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ーNo titleー  作者: 一ニ三
21/39

からし菜巻きおにぎり

 愛夢は寮の自室へ帰り、漁火から貰った茶封筒の中身に目を通した。

 最初の封筒の中身はペット斎場のパンフレットだった。続いて都内の野生動物の死骸の回収を任されている清掃会社の労働条件をまとめた書類が入っていた。

 次の封筒には昨日、漁火が愛夢に勧めていた保健所と動物保護センター、別の封筒には血液センター、道路局と情報を繋ぐための交通情報センターの仕事について分かりやすくまとめた書類が入っていた。

 別紙にはそれぞれLETの仕事にどう関係しているのか、それに就くにあたっての必要資格や技能講習の情報などが事細かに記載されている。

 所々に付箋に漁火の美しい字と、ジワジワくるイラストで分かりやすく補足が付け足されていた。

「あっ、茄子犬だ・・・こっちは猫?」

 動物関連の仕事に対する補足には動物のイラストが描かれており、その微妙に絶妙な可愛らしさに愛夢の心はポカポカと暖められていった。

 求人情報だけだと思っていたが、先の仕事に就く為に有利な進学先の情報と、臼井が言っていた知事が行っているという特待生学費免除制度の書類までもが用意されており、漁火の思慮深さが窺える。

 今思い出すと漁火の目元は、この為に寝不足なのか薄っすらと赤くなっていた。

「どうしよう・・・こんなに良くしてもらってるのに、やりたいって思えることが何にも無い・・・」

 どれも、とても世の中にとって重要で魅力的だと思える仕事だった。

 だが、そんな場所で自分なんかが働いている姿を愛夢は想像すら出来なかった。

「そこには美剣さんも漁火さんもいない・・・」

 愛夢が今の学校で快適な時間を過ごせるのは二人と臼井がいるからで、新しい場所でもそうなれるとは到底思えなかった。

「自分勝手・・・ごめんなさい・・・」

 漁火の優しさにふれる度に感じる罪悪感と、卒業と同時に始まる一人で力で生きて行くという漠然とした不安で、愛夢は今日も枕を濡らした。


 愛夢は臼井の元を何度か訪れ、相談に乗ってもらった。だが、最後には「もうとっくに心は決まっているんでしょ?」と言われてしまい言葉を返すことができなくなってしまった。

