夢の解釈
翌朝目が覚めてからしばらくの間、僕はベッドに腰かけたまま昨晩見た夢について考え続けていた。
あれは確かに自分の記憶だ、と僕は思った。後ろ姿しか見えなかったけれど、自転車を運転していたのはきっと母に違いない。では後部座席に乗っていた女の子は、一体誰なんだ?
理詰めで夢について考え続けても、答えが出る訳がないことは分かりきっていた。だとすれば、手がかりがあるとすればその前の日に見た夢だった。夢を理解するには、夢を辿ってみるしかないじゃないか。
他の精子が、自分が受精するはずだった卵子と結合するのを目にしたとき、僕はまるで深淵に落ちて行くような恐怖を感じた。夢を見ている時は、自分が卵子と結合出来なかったという事実に対して恐怖を感じたのだと思っていた。でも今こうして思い返してみると、僕はむしろ、自分以外の精子が卵子と受精してしまったということに恐怖を感じたのではないかという気がした。
受精というものが、「半分の自分」である卵子と「半分の自分」である精子の出会いなのだとしたら。他の精子が卵子と結合してしまったら、それはつまり、半分は自分であり、半分は自分でない人間が出来上がるということを意味していた。
仮にあの女の子が、「半分は自分であり半分は自分ではない」人物であるのだとしたら。
僕はそこで一旦立ち止まり、腕を組んで唇を噛みながらその事についてじっくりと思考を巡らせた。でも、「半分は自分であり半分は自分ではない」ということが一体全体何を意味するのか、僕にはさっぱり分からなかった。僕と彼女は、全く違う思考を持っているのか、それとも共通の「自分」を持っているのか。見た目は似ているのか、それとも全然似ていないのか。考えてみたところで、答えが出るはずはなかった。彼女についての情報があまりに少なすぎる。
僕はそこで諦めてベッドから立ち上がり、朝食と昼食の間にある微妙なご飯の準備を始めた。ご飯をレンジで解凍し、古くなりかけていた納豆を開けて醤油をかけ、箸でグルグルとかき混ぜた。でもその間も2日に渡る夢で見たイメージは、僕の中に深い余韻となって残っていた。何故ならそれは、「かなりの確率で起こりえた」ことだったからだ。彼女が生まれて、僕は生まれなかった世界線。一回の射精で何億という数が放出されると言われる精子の中で、たまたま「自分」の精子が受精する確率なんて、ほぼゼロに近いことだった。逆に言えば、他の精子が受精する確率は、ほぼ百パーセントだったとも言える。でも現実には、僕はこうして生まれてきて、この世界を生きている。
いや、果たしてそれは本当だろうか。僕はふと納豆をかき混ぜる手をとめて考えてみた。いつも当たり前だと思っていた現実って、改めて考えてみると一体何だったのだ?2019年まで僕たちが信じていた「現実」なんて、未知のウイルスがやって来ただけで簡単に崩れてしまったじゃないか。まるで海辺に誰かが遊びで作った、壊れやすい砂のお城みたいに。
「もしこの世界の他にも、我々の知らない多くの現実があるのだとしたら」と僕は小さくつぶやいてみた。その声は響くことなくどこかへ消えて行った。そうするとアパートの部屋が一層、その静寂の度合いを強めたような気がした。