前編
夕方、ひとりの男が高層ビルの下に立っていた。雨宿りをするためである。男のほかに人影はいない。本当であれば、もっと多くのひとがいてもおかしくはないだろう。だが、もうそこは、いつもの日常ではなかった。
あの日、世界からすべての機械が沈黙した。テレビや車はただの箱となり、スマホから光は失われた。もう、電気も水も供給されない。テレビのアナウンサーは最後にこう言っていた。
「アメリカが核攻撃をうけました」と。
そのニュースを最後に、機械はすべて使えなくなった。たぶん、核攻撃を受けたのだろう。高高度で核爆発が起きると、電子機器が使えなくなるとテレビでみたことがある。多くの人はパニックに陥った。地下鉄に人々は我先にと殺到した。しかし、いくら待っても、大きな爆発は起きなかった。
おれたちは、最初、「助かった」と大喜びした。本当の地獄がはじまったことを知らずに。
機械がすべて失われたことにより、物流は絶たれ、町から光と水は消え去った。すぐに暴動や略奪が発生し、少ない資源の奪い合いが起きたのだった。体力がない弱いものからどんどんと死んでいった。現金はもう紙屑となり、ひとびとは家にある物を交換しなんとか食いつないでいる状態だ。
このままではおれも死んでしまう。しかし、犯罪者になるような勇気はおれにはなかった。ひとから物を奪うということがどうしようもなく怖いのだ。おれのようなチキンは、このまま死んでいく運命なのかもしれない。
ここももう廃墟か。おれはそう思って、ビルを見上げた。人生の勝ち組が住んでいただろうビルも、もう誰もいないはずだ。そう思っていると、窓から人影が見えた。
「おかしいな」
なぜだか、おれはその人影が無性に気になった。雨はいまだに降り続いている。どうせ雨は降り続ける。中で待つか。なにもしなくたって、おれはこのまま死んでいくんだしという諦めとともに、おれは建物のなかにむかった。