 漁火が再び学校へと赴いてくれる日まで悩み抜いたが、愛夢の想いは変わることはなかった。


 次の週、漁火が面会を希望していると聞き愛夢はあの部屋で昼休みを待っていた。

 午前の終わりを告げる鈴音が聞こえると同時に廊下へと走る。

「うわぁっ!!」

 部屋の扉を開け身体を教室の外に出すと、驚いた顔をした漁火がそこにいた。

「漁火さん・・・あの、私・・・」

「こんにちは、西宮さん。お急ぎのようですが、日を改めたほうがよろしいでしょうか?」

「いいえ、漁火さんを迎えに行こうとしていました」

「それは嬉しいです。今日は私の行きつけ店の、おにぎりとスープをお持ちしました!」

「・・・私、今日はちゃんとお金を持ってきました。自分の食べた分を払います」

「それは頂けません。コレは西宮さんの貴重なお昼休みを頂戴してしまっている対価だと思ってください」

 コレと言い漁火は手に持っている紙袋を愛夢の目線の高さに掲げてみせた。

「この前は仲直りの印とお礼だったのに!貰いすぎです!多すぎます!」

「少なすぎるくらいです!本当はデザートもお付けしたいくらいなのですが、授業中に眠くなってしまうのではと控えているのにっ・・・!」

「えぇっ!?控えてるままでいいです!」

「・・・非常に残念です」

「あの、貰った資料を全部見たんですけど・・・」

 どれも心を動かすものはなかった、愛夢はそう漁火に正直に伝えようとする。

 だが穏やかで優しい声がそれを制した。

「そのお話の前に昼食にしませんか?私、お腹が減って倒れそうなんです」

「・・・はい」


 前回と同じように座った漁火は楽しそうに机の上に昼食を並べていく。

 10種類のおにぎり、そして3種類のスープがケータリングされた。

「西宮さん、お好きな具は何ですか?」

「えっと・・・何でもいいです」

「そうおっしゃると思って、ちゃんと女性人気の高い具を店員さんに選んでもらっています!どれを選んでも当たりですよ!温かいうちにどうぞ」

 スープの蓋には、肉団子入りトマトスープ、揚げ茄子とワカメの味噌汁、カボチャポタージュ、と分かりやすくマジックで書かれていた。

「漁火さんは何の具が好きですか?」

「私も結構何でも大丈夫ですが、強いて言うなら和食が好きです」

「じゃあ、お味噌汁は漁火さんが食べてください!」

「・・・西宮さんに食べてほしくて、おにぎりもスープも女性人気が高いものにしたのに・・・」

 漁火は愛夢の返答に見るからにガッカリして項垂れた。喜んでほしくて人気の高いものを選んでくれた漁火には、愛夢の気遣いが裏目に出てしまった。

「あっ、えっと・・・カボチャ!甘くて好きです!」

 愛夢は慌ててカボチャのポタージュを手に取り自身の方へと引き寄せた。まだ温かいスープは、漁火がきっとこの時間に愛夢が美味しく食べられるように買う時間を逆算してくれていたのだろう。

「おにぎりも選んでもらわないと立ち直れないです」

「はいっ!選びます!」

 おにぎりは一つ一つ専用のパックに入れられ具材が書いてあるシールが貼られていた。

 豚肉巻き、煮卵、青紫蘇味噌など愛夢の食べたことがない具材、そして味噌焼やツナマヨ、昆布などの王道まで用意されており、早く選ばねばと焦りながらもワクワクする気持ちを隠しきれないでいた。

 そんな愛夢の様子を見て漁火はまだ下を向いてはいたが、笑っているのか体が小さく揺れているのが見てとれた。

「・・・鮭!貰ってもいいですか!?漁火さんは鮭が食べたくないですか!?大丈夫ですか!?」

「はい、大丈夫です!スプーンとおしぼりをどうぞ!」

「ありがとうございます」

 漁火が何のおにぎりを選ぶのか、愛夢には大方の予想がついていた。

 スプーンとおしぼりを受け取り、空いた手で前にあった海老天おにぎりを漁火の前へそっと置く。

 味噌汁の入ったスープカップを開けていた漁火は、キョトンとした顔でその様子を見つめていた。

「西宮さん・・・どうして私にコレを?」

「えっ・・・?いつも漁火さんは海老が入っているものを食べていたので、好きなのかなって思って・・・」

 1度目の食事で漁火は、海老カツのハンバーガー、2度目の食事では海老とアボカドのベーグルサンドを食べていた。だが海老天おにぎりを目の前に置かれた漁火の反応は愛夢が思っていたものと違った。

 もしかすると食べる順番にこだわりがあり、容易に触れられたくなかったのかもしれない。

 漁火の逆鱗に触れたのではいう不安が、愛夢の胸を締め付ける。

「よく見ているだけではなく、何という優しく細やかな心配りなのでしょうか!感服いたしました!」

 余計なことをしたことと謝る間もなく、漁火の褒めちぎりスイッチが入った。

「ほとんど店員さんに選んでいただいたので何のおにぎりがあるのかは把握していなかったのですが、この中だと確かに海老天が一番好きですね。西宮さんに喜んでもらおうと思って用意した食事でしたが、逆に気を使わせてしまいました!」

