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ーNo titleー  作者: 一ニ三
29/41

クリスマスプレゼント

 防衛省の敷地は広大で、改めて愛夢はこの場所の重要性を再認識した。

 美しく整えられた敷地は正則なる教育によって保たれている。厳正で正格な選ばれた人間が集う場所は、お前には場違いだと愛夢の心に巣食う者たちが嗤う。

 所々、植えられている木々は冬の寒さで葉を落としており、緊張をほぐしてはくれない。

 中には入れたが、これからどうすればいいのか、不安と疲れから愛夢の足は次第に重くなっていく。

 階段を登る途中で、ついには佇立してしまう。

「西宮さん?」

 聞き覚えのある優しい声が発してくれた自分の名前が、暗鬱を吹き飛ばす。愛夢が顔を上げると階段上の広場に漁火がいた。

 黒縁の眼鏡を掛けた優しい笑顔は、いつもと全く変わらなかった。だが漁火はいつもの黒の背広ではなくグレージュのジャケットに身を包んでいる。愛夢は漁火のその姿で、溝呂木から借りたジャケットがLETの制服だったということを知り得た。

「今から西宮さんを駅まで迎えに行こうと思っていたんです。まさかこんなに早く来られるとは思っていませんでした。嬉しい誤算ですね」

 そう言いながら漁火は愛夢の元まで階段を駆け降りる。昨日と今日、クリスマスの間に起こった出来事を漁火に全て吐き出してしまいそうになるが、目の前の笑顔が曇るのが嫌で愛夢は言葉を飲み込む。

 その代わりの分、涙がポロポロと溢れ出てきた。

「私、漁火さんにずっと謝りたかったんです!」

「ご自身に非がない場合の謝罪は適切ではありません。謙虚なのは西宮さんの美徳ではありますが、泣いてしまうまでにご自身のことを責めないでください」

「でも私は大切な書類を守れませんでした。皆さんの思いが沢山込められた書類だったのに!」

「話は溝呂木さんから伺っております。過ぎたことを言っていても仕方がありませんし、溝呂木さんを納得させて、今日の機会を生んだのです。終わり良ければすべて良しということにしましょう」

「・・・私、美剣さんにも謝りたい!こんなことになって、ごめんなさいって言いたいんです!」

「そうですか。とりあえず私から言えるのは、昨日の美剣さんは学校に乗り込もうとするくらいに心配して怒っていたという事でしょうかね」

「そんな・・・美剣さん・・・」

「我々にとって一番大切なのは書類よりも西宮さんですからね。とにかく怪我が無くて何よりでした」

「・・・はい」

 漁火は話しながら何度かスマホの画面に目を向ける。彼にしては珍しい行動の意味は考えなくても分かっていた。それはきっと多忙ゆえであり、これ以上の迷惑をかけたくない愛夢は、今日あったことを絶対に秘することを決めた。

「・・・そういえば先程は雪がチラついていましたね!冷えるので中に入りましょう」

 省庁内の職員、隊員がすれ違うたびに挨拶をしてくれる。その一つ一つに丁寧に応える漁火の後に愛夢も続く。

「ここにいる全ての方が我々の事情を知っている訳ではありません。秘密とは知っている人間が多ければ多いほど脆くなっていくものですから」

 前を歩く漁火は相変わらずスマホを気にしていた。

「溝呂木さんも破れた書類からの露呈をとても心配していました」

「そうでしたか。溝呂木さんは各省の方々からの信頼も厚いので、板挟み状態なのです。気苦労が絶えないのだと思います。昨日は西宮さんに対しての言葉が強くなってしまったと、とても悔いておられました」

「いいえ、溝呂木さんは、私にとても優しくしてくださいました。怒られたのは私が悪かったからです」

「・・・西宮さんは変わらないなぁ」

 建物の中は愛夢の考えていたものとは違った。防衛省の中は武器や防具が並べらた怖しい場所なのだと思っていたが、実際は清潔で簡素、まるで役所の中のような雰囲気であった。

