説明会、再び
ようやく訪れた説明会の日、愛夢は時間が過ぎるのが本当に遅く思えていた。
だがあの地獄のような日々よりもずっと長く遅く感じられる時間は不快ではなかった。
誰かが来るのを待ち遠しいと思える、そんなもどかしい感覚は久しぶりだった。それがかえって嬉しいとさえ思えた。
16:30にSHRが終わり、慌てて愛夢の楽園である一人の教室の扉を開け廊下へ出る。
ソワソワと扉の前で待っていると、秋の風にのった待ち人の声が耳に響く。
「学校という場所が久しぶりすぎて・・・。何だか身が引き締まる思いです」
「漁火さんにそれ以上に引き締まられては、うちの職員共の立つ背がありませんわ」
漁火と臼井が楽しそうに笑いながら階段を登る音が聞こえ、愛夢は待ちきれずに階段の前まで走った。
普通の人間ならば拾えないその声量は、メテウスを持ち身体能力が向上している愛夢だからこそ聴こえた。いつも聴きたくもない雑音ばかりを捉えてしまうこの能力が初めて役に立ち有難く思える。
「・・・っ漁火さん!」
踊り場に漁火の姿が見えると愛夢は堪らずに階段を駆け降りた。
「西宮さん、お元気そうでよかった。お出迎えしてくださって嬉しいです」
「漁火さん、私っ・・・!」
相変わらず熟練の熟女が百点満点をくれる優しい笑顔の漁火に愛夢の涙腺はジワリと緩む。
「私はお役御免のようね。西宮さん、漁火さんを応接室までご案内してくれる?」
「はい」
「臼井教諭、こちらの都合で説明会を中断したにも関わらず再び場を設けてくださったことに感謝申し上げます。本当にありがとうございます」
漁火の心がそのまま現れたような綺麗な礼に、愛夢も続く。
「あっ・・・!あの臼井先生、私が我儘を言ったから漁火さんは無理をしてくれたんです!だから悪いのは私なんです!本当にごめんなさい!」
「二人共頭を上げて。西宮さん、謝る必要はありません。それよりも今日こそ邪魔は入らないから、ゆっくり漁火さんのお話を聞いてください」
「はい、ありがとうございます」
「そして漁火さん。こんな時代ですので、本来ならば女子生徒を部外者の男性と二人きりにするなどあり得ないのですが」
「承知しております。臼井教諭の信頼を絶対に裏切らないことをお約束いたします」
「はい、何でも今日話す内容に守秘義務のあるそうですので私は同席は出来ません。漁火さんと美剣さんを信じて、西宮さんをお任せいたします」
「はい!重ね重ねのご配慮、痛み入ります」
臼井は横並びになっている漁火と愛夢に優しい微笑みを浮かべその場を後にした。
愛夢と漁火は応接室1のソファに向かい合って座り、同時に同じ言葉を発してお辞儀をする。
「本日はよろしくお願いいたします」
互いに同じタイミングで顔を上げ、驚き顔を見合わせる。
「あははっ!凄い!同時でしたね!?」
「あっ、すみません」
自然に笑える漁火とは違い緊張が勝った愛夢は言葉を被せてしまった申し訳なさから下を向き俯いた。
何度か寮の部屋で美剣が褒めてくれた笑顔の練習をしてみたが、あの日のように上手く笑うことはできなかった。
それどころか美剣に会いたいという思いが募り表情は曇っていくばかりだった。
「前回はLETの成り立ちとアスピオンとメテウスのことについてお話しさせて頂きましたね」
「はい、あの私、フロウティスのことが気になっていて・・・」
「あぁ、すみません西宮さん。フロウティスは我々LETにおいて最も重要で最上級の機密です。ですので詳細に関してはお答えできません」
「そう・・・なんですね・・・」
フロウティスのこと、始纏唱のこと、あの日聞きたかったことを聞くことは叶わなかった。
だが漁火の言葉を聞いて愛夢の頭に疑問が浮かぶ。
「じゃあ、あの日、私にフロウティスを見せてしまって大丈夫だったんですか?」
「あー・・・えっと、すみません。本当はダメです」
「やっぱり・・・ごめんなさい!二人は命懸けで追弔を頑張ってくれたのに・・・。私の所為でまた始末書を書いたのでしょうか?」
