第77話 嫌われることはお好きですか? 1
見慣れたはずの通学路。
見慣れたはずの学校。
見慣れたはずの、生徒たち。
だが、久しぶりに来た学校は、赤石にとっては少し違って見えた。
「……」
教室の前、赤石は小さく深呼吸をする。
神奈と融和し、高梨に諭され、自分の愚かさを知った赤石。
その愚かさとどう向き合っていくのか、これからどう過ごしていくべきなのか。答えは出ないものの、赤石はその覚悟をもってして、日常生活に臨む。そういう心意気だった。
「……」
よし、と心中で覚悟し、赤石は教室の扉を開けた。
ガラララ。
「それで須田君がさぁ~」
「えぇ~、信じられなぁい!」
雑談する女子生徒。
「おい、昨日のボス戦、上手いこといったなぁ!」
「本当、マジ上手いこといってよかったわぁ!」
ゲームの話をする男子生徒。
喧喧諤諤。
教室の中は、いつもと変わらない日常の風景を映し出していた。
赤石が扉を開けたことを感知した学生も多かったが、興味を示さず、また友達との雑談に勤しんだ。
前回教室の雰囲気を悪くした、と言われたことを思い出したが、赤石を罰するような雰囲気は醸成されていなかった。
それは、平田の事件の際にその狂人らしさを前面に出した赤石の業であり、その狂人と積極的に関わっていこうとする人間がいないことに起因する。
その風潮を感謝すべきか悲しむべきか、とにもかくにも、生徒からの当たりが強くなかったことに胸をなでおろし、赤石は自席に足を運んだ。
が――
「赤石」
「……」
その途中、櫻井に呼び止められた。
「……」
「……」
教室内が、一斉に静まる。
友達と語り合い、赤石に一切の興味を示さなかった生徒たちが黙り込み、赤石と櫻井の帰趨を見届けようと、沈黙する。
「……」
赤石は櫻井を貶めるような言を発した。その言は櫻井を含めごくごく一部の人間にしか標的にしていないものであった。
櫻井が赤石に声をかけなければ避けられた、重苦しい雰囲気。櫻井は自ら、その空気を作り出した。
櫻井は、己の行為が絶対的な正義であると信じている。
そう、感じた。
赤石は櫻井に身体を向ける。
「赤石、お前何か言うことないか?」
「…………」
言うことがないか。婉曲的に、櫻井は謝罪を要求した。
教室内に重苦しい沈黙が充満し、その櫻井の言はクラスにいる生徒たちの殆どに聞こえていた。
「……っ」
赤石は歯噛みする。
やられた。
そう、即座に理解した。
何か言うことがないのか。
そう問い尋ねる櫻井の心理。
一方的に赤石を悪だと決めつけ、それをクラス中の生徒たちに見せつける。
直截的には赤石に謝罪を要求している訳ではない。が、クラスの誰から見ても、赤石が謝罪をしなければいけない空気が醸成されていたのは確かだった。
赤石がそれを断り、櫻井を貶めたとすれば、悪であるのにも関わらず謝罪すらしない人間だと、クラスの生徒たちから認識される。
だが、謝罪をしたとしても、その悪を認めることになり、赤石が一方的に悪かったことが証明される。
櫻井は、悪意を操作することに、人一倍長けていた。民衆の悪意を操作し、誰かを悪人に仕立て上げることに、人一倍長けていた。
赤石は無言で櫻井を見る。
どうするべきか。
謝罪か、口撃か。
「赤石」
櫻井は返答を急かす。
赤石は一瞬の逡巡の後――
「この間は悪かった。イライラしてたからキツい言葉を使った。ごめん」
櫻井と、その周りを取り囲んでいる取り巻きに頭を下げた。
ここで櫻井を含めクラスメイト達に叛意を翻すことは得策ではない。また、前回に至っては自身の弁がただの八つ当たりであることも認めていた。
櫻井はその赤石の様子を満足げに見下ろすと――
「まぁ、誰にでもイライラしてる時はあるよな! 俺は許すし、皆も許すよな?」
明るい空気を作りながら、取り巻きに振り返った。
取り巻きは皆、こくりと頷いた。
「さ、まぁ前のことは水に流して、また今日から頑張ろうぜ!」
