第79話 嫌われることはお好きですか? 3
櫻井たちに脚本の訂正紙を渡し、教室に向かっている最中、赤石は漫然と櫻井たちの様子を追想していた。
何があったのかは分からなかったが、にらみ合う高梨と平田。
その二人の舌戦を遠巻きながら傍観する演劇班のクラスメイト達。
例によって櫻井は取り巻き達と話し、八谷も例に漏れず、櫻井の周りでハーレムの一員となっていた。
「……」
別にいいんじゃないだろうか。
無意識に、急ぎ足になる。腹の奥に溜まった苛立ちが、赤石の所作に出る。
別に、八谷と仲違いをしたままでもいいんじゃないのか。どうして八谷に謝ろうとしているのか。どうしてまたその仲を取り戻そうとしているのか。
そんなことが、実際に必要なのか。
変わると、決めた。
人を信じたいと、人を愛したいと、決めた。
だが、それが八谷である必要があるのか。別に、このまま仲違いをしたままでもいいんじゃないのか。いや、いいに決まっている。
苛立ちは赤石の心理に大きく影響する。
変わるとは言った。だが、八谷が拒んでいる今の状況を押し通そうとするのは変わるということではない。それは単なる自分のエゴだ。
今までの自分を踏襲して、それでも自分の意志に従って動くということだ。無理を押し通すことでは、決してない。
赤石はそう自分に言い聞かせて、教室へと速足で戻った。
言い聞かせて、言い含めて、およそ考えの及ばない所に、置いておいた。
教室に戻った赤石は三矢と山本に声をかけた。
「渡してきたぞ」
「おお、アカ。渡してきたんか。じゃあ映画製作始めるか?」
「そうでござるな、三矢殿、アカ殿」
山本と三矢は軽く伸びをし、カメラをセットし始めた。
「でも……」
山本は教室の中を軽く見渡す。
「これは困りましたなぁ……」
一言、呟いた。
三人は映画製作に携わる生徒たちに目を向けた。
「んでさ~、ツナってマグロから出来てるとか知らなくてさ~」
「馬鹿だなぁ~、ツナは英語でマグロって言うんだぜ?」
「ねぇ朱莉昨日のドラマ見たぁ~? ユウキ、超格好良かったぁ~」
「ほんとそれ! 超格好良かったぁ~」
「なぁお前映画製作の台本見たよ?」
「あぁ~……それね」
銘々が秩序なく雑談に興じ、映画製作を始めるような雰囲気は整っていなかった。
これじゃあ演劇班のことを言えないな、とため息を吐く。
「ほな、俺らで映画製作しとくからアカは帰ってええぞ」
「そうでござるよ、アカ殿は返っていいでござるよ」
「……ああ」
三矢と山本は赤石に声をかけ、赤石は宙ぶらりな返答を返す。
帰ってしまっていいのか、という漫然とした疑問。
「……」
「どうしたんやアカ、帰らんのか? お前は脚本やってくれたんやから別におらんでも大丈夫やぞ? ほんまは帰りたいとか思っとんちゃうんか?」
「……まあ」
生産性のない文化祭の準備。実際に準備をしたとしても得るものはなく、ただただ時間だけが空費されていく。そのはず。事実、無駄な時間だとは、赤石も思っていた。
だが、残ってみたかった。文化祭という非効率的な学校行事を頑張ってみたいと、そう思った。それが、赤石の本音であり、本心。
何より、自分で脚本を書いたものの帰趨が、気になった。
「俺も手伝っていいか? 脚本書いた奴がいた方が何かと便利だろ?」
「お……おお、アカ、お前も一緒にやるんか。ほな、この映画製作の人選決めよか」
三矢はたむろするクラスメイトの下に歩んだ。
「ちょっと、皆聞いてくれへんか? 俺ら今から映画の人選したいんやけど、誰かこのヒロイン、青葉の役やりたい人おらへんか?」
「…………」
「…………」
「…………」
静寂。
三矢の言葉を聞いたクラスメイトは、途端に押し黙った。
「誰か、おらへんのか……?」
予想外の反応に、三矢は困惑する。
「だって……こんな話じゃねぇ?」
「私もこんなヒロインの役絶対やりたくないんだけど」
「分かる。これ文化祭の日、一日中流されるんでしょ? 絶対嫌だよね」
「「分かる~~~~」」
女生徒たちは雑談し、誰もが誰かを人身御供にしようと、互いに押し合う。だが、誰も出て来ない。
「あのさ……」
一人の女が呟いた。
「私らこんな役絶対やりたくないからさ、モブの一人とかで良くない? これからもちゃんと文化祭の準備参加するからさ、今日で適当に配役決めといてよ。私ら帰るからさ。どうせこれ一日中かかるでしょ?」
「え……は?」
「私も~、絶対こんな役やりたくない」
「私もやりたくな~い」
「じゃあお疲れ~、また明日からモブが必要な時は呼んでね~」
「わ……私も帰る……」
「え……いや、ちょっと……!」
ある一人の女生徒の発言を皮切りに、クラスメイトの女子たちが連れ立って帰り始めた。
「えぇ……嘘やろ」
三矢は帰り行く女生徒たちの背中を見ながら、ぽつりと呟く。
結局、誰一人として女生徒は残らなかった。
赤石は三矢の横に歩み寄った。
「最悪の結果だな」
山本もまた歩み寄る。
「そうでござるな……どうすればいいんでござるかね……」
「まさか女が一人も残らんとは思わんかったわ……」
自主製作映画の配役に不服があったという要因と、狂人だと思われている赤石と過度に接することを恐れたが故の行動だった。
「どうすればええんや……」
「男が女装するしかないな」
「アホ抜かせ! ストーリーラインに関わらんのにそんなことしたら滅茶苦茶映画の質下がるやないかい! ちょっとは考えんかいボケ!」
「いや、口悪すぎるだろ」
「アカ殿、三矢殿は関西人が故、口が悪いんでござる。許して下され」
「いや、関西人関係あらへんわヤマタケボケェ!」
ぎゃーぎゃーと三矢と山本はいつもの無駄なやり取りを交わす。
「でも……本当にこれは困ったな。どうしようか」
「まぁ……取り敢えず男の配役決めるしかないやろなぁ。おーい、皆聞いてくれ!」
三矢は男子生徒たちに声をかけた。
「この映画の志田役やりたい人、誰かおらへんか?」
「…………」
「……」
男子生徒たちもまた、互いに顔を見合う。
「じゃあこっちは主人公の乱藤役やりたい人は……?」
「…………」
「……」
同じ反応。男たちもまた、演じてみたいという生徒はいなかった。
「どうなっとんねん! お前らそれでも男か!?」
「いや。だってなぁ……」
「あぁ……」
「この脚本、どの役も絶対いい思いしないだろ……」
「本当に……」
気まずい顔で男たちも顔を見合わせる。
「なあ、俺たちも今日は一旦帰っていいか? 誰もやりたい奴いねぇんだよ。もう帰っていいか? 俺らこんな役やりたくねぇよ……」
「俺も……」
「俺もやりたくねぇ……」
男たちは口々に愚痴を言い、学生鞄を持って帰り始めた。
「お……おい、お前らそれやったらこれ完成せぇへんぞ!」
「まぁ……どうにかなるだろ」
「そ……そんなアホなこと……」
三矢が声をかけるが、男たちは止まらない。
ついに、教室には赤石と三矢と山本だけが残ることになった。