「謝る必要はありません!悪いのは西宮さんを無理矢理連れ出した美剣さんですから!遅かれ早かれ録画編集した追弔を見てもらうことになっていましたし・・・。って、始末書!?」
「美剣さんが建設資材を破損した時に言っていましたよね?また始末書だって・・・」
「あぁ、美剣さんが始末書を書くのはいつもの事なんですよ。西宮さんが気に病まれることはありません。それに今回は破損に対する始末書のみでした」
愛夢の記憶にある凶暴な猫のアスピオン、それと勇猛果敢に戦った美剣。
自衛隊の手助けが得られない状態でただ一人、俊敏で強靭なアスピオンを追弔した美剣が始末書を書かされた。ただが建設資材を破損しただけだというのに。
美剣が救ってくれた人々や、美剣自身の命の価値が軽んじられている気がして愛夢の心は沈んでいく。
「美剣さんは始末書を書きすぎて様式が頭に入っているんです!ですから、オレは目を瞑っていても署名も捺印も出来るぜと毎日高笑いしていますよ」
「・・・どうしてですか?」
「えっ?」
「美剣さんも漁火さんも一生懸命に追弔を頑張っているのにっ・・・!始末書どころか表彰されたっておかしくないのに!」
人々の暮らしと安全の為に秘して戦う美剣と漁火、そして彼らの二人の仲間は国民栄誉賞を貰うべきスーパーヒーローと呼んでいい。
偉大な人物として教科書や雑誌に載せるべきなのだ。そして世界すら彼らに注目する。
そうなれば美剣たちは、愛夢に会いにこんな場所にまでくることはないほどの有名人になっていた。
美剣たちが報われ正当に評価されてほしいと思う反面、そんな事にならなくて良かった、と心のどこかで安堵してしまう自分がいた。
「4年も追弔を続けていると、有り難みなんてあって無いようなものです。ましてや我々にとっては追弔は仕事なので、責任や義務は伴っても感謝や賛辞が得られることなんてありません」
「・・・そんなっ!」
「嫌な仕事でしょ?お話を聞きたいと申し出てくれた西宮さんには申し訳ないですが、LETってそんな場所なんですよ」
「それでも・・・もっとLETのことを知って私の進むべき道を探したいんです!」
「実のところ、我々の仕事である追弔を直接見て頂いたので、もうあまりお話しすることがないんです。百聞は一見にしかずの言葉の通りですね」
「漁火さん、あの後も追弔って・・・?」
「・・・ちょうど昨日、フェレットのアスピオンを追弔しました。早朝にデコイにかかり美剣さんの機嫌の悪さが最高潮でしたよ!」
「フェレット!?それって野生じゃなくてペットですよね?どうしてアスピオンに!?」
「ペットは家族、そう思っている人達ばかりではないということです。ペットの死体をゴミ袋に入れて捨てたり、適当な場所に遺棄したりする人がいるんですよ」
「ひどい・・・!」
ペットを火葬しない無責任な飼い主と、頭部がある死体さえあれば黄泉返ることが出来るアスピオン。
両者の関係はまるで共存であった。
「都知事が我々に大変協力的な方でして、破格のペット用の霊園を設立したり、供養に補助金を出してくださってはいるんですが・・・」
「最初のアスピオンは犬でしたよね?私が見たアスピオンは猫・・・。後は漁火さんのお話に出てきたドブネズミとフェレット・・・」
「実は虫もアスピオン化するんですよ。そういえばフェレットの追弔は初めてでしたね」
「えっ!?虫は何処にでもいますよ!?」
「はい、ですから追弔はイタチごっこです。フェレットなだけに・・・ね」
飼育されているものと野生の動物、それ以外に昆虫までもアスピオン化するのなら、いくら補助金や埋葬場を用意しようとそれは栓無きことであった。
ましてや近年、ペットとして飼われていた動物が野生化する問題もあり、温暖な場所が多い都会の環境下では繁殖に歯止めをかけることも出来ていない。
アスピオン予備軍は増えていく一方なのだろう。
そんな自分なりの考えを頭でまとめていた愛夢は漁火の「な・・・なんちゃって・・・」という声で我に返った。
「えっ?」
訳が分からず慌てて聞き返すと、顔を赤くした漁火が首を横に振っていた。
「すみません!!今の忘れてくださーい!」
