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ーNo titleー  作者: 一ニ三
23/39

延長戦

臼井の言った通り、漁火は強敵だった。

 隊長である美剣が愛夢を受け入れたとしても、漁火はそれを良しとしていなかった。

「私なんか頼りないし何の役にも立てないかもしれないけど、捺印くらいはできます。これで漁火さんたちが厚労省の人に怒られることはないでしょうか?」

「あの人たちは西宮さんが入隊の書類に捺印さえすればそれで満足します。そうして自分たちの安全を確固たるものにして安心したいだけなんですよ!」

「どうして?美剣さんはいいよって言ってくれたのに、漁火さんはそんなに悲しそうなんですか?」

「西宮さんに普通の人生を歩んでほしいからですよ!」

 側から見れば何度このやり取りをしているのか、そう指摘されるほどに漁火も愛夢も譲りはしない。

「普通ってなんですか?どんな風にしているのが普通ですか?私自身が普通じゃないから分からないです」

「西宮さんは普通の女の子です!誰かと楽しくお喋りして、穏やかな時間を過ごす!そんな時間が西宮さんには相応しいんですよ!」

「前もそう言っていましたね。それは美剣さんと漁火さんと過ごす時間じゃダメなんですか?漁火さんは私と働けたら毎日が楽しいって言ってくれたのに!私だって一緒なんです!」

「えっ!?」

「私・・・学校でこんなに誰かとお話したり、楽しく食事をしたのは初めてでした。その時間は二人がくれたものです」

「西宮さんはまだ若い!何も知らないだけで、これから何処にでも行けて、好きなものを見つけて、何でもできます!それこそ私たちなんかとは比べものにならない程の素敵な出会いだってあります!」

「そんなもの無いですよ。私にとって人生で最高の最後のこの出会いを大切にしたいんです!」

 漁火の声に負けじと愛夢の声も次第に大きくなっていく。

「何でそうやって簡単に諦めてしまうんですか!?」

「簡単なんかじゃないです!今まで生きてきた中で優しくしてくれた人は何人かいたけどっ・・・皆んなすぐに離れていった・・・。ずっとそうだった!」

 愛夢がどんな思いでその人たちといるを諦めてきたのか、漁火は知らない。簡単にと言われたことが、悲しく目の端に涙が浮かぶ。

「今の西宮さんならきっと大丈夫ですよ。きっと慕ってくれる方が沢山いるはずです」

「・・・分かりました」

 愛夢が悩みに悩んで出したLETで働きたいという願いは、漁火によってやんわりと潰されていく。

 他の誰でもない、書類を渡すと言ってくれた漁火自身の答弁によって。

 信じていた人間に突き放される感覚は久しぶりだった。傷付く心は殺したと思っていたが、相手が漁火であっただけにその傷は抉られたように深い。

「分かってくださったんですか!?給与だけが全てじゃありませんよ!やりがいがある仕事なんていくらでもありますから一緒に探していきましょう!」

 漁火の明るい声が愛夢の胸を痛めつける。

 大好きな漁火の笑顔を見ないように下を向く。

「・・・漁火さんが絶対に私と一緒に働きたくないんだって、よく分かりました」

「えっ?違います!・・・いや、違わないのかな?」

「LETのお仕事は美剣さんの近くにいられて、漁火さんの助けになれて、結果的にも誰かの大切な人たちを守れるやりがいのある仕事だと思ったんです」

「それはっ・・・」

「漁火さんが言っていた私の可能性の選択肢なんて何にも無かった!どんな仕事でも学校でも全然興味が持てなかった!私なりに一生懸命に考えて、誰にでも胸を張れる結論を出しました!」

