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ーNo titleー  作者: 一ニ三
13/39

独りぼっちの教室

 枕元に置いてある目覚ましが鳴り愛夢は目を覚ました。普段であれば悪夢が目覚ましよりも早く愛夢を起こす。

 だが昨晩は心地良い疲労感が、夢すら見せずに安眠と快眠を与えてくれた。いつものように枕を濡らすこともなく、不安や悲しみがほとんどを占めていた心には美剣がくれた紅炎が灯り、今は優しさと暖かさに満ちていた。

「美剣さん・・・漁火さん・・・」

 男性に苦手意識がある愛夢が怖がらずに接することが出来る二人の名前は、声に出すだけで勇気を与えてくれる。

 寮の個室に備えつけてある学習用デスクの上には漁火から貰った名刺とパイの空箱が置いてあった。

 その二つが昨日の波乱の一日は夢では無かったことを教えてくれた。

 人を信じることに抵抗がある上に、粗暴で乱暴な言葉使いの男性など話すことすら躊躇いがあった。

 だが美剣だけは何故か違った。

 最初こそ恐ろしく思えて距離をとっていたが、そんな警戒心は彼の優しさによって解かれた。

 そこに至るまで愛夢に根気強く向き合い抱きしめ、励まし導き未来への希望を与えてくれた。

 漁火も向井に暴露された愛夢の出自を知っても変わらずに接してくれ、さらに多忙な身でありながらも進路相談に時間を割いてくれようとしている。

 そんな二人の役に立ちたいという思いが、制服に着替える手を急かした。

 養母であるマリアにこれまでの恩を返すという目標の共に、昨日新たに得た寄る辺は食堂へ向かう愛夢の足取りを軽くしてくれた。


 女子専用寮の食堂に着くと、そこには部活動の朝練に参加する生徒数人が談笑しながら朝食を楽しんでいた。

 既に朝食を食べ終えた一人の女子生徒と愛夢の目が合う。

 愛夢を見かけた誰かは、友人に耳打ちし聞こえるか聞こえないかの絶妙な声量で嘲笑う。

 それがいつもの見慣れた光景だったはずであった。

 だが今日はいつもとは様子が違っていた。

 目が合った女子生徒は友人に「先行ってるね」と告げ慌てて席を離れる。

 その女子生徒の様子で愛夢の存在に気付いた数人の生徒たちも談笑を止め、食べかけの朝食を残して自室へと足早で戻って行った。

 生徒たち全員が愛夢を見るや否や、一斉に席を立ち逃げるようにその場を後にしていく。

 そして食堂にいるのは寮母と愛夢だけとなった。

 いつもの愛夢の心をザワリとさせる嗤いも、蔑みの目も無い。食堂はシーンと静まり返っていた。

 ブュッフェ形式の朝食の側に寮母が立っており、ロールパンをカゴに並べたり追加の皿を積んだりと忙しなく動き回っていた。

 トレイを手に取ると愛夢の存在に気付いた寮母が声をかけてくる。

「おはよう!昨日は遅くまで頑張ってたね。お疲れ様」

「おはようございます。あっ・・・あの・・・昨日は本当にありがとうございました」

 恰幅が良く優しい寮母は、寮生からとても人気があった。

 二年半の高校生活の間で挨拶以外では数えるほどしか話したことはない。だがワクチン接種後に体調を崩した愛夢を心配して何度も様子を見にきてくれた。

 周囲の態度や噂話で愛夢の出自のことは知っているはずなのに他の生徒と分け隔てなく接してくれる寮母は愛夢にとっては数少ない信用できる大人であった。

 ペコリと頭を下げると手に持っていたトレイの重みが増した。

 驚いてトレイを見るとハムエッグとヨーグルトが乗せられている。

「昨日は特別。本人以外の連絡は家族しか受付けない!二度目は無いからね?」

「はい・・・」

「あっ!今日から部屋で食事してもいいから!」

「えっ?」

 あまりに突然に自分にとって都合の良い話が舞い込んできた為、愛夢の口からは素っ頓狂な声が出る。

「何か、理由はよく分からないんだけど・・・。怖いから今日は部屋から出たくないってゴネてる子がいてね〜!」

 ブツクサと文句を言いながらも寮母はテキパキと器にサラダとスープをよそい、トレイの上に置いた。

