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ーNo titleー  作者: 一ニ三
22/39

ステーキ弁当

 タブレットの中にいる同級生は後に控える冬休みに喜びを隠しきれないのか浮き足立っていた。

 教師たちも、そんな生徒を微笑みながら見守りつつも、時には厳しく律したりと忙しなくしている。

 愛夢はそんな師走の慌ただしさを眺めていた。

 時計に目をやる。正午を告げる鐘は5分前に鳴った。

 今日は漁火との進路相談の日だった。

 だがいつもはすぐ鐘が鳴り終わると叩かれている扉は、今だ静かなままであった。

「漁火さん・・・忙しいのかな」

 愛夢は立ち上がり、様子を見に廊下へ出る。

 

 階段の手前の窓の傍に佇んでいる漁火が見えたが、愛夢は駆け寄ることができなかった。

 外を見てはいるが、その目は何も捉えていない。雨に濡れた鴉のような孤独と悲しみを纏った漁火の横顔に声をかけられず、ただその姿を見つめる。

 人の気配に気付いたのか漁火は視線だけをこちらに向けてきた。

「西宮さん・・・授業は?」

「もう終わっています」

「えっ?あぁ・・・本当だ!すみません!」

 漁火は腕につけた時計を確認し、早足でこちらへと向かってきた。

「何かあったんですか?もしかして、また誰か怪我をしたんですか?」

「・・・何もありませんよ?さぁ、お弁当が冷めてしまいますから中に入りましょう?今日のは美剣さんが用意してくれたんですよー!」

 明るい声色だが、無理をして嘘をついているのが声で分かった。

 顔は笑っているのに、心は違う。

 向かい合って座っているのに、全く近くにいる気がしない。

 その訳を聞いていいのかも分からず、愛夢は漁火が話してくれるのを待つしかなかった。


 四角の弁当箱を開けると、中にはレアのサーロインステーキがびっしりと詰められていた。副菜には申し訳程度の野菜、そしてハンバーグが入っている。

「あー・・・美剣さんって感じのお弁当だなぁ」

「すっ・・・凄い!お肉がいっぱいですね!これ・・・お高いですよね?お財布のお金で足りるかな」

「以前から申している通り、これはお礼ですのでお金は受け取れません!西宮さんが選んでくれたおにぎりに感動した美剣さんの気持ちだと思って受け取ってあげてください」

「でも、ちょっと多過ぎです」

「確かに女性にはちょっと量が多いかもしれませんね。ニンニクを使っていないソースを選んでいたので、そこは安心して召し上がってください」

 愛夢が多いと言ったのは量の話ではなかったが、漁火に上手く流されてしまう。

 口数の多い方ではないが、それでもニンニクを食べると流石に愛夢でも気にはなる。美剣の優しさが有難かった。

「和風おろしポン酢でした。では、今日もご馳走になります。いただきます」

「せめてソースがさっぱり系で良かったですね!いただきます」


 美剣が用意してくれたステーキ弁当は、一口目で良い肉を使っているとすぐに分かる程に柔らかく美味だった。

 上品な甘みのある肉の脂が噛む度に溢れ出てくるが、和風おろしポン酢がそれをしつこくさせない絶妙な塩梅の仕事をしていた。

 そしてそれがステーキとその肉汁を吸った白米との悪魔的組み合わせを更に背徳的にしていく。

「このお肉とっても美味しいです!まさか学校でステーキを食べられるなんて想像もしていませんでした」

「あはは、西宮さんが喜んでくれてたって報告したら美剣さん、ますます元気になるだろうなぁ・・・」

 楽しそうに会話をしてはくれるが、食欲が無いのか漁火の箸は進んでいなかった。

「漁火さん・・・お肉は嫌いですか?」

「えっ!?あぁ・・・普段はここまでガッツリしたものを食べないので、胃がビックリしてるんですよ」

 何かがつかえているかのように漁火は胸に手を当て押し黙ってしまう。

「漁火さんはいつも私を守る為に隠し事をします。でも私・・・漁火さんに、ご飯を食べられなくなるくらい悩んでほしくなんてないです」

