若頭とインテリヤクザ
自分が面白味がないことで再び漁火に気を使わせてしまった。
ウケないと分かっていても身を切る思いで冗談を言ってくれた漁火に、お詫びにもなりはしないが静寂は愛夢が先に破った。
「漁火さん、もう一つだけ質問してもいいですか?」
「はい!一つと言わずに、いくらでもどうぞ!!!」
漁火は活力と勢いに満ちた返事で愛夢に答える。
二枚目のルーズリーフには今からする質問の資料がまとめられていた。内容はもう今日までに何度も見返し、すっかり頭の中に入っていた。
「四年前の新聞記事には犬を媒介とした新型のウイルスが発見され拡まった書いてあります。漁火さんは先日、これは嘘だとおっしゃいましたよね?」
「はい。アスピオン化した犬はウイルスになど感染していませんでした。その正体は先日お話しした通りアスピオスという正体不明の物質です」
「でもこのウイルスの感染者は日本中に沢山いましたよね?新聞もニュースも毎日ASPウイルスの感染者の報道をしていました。これって・・・」
外出禁止令が解除されるや否や、感染者によりパンク状態の医療機関と、混乱した民衆によって様々なものが買い占められたドラッグストア。その映像が今でも生々しく思い出される。
特にASPウイルスに感染し重症化した患者の映像は痛々しくて顔を背けたくなるほどであった。
愛夢は机に置いた資料の中にあるASPウイルスの電子顕微鏡写真を指差した。
「あぁ、それは簡単なことですよ」
「えっ?えっと・・・もしかして皆んな俳優さん?でも外国の研究者たちも、このASPウイルスにコメントや論文を発表してたって」
愛夢の答えに漁火はクスッと笑った。だが目だけは笑ってはいなかった。
「・・・造ったんですよ。既存のウイルスを元に新型のウイルスを」
「つくった・・・?」
「ええ、アスピオンのことを匿し、ワクチンをより多くの人に接種させる。それだけの為に、恐ろしく感染力が強い風邪のウイルスをばら撒いたんです」
愛夢はASPウイルスによる死者数のグラフから目が離せなくなる。
「えっでもっ・・・重症化して亡くなった人とか、今も後遺症に苦しんでいる人が・・・」
人々をアスピオンから守る為、それを倒す為に、わざわざ人々を危険に晒すウイルスを拡散させた。
その本末転倒な行いに、怒りと悲しみが混じった感情が愛夢の胸をギリギリと痛めた。
「そういう非道な組織なんですよLETって。ですから、西宮さんに相応しくないと何度も申し上げているんです」
漁火はピシャリと愛夢との間に言葉で線をひいた。
「自分たちで作ったウイルスなら特効薬だって作れますよね?ばら撒いたウイルスのワクチンはちゃんと存在しているんですよね!?」
「西宮さん・・・ただの風邪に特効薬はありません。そして残念ですが持病や疾患のある方には、ただの風邪が命取りになることもあります」
「でも世界中にワクチンが完成したって!安全だって保証してたのにっ・・・!ここにワクチンの構成物の資料もあります!海外の研究者も絶賛していたって!」
「はい。医療機関や専門家、報道各社にはその構成物通りの本物のワクチンサンプルを提出したのでしょう。作り出されたASPウイルスはただの風邪を引き起こすだけです。実際にそのウイルスを弱毒化させるワクチンを打とうが打つまいが、健康な人間には尺たる影響はありません」
LETは人間を篩にかけ、弱いものは切り捨てた、そう言っているようなものだった。
ワクチンを接種したという安心感が、ただの風邪に罹患した状況をこの程度で済んだに変えていく。
真実を知っている人間が誰もそれを暴露しないのは秘密保持誓約書の存在があるからだった。愛夢も説明会を受ける前にそれを書いていた。
書面に書いてある違約金は、テレビや書籍でしか見たことのない金額であった。ひどく現実離れしている内容ではあったが、秘密を暴露する相手もいない愛夢にとってはその署名は何の意味の無いものであった。
予想だにしなかった真実にそれ以上は口を開けなくなる。
だが火がついたのか、あの日の車の中のように漁火のLETへの糾弾は止むことはなかった。
「本当にひどい人たちですよね。真実を公表して被る損害よりも、国民を幾人か犠牲にした方が損害は少ない。そんな倫理に叛く論理を振り翳す人間たちが統轄する組織なんです」