「そんな事もあって、アナタたちは大事な時期だし!風邪でもひいたら大変だからね。感染対策も兼ねて三年生だけ部屋での食事を許可したの」

「・・・ありがとうございます」

「絶対に部屋を汚さないようにね!」

 陰口を叩かれない。

 嗤われもしない。

 食事中に嫌がらせされる事もない。

 そんな当たり前に嬉しさが込み上げる。

「昨日の電話口の人、いい人だったね!寮母の仕事の大変さをよく分かってくれてねー。アナタのこともすごく心配してたのよ?」

 そう言いながら寮母はパンをポンポンと愛夢の皿に乗せていく。4個目を置こうとしたところで慌てて首を振ってそれを止める。

「卒業したら働くんでしょ?ならここにいる間にいっぱい食べて元気に成長して!」

 美剣にもエスカレーターで同じようなことを言われた。高校三年生にもなってこれ以上の成長があるのかは疑わしいところだが、感謝の気持ちを込めて愛夢は寮母にもう一度頭を下げた。

「心も体も万全の状態に仕上げて送り出すのが寮母の仕事!そして学生であるアナタの仕事は学校で沢山のことを学んでここを巣立つこと!だから今日も頑張って行っておいで〜!」

 そう言いながら笑顔でパン用のトングをカチカチと鳴らしながら寮母は部屋へ向かう愛夢を見送った。

 食堂を出る前に振り返って見た寮母の背中は、ピンと真っ直ぐに伸び、忙しくしていてもどこか楽しそうだった。

 秋の気持ちの良い朝に相応しい晴れやかな朝食は、愛夢の高校生活の中で一番解放感と満腹感に満たされたものとなった。

 

 そして日常通りに愛夢は誰よりも早く教室へと向かった。

 外や体育館で部活動に勤しむ生徒の声を聞き流しながら誰もいないはずの教室の扉を開ける。

 そこには窓際に佇み愛おしそうにグランドを見つめる女性が一人いた。

「あっ・・・臼井先生?」

 この場所では空気でいることを誓って今日まで息を殺してきた。そんな愛夢も突然の珍客には驚きの声が隠せなかった。

「おはようございます、西宮さん。相変わらず早いのね」

 優しいゆっくりとした声と歩調で臼井は愛夢の側へと歩み寄る。

「おはようございます。・・・あの、昨日は・・・」

 美剣たちのことを、LETのことをどこまで言っていいのか、分からずに愛夢は口を噤んだ。

「大丈夫よ、昨日のことは美剣さんから電話をいただいて大体聞いているから。それより今から少しだけ私に付き合ってもらえるかしら?」

「はい・・・」

 臼井に導かれ向かった先は応接室のある三階だった。だが扉を開けた部屋は応接室ではなく、使わない教材などをまとめてある空き部屋であった。

 その部屋の窓際に学習机が二つ置いてあり、前の机にはタブレット端末がスタンドに立て掛けてある。

「遅いと思われるだろうけど、うちの学校は今日からイジメには厳正に対処するわ。もし西宮さんや他の生徒にもそういった行為が確認でき指導による改善がない場合、その程度によっては暴行事件として警察の手を借ります」

「えっ?警察!?」

「と、今朝美剣さんとの電話の後に校長先生が突然言い出してね。今まで理事の言いなりで事勿れ主義だったのに一体何があったんでしょうね?」

「美剣さんが・・・」

「私にはよく分からないんだけど鍵とかチェキがどうとか言っていたわね。西宮さんは意味が分かる?」

「すみません・・・分からないです」

 推しも友人もいない愛夢にはチェキも鍵垢の意味も分かるはずがなく首を横に振るしか出来なかった。

「そうよね・・・」

「あの・・・先生はどうして私をここに?」

「あっ、そうだったわね!西宮さん、今日からここでオンラインで授業を受けない?」

「・・・オンライン?」

「やっぱりここで一人は嫌かしら?教室には居辛そうだったから・・・」

「えっ?私一人でここを使っていいんですか!?」

「ええ、他の生徒だったら承諾を得るのは難しかったでしょうが、西宮さんなら大丈夫だと判断しました」

「・・・どうしてですか?」

「これまでの西宮さんが培った信頼に応えただけです。本来なら加害者側を謹慎させるんだけど、まだ聞き取り調査も済んでないから一時的にでも西宮さんの安全を考慮してこういった処置をとったわ」