「・・・何も隠し事なんて無いですよ?」

「・・・私も漁火さんに嘘をつかれたくないし、ご飯をちゃんと食べてほしいです。私の気持ち漁火さんなら分かってくれるはずです」

「これは・・・一本取られてしまいました」

 観念したと言わんばかりに肩をすくめた漁火は、止まっていた箸を動かした。

「せっかくのお肉が固くなってしまいますから、とりあえず食べましょう!」

 パクパクとステーキと米を次々に口に入れていく漁火に、それ以上は何も言えない愛夢も食事を続けた。


 肉肉しいハンバーグには濃厚なデミグラスソースがかかっており、主役のステーキに負けない存在感を放っていた。

 箸を通すと驚くほどに弾力がある、それは口に入っても変わらず食感で愛夢を驚かせてくれた。

 まろやかなソースは肉の旨みと野菜の甘みが溶けている、そしてそれが舌の上で肉汁と混ざり合う。

 肉が好きだと言っていた美剣が選んだ最高のステーキ弁当は、愛夢の生きてきた中で一番の肉料理だと言思えるほどに美味だった。

 箸休めの野菜の味付けも肉を引き立てている。その様はさながら主役を引き立てる名脇役のようであった。

 だが舌鼓を打っている愛夢とは違い、漁火は黙々と目の前にあるものを口に入れていくだけで反応は無だった。

 先週の他愛のない雑談が夢だったのではと思える程に漁火は静かに食事だけをしている。

 まるでこの場所には自分一人しかいない、そんな雰囲気を纏っていた。


 週に一度のこの進路相談の時間は、愛夢にとっては何にも代え難い時間になってしまった。

 美味しい昼食だけではない。日中のほとんどの時間を過ごす学校、そして寮での生活も二人に出会ってからは良い方へ激変した。

 そんな時間を愛夢に与えてくれた1人である漁火の消沈が、心に翳りを落としていく。

 その所為だろう。美しい景色に気付けなかった、あの時のように、美味しかったステーキの味が段々と変化していく。

「せっかく、美剣さんが用意してくれたのにっ・・・」

 美味しさを感じられなくなった自分に、美剣の好意を無碍にしている自分に腹が立ってくる。

 漁火は愛夢に掛けている時間を問題解決に当てるべきなのだ。

 漁火もそう思っているから、今日は雑談すらせずに黙々と食事をしているのだろう。

 漁火にそう思わせた自分への怒りと申し訳無さで、目にジワジワと涙が溜まっていく。

「えっ・・・?─って、ええーっ!?西宮さん!?どうしたんですか!?何があったんですか!?」

 顔を上げた漁火は、慌てふためいて未開封のお手拭きとポケットティッシュを愛夢に渡そうと身を乗り出した。

「・・・っ漁火さんの心を悩ませている事を、私なんかに相談しても解決策は見つからないだろうし、結果的には無意味になるって分かっているんです」

「えっ!?どういうことですか?どっ、どうしたらいいですか!?あぁ〜泣かないでくださーい!!」

 泣いている愛夢に劣らず、漁火は可哀想になるほどに狼狽えていた。

「私っ・・・こんな人間だから漁火さんが辛い時に笑えるような面白いお話をしてあげることもできない。ごめんなさい」

「そんな事はありません!西宮さんとの時間は週に1度しかない私の癒しです!」

「私にできる事なんて、そこに存在してるだけで人を不快にさせることくらいなんです!美剣さんが用意してくれた美味しいステーキを不味く感じさせてしまう!」

「ステーキ?不味く感じる?もしかして私が無言で食事をしていたから、そんな風に思ったのですか?」

「漁火さんは大変なお仕事をしていて考えなきゃいけないことが沢山あるから、それどころじゃないのは分かっているんです」

 漁火は心配そうに愛夢を見つめ、静かにその声に耳を傾ける。

「でも、パンやおにぎりを食べていた時みたいに、笑顔になってほしい!漁火さんの笑顔は凄く素敵で、大好きな私の目標なんです!でも今日はそれが見られなくて、悲しい・・・」

