第83話 取り巻きはお好きですか? 1
「八谷さん、あなたも早く着替えなさい」
「え、早く着替えなさいって……まだ演劇の役も決まってないのに衣装があるの?」
悠々と脱衣する高梨を尻目に、八谷は制服に手をかけられずにいた。
「実はあるのよ。家にあったのを適当に持って来たわ」
「え、ええ……高梨さんってもしかしてお金持ちなの?」
「そこそこかしらね。最終的には返してもらうからそこまで気にしなくていいわ」
「そうなんだ……知らなかったわ、ありがとう。でも、衣装に着替えるのなんて本番だけでいいんじゃ……練習中にまで着替える必要あるのかしら」
「練習中も着てた方が身がしゃきっとするでしょう。取り敢えず人数分持って来たから八谷さんも早く着替えておきなさい」
「わ、分かったわよ」
八谷も高梨に倣い、脱衣し始めた。
「着替えは使用人に持ってきてもらったわ。今頃教室にいた女の子たちも移動して着替え始めてる頃じゃないかしら。私たちの分はここにあるわ」
高梨は学生鞄を開き、二着の衣装を取り出した。
「使用人もいるのね……高梨さん、どれだけお金持ちなのよ」
八谷は高梨から衣装を受け取った。
「高梨さん……」
「何かしら」
八谷は脱衣する前に、高梨を見た。
高梨は下着のまま衣装を持ち、悠然とたたずんでいた。
「早く着替えないの?」
「私は服を着てるのがあまり好きじゃないのよ。開放感がないかしら?」
「いや、ないわよ」
高梨は下着のまま教室内を歩き回り、煽情的なポーズをとる。
「ちょっと、いくら鍵を閉めてるからって高梨さん、ちょっとはしたないわよ。早く着替えた方がいいわよ」
「あらあら、そうかしら。でも私の体、綺麗じゃないかしら?」
「そ、そりゃ綺麗だけど……」
八谷は目のやりどころに困り、目を逸らす。
「まあ、あまり女性が生身の肌を露出するのもよろしくないわね。八谷さんも早く着替えなさい」
「分かってるわよ」
高梨は元の席に足を向け、八谷はスカートを脱いだ瞬間、
「恭子、高梨、すまん!」
ロッカーから、櫻井が飛び出してきた。
「き、きゃぁっ! 何してるのよ聡助!」
「あらあら聡助君、こんにちはね」
八谷は即座に体を隠す。
「す、すまん! これには訳があって!」
「訳があってじゃないわよ! 早く高梨さんも体隠しなさいよ!」
「ち、違うんだ! 話を聞いてくれ!」
「早く出て行ってよ! 聡助のえっち!」
「ご、ごめん!」
櫻井は一目散に教室を出た。
「な、何なの!? え!?」
「八谷さん、うろたえすぎよ」
「高梨さんはうろたえなさすぎよ!」
八谷は教室の扉に再び鍵をかける。
「は、は、裸見られちゃった……」
ずるずると、顔を赤くして八谷はその場にくずおれた。
「大げさね、八谷さんは」
「あ、あんたがおかしいのよ!」
びし、と高梨を指さす。
「でも……」
思い出すように、呟いた。
「もしかして、聡助さっきの話聞こえてたりしたのかな……」
「さあ、どうかしら。ロッカーは密閉空間よ。案外話してることは分かっても話の内容までは分からなかったんじゃないかしら」
「そ……そうかな」
「不安なら後で聡助君に訊いてみなさいよ」
「そ……そうね」
赤石の話を聞いて動揺したことは、櫻井に伝わっているのか。自分の言葉は櫻井に聞こえてしまっていたのか。
「~~~~~~!」
八谷は顔を赤くして、手に持っていた服で顔を隠した。
高梨は微笑を浮かべながら、服を着替え始めた。
「そ、聡助!」
「お、おお、恭子」
八谷と高梨は着替え終わった後に、まだ練習が始まっていない空き教室に足を運んだ。
「なんでさっきはあんなところにいたのよ!」
八谷は顔を赤らめながら櫻井に詰め寄る。
「い、いやあ、そのな、俺もあの後トイレ行ったんだけどさ、帰りに開ける教室間違っちまってさ。そしたらお前らの声が聞こえて来たから反射的に、慌ててロッカールームの中に隠れちまったんだ。それで、どんどん出ていくにも出ていけない状況になって……」
「もう、聡助の馬鹿! いっつもそうなんだから!」