「あのっ・・・私はここで授業を受けられるなら他には何も望みません!もう私に何もしないでいてくれるなら誰にも謹慎も処分もしなくてもいいです!」

 誰に嗤われることもなく、誰かを不快にさせることもないのなら、それは愛夢にもとっても周りにとってもこの上ない利害の一致であった。

「でも西宮さんっ!」

「私、卒業までここで一人で授業を受けたいです!受けさせてください!」

「待って!主犯格の生徒がイジメを止めれば、これから貴女と仲良くしたかった生徒たちもきっとー」

「そんな人いません!いるわけないです!」

「西宮さん・・・」

 愛夢は臼井にキッパリと他生徒との断交を言い切った。昨日までの無気力無表情だった愛夢とは違う。

 その意志の強さに臼井は折れた。

「他の学年なんだけど、保健室へ通っている生徒も同じようにオンラインで授業を受けています。ですから今回のことで貴女を特別扱いしたと言う声があがるかもしれません」

「もしそうなったら、その時は教室へ戻ります」

 天国からいつもの地獄へ戻る日までの束の間の安息がなるべく長く続く事を祈るしかなかった。

「そんな顔をしないで?そのことで貴女が他の生徒に直接何か言われないか心配になっただけよ。西宮さんにとって一番いい形を一緒に探していきましょう?」

「・・・はい。あの、先生はどうしてそこまでしてくれるんですか?」

「どうして?貴女が生徒で私が先生だからですよ」

「・・・でも他の先生は何も・・・」

「そうね、貴女のことは学校で一丸となって解決しなければいけない問題だったのに・・・。申し訳ないわ、本当にごめんなさい」

「いいえ、一人の生徒のイジメ問題よりもその他大勢の生徒の未来の方が大切ですから。仕方がないです」

「いかにも、といった答えね・・・。西宮さんらしい」

「問題が大きくなると進学率に影響が出て学校の評判が下がります。私なんかの為にそこまでする必要はないです」

「進学率や評判が下がったとしても間違いを正し教え導く事が教育です。そしてそれが私の仕事です」

 力強い声でそう言った臼井の瞳は真っ直ぐに前を向き、背筋はまるで支柱が入っているかのように真っ直ぐピンッと伸びていた。

「ここで正さないと、人を傷つけて弄ぶような人間のまま社会に出てしまう。そして必ずまた同じ事をして今度こそ取り返しがつかないわ」

 その瞳は厳しさと愛おしそうにグランドを見つめていた時の優しさが混在しており、今日の空のように澄んでいた。

 その目に愛夢は既視感を覚えていた。

 つい先程も同じように真っ直ぐに立ち、己の仕事と向き合う女性を見た。

 寮母と臼井。二人は同じ瞳、姿勢で職務を全うしていた。

 その姿に何故か心を奪われる。

「・・・進路相談のことなんだけど、このまま私が西宮さんを担当することになりました。中断した説明会は漁火さんが引き継いだそうだから、連絡があったらまた知らせます」

「はい、よろしくお願いします」

「では私は戻りますが何か不都合があれば職員室までいらっしゃい」

「本当にありがとうございました」

 感謝を込め深くお辞儀をすると臼井は愛夢が顔を上げるまで待ってくれていた。

 目が合うと臼井は悲しそうに笑い職員室へと戻っていった。

 臼井の表情の理由を愛夢は知ることはない。

 同級生からはイジメられ学校が大嫌いな愛夢に、学校の楽しさ、友の尊さを理解することなど一生出来るはずがないのだから。


 一人になった愛夢は授業が始まるまで椅子に座り自由を満喫した。

 足を伸ばしても、机に突っ伏しても、誰に見られることも、嗤われることもない。

 美剣は鉄塔の上で約束してくれた通り、愛夢を針の筵のような環境から救ってくれた。

 いくら感謝しても足りない、この恩に報いる方法を愛夢は必死に考えていた。

 美剣に薦めてくれた大学や専門学校へは進学をするつもりは無かった。

 金銭的な問題もさることながら愛夢には学びたいものが無い。そして何よりも、長く苦しんだ高校生活がやっと終わるというのに、もう一度大学という華やかな場所で再び同じ事を繰り返すなど絶対に嫌だった。

 だが、ようやくやりたい事を見つけられた。

 美剣と漁火の役に立ち、負担を少しでも減らす事が愛夢の願いで夢となった。

 朝食をしっかり食べたことによって頭は冴え、最高の環境で勉学に専念できる。

 全てが良い方向へと進んでいた。

 寮だけではなく学校でも、ここにはいない美剣が護ってくれている。

 そんな風に感じ愛夢の胸は熱くなる。

 思いを馳せている間にSHRが終わり1時限目の現代文の始まりを告げる本鈴が鳴った。

 愛夢はただ一人しかいない教室で、タブレットに映る黒板を注視する。

 何を重点的に学べば美剣たちの役に立てるのか、まだ何も分からない。

 だからどんな授業にも全力を尽くすことにした。

 

 早く漁火との説明会が始まってほしい。そんな焦りにも似た願いが通じたのか、待ち人からの連絡は正午に入った。

 明後日の放課後に説明会の続きは行われることとなった。

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