「えっ?あの・・・」

「自分の分を選びながら、同席している相手を思いやる心優しさ!あっ!もしかして西宮さんも海老天が食べたかったのでは?本当に私に渡して大丈夫ですか?」

「だっ・・・大丈夫です!もういいですから!漁火さんのお味噌汁が冷めちゃいます!」

「そうですね、西宮さんのカボチャポタージュも冷めてしまいますからね。それでは、いただきます」

 おにぎりと味噌汁の前で手を合わせる漁火に愛夢も続く。

「漁火さん、今日もご馳走になります。いただきます」


 旬のカボチャの甘味と旨味、そして温かさが胃に沁みていく。

「前のパンも美味しかったけど・・・このスープも凄く美味しいです!」

「このお味噌汁も凄く美味しいですよ。温かい食事は心まで満たしてくれますね」

「はい!あの・・・余ったものをお土産に持って帰るんですよね?美剣さんにも渡しますか?」

「ええ、実は美剣さん今日は検査の日で昨晩から絶食してるんですよ。空腹でご立腹ですので、おそらく残りは全て美剣さんのお腹に入りますよ」

「コレとコレ!美剣さんが好きだと思うので食べてほしいんです!いいですか?」

 愛夢は肉巻きおにぎり、鶏めしを横に避けた。

「確かに、美剣さんは肉巻きおにぎりが好きそうです」

「美剣さんは食べ物でお肉が一番好きって言っていました!好きなものを食べてもらって早く怪我を治してほしいんです!!」

「・・・何とお優しいっ!でしたらこの2つは美剣さんに残しておきましょう。きっと西宮さんの方が私よりも美剣さんのことを分かっていますね」

「そんなことありません・・・」

 愛夢は大きく首を横に振る。

 自分なんぞが命懸けで何年も美剣と追弔を共にしている漁火よりも、理解が深いなどと到底思えなかったからだ。

「長い付き合いの中で私が美剣さんと食事を共にしたのは3回ほどです。2回は追弔の合間、3回目が西宮さんとご一緒した夕食です」

「えっ!?2人はよく一緒にご飯に行くくらいに仲がいいと思っていました・・・」

「プライベートで会ったことは一度もありません。ですから私は美剣さんの好きな食べ物を知りませんし、あちらも私の好きな食べ物を知らないでしょうね」

「そう・・・なんですか・・・」

 言いたいことを言いたいように言える二人は兄弟のように仲が良いのだろうと思っていた。だが実際はお互いの好きな食べ物すら知らない、仕事だけの付き合いの関係であった。


 海老天のおにぎりを食べ終わった漁火は、楽しそうに次のおにぎりを選びながら愛夢との話を続けた。

「西宮さんが選んでくれたおにぎりだと知ったら、美剣さんは喜んで飛び回りながら食べそうだ」

「・・・飛び回りながら食べるって難しそうですね。漁火さんは和食と海老が好きって内緒にしているんですか?」

「特に秘密にするつもりは無いです。ですが私はこの仕事を任された特権として西宮さんがカボチャが好きなことは美剣さんには内緒にしておきます!」

「えっ?別に隠すほどのことでは・・・」

「これは私が教えていただいた貴重な情報ですので、おいそれと美剣さんに渡す訳にはいきません!」

 そう言いながら漁火は青菜巻きのおにぎりのパックを開いた。からし菜巻きと目立つ色のシールに書かれている文字が目に入る。

「辛そう・・・」

「そうですね、少し辛味が強いかもしれません。でも実は前から気になっていたのでコレは私が頂きますね?」

「ありがとうございます。私・・・これから辛いものを食べられるように頑張ります!」

「私は西宮さんにはあまり無理をしてほしくありません。・・・その鮭おにぎりも先程から手が止まっていますが、お口に合わなかったでしょうか?」

「えっ!?違います!逆です!!美味しすぎて・・・大切に、ちょっとずつ食べていました・・・」

 今、愛夢の手の中にあるのはコシヒカリの甘味を焼き鮭の脂が引き立てる最高の一品である。そこに巻かれている真っ黒な宝石のような海苔の口溶けの良さが更にその魅力を引き立てていた。

