六日目
どうも。先日人知れず生涯童貞宣言をしたぼくです。
うん。彼女の恋人をやらせてもらっている以上、下手な真似はできない。
何より、ぼくは惚れた女には紳士でありたいのだ。無理だったけど。本性ずる剥けだけど。
えっと、あれだ。一線を気安く超えたくないのだ。双方の合意の元成立するのがセックスだと思ってる。
というわけで、彼女から何か言われない限りはせめてセクハラ程度に留めたい……いつまで精神力が持つかわからないけど。
それはまぁ置いといて、居間の掃除も終わったし、次はお風呂の掃除しようかな。
前回は主に彼女の暴走のおかげで惨憺たる有様になっていたので今日はちょっと念入りに掃除しておこう。
しつこく震える携帯の電源を切ってから風呂場へ向かう。携帯、変えた方がいいと思うんだけど、金がかかるからって変えてないんだよね。
……相変わらず諦めが悪いなぼくの友人よ。その内ぼくがここにいることバレるんじゃないか?
バレると色々と面倒だ。何より彼女の身が危険だ。ぼくはどうなってもいいけど彼女が傷つくのは許容できない。
いっそぼくの貯金崩して……って思ったけど、ぼくここから出られないんだった。あちゃー。
そんなことを考えながら洗面所のドアを開けた途端、視界の隅に黒い何かが横切った。
「…………ん?」
なんだ?羽虫にしちゃ大きいぞ?しかも心なしかカサカサ言っていたような……
「……いや、いやいやいやいやいやいや」
まさかな?それだけはやめてくれよ?そう誰に言うでもなく風呂場を覗いたぼくは、この世の終わりを感じた。
「あ゛ぇ゛っ」
変な声が出た。いや別の意味でも出た。奴が。別名・黒い彗星。
アイエエエ!?ゴキブリ!?ゴキブリナンデ!?
恥ずかしながら、ぼくは虫全般が苦手である。大量の足がカサカサ動く様を見るだけで失神しそうになるのだ。
マジでアイツら何を考えて生きてるの?他の生き物以上に考えが読めないのが余計怖い。
思わず勢いよく風呂場のドアを閉めた。駄目だ。奴を野放しにするわけにはいかない。
かと言って、このままにしておくこともできない。どうしよう……
「……」
しばし逡巡した後、ぼくは殺虫剤を探しに行った。
存外それはすぐ見つかった。少し前にハエが飛んでたからかな。
赤いラベルの恐らくもっとも有名な殺虫剤を携えて洗面所に戻る。
そうしてドアの前で数回深呼吸する。
いざや、行かん。
一瞬で覚悟を決めたぼくは助さん……?あれどっちだっけ?まぁいいや!水戸黄門の部下が印籠を掲げるように殺虫剤を突きだして勢いよく噴射した。
ノズルから噴き出す白い煙は容赦なく黒い物体を襲う。
そうしてしばらくした後、
「う゛う゛う゛う゛っ」
奴はまるで最後の悪あがきとでも言うように激しく這いずりだした!この時点でぼくのメンタルは限界である。
耐え切れなくなって再びドアを閉めた。このまま死ぬまで閉じ込め続けられればいいんだけどな!?
そしてそのまま、ぼくはうろうろとドアの前で行ったり来たりを繰り返していると、
「ただいま」
「!!」
ぼくはその声を聞くや否や猛スピードで玄関へ飛び込み、勢いのまま彼女のお腹に抱き着いた。
「うっ……なんだ、どうした」
「ふ、う゛う゛、うぅぅ……怖がっだ……」
「……何かあったのか?」
「アレ、出だぁ゛……」
正直もう駄目だった。恥も外聞もなくぼくは恋人に縋り付いたまま泣き出した。
黒歴史レベルで恥ずかしいことしてる自覚はある。でも奴が大嫌いな人はきっとわかってくれるはずだ。
「……ゴキブリか?」
「あーっ!ああーーーっ!!やだやだ聞こえないッ!」
思わずかぶりを振って必死に遮る。今は名前も聞きたくないんだ。
「……しょうがねーな。わかったからまずは泣き止めよ」
「やだ……ぼくの恋人男前……ぼく男やめたい……」
「やめたら本気で殴るからな。で、どこにいるんだ」
「お風呂場……」
「よし。ぶち殺す。」
心なしか殺気立ってるように見えるのはぼくの勘違いかな……だといいな……
丸めた新聞紙を持って洗面所へいく彼女の勇ましい背中を見ながら、ぼくらってやっぱ性別逆だよな……と思わざるを得なかった。
その後、奴がどうなったかは……言いたくない。