肩をそびやかし、八谷は怒る。
「ところで聡助君、私たちの話は聞こえたかしら?」
「あ、ああ、何か話してたのは分かったんだけど何話してるかまでは分からなかったぜ……」
「そう、やっぱりそうなのね」
八谷はほっと胸をなでおろした。
「じゃあ恭子、高梨、役決めようぜ!」
「そ、そうね! 早く決めましょう!」
「そうね。誰がジュリエットの座につくかしら」
八谷と高梨は櫻井に背中を押されながら、演劇の練習を開始した。
翌日――
赤石は掃除を手早く終わらせ、教室へと向かっていた。
「おい赤石!」
「……?」
足早に教室に向かう赤石に、声がかけられた。
振り向くと、そこには櫻井がいた。
「赤石! どうしたんだ、今暇か?」
「……何の用だよ」
「おいおい、そうつれない事言うなよ! 俺たち友達だろ?」
気軽に赤石の肩をポンポンと叩き、櫻井は赤石の横についた。
友達だと思ったことは一度もない。どうして今頃になって自分に絡んで来るのか。
赤石は非難の目を向けながら、考えていた。
「あ」
櫻井は一言大きく呟くと、立ち止まった。
「……」
「ごめん、赤石、ちょっと待っててくれ」
そう言うと、櫻井は前方に駆けだした。
赤石は櫻井の行動を眺める。
櫻井が駆けた方向には、文化祭の準備をし、大型のクーラーボックスを運んでいる男女がいた。
「大丈夫ですか? 俺手伝いますよ」
「え……い、いや、大丈夫です」
櫻井は女子学生に声をかけ、助力を申し出た。
「いやいや、手伝いますって。ほら、女の子は非力だしこういう力仕事は男に任せた方がいいって」
「は、はあ……」
女子学生は渋々櫻井に代わり、後方を歩き出した。
女子学生と共に運んでいた男子学生は渋面を張り付け、櫻井を見る。
どうも、どちらとも知り合いではないらしい、と赤石は理解する。
櫻井は後方で歩いていた女子学生に声をかけた。
「どこから運んでたんですか?」
「えっと……五組からです」
「へぇ~、じゃあ結構遠かったでしょ。女の子なのに頑張り屋さんだね」
「あ、あはは……」
苦笑いをしながら、女子学生は対応する。男子学生はその間、一度も話をしなかった。
「あ、ここです」
女子学生は五組の前で立ち止まり、櫻井はクーラーボックスを置いた。
「あ、すいません、ありがとうございました」
「ありがとうございました」
男子学生は取って付けたような感謝をし、櫻井は笑顔で対応した。
額の汗をぬぐいながら、赤石の下へと戻って来る。
「いやあ、やっぱり人間は手伝って生きてかなきゃな!」
あたかも善人気取りでクーラーボックスを運び、それがあたかも正しい行いであるかのような顔をして、帰って来た。
狂ってる。
櫻井の中に、狂気を感じた。
見知らぬ女子学生を手伝い、それが間違いだとも思っていないこの態度。一般的に見ればそれは間違いではなかったんだろう。
だが、男女でクーラーボックスを運んでいるその状況が気に食わなかったんじゃないのか。女は全て自分のことを見ていて欲しい、そういう薄汚れた欲望が、あのような行動をさせたんじゃないのか。
男女とはいえ、クーラーボックスを運ぶのに苦労していたような気配はなかった。互いに雑談を交わしながら文化祭の準備をしている男女が気に食わなかったんじゃないのか。それが故に、水を差した。
そしてあたかも善人気取りで、女の助力を申し出た。
助力という形であるので、簡単に申し出を断ることも出来ず、それでいて自らの評判を上げる行為。あの人は人が困っている時に手助けをするような男だ、と。
男女の和やかな空間をぶち壊し、女には自分が優しい男であると印象付け、沽券をすら上げる悪辣な厚意。ただただ櫻井だけが得をする。
そしてその下心が悟られないように、互助の精神だと、あたかも善行を成し遂げたかのような笑顔で戻って来る櫻井。ありとあらゆる櫻井の下心を詰め込んだような、一幕だった。
「いやあ、女の子には重い物持たしちゃ駄目だよな!」
「そうだな……」
赤石は一切の同感もないまま、無感動な相槌を打った。