 漁火は建物内のエレベーターには向かわず、関係者以外立ち入り禁止と書かれた扉の前に立つ。

 壁に設置されている液晶パネルに指を置くと、ピーという電子音と共に扉の鍵が開いた。

「この扉は静脈認証で開くようになっています。部外者には開けらない仕組みです」

 政府の特例によって作られた組織LET、その秘密を守る為の大層な仕掛けに愛夢は興奮を覚える。

 扉の中にあったのは、ただ一機のエレベーターだけだった。漁火が胸ポケットにあるIDガードを操作パネルにかざす。するとエレベーターの扉が開いた。

 漁火の後に続きエレベーターへと乗り込んだ愛夢は困惑した。

「このエレベーター、階数ボタンがありませんけど?」

 漁火は微笑みを浮かべ愛夢を見つめる。

「この役目、美剣さんが自分でやりたかったでしょうね。いやぁ〜、役得とは、このことですね!」

 どこか楽しそうな漁火はエレベーターに埋め込まれているパネルに顔を近づけた。

「このエレベーターは虹彩認証で動きます。分かりにくいですがサーモグラフィーも内蔵されているので、セキュリティに関してだけは抜かりはありません」

 だけ、を強調する漁火の嫌味を愛夢は汲み取ることができなかった。今から起こることへの胸の高鳴りがそんな事に気付く余裕を奪っていた。

 漁火の虹彩を認識したエレベーターは下へ向かって動き出す。

「LETは防衛省の地下にあります。本来は有事に備えた要人の避難場所だったのですが、今は我々の本部として使わせてもらっているんですよ」

 漁火の話に愛夢の胸は躍る。秘密組織の秘密基地にいるこの状況では、興奮を抑えるほうが無理な話であった。地下へ向かうエレベーターを体感した愛夢は我慢できずに呟く。

「かっ・・・かっこいい〜・・・!」

 そんな愛夢が面白いのか漁火は目を逸らし震える。口を押さえていたが「んんぅ!」と声は漏れ、分かりやすく耳まで赤くなっていた。その反応を見て愛夢は自分が恥ずかしくなる。

 茹蛸のように真っ赤になった2人を吐き出すかのように、地下へ到着したエレベーターはその口を開く。


 エレベーターを降りた先に広がっている光景は、愛夢に感嘆の声を上げさせた。

「わぁ・・・広くて綺麗!」

 一面が白のコンクリートで出来たエントランスに汚れは一つもなかった。清潔な白の中に置かれた円柱のプラスチック製の椅子と机は、グレー色をしており目に優しい。そこにある緑の観葉植物が、さらに白を映えさせた。強いて残念な部分を言うなら部分的に新しい素材が使われているのか、一箇所だけ色が少しだけ違っているくらいだった。

「奥にまだまだ施設は続くのですが、本日はここで書類を書いていただくことになっています」

「はい。まだ部外者である私を、ここまで連れてきてくださって本当にありがとうございます!」

「ついに・・・ここまで来てしまいましたね」

 漁火は悲しそうな顔で愛夢に言う。愛夢が習うべき諦めの悪さは健在であった。

 スマホの震える音が2人の間の沈黙を破る。

 画面を確認した漁火は、愛夢に背を向けた。

「私は15分ほどここを離れます。西宮さんは、そこで座って待っていてくださいね」

「・・・わかりました」

 愛夢は漁火が指差した椅子に腰掛ける。奥の自動ドアに向かう背中を見送っていると、漁火はあの百点満点の笑みで振り返り呟く。

「今日はクリスマスですからね。特別ですよ?」

 漁火の言葉に愛夢は首を傾げるしかなかった。自動ドアが閉まると同時に愛夢たちが乗ってきたエレベーターが動き出す。

 エレベーターから降りてきた人間が愛夢を見て憤慨するのではないか。部外者の愛夢だけをここに残した漁火も責任を問われるのでは、そんな不安が愛夢を襲う。だが漁火が誰の得にもならないようなことをする筈がなかった。わざわざスマホを何度も確認して、この場所に愛夢を1人残した理由が現れる。