「おぅふっ!!」

 漁火は椅子に座ったまま胸を押さえ仰け反る。

「・・・お麩?─麩菓子!」

 愛夢の瞬発力を鍛える為なのか漁火は不意にしりとりを仕掛けてくる。愛夢も持っている神経を集中させ即座にそれに応えた。

「しりとりじゃありませーん!!」

「んがついてる・・・。しりとりで続けますか?」

「いいえ、私の負けでいいです・・・」

 愛夢はどうしていいか分からず無言で漁火を見つめた。漁火も無言で愛夢を見つめ返した。

 先に口を開いたのは漁火だった。

「ふふっ・・・あはは!本当に西宮さんはすごいな。こんな状態の私を笑わせてくれるのだから」

 困ったように笑う漁火の顔は、熟練の熟女も合格点を出してくれるに違いないと愛夢は思った。

「・・・でも漁火さんのお食事を中断させてしまいました。お肉も冷めてしまって、ごめんなさい」

「いいえ、私が悪かったのです。あの態度はこのお弁当を用意してくださった美剣さんにも、作ってくださった方々にも大変失礼な振る舞いでした」

 膝の上に手を置いた漁火は「気付かせてくれてありがとうございます」と言い愛夢に頭を下げた。

「そんなつもりで言った訳じゃありません!」

「西宮さんは食事をされているとき、本当に美味しそうに召し上がる。私はいつもその姿を作ってくださっている方々に見せてあげたいと思っております」

「そんな事初めて言われました。私、食べてる姿が卑しくて貧民みたいって言われてから、あまり人の前で食事をしないようにしているんです」

 クラスメイトに言われた言葉たちが頭の中でリフレインする。

 マリアという人格者が、どれだけ大切に愛夢を育ててくれたとしても、犯罪者の血が流れるこの身の卑しさは消える事はない。

 最高の育て方をしてもらったのに、最悪の育ち方をしてしまった自分のことが心の底から嫌いだった。

「酷いことをおっしゃる人がいるのですね。もしかして、その方は目が悪かったのでは?」

「えっ?・・・そんな事はなかったと思いますけど」

「では私とは考え方が違うのでしょうね。その方とは、絶対に気が合わないと思います」

「漁火さんは優しいから、どんな人とだって仲良くなれるに決まっています」

 漁火は愛夢に優しいが、きっと愛夢を嗤った人間にも変わらず優しくするのだろう。

 あの優しい百点満点の笑顔が自分を嗤った人間にも向けられると思うと少しだけ胸が痛んだ。

「いいえ!西宮さんを馬鹿にする方とは絶対に仲良くなれません!!だって私はこれから西宮さんを目標とお手本にして食事をすると決めましたから!」

「目標とお手本?漁火さんが?私を?」

「はい!私は今日から西宮さんを目標にして励みます!ですので、馬鹿にしてくるような方と食事を共に出来ませんし、仲良くなんて以ての外です!」

「漁火さんが、私の真似をして誰かに悪く言われるのは嫌です。だから今まで通りに食事をしてださい」

「そこまで言われるのなら仕方がありませんね。ですが、私が西宮さんを尊敬していることは忘れないでくださいね?」

 漁火の言葉を素直に受け入れて礼を言えばいいのか、過分な言葉だと返戻すればいいのか愛夢は迷う。

「このお肉、冷めても美味しいですよ!」

 悩む愛夢を他所に漁火は食事を再開していた。愛夢が憧れたあの笑顔は健在だった。

 箸を手に取り愛夢もステーキと米を口に含む。

 冷めてしまったステーキは食感も舌触りも変わってしまっているが、漁火の言う通り美味しいことに変わりはなかった。

 そして双方にとっての一番の美味しさのスパイスは、笑顔である事を当の本人達だけが知っている。


 食事を終え、二人はお茶を飲みながら他愛のない話に花を咲かす。

「美剣さんのお怪我はどうですか?」

「順調に回復に向かっていますよ。もう少しで松葉杖がとれるそうです」

「よかった。あの電話口で美剣さんとお話していた方も追弔に参加されているんでしょうか?」

「はい。あの方は私の同僚の溝呂木さんです。普段は優しいのですが、怒るととても怖い方です」

「そうなんですね。私、怒られないように頑張らないと・・・」

「西宮さんが?何故?」

「だってLETに入ったらその方と一緒に働きますよね?」

「・・・そう、です・・・ね」

「漁火さん?」

「もしもですよ?もし西宮さんの労働条件が不利益に変更された場合、入隊志望を取り消されますか?」

「不利益がどの程度かにもよります。恥ずかしい話ですけど、お給金が減るとかは・・・」

「じゃあ、三分の一に減ったらどうでしょう!?」

 愛夢は漁火の言葉にホッと胸を撫で下ろした。

 三分の一に給金を減らさたところで一企業の月収と変わりない。一人で生活するにも、マリアに仕送りするにも充分な額だった。

「平気です。最初に提示された労働条件が良過ぎるくらいでした。だから何かの間違いだと思ってたんです。やっぱりそうだったんですね?」