「西宮さん・・・」

 一方的に捲し立てるように話す愛夢に、漁火は困惑はしていたが相変わらずの優しい声で応える。

「こんな私なんかでも誰かの役に立てるって!だから頑張ろうって思えた!漁火さんも認めてくれたって思っていたのに!」

「答えを出すのが性急すぎませんか?今から求人を出す企業に西宮さんが心惹かれるかもしれませんよ?だからギリギリまで一緒に探してみましょう?」

「そうやって言いくるめて、結局最後は違う仕事を薦めようとするなら最初からお前となんか働きたくない、お前なんていらないって言ってほしかった!」

 そう叫ぶ愛夢の泣き顔を見て、漁火は慌てふためいた。

「それは違います!そんなことは思っていません!」

「私・・・美剣さんと漁火さんと一緒にいられるようになるのを楽しみにしていた!こんな風に週に一度だけじゃなくて、これからは毎日会えるんだって!」

「へっ!?それは・・・嬉しいですが・・・」

「漁火さんが優しくなければよかったのに・・・。優しくしてくれるたびに、もっと一緒にいたいって気持ちになってしまう!」

「ぐっ・・・え」

「クエ、お魚の?─って私もうしりとりはしません!」

「えっ!?もうしてくれないんですか!?何故?」

 漁火が仕掛けるしりとりは遊びではない、それは分かっていたが今の愛夢に応じることはできなかった。

 何故と問う漁火の表情は少し悲しそうで、愛夢が逆に何故そんな顔をしているのかと問いたかった。

「どんなに頑張っても漁火さんに認めてもらえなきゃ意味がないから・・・。今認めてもらえないのに、しりとりなんてしてても意味が無いからです!」

「いや、確かにしりとりは今のこの話とは何の関係もないですが、そう言われると寂しいのですが」

「漁火さんの嘘つき!入隊の書類をくれないのなら、美剣さんが私を迎えにきてくれるのを待ち続けます!」

「美剣さんを、ですか?」

「はい!美剣さんは私に必ず迎えに行くって言ってくれました!それを信じて待ち続けます!」

「・・・っそうなると私はお役御免ですかね」

 乾いた笑いと共に漁火は愛夢から目を逸らした。

「本当は、ちゃんと漁火さんに認めてほしい。そうして一緒にいられる未来を諦めたくないです!」

 愛夢の言葉に漁火は無言を貫く。そして糸が切れたように頭が前に倒れ机におでこをぶつけた。静かな部屋の中で、ゴンッという音だけが大きく響く。

「漁火さん、大丈夫ですか!?」

「何でこんな事になってしまったんだぁ!私だってこんな事言いたくないのに!やりたくてこんな事してるんじゃないのにぃっ!」

「ごめんなさい。もう漁火さんとお話しない方がいいですよね?これからは知らない人のフリをします」

「えっ!?何でそうなるんですか!?何でいきなりそんな悲しい事言うんですか!?」

 狼狽える愛夢よりも、漁火はさらに見ているこっちが可哀想になるほどに狼狽えた。

「・・・だって漁火さんは麻雀で負けて無理矢理ここで私の勧誘をさせられている。LETにきてほしくなくてあの手この手で頑張ってるのに、私が言うことを聞かないから今も怒ってる。口では違うって言ってくれるけど本当は私、嫌われてるんですよね?」

「違います!西宮さんには全く怒っていません!だからそんな悲しいことを言わないでください!」

 愛夢の頭の中に、心の傷であるかつての同級生の言葉たちが響く。

"本当は嫌だったけど先生に言われて仕方なく西宮さんと仲良くしてるフリをしている"

"罰ゲームで友達になったフリをしてた"

"仲良いと思われたくないから話しかけないで"