櫻井は赤石の背中を叩き、赤石はそのまま自席に着いた。
「……っ」
水に流れる訳なんて、ない。
赤石は嫌悪の色を目に浮かばせながら、歩く。
櫻井が明るく振舞い、赤石を許したことをクラス中に示したことで、また先程の喧騒を取り戻した。重苦しい雰囲気は解消され、件の問題は決着したかに思われた。
その帰趨を見守った生徒たちは赤石たちに興味を失し、友達との雑談に興じた。
だが、水に流れたわけでは、なかった。
ここで、クラスメイト達の脳裏にはある相関関係が焼き付いた。
赤石は悪であり、その悪を許す櫻井は善である、と。
赤石の行為は一般的に褒められたものでもない、ただの八つ当たりではあったが、その言に間違いはなかった。
だが、櫻井が赤石に謝罪を要求したことで、赤石と櫻井の間の関係はそこで決定した。
結果自体は水に流れても、過程は水に流れない。
赤石は人の印象を操作する櫻井の驚異的な手腕を、恐れた。
何より、『カオフ』であれだけ自分のことを貶したのにも関わらず、まるで何事もなかったかのように接してくる櫻井が、怖かった。
その日の清掃時間。
赤石は例によって、八谷と掃除をしていた。
その場にいるのは赤石と八谷、共に階段の掃除をしていた。
赤石は自分の過ちを認める。そう、決意した。
赤石は八谷の下へ歩き出した。
「なぁ、やつが――」
「話しかけないで」
「……」
決別。
決別ですらない、別離。
赤井は話す機会すら設けられず、一蹴された。
赤石は足を止める。だが、諦めない。
「なぁ、八谷、話したいことがある」
「私はないわよ。早く自分の掃除場所戻って」
「……おいお前」
自分の過ちを認めて、そうして謝ろうとしているのに、その機会すらもらえない。
どうしてこんなにも上手くいかないのか。
赤石は多少の苛立ちを覚えた。
「おい八谷、ちょっとくらい話をき――」
「触らないでよ!」
「……っ!」
距離を取る八谷の肩を掴んだ赤石は、大喝された。
八谷の悲痛な叫び声が、掃除場所に響き渡る。
赤石はすくみ、うろたえた。
「止めてよ……」
八谷はか細い声で呟き、俯いた。
「おぉーい、どうかしたのかー?」
八谷の悲鳴を聞いたクラスメイトが、赤石たちの下にやって来た。
「あれ……? なんかあった……」
赤石たちの様子を見た男子生徒は、どもった。
赤石が自身の掃除場所を離れ、八谷の下にいる。
そして、八谷は俯き、赤石と妙な距離が開いている。どう見ても、異常な光景。
赤石が狂人であると認知されている今の状況から、赤石が八谷に何かしらの加害を負わせたと、男子生徒はそう考えた。
「え……嘘……八谷さん!?」
男子生徒は八谷に駆け寄る。
「ちょっとしんどかったから体制を崩しちゃっただけ、大丈夫よ」
「そ…………そう」
が、八谷の一喝で男子生徒は動きを止め、油のような汗を垂らしながら、元の掃除場所へと帰った。
「……」
「早く戻りなさいよ」
「……分かった」
赤石は踵を返し、自身の掃除場所へと戻った。
赤石がクラスメイトに負の感情をもってして認識されている分、八谷が赤石と話したくないという今、会話をすることは困難だった。
かたや発狂し、櫻井にとがめられる悪人。
かたや校内でも随一の美貌を持ち、その凶暴な性格から男子生徒の人気も高い八谷。
平田に責められ一度は腫れ物を触るように扱われたものの、赤石がそれを咎めることで、八谷は平穏無事を取り戻した。
その野生児らしい自然な容姿の美しさを売りにしていた八谷が平田に絡まれるという事件を契機に、八谷を守る親衛隊のような集団が出来ていた。
八谷はそのはかない心の弱さと、快活で野生児じみた自然の容貌のギャップで、さらに男子生徒の心を掴んでいた。
赤石と八谷の乖離は、明らかだった。
行動に移したくとも移せない。
赤石は心の奥底にもやもやとしたものを抱えながら、掃除を再開した。




