儀式の始まり
翌日の朝、僕は目を覚ましてからもベッドに横になって電灯を見上げていた。普段は気にしたこともなかったけれど、寝転んでいると天井って案外遠くにあるものだなと思った。試しに右手を空中に向けて伸ばしてみたけれど、天井はまだずっと先にあった。彼女がいる世界もきっと、こんな風に手の届かない場所にあるに違いなかった。寝ころんだまま思いを巡らせていると、隔離生活って森田療法の臥褥期に似ていると思った。森田正馬によって創始された、神経症を改善させるための治療法。入院で行われるときには最初隔離されて、ひたすら横になっていることを求められる。
今思い出してみると小学校の時すでに、僕は精神的な変調を来たし始めていた。帰り道の黄色い点字ブロックを踏まないようにしたり、何歩で帰らなければならないと自分に暗示をかけてみたり。あれは間違いなく強迫神経症、ノイローゼの初期症状だったのだ。映画「恋愛小説家」でジャック・ニコルソンが演じる主人公も同じような症状を持っていた。彼は映画でハッピーエンドを迎えることが出来たけれど、普通の神経症の人は中々そうはならない。神経症の症状は、積極的に治療しなければ人生にずっと付いて回るのだ。そして大抵の場合、症状は段々ひどくなる。
でも、そんな小さな子供が神経症になってしまうなんてあり得るだろうか?考えられる原因があるとすれば一つだった。それは、家の中に存在していた無言のプレッシャー。東大受験に失敗して地方の国立大学に進んだ父にとって、息子を東大に入れることは正しく悲願だった。そして母も、父の野望に全面的に同調した。いわゆる「お受験」をして通うことになったのは、家から電車で1時間以上かかる場所にある私立の小学校だった。
小学生のころから、東大に入ることは僕にとって厳格に定められたゴールだった。だから学年やクラスで1番を取ることは、当たり前にクリアしなければならないノルマだった。
「クラスでさえ1番を取れない奴が、どうして東大に入れる?」と誰かが言った。父だったか、母だったか、それとも毎日代わる代わるやってくる家庭教師だったのかは覚えていない。でもその言葉は僕の心の奥底に、まるで海底の難破船みたいに深く沈み込んでいた。
試験を控えた週の僕は、まるで刑の宣告を待つ罪人のようだった。試験が近づくにつれて、決まって絶望的な気持ちが僕を支配した。僕は現実から逃れようとして、夜になるとその週に放送される「楽しい」テレビ番組を必死で思い浮かべた。
「そうだ、月曜日はこの番組が見れる、火曜日はこれが見れる・・・」
でも結局、試験から逃れる事なんて出来はしなかった。
小学校からの帰り道に彼女が私服を着ていたことから判断するに、きっと彼女は公立の小学校に入ったのだろう。その事は僕を少しだけ安心させた。両親がスパルタを始めたかどうかは、性別による所が大きかったのかも知れない。僕は布団の中で目を閉じて、深くため息をついた。