 漁火にも同じように思われたくなかった。

 二度と同じ傷を負いたくなくて、嫌われないよう誰とも関わらずに生きてきた。

 何も感じないよう自分の殻に閉じこもり、心を殺して生きここまできた。それを美剣が壊し今の愛夢がある。

 今からはこれまでとは違う学校という檻の中から飛び出す。広すぎる社会という場所、その不安すぎる場所で愛夢の寄る方は美剣と漁火の二人しかいない。

「私もっとしっかりしますから!二人の邪魔にならないようにします!何でも頑張ります!だから漁火さんの側にいさせてください!」

 漁火は仰け反り勢いのまま椅子ごと後ろに倒れた。

 ガターンッという先程とは比べ物にならない大きな激突音に、愛夢は悲鳴をあげてしまう。

「きゃあっ!漁火さん!!大丈夫ですか!?」

 倒れた漁火は両手で顔を覆いその表情は見えない。だが痛みからか耳も指先も真っ赤になっていた。

「どうしよう!?保健室?先生?」

「・・・でお願いします」

「えっ!?救急車を呼びますか?漁火さんのスマホをお借りしてもいいですか?」

 愛夢は急いで倒れた漁火の側に駆け寄る。

「ひとまずは・・・トライアルでお願いしますぅ」

「トライアルって、お試しのことですよね?」

「はい。三ヶ月のトライアル雇用期間を設け、そこで西宮さんの適性を判断します」

「じゃあ今度こそ本当に認めてくれたんですね!?」

「・・・来週、必要書類をお持ちします」

「今度こそ?絶対にですか?」

「疑う気持ちは尤もです。心配でしたら指切りをして誓約書を書いても構いませんよ?」

「いいえ!漁火さんを信じていますから大丈夫です」

「仕事納めの25日に、捺印して頂いた書類をここに取りにきます。それまでは私も粘りますから」

「えっ?」

 椅子ごと寝転んだままの漁火は床に置いてあるブリーフケースから茶封筒を取り出した。

 大量に貰い、何度も目を通した茶封筒を愛夢は受け取る。

「職業訓練がある大学校の資料です。私的な理由で防衛大は薦めたくないので国交省の教育機関のみとなってしまいました」

 愛夢の学力では指の先すら届かない海上保安大学校と気象大学校と書かれた封筒を大切に胸に抱く。

「・・・なんて言うか、漁火さんってすごく・・・」

「諦めが悪くてしつこい男ですか?すみません、自分でもそう思いますよ。でも最後まで自分ができることをやり切りたいんです」

「すごく立派だと思います!私も見習います!」

「私が言うのも何ですが、西宮さんも諦めの悪さも中々のものだと思いますよ?」

「私なんて漁火さんに比べたらまだまだです!」

「ひどいなぁ〜西宮さん!」

 先に笑ったのは漁火だった。愛夢もそれにつられて笑う。

 予鈴が鳴るまでの間、部屋には二人の笑い声が響いた。


 漁火を見送り本鈴が鳴るのを待っているとポケットの中にあるGPSが震えた。

 2.5インチサイズのGPSは位置情報と緊急SOSの発信だけでなくメッセージの送受信機能がついている。スマホとあまり変わらないこのGPSは、愛夢が養母であるマリアの元を離れこの学校に通う条件として持たされていた。

「春日さんか・・・別にこんなことしなくていいのに」

 画面に表示された春日の文字に愛夢は溜息をつく。

 先程までの漁火との楽しい時間の余韻に浸っていたからか、気分がドン底まで落ちていく。

 春日は愛夢がクラスメイトにパパ活を疑われる原因となった男だった。

 その実は、互いに意地をはりスマホを持たない愛夢と、マリアの間を取り持つ共通の知人というだけで、愛夢からすれば最も会いたくない人物であった。

 メッセージの内容は半月一度の顔見せの時間と場所の知らせ。それが行われる一週目と三週目の土曜日は、愛夢にとって最悪の日となる。

 愛夢にこのGPSを持たせた春日はマリアに好意を寄せている。これはその春日が千葉に住むマリアを安心させるために行っている愛夢の生存確認だった。

 高校に行かず働き一人で生きていく道を考えていた愛夢に、マリアも春日も猛反対した。

 愛夢が春日に逆らえない理由は都立を受けるにあたって、居住地を千葉から東京にする必要があった。その為に春日の住所を書類上だけ借りたのだった。

 何日も話し合い、春日が学生にふさわしいのアルバイト話を紹介する事、定期的に近況を直接報告することを条件に、二人は愛夢がこの高校へ進学することに折れた。

 たいして心配していないくせに、マリアの好感度を上げるために散々お節介をやいてくるこの男の事が愛夢は好きではなかった。

 マリアに邪な思いを向け、愛夢にまで取り入ろうという小賢しいところがマリアに相応しくない。

 マリアの下へ戻りたくない愛夢は寮を閉める冬休みの間、寝泊まりする場所を確保せねばない。春日の仕事部屋であるアパートの部屋を借りるために、否が応でも愛夢は春日に顔を見せに行かねばならなかった。

「大丈夫・・・これでもう最後なんだから」

 たくさんの引越しをして、最後には東京を離れ千葉に住んだ。春日の部屋はこの高校を受験するときも借りていた。今は使っていないという春日の1LDKの仕事部屋は、愛夢の妥協の末の居場所だった。

