カセットテープと私の世界
冬の寒空の下、彼女はオレンジ色の橋の真ん中に立ち、川の流れを眺めていた…
泣きすぎて目の周りや頬の辺りがヒリヒリする。更にその痛い所を目がけて冷たい風が頬を撫でていく…
香里は何かを決意し、右手をポケットから出した。手には、クシャクシャになった1万円札の束が握られている。そのまま、震える右手を手すりの向こう側へと差し出した。
香里の手からはみ出したお札がバタバタと強風に音を立てる。
また流れ出る涙を合図に、手の平の力を緩める。
一瞬で、手の平にあった物は消えていった…
もう私には必要のない物。
そして、私自身も誰にとっても必要のない物…
『子ども?俺の?いや、そんな事言われてもさ。…ね?俺の母親がお前の事嫌いなの知ってるよね?………………ごめん。これで無かった事にしてくれない?』
その言葉と共に渡された札束は、いくらあったのかも分からない。
でも、分かっていたの。子どもが出来た事を話した瞬間、あなたの中から私の存在ごと無くなる事くらい。
でも、でもね。ちょっとだけ思ってしまったの。
子どもの為に結婚しようって言ってくれるんじゃないかって。私の事が好きだから母親と離れた所で暮らそう。って言ってくれるんじゃないかって……
涙はまだまだ流れ落ちる。この涙と共に、私もあのねずみ色の川に染まろうか…
香里は、左手でお腹を押さえながら、右手で手すりを持ち身体を川の方へ傾けた………
バジャン!!!!
水面に紺色のバッグが浮かんでいる。
「はぁはぁはぁ、間に合ったっ!」
息を切らしながら、高校生くらいの女の子が香里の身体を支えながらアスファルトに座らせていた…
唖然とする香里を見つめながら彼女は言う。
「あなたの辛い思いは、私の世界を幸せにしてくれます!あなたの寂しかった思いは、私の世界を温かくしてくれます!あなたの不安だった思いは、私の世界を笑顔で満ちた世界にしてくれます!」
「あなた、だれ?…なに言って、るの?」
震えながら香里が呟く。
すると、彼女は優しく微笑みながら香里を抱きしめてこう言った。
「生きて……ください。」
抱きしめた手を離した彼女の瞳からは涙が流れていた。
香里はそっと彼女の頬に手をあてた。
彼女は、微笑みながら消えていった。
さっき手放した物とは違う消え方だった…
香里は、しばらくそこに座っていたが、お腹に手を当てそれを守りながら帰宅した。
そして、カセットテープに今日の事を録音した。
1983年12月25日と記して。