愛夢が何も知らずに日常を過ごしている間に、大きな力が蠢き知らぬうちに自分を含む多くの人々は絡め取られていた。
「LETの上層部である閣僚と官僚の方々は、ASPワクチンを打っていないんですよ。アスピオンの体組織なんて得体の知れない物質を、自分の体に入れるなんて冗談じゃないと跳ね除けたそうです」
「・・・えっ?」
「それだけではなく自分たちの家族や縁者、そして権力のある人物にはワクチンと偽り生理食塩水を注射しているんです。接種率を上げるパフォーマンスですよ」
「そんなっ!?もしも、その人たちの中にメテウスを持っている人がいたらっ・・・!?」
「だからです。アスピオンと戦いたくないし、戦わせたくないから、打たないし、打たせない」
「でも、それって・・・そんなひどいことって・・・」
自分たちは何一つ犠牲にせず、漁火たちに戦いを強いる。その有り様は独裁的な暴君そのものだった。
「しかも自分たちは本物のワクチンを接種し、感染対策を完璧にしてからウイルスを散布したのです。もう擁護する気すら起きませんよ」
姿勢正しく座っていた漁火は長く息を吐きソファの背もたれに身体を預けた。
「フロウティス部隊である我々は、ほとんどが一般人です。今でこそ追弔を遂行できてはいますが、部隊結成当初は本当にひどいものでしたよ」
先日の中断した説明会、そこでも漁火は同じことを言っていた。あの時、過酷を極めた過疎地域での戦闘について語った漁火は今と同じ表情をしていた。
「アスピオンは朝も昼も夜も関係無く現れる。死骸との戦いなんて終わりは見えないし、追弔してしまえば塵になる為に研究も全く進まない・・・」
警察と自衛隊が手助けをしてくれてはいたが、漁火たちはただメテウスを持っただけの一般人なのだ。
そんな彼らのこれまでの戦いを想像するだけで、愛夢はあの時と同じく涙が溢れそうになる。
「西宮さん、これでお分かり頂けましたよね?こちら側に来てはいけません。こんな嘘と秘密に塗りたくられた組織はいつか瓦解します」
「・・・でもっ・・・」
そうなれば組織にいる漁火たちはどうなるのか、それを問うことは出来なかった。
「もし私以外の誰かが貴女に接触してきても、LETに入るよう唆しても、絶対に耳を貸さないでください」
「・・・わかりました」
「私の仲間が貴女を望む所に斡旋してくれるそうです。一緒に西宮さんにとって一番いい道を探しましょう」
「・・・はい」
「とは言ったものの、時間がきてしまいました。長く愚痴を喋りすぎましたね」
「あっ!もうこんな時間なんですね」
時計の針は17:30を指していた。漁火と過ごした1時間は、楽しい話ばかりではなかったがあっという間に過ぎていった。
「門限も近いので今日はここまでにしましょう。進路相談はまた後日に。私は職員室にいる臼井教諭にご挨拶をしてから帰ります」
「私もタブレットを返しに職員室へ行かなければならないのでご一緒してもいいですか?」
「ええ、是非に」
「ありがとうございます。すぐに取ってきます」
愛夢は立ち上がり応接室を出た。後ろから「えっ?たしか3年生の教室って・・・」と戸惑う声が聞こえる。
漁火は今、愛夢の同級生たちの噂の的であった。
もしもその噂が彼の耳に入ってしまったならば、優しい漁火といえども憤るだろう。そして二度と此処へは足を運んでくれなくなる。
それだけは絶対に避けたかった。
今の愛夢にできることは、漁火が生徒と鉢合わせしないルートを歩かせる事だけだった。
学生鞄とタブレットを手に取り、急ぎ応接室に戻ろうと振り返ると扉の側には漁火がいた。
キョロキョロと愛夢の楽園である一人の教室を見回しているが、中に入ることまではしなかった。
「お待たせしました、漁火さん。職員室までご案内します」
声をかけられた漁火は不思議そうな顔をしていた。
「西宮さんは此処に何かの御用を申しつけられていたのですか?3年生の教室は1階ですよね?」
臼井と共にいた時間から考えて、SHRが終わる前に漁火は学校に到着していたのだろう。そしてまだ皆が教室内にいる静かな廊下を渡り、1階の職員室から応接室に向かった。そんな漁火より先に愛夢は3階にいた。一人だけ教室にいなかった愛夢を漁火は用事を申しつけられたと解釈したのだ。
「いいえ、ここが私の教室なんです」
「えっ?」