漁火がしてくれる話を、一字一句聴き漏らしたくない愛夢は先程までの会話を頭で反芻してみる。
イタチ科であるフェレットとイタチごっこをかけた冗談だと気付くのに時間はかからなかった。
「あっ!イタチごっこ!フェレットはイタチ科だからですか!?」
「あぁっ!!蒸し返さないでください〜!!!」
漁火はガックリと項垂れてた。
「すみません、漁火さん・・・。私が面白味のない人間だから上手い返しが出来なくて・・・」
「いいえ!西宮さんは何も悪くありません!!女性を楽しませる話術を持たない私が悪いのです!」
「すみません。えっと・・・面白かったです・・・」
「気を使わせてしまってすみません!ご無理をなさらなくても大丈夫ですよ・・・アハハ〜」
漁火の乾いた笑いの後、応接室は静まり返った。
「あの漁火さん、質問してもいいですか?」
「はい。答えられる範囲でよろしければ」
愛夢は漁火との説明会が始まるまでの2日間に、自分なりに狂犬逃走事件のことやASPウイルスのことについて調べ質問をまとめておいた。
「追弔に来てくれていた自衛隊のことでお聞きしたいことがあります」
愛夢はポケットに入れていた折り畳まれたルーズリーフを広げた。それはこの2日で図書館で集めた資料のコピーを切り貼りしたものだった。
「どうして自衛隊だけなんでしょうか?」
「・・・とおっしゃいますと?」
「あっ・・・すみません。えっと、野生の動物が市街地に出てくると警察や猟友会が出動して捕獲したりするじゃないですか?」
「そうですね。ですが、アスピオンの捕獲は我々でも無理です。そして民間の方を巻き込むわけにはいきませんので猟友会の協力は得られません」
猟銃の使用には厳しい制限があることを調べていく上で知った。
だが特例機関であるLETと警察が連携し制限の解除が出来れば猟友会の協力が得られる。そう思っていたが漁火たちですら捕獲が無理と言われてしまえば、猟友会の協力は絶対に有り得ない。
「じゃあ警察は?アスピオンのことを知っているって美剣さんが言っていました。LETに選ばれた自衛隊の方以外は支援攻撃が出来ないと漁火さんは言ったけど・・・。警察の人たちに追弔のお手伝いはお願いしないんですか?」
「昔はそういう体制をとっていたんです。ですが警察と自衛隊は全く別の組織であり、そこに我々が加わったことで統率が取れなくなりました。それに自衛隊が追弔の支援をしてくれるのには、いくつかの理由があります」
「自衛隊の中にメテウスを持っている人がいたからですか?でも自衛隊って自国の危機以外では武力を行使することは出来ないと資料に書いてありました。アスピオンは国を脅かす危険があるから出動が許可されているんですよね!?だったら自衛隊の人、全員で協力するべきなんじゃないですか?」
「勿論それもあります。ですが彼らは防衛出動でも災害派遣でもなく、教育訓練という名目でLETに加入し追弔に参加してくれています。その条件で全自衛隊員に支援を求めるのは難しいです」
「教育訓練?」
「はい、追弔は秘密裏に行わなければなりません。ですから迅速な処置の為に支援が許可されているのは選ばれた自衛隊員の精鋭のみです。その彼らと、次なる精鋭の能力と団結力の向上を目的としての教育訓練・・・という形をとっているそうです」
「えっと、追弔って実戦ですよね?訓練なのに?」
「彼らの派遣はどうあっても目立ちます。教育訓練という名目が一番角が立たないのです。まぁ、他にも理由はあるのですが、すみませんがそれは黙秘させていただきますね」
「美剣さんも、漁火さんも命懸けで追弔をしているのに、教育訓練だなんてっ・・・」
「教育訓練と銘打っていますが、自衛隊の方々も命懸けなのは変わりありませんよ。彼らも美剣さんの許可と隊長の号令が無いと発砲は出来ないので、常にもどかしい思いをしていることでしょう」
遠くの安全な場所から命を懸けろと言うことは簡単だった。美剣たちの安全にばかり気を取られ、自衛隊や警察の慮ることを忘れていた愛夢は自分を恥じた。
