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ラブコメの主人公はお好きですか?  作者: 利苗 誓
第2章 文化祭 前編
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第75話 神奈の心はお好きですか? 4



「先生……」

「……」


 神奈を一心に見る赤石と相反し、神奈は畳に目を落とす。

 神奈は徐に、口を開いた。


「そ……そうだ、お茶があるのに茶菓子がねぇな。ちょっと取ってくるわ」

「いりませんから」


 席を外すための免罪符のような理由を並び立てる神奈を、赤石は一喝する。


「逃げないで下さい」

「…………」


 神奈は浮かしていた腰を、改めて下ろした。


「…………」

「…………」


 言葉が、継がれない。

 互いが互いを牽制し合い、言いたいことは分かっているのにも関わらず、何も言い出せない。話の切り口が、見つからない。


「……」

「……ここ、良い家ですね」

「そうか……」


 話を始めようと赤石は口を開くが、話題は広がらない。


「……」

「……」

「先生……」

「なんだ……」

「話したいことがあります」

「……」


 神奈は落としていた視線を、しっかりと赤石に向けた。

 赤石もまた、落ち着いた表情で神奈を見る。


「先生……これ、分かりますか?」


 赤石はつけていたマスクを、