「先日から、ここで一人でオンライン授業を受けているんです」
愛夢はそう言いながら扉を閉めた。
そして申し訳ないと思いつつも遠回りの道へ漁火を先導する。臼井に案内されてきた道とは違う、部活動をしている生徒、教室に残り受験勉強に勤しむ生徒の目に触れない人気のない道へと。
「どうしてそんな事に!?何か困っていることがあるんですか?」
「えっと・・・どうしてですか?困るどころか私は幸せです」
「でもっ、こんなのっておかしいです!西宮さん一人がこんな場所に追いやられるなんて!!」
「違うんです。むしろ私の方が卒業までこの場所で授業を受けさせてほしいとお願いしたんです」
「そんなのって・・・そんな事のためにっ・・・!」
漁火は階段の途中で立ち止まり、手すりに置いた手を強く握りしめた。
「・・・漁火さん?」
愛夢が振り返ると、漁火はあの時の臼井と同じ悲しい顔をしていた。
「私は西宮さんに学校を楽しんで、いい思い出を作って卒業してほしいと思っています。おそらく美剣さんも同じ思いでしょう」
「私にとって学校生活は辛くて苦しいだけのものでした。でも今は、これまでとは比べ物にならないくらい幸せで楽しいです」
ただでさえ遠回りをして漁火の貴重な時間を無駄にしてしまっている。愛夢は前に向き直り、少しだけ歩みを早めた。
漁火は何かを言おうとしていたが、直ぐに言葉を飲み込み前を歩く愛夢の後ろに続く。
愛夢がタブレットを教員に返している間、漁火と臼井は二、三言葉を交わし、またあの悲しい顔をした。
自分がその表情の原因であることを、愛夢が知ることはなかった。
職員室での用事を終え、愛夢は漁火を見送るため来客用玄関の外にいた。
「・・・では西宮さん、今度こそは進路相談でお邪魔致しますので!」
「はい、お忙しいにも関わらず今日は本当にありがとうございました」
その時、廊下を慌ただしく走る足音を耳が拾う。
18年間の人生で得た処世術、身に迫る不幸を察知する愛夢の特別な能力がザワリと首の後ろを撫でた。
校舎からグランドに戻ろうと廊下を走るサッカー部の同級生と、外にいる愛夢の目が合う。
本来の三年生ならば受験に備え夏で部活は引退する。だが推薦を狙う生徒は冬の大会に出場することがある。その為に三年生でありながも今だに部活動を続けている生徒はいた。
たまたま、その生徒が一番嫌なタイミングで現れた。愛夢は自分の不運を呪った。
漁火の身体能力がどの程度高いのかは分からないが常人よりも優れていることだけは確実だった。
だから先程の生徒がグランドにいる生徒と合流し、話している「ヤベェ!あの噂マジだわ!そこに来てたわ!」という声は漁火の耳に届いているだろう。
「あのっ・・・!美剣さんはお元気でしょうか!?」
愛夢にしては大きめの声で、何とか外にいる男子生徒の「マジ!?両方いる?」という声をかき消そうと必死に漁火の気を逸らす。
「はい、いつもと変わらず元気すぎるくらいです。今日も自分も連れて行けと、ゴネて暴れて大変でした」
漁火は愛夢の質問に丁寧に答えてはくれているが、意識は明らかに外を向いていた。
野球部のボールを打つ音、学校を外周する運動の掛け声も聞こえるのに、愛夢の耳は男子生徒たちの話す声を鮮明に拾ってしまう。「眼鏡だけだった!マジで黒スーツ!あれはマジもんだな!!」とケラケラと楽しそうに笑う男子生徒の声は皮肉な程よく通った。
「そうですか!美剣さんのおかげで今は学校に楽しく通えてるって、ありがとうございますって伝えてもらってもいいですか?」
「承知しました。ところで西宮さん・・・」
あれだけ早く来てほしいと願っていた漁火に、今だけは早く帰ってほしいと願ってしまう自分がいた。
そんな願いも虚しく、聞こえないと高を括る男子生徒たちの「やっぱり噂の通り、ヤクザ連れて復讐しにきたのかな?」という声がピンポイントで耳に届く。
「えっと・・・漁火さんに頂いたパイ!!凄く美味しかったです!ごちそうさまでした!」
一番漁火に聞かれたくなかった単語が男子生徒の口から発せられ、いつかの様に慌てて声を被せるように捲し立てるが時は既に遅かった。
「いえいえ、進路が決まったその時にまた改めて何か美味しいものでお祝いさせてください。それから、どうかその様な悲しい顔をなさらないでください」
「・・・っごめん、なさいっ!!」