「すみません・・・私もっと追弔を手助けしてくれる人が増えたら、美剣さんも漁火さんも始末書を書く事が減ると思ったんです。自衛隊や警察の人たちのことも、ちゃんと考えるべきでした」
「ありがとうございます。西宮さんのそのお気持ちが、私はとても嬉しいです」
「私なんかが思いつくことなんて、とっくにやっているって分かっていたのに。くだらない質問をしてしまって、ごめんなさい・・・」
「いいえ!そんな事はありません。ですが西宮さん、私からも質問して宜しいでしょうか?」
「はい」
「随分と自衛隊のことについて詳しくお調べになったようですが、ひょっとしてご興味がお有りなのでしょうか?」
「えっ!?違います!そんな滅相もないです!」
漁火の質問を愛夢は首と手を振り、強く否定した。
「そうですか、それを聞いて安心しました。私は西宮さんには、そのお人柄のような優しいあたたかい場所にいてほしいと思っているので」
漁火は自分を女性を楽しませる話術が無いと言った。だが愛夢を喜ばせる話術は心得ていた。
愛夢は火照る顔と身体を冷ます為、そして漁火の言葉を否定する為に再び激しく首を振った。
優しいあたたかい人柄という言葉には漁火こそが相応しかった。
だがそんな彼に対して同級生たちは酷い噂を流していた。その噂は漁火だけでなく、美剣のものもあった。そして愛夢にはそれは止められず、漁火にも言えずにいた。
そんな自分が同級生たちと同罪に思え、心苦しく漁火が優しい言葉をくれるたびに、愛夢の心は罪悪感で締め付けらる。
「LETの研究者たちはアスピオンは侵略的兵器なのではないか、という見解を示しています」
「侵略的、兵器?」
漁火が発した物騒な言葉は愛夢の罪悪感を吹き飛ばした。
「はい、他国が日本国首都に生物兵器テロを仕掛けた。そう考えている方々がいるんです」
「・・・テロ!?」
もしそうであったなら教育訓練ではなく自国防衛として自衛隊は大っぴらに追弔の支援が出来る事になる。
だがそうならない理由を漁火は説明し始めた。
「ちょっと信じ難いですよね?大丈夫ですよ、そんなことあり得ませんから。条約を破る恐れのある生物兵器なんて使い勝手が悪すぎる・・・」
「条約?」
「まず生物兵器禁止条約に違反しています」
「もしかして、その条約に加盟してしない国が!?」
「いいえ、さらにジュネーブ条約という戦闘に参加することの出来ない方々を守る世界ルールがあります。アスピオンは無作為に人を殺す。そんな人道法に反する兵器を使用してまで、都心だけを狙う国がいるとは思えません」
この小さな島国をピンポイントで狙う理由、利便性に欠けるアスピオンを兵器として使う理由が全く見えてこず愛夢は頭を悩ませる。
次から次へと溢れ出る疑問は勝手に口から出てしまい、夢中になった愛夢は自分が饒舌になってしまっていることに気付くことはなかった。
「兵器として不完全ということですね。・・・もしテロだとしたら仕掛けた国にはメテウスを持っている人間がいることになりませんか?制御できない兵器を開発して使うなんて不可能ですよね?」
「はい、もし仮にいたとしてもリスクの方が多いです。アスピオンは時間と共に凶暴性と大きさが増します。そうなったら仕掛けた側も手に負えないはず」
「アスピオンによって多くの人が倒れたら、日本は立ち行かない。条約を無視して世界から非難を浴びてまで得たい魅力的な資源、そして利益も得られる確証もないですよね・・・」
「そして我々が追弔によってアスピオンを還しているにも関わらず何の反応ない。さらに他国もアスピオンによる被害がないのなら、テロだというこの仮説は可能性が低い。地球外生命体からの侵略と言われたほうがまだ納得できます」
「地球外生命体?」
漁火の口から出た予想だにしない言葉に愛夢は首を傾げた。
「・・・えっと、そういった考えをしている研究者がLETにいて・・・。なーんちゃって・・・」
「・・・あっ、えっと・・・面白かったです・・・」
「・・・再び気を使わせてしまってすみません・・・」
シーンとした静寂の音と共に、チーンという漁火の撃沈した音が聞こえた気がした。