「あークソッ!突然リスケしやがったと思ったら、まだ帰ってくるなーだの、今すぐ来いーだの、好き勝手言いやがって!漁火のヤツ、一体何なんだよ!」

 その悪態の内容から、愛夢はこれが漁火からのクリスマスプレゼントなのだと理解した。

 愛夢が会いたいと願って止まなかった美剣がそこにいる。スマホの画面を睨みつけていたが、人の気配を感じたのか、ようやく顔を上げた。

「西宮・・・愛夢?」

 美剣は大きく目を見開いた。

 服装はあの日のスーツではなかった。作業服にLETの制服を羽織っている姿は、あまりに美剣らしい。

 たくさんの感情が、涙にまとまって落ちた。

「・・・美剣さんっ!」

 愛夢は椅子から立ち上がり走った。疲れで限界だと感じていた体を、心が勝手に動かす。

 誰に何を言われようが構わなかった。接触禁止を破る悪い子になってでも、美剣の側に行きたかった。

 愛夢が聞きたかった声を、感じたかった温もりを、ようやく直接感じられた。

 美剣の腕の中で大きな声で泣くその姿は、まるで家族を見つけた迷子の子供のようだった。

「美剣さんっ!・・・会いたかった!」

 愛夢の叫びは美剣の厚い胸板の中でくぐもった声に変わる。だがあの鉄塔の上でのように、美剣は愛夢の背中に手を回してはくれなかった。

「何でだ?どうしてお前がここにいるんだ?漁火が学校に直接書類を取りに行くんじゃなかったのか?」

「溝呂木さんが・・・ここで書類を書いていいよって許可をくれて・・・それで漁火さんが・・・ここまで連れてきてくれたの・・・」

「アイツら・・・そんなこと一言も・・・」

「・・・今日はクリスマスだから特別って言ってた」

「あー!本当に最高のクリスマスプレゼントだよ!」

 美剣は愛夢の頭を両手で撫で回した。整えた髪がぐしゃぐしゃに乱れたが、幸せを強く感じる。

 不安だった気持ちが、今日の怖かった経験が、全て燃えて灰になったかのように軽くなっていく。

「美剣さん、怪我は痛くないですか?私、離れたほうがいいですか?」

「大丈夫だ。そんなモン、お前に会えたから治っちまったよ!」

 美剣は愛夢の目尻に溜まった涙を親指で拭う。途端に涙はシュッと蒸発し跡形もなく消える。涙の原因までをも一緒に消し去ってくれたのだと思える程に心が穏やかに凪いでいく。

 何故だかは分からない。美剣の言葉と行動は愛夢の心をいつも救ってくれる。砂糖が温かい飲み物に溶けて混ざるように、スッと心に馴染んでいく。

 美剣の腕の中は温かく、ここは世界で一番安全な場所だと思えた。

「私・・・美剣さんが千葉まで行って貰ってきてくれた書類をダメにしてしまいました・・・。せっかくマリア先生が書いてくれたのに!」

「お前が自分の手でダメにしたんじゃないって事はオレが一番よく分かってるよ。千葉どころか北海道でも沖縄でもお前の為なら何処へだって、何度も行ってきてやるから大丈夫だ!気にすんな!」

「・・・怒ってないんですか?」

「キレてるに決まってるだろ?向井のクソガキにな!」

 あの鉄塔の上で感じたタバコと汗の匂いはしなかった。スパイシーな男性らしい香水の香りに、少しの寂しさを感じながら愛夢は美剣から顔を離す。

「書類を破かれなかったら、今日こんな風に美剣さんに会えなかった。だから、こうなって良かったのかもって思ってしまう。こんな事思っちゃダメなのに!」

 最悪だと思っていたことが最良につながっていく。愛夢はそれを、何度も経験していた。

「じゃあ、次はないって言っちまったが、お前に免じて向井を殴るのは止めといてやるよ!オレも嬉しいからな!同罪だな!」

「私、昨日初めて門限を破ってしまって、それで反省文を書いたんです。悪い子になってしまいました。勧誘のお話、取消しされないでしょうか?」

 担任の言ったように、ただでさえ愛夢には問題のある。そこにさらに問題を起こしてしまった。

 勧誘の話をもらっているにも関わらず、内申点が下がるような愚行をした者が公務に就く事が許されるのか。心のどこかでは分かっていた。だが美剣からの「大丈夫」が欲しくて愛夢はわざと質問をした。