 小さく噛みちぎり、それを長く咀嚼し良く味わって旨味を噛み締める。

「自分でも卑しいって分かっているんですけど・・・この幸せな時間が無くなってしまうのが惜しくて」

「んんっ〜!!また買ってきますから!何個でも!!」

 漁火は突然顔を赤くし、胸を押さえて呻いた。

 以前から何度もこんな場面を見ている愛夢の心配は最高に達した。

「漁火さん!胸が痛いんですか!?怪我しているんですか!?」

 愛夢は慌てて立ち上がり漁火の元へと駆け寄った。

「・・・っ!」

「ここに来るよりも、ちゃんと休んでください・・・!漁火さんに会えないのは悲しいけど、漁火さんが痛くて苦しい思いをするのはもっと嫌です!!」

 愛夢の目尻には涙が溜まり、一筋の線となって床へ落ちていく。

「健康です!それはもう検診で太鼓判を押されるくらいには健康体です!ですから心配には及びません!」

「・・・本当ですか?」

「えっと・・・からし菜巻きが凄く辛くて!」

「よかった・・・。でもこの前のパンも辛かったですよね?最近は激辛が流行っているんですね」

「はい・・・」

 涙を拭う愛夢には、漁火の一口も齧られていないからし菜巻きが目に入ることはなかった。


 昼食を終えた二人は、昼休みの残った30分を進路相談の時間にあてた。

「漁火さんから貰った資料、全部見ました。・・・あの、でもやっぱり私・・・」

「大丈夫ですよ。あの程度では西宮さんの気持ちは変えられないことは分かっていました。ですから・・・そんな悲しい顔をなさらないでください」

「漁火さんの大切な時間を無駄にしてしまって、ごめんなさい・・・」

「西宮さんは、あの資料の中にあった仕事で、どれが一番自分には向いていないと思われましたか?」

「えっ・・・?あの・・・交通規制指示のオペレーターのお仕事です」

「どうしてですか?」

「えっ?だって、話すのは得意じゃないし・・・車のこともよく分からないし、間違えた指示をして沢山の人に迷惑をかけてしまうんじゃって・・・怖いから」

「確かに運転免許や運転経験が無いと難しいお仕事ですね。ですが、技術は身につければいいですし、お話は今こうして私とされているではありませんか」

「・・・漁火さんは優しいから!私のことをバカにしたり、嗤ったりしないから・・・!だからこうしてお話できるけど、他の人だったら絶対に無理です!」

「西宮さんがやりたくない事、されて嫌なことが分かったので無駄なんかではないです。2度と西宮さんが、そんな悲しい事を思わないようにします」

「どうやって?」

「やりたいお仕事を見つけられた時に、その場所に貴女を任せるに値する信頼できる方がいるかどうかを、臼井教諭と私と美剣さんの3人で見定めます」

「そんな人・・・いなかったら?」

「その時はLETという場所にいる、私たちで我慢してくださいますか?」

「それだと、私だけが幸せで・・・。いいんですか?漁火さんは、嫌じゃないですか?」

「嫌な訳がありません!西宮さんが安心して平和な場所でお仕事をしてくれるのが私の本望ですし、一緒に働いてくれるとなれば、毎日がきっと楽しくなりますから!・・・って、これって私だけが幸せなのでは?」

 漁火が愛夢をLETに呼んで良かったと、そんな風に思ってもらえる人間になろうと、愛夢は自分の心に誓った。

「・・・ふふっ!私・・・その日の為に今の学校で全力で出来ることを頑張ります!」

「西宮さんは少し肩の力を抜くぐらいが丁度いいと思います。ですが、まだ入隊の書類提出時期までには時間があります。それまで私の進路相談兼ランチタイムにお付き合いください」

「はい!よろしくお願いします!」

「一応、LETに関係はないのですが、女性や若者に人気のお仕事の資料も持ってきましたので目を通していただけますか?」

 漁火は前回と同じようにブリーフケースから茶封筒に入った大量の資料を取り出し愛夢に渡した。

「・・・はい」

 臼井が言った漁火は強敵だという意味を愛夢は身をもって知ることとなった。

「西宮さんの新たな好きが見つかってやりたい事に繋がるがしれませんからね!ギリギリまで続けますね!」

「好きと言えば・・・漁火さんが描いた芋虫のイラスト、凄く可愛かったです」

「芋虫?・・・を描いた記憶は無いのですが?」

「えっと・・・さっき言っていた交通関係のお仕事の資料についている付箋に描いてありましたよね?」

「あぁ、すみません。あれは、車の絵です」

 愛夢は自分の間違いに気付き、頬は全身の血液が集まったかのように熱く赤くなっていった。

「車・・・ごめんなさい・・・」

「いえ、こちらこそ・・・」

 愛夢と漁火は互いに頭を下げる。

 同時に下げた頭は、上がるときも同じだった。

 目が合った瞬間の漁火の笑顔に愛夢もつられる。

 二人は声を出して笑い合った。

 

 絵の下手さを嗤うでもない。

 間違えたことを嗤われるでもない。

 どうして可笑しいのかは分からなかった。

 そして愛夢にとっての優しく穏やかで楽しい時間は、あっという間に過ぎていった。

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