「ああぁぁ〜〜!!もうこれ以上は改悪出来ない〜!」

 漁火は頭を抱え項垂れた。

「私、友達もいないし、これと言った趣味も無いから休日は無くても別に構いません」

「追弔は早朝や深夜にもあります!生活サイクルは乱れるし美容にも悪いですよ!?」

「朝早いのも夜遅いのも、美剣さんと漁火が側にいてくれると思えば全然平気です」

 美しいものを磨くための美容は自分には必要ないものだと愛夢は心で失笑する。

「なっ・・・っぐぅ!」

「・・・ナツメッグ?─クローブ!」

 咄嗟に仕掛けられる漁火からのしりとり勝負、愛夢の準備は万端だった。

 ナツメッグから始まったしりとり、香辛料、スパイス縛りだと予想して愛夢も応戦する。

「・・・ブラウンマスタード」

 心ここに在らずといった様子の漁火もしりとりを続けた。

「唐辛子」

「生姜」

「ガーリック」

 クコ、コリアンダー、ターメリック、黒胡椒、茴香ういきょうと続き愛夢の番となった。

 だがウコン以外の香辛料が出てこず、しりとり勝負は愛夢の敗北に終わる。

「全然続かなくて、ごめんなさい・・・」

「ウがつく香料は少ないですから。私も怪しいところですが後はウコギ、ウォールジャーマンダーくらいしか思い浮かばなかったです」

 スパイスだけでなく薬香草にまで精通している漁火に愛夢は完膚なきまでに打ちのめされた。

 だが気持ちの良い敗北であった。

「漁火さんすごい!私なんか全然勝負にならなかった。茴香なんて聞いたこともなかったし・・・」

「いえいえ、妹が中華料理好きなのが功を奏しました。勝因は年長者ゆえの経験値の差です」

「卒業までに勉強することが沢山ありそう・・・。隊長の美剣さんに迷惑をかけないように、漁火さんの役に立てるように一生懸命に頑張ります!」

 知らない事が多過ぎる自分には、勉強する時間はいくらあっても足りなかった。

「・・・すみません西宮さん。そんな直向きな貴女を私は騙そうとしていました」

「えっ?漁火さんがそんな事するはずがありません!」

「厚労省の方々に、今年中に西宮さんの首を縦に振らせて入隊の書類を提出させろと言われているんです」

「私ずっと首を縦に振っています。今も・・・」

「私が貴女を巻き込みたくなくて、上司である厚労省の官僚に嘘の報告をした。そうして時間を稼いで西宮さんの気を他所へ移そうと試みていました」

「私がLETに入るのを嫌がっているって、報告してたってことですか?」

「はい。ですが西宮さんの心変わりよりも、あちらがしびれを切らす方が先でした」

「あの条件で首を縦に振らないなんて、私は相当強欲な女だと思われているかもしれませんね」

「すみません、全て私の所為です。彼らは出来る最大の譲歩を無碍にされて憤慨しているのでしょう」

「何か言われたんですね?だから漁火さん、今日は元気が無かったんですね!?」

「今年中に良い返答が得られなければ、手紙でお渡しした労働条件は変更させてもらうと言われました」

「良かった・・・そんな事ですか」

「何が良かったですか?何様なんだ、馬鹿にするなって思わないんですか?脅迫めいた条件で焦らせて西宮さんの人生を縛ろうとしているんですよ!?」

「漁火さんたちが、その厚労省の人に怒られてお給金を減らされたんじゃないかって怖かったんです。違うならいいんです」

「西宮さんっ!貴女って人は・・・」

「私、ちゃんとフロウティス部隊で尽力しますって厚労省の人に直接お話したほうがいいですか?それともお電話の方がいいんでしょうか?」

「待ってください!そんなことをしたら二度と普通の生活が出来なくなってしまいます!海外への渡航どころか旅行にすら行けなくなるんですよ?」

 誰も自分を知らない場所へ行きたいと願い、何度もマリアと共に引越しを繰り返した。だが何処へ行こうとも何も変わらなかった。

 愛夢の出自を知った誰かは親切でそれを誰かに拡める。そしてそれは膨れ上がり爆発して愛夢とマリアに牙を向いてきた。

 新しい場所での新しい生活、それは愛夢にとって、いつまで続くか分からない束の間の平穏だった。

 だから愛夢はマリアのもとを離れ1人でいることを選んだ。これ以上の迷惑をかけないために。

 そんな自分に旅など許されるはずもない。

 美剣たちのもとにも、いつまでいられるのかは分からないのだから。

「私は平気です。その普通の生活が漁火さんたちの犠牲で成り立っている方が嫌なんです。皆さんの苦しみを少しでも一緒に背負いたい」

「駄目ですっ!・・・ダメだ!絶対に!!」

 これまでに何度このやり取りをしたのか、西宮愛夢と漁火星雪の討論は二回戦目に入った。

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