「いいえ、むしろ私の所為で何か不名誉なことを言われたり、謂れのない噂話を流されて西宮さんの方が苦しんでおられるのではないですか?」
「私は何を言われても何ともないです!」
今グランドで男子生徒たちがしている会話は、日々命をかけてアスピオンを追弔してくれている漁火たちにかけていい言葉ではなかった。
「西宮さんにそんな顔をさせるくらいなら、私はもうここには来ない方がいいのかもしれませんね・・・」
「それだけは嫌です!絶対にっ・・・!」
「ではせめて何が西宮さんを悩ませているのか、それを教えてください」
「えっと、何にも、ないです・・・」
「私は欺瞞にまみれた組織に属しています。ですから、せめて西宮さんには嘘をつかれたくない・・・」
「ごめんなさいっ!あのっ、実は・・・」
「手短にでいいですよ?門限も迫っていますし」
「はい・・・。寮まで送ってもらった時にお二人のことを見た生徒がいました。多分その人が、私たちの関係を間違った噂で流したんです」
「間違った噂?」
「あっ・・・聞かない方がいいです。本当に不快で申し訳なくなるくらいで・・・」
「そのことで悩まれていたのですね?構いませんよ、どんな噂でしょうか?」
「・・・あのっ、二人はヤクザで・・・私が美剣さんの愛人だって噂が・・・」
流石の漁火もこの失礼極まりない噂に、口元を抑え下を向きプルプルと震えていた。
「本当ごめんなさい!私の所為で、黒い高級車で送迎させてるとか、気に食わない人を秘密裏に始末してるとかっ!そんな低俗な噂の的にさせてしまって!!」
優しい漁火は土下座で謝れば許してくれるかもしれない、さらにその光景を見た生徒の話で噂を払拭できるかもしれない。
そう思い愛夢が膝を曲げようとした瞬間、漁火は吹き出した。
「ふふっ・・・すみっ、ません!ヤクザ!!まさか自分がヤクザと間違われる日がこようとは!!あはは!」
「・・・漁火さん?怒っていないんですか?」
「いいえ、ちっとも!むしろ、ここまで笑ったのは久しぶりです!逆に感謝したいくらいです!ふふっ」
「でも漁火さんが許してくれても、美剣さんにも申し訳なくてっ・・・」
「逆に美剣さんの愛人だなんて、西宮さんに失礼でそちらに怒りが沸きます!西宮さんは絶対にそんな事はしませんから!」
漁火の言葉に、愛夢の胸は熱くなる。
「あっ・・・実は、噂を流した子が美剣さんと目が合ったらしくって。全然意味が分からないんですけど、美剣さんの顔があまりに怖すぎるから、アレは名のある組の若頭に違いないって噂を・・・」
「美剣さんが若頭!!!!!!?」
漁火は前屈みになり自分の膝を叩いて爆笑した。
息が切れるほどに笑い、呼吸を落ち着け、いつもの漁火に戻った。と思ったが堪えきれないのか話をしながら何度も口元を覆って吹き出していた。
「ふふふっ、となると、私は舎弟ですかね?どうですか!?当たりですか!?」
「・・・あっ、聞かない方が・・・」
「ここまできたなら是非教えてください!気になって仕事が手につかなくなってしまいます!それだけ聞いたら帰りますから!」
普段の彼からは想像もつかない、駄々を捏ねる子供のような可愛らしさに愛夢は折れた。
「・・・漁火さんはインテリヤクザって言われてます」
「あーははは!ひぃー!!インテリって・・・!私が眼鏡をかけているからですか!?お腹がっ、痛い!!!ゴホッゲホッ」
涙を浮かべ咳き込むほどに爆笑した漁火に、愛夢は呆気に取られるしかなかった。
「あぁ西宮さん!門限が迫ってきています!名残惜しいですが、本当にここまでのようです」
言われて後ろにある校舎に設置されている時計を見ると門限は10分前に迫ってきていた。
「漁火さん、最後まで不快な思いをさせてしまって本当にすみませんでした!」
「とんでもないです!お腹が捩れるくらいに笑える楽しい時間でした。ではまた!」
「・・・はい。また、お待ちしています」
漁火がくれた"また"の言葉が愛夢を安堵させた。
手を振る漁火を後で振り返りながら寮へと早足で向かう。
その愛夢の背中を一階の校舎から嫉妬と憎悪の感情を向けて見つめる影があった。
危険や不幸を察知できる愛夢の第六感はそれを感じられなかった。
恵まれた人間が向けられる、特別な感情。それを知らない、初めて向けられた愛夢にそれを察知など出来るはずもなかった。




