」

 嘲られ見下されることには慣れているつもりだった。そしてそれはこれからも未来永劫、自分が生きている限り続くものだと思っていた。だが一枚の書類がそれをひっくり返す。

「ですが、それと同時に西宮さんの過失は椚原さんの名を貶め、最悪の場合は失墜させる可能性すらある。そうなれば後ろ盾を失うだけではなく損害はもう一方の連帯保証人にのし掛かる。そのことを念頭において、もう一度、溝呂木さんの質問にお答えください」

 漁火の相槌の後に、溝呂木が愛夢に問う。

「貴女は椚原さんの名前を穢すことなく、従順に如何なる場合も職務を全うする覚悟はありますか?」

 覚悟は既に決まっていた。

「あります!でも・・・もしも、私が道を踏み外して椚原さんのお名前を穢そうとしたのなら」

 愛夢は前に立っている溝呂木に真っ直ぐ向かう。

「その時は、私を殺してください!」

 臼井が怒り叫んでまで伝えてくれた「自分の大切な決定を他人に委ねるな」という教えは、何よりも自分の命を軽んじる愛夢には届かなかった。

 その教えを学び悟るには、時間が短すぎた。

 正しきへ教え導いてくれる本物の教師との出会いは、あまりに遅すぎた。

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