 甘える子供が望む答えをもらう為にするような問いにも、美剣は正面から答えてくれる。

「大丈夫に決まってるだろ!オレも昨日は始末書を書いたんだ!お揃いじゃねえか!そんなことで白紙になるなら今頃オレは無職だぞ!」

「・・・でも美剣さんは偉いし強いから・・・」

「悪い子を名乗るなら前科持ちのオレより悪い事をしてからにするように!・・・って、やっぱダメ!そんな事になったらオレが泣く。そんな事する事情があるって分かってても、絶対に泣くからダメだ!」

「あっ・・・ごめんなさい。私、そんなつもりで言ったんじゃ・・・」

 愛夢は自分が望む答えをもらう為に、美剣の傷である過去を引き合いに出させてしまったことを恥じた。

 一瞬の安堵の為に美剣を傷付けた自分を、さらに嫌いになる。

 鉄塔の上から何も進歩していない自分は美剣に抱きしめてもらう資格を失った。そう思い愛夢は美剣から体を離そうとした。その瞬間、フワリと足が浮く。

「そんな事はどうでもいいんだよ!飯はちゃんと食ってんのか?重さは・・・あんまり変わってねぇな」

 気付けば愛夢は美剣に持ち上げられていた。

 鉄塔から降りた時と同じ持ち上げ方である"抱っこ"を美剣はまた愛夢にしてくれた。

「食べています。美剣さんが学校を過ごしやすい場所にしてくれてからは、毎日ご飯が美味しいんです。それから美味しいお昼もご馳走してくれるから、週一の進路相談の日が楽しみになりました!」

「そっか!これからも飯は、ちゃんと食うように!」

「はい!」

「よーし!偉いぞぉ〜!!」

 美剣は愛夢を抱えたまま、その場でくるくると回る。抱きつく力を強める言い訳ができた愛夢は美剣の首に手を回した。

「オレはお前に会ったら絶対に褒めてやろうと思ってたんだ!」

「褒める?私を?何にもしていないし、できてもいないのに?」

 回転を止めた美剣は、拗ねたように愛夢を見た。

「何言ってんだ?お前はあの日から今日まで全力で頑張ってきただろ?勉強だけじゃねぇ。漁火を説得して、あの溝呂木に許可証まで出させたんだ!本当にお前は、すげぇヤツだよ!もっと自信を持て!」

「・・・2人は優しいからっ!私があまりにしつこかったから・・・仕方無く折れてくれたんですっ!」

「優しい?溝呂木は、そんな甘いヤツじゃねぇぞ!手紙にも書いただろ?」

「手紙!美剣さんのお手紙とても嬉しかったです!マリア先生からの手紙と一緒に、私の宝物になりました!本当にありがとうございます!」

「オレだってお前のイラスト付きの手紙を、ケースに入れて飾ってあるぞ!あのウサギ癒し効果抜群だなぁ!絵の才能まであるなんて本当すげぇよ!」

 愛夢の手紙は洒落っ気も無いただのルーズリーフに文字と絵を書いただけのものだった。それを美剣も大切に思って扱ってくれていた。それどころか飾っていると知って、嬉しさよりも恥ずかしさが勝る。

「はっ・・・恥ずかしいから、せめて誰にも見えない場所に飾ってくださ〜い!」

「ははは!クリスマスだから特別に許してくれよ〜!」

 豪快に笑う美剣に釣られる。照れ笑いの後、愛夢は美剣に一番伝えたかったことを話し始めた。

「クリスマスカードにお礼とお祝いを書いてマリア先生に送りました。冬休みにも直接会ってお礼を言おうと思っています。美剣さんに手紙で背中を押してもらえたから勇気が持てたんです」

 愛夢のこれまでの人生の中心はマリアだった。自分の為に人生を無駄にしてしまった恩人に、これ以上甘えるわけにはいかない、と敬遠するような態度を取り続けてしまっていた。

 だが美剣が愛夢の心に余裕が生んだ。

 どんな時でも絶対の味方でいてくれる美剣の存在が愛夢の考え方を確実に少しずつ変えていく。

「お前が何でも思い悩みすぎるのを心配してたぞ。ちゃんと話して安心させてやんなさい!」

「はい」

 美剣も愛夢もお互いに、胸のつかえが取れたかように笑った。

「あー!今日お前に会えるって分かっていたらクリスマスプレゼントくらい用意したのによ!本っ当にあの性格の悪い怖いヤツのせいで〜!」

 美剣はそう言いながら、再び愛夢を抱えたまま回り始める。今度は先程の回転と違い目が回るほどの速さの回転数で、愛夢は悲鳴をあげつつ子供のように笑った。ひとしきりの楽しい時間を過ごすと、美剣は優しく愛夢を降ろす。