 18歳になり寮が閉まる夏休みに漫画喫茶やファミレスで夜を明かそうとする愛夢に、春日は渋々鍵を貸してくれた。

 卒業してしまえば、もう世話になることもない。

 ポケットの中のGPSを返して、最後に礼を言って別れてしまえば二度と会うこともなくなる。そんな浅い関係の知り合いに承諾の返信を送る。

 春日にはどう思われようと、どうでもよかった。

 マリアには幸せになってほしい。

 こんな恩知らずで邪魔者の自分が去った後、マリアはやっと幸せになれるはずだという確信があった。

 その時に隣にいる相手として春日を選んだとしても愛夢には何も言う権利は無い。

 胸を刺す寂しさには気付かないフリをした。


 5時限は体育の授業だった。渡された課題プリントを提出すれば授業には参加をしなくても良いという許しを得ていた。あまりの好待遇振りに何か大きな力が働いて学校に圧力をかけているのではと疑ってしまうほどだった。

 いつもならば早々とプリントを終わらせ自習に勤しむところであったが、頭の中が顔見せへの億劫で満たされそれどころではなくなっていく。

 気がつくと解答を書こうとしていた手は欄をはみ出しプリントを汚してしまっていた。

 慌てて消しゴムでそれを消す。だがシャーペンの字は消えても痕が残ってしまう。

 勉学に集中せずに思慮に耽っていた。この状況をよく思わない教師に見られたならば、この一人の教室を使わせてもらえなくなるかもしれない。

 そんな、かもしれないという不安は見えない鎖となって、いつも愛夢を縛っていた。

 それは簡単に消すことはできない、長年にわたり愛夢にかけられた呪いの傷だった。


 週末の春日の小言地獄を乗り越え、ようやく愛夢は漁火から入隊の書類を受け取ることができた。

「LETの秘密保持の為、保護者の方には美剣さんからお話を通してあります」

「美剣さんが私の保護者に!?・・・アスピオンのこともメテウスのことも話したんですか?」

「いいえ、箝口令が敷かれていますので我々もアスピオンのことは家族には伝えていません。ですので我々の世間での立ち位置は厚労省の食客技官ということになっています」

「確かに、凄いヤバい・・・企業?」

 美剣たちが学校へ来た日、向井が教室で大声で自慢げに言っていた言葉の意味を理解した。

 だが厚労省は企業ではない。向井が本気で間違えているのか、守秘義務を守った発言をしたのか、どちらなのかは愛夢には分からなかった。

 愛夢の言葉に漁火は「え?」と疑問を返すが、説明する時間が惜しいほどにくだらない内容なので愛夢はこの会話を早々に終わらせる。

「何でもないです。すみません!」

「ならばいいのですが。美剣さんが学校と保護者用の書類に捺印は頂いてきたそうなので、後は西宮さんの捺印をお願いする欄のみです」

「ありがとうございます!私・・・美剣さんに会ってちゃんと自分の口でお礼が言いたいですっ!」

 漁火に渡された封筒を愛夢はしっかりと抱き、その重みを噛みしめる。

「実はその封筒の中に美剣さんからのお手紙と、預かってきた西宮さんの保護者の方からのお手紙が入っています。美剣さんへのお返事を書かれるのでしたら、私がお渡ししておきますよ?」

「書きます!すみません漁火さん、今から読んでもいいですか!?急いでお返事を書きますから!」

「ええ、私は今から臼井教諭のところへお邪魔してきます。予鈴が鳴る頃にはここに戻りますので、ゆっくりとお返事を書いてください」

 漁火が扉を閉めるのと同時に封筒の中身を覗く。

 中にはクリアファイルに入れられた複数の書類と、二つの封筒が入っていた。

 一つは無白字の封筒に男らしい字で"西宮愛夢へ"と書かれている。もう一つは可愛らしいピンク色の封筒に兎のイラストが描かれたもので、読みやすく美しい字で"愛夢ちゃんへ"と書かれていた。

 初めて見る美剣の大人の男らしい字は、あまりに美剣らしく愛夢の口もとには自然と笑みがこぼれる。

 何度も見た大好きなマリアが書いた字、それを見ているだけで目に涙が溢れた。「早泣き大会があれば即優秀だろうなぁ」とつまらない冗談で自分を鼓舞する。

 マリアからの手紙を先に読めば、何も手につかなくなることは分かっていた。

 涙を拭い、先に美剣からの手紙を開く。

 急いで返事を書かなければならないことを心の中で言い訳にした。

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