「・・・時間だ」

 奥の自動ドアが開く音がした。

「もう少しだけ待ってください、溝呂木さん!」

「悪いけど、こっちは緊急事態なんだ」

 現れたのは溝呂木と漁火だった。

 漁火は手に書類と手提げ紙袋を持ち、申し訳なさそうにこちらに頭を下げた。

 溝呂木は愛夢に向かって一直線に歩いてくる。

「あの、お借りしていた制服なんですけど─」

 愛夢は溝呂木に制服のことを詫びようとする。だがその言葉は溝呂木の緊迫した声に被せられ消えた。

「そんな物はどうでもいいです!それよりも警備から連絡をもらいました。大丈夫ですか?」

 秘していた今日の出来事を溝呂木に知られてしまった。彼が隠匿や虚偽を嫌うことを身をもって知っていた愛夢は固まる。

「警備?なぜ警備の方が?」

 何も知らされていない漁火は首を傾げた。

「貴女がゴロツキのような連中から拉致されかけ、さらには暴力を振るわれかけたと連絡を受けました。ソイツらは警備が拘束し警察が事情を聞いています」

 警備員と警察までも巻き込んだのだから、愛夢がいくら口を閉ざそうと隠し通す事は無理な話になった。

「警備員の方が助けてくれてので、こうして無事にここに来られました。だからもういいんです。そうお伝えください」

 なるべく成らず者たちの恨みを買わずに、この話を終わらせたかった。どうせ未遂で大した罪にはしてもらえないのだから、警察を必要以上に介入させずに終える。それが最良の道だと自分に言い聞かせる。

「その擦り傷はどうしたんですか?昨日はそんな怪我はしてなかったですよね?」

 溝呂木は誰も気付かなかった愛夢の脹脛の擦り傷に気付いていた。

「この傷は私が勝手に転んで出来たんです」

「その連中は自分たちは金で雇われただけだと言っているそうです。心当たりがありますよね?」

 溝呂木が望む答えは、首謀者の名だということは分かっていた。だが父親が権力者である向井に楯を突いた場合、フロウティス部隊がどうなるか分からない。

 ここにいる人間は優しく、非理を許さないことを分かっているからこそ、愛夢は何も言えなくなる。

 これは昨日の書類破損なんて可愛いものではない。下手をすれば向井の父親と美剣たちとの争いの引き金となる事件だった。

 愛夢は自分の我慢一つで丸く収まると思っていた。

 だが事態は、そんな甘くはなかった。

「ごめんなさい・・・。分からないです」

 言葉を濁す愛夢に漁火が痺れを切らす。

「雇った人物が私の想像の通りなら、今日の西宮さんの入隊書類提出を阻止しようとしたのだと思います!西宮さんがお名前を言わなくても見当がつきますよ」

「そうだね。一体どこまでゴロツキ連中に僕たちの情報を流したのか・・・。とにかく、これはもう貴女だけの問題ではありません」

 どうしていいのか分からず愛夢は美剣を見る。

 一言も発さずに3人のやり取りを聞いていた美剣は下を向き目を合わせてはくれなかった。

 だがその身体は微かに震え、髪の毛が怒りで猫のように逆立っている。

 愛夢は一刻も早くこの嫌な話を終えるため、溝呂木と漁火に答えを求めた。

「どうするのが正解ですか?私は美剣さんたちと一緒に働けるなら何でも我慢できますから!だから・・・このままで大丈夫です!」

 だが愛夢の絶対の味方は、それを許さなかった。

「ぶっっ殺す!!向井のクソガキも!そのクズ共も!お前を傷付けたヤツら全員を消炭にしてやる!!」

 美剣の叫びを皮切りに、地下のエントランスの温度が一気に上がる。

 愛夢は王たる獣の激憤を初めて目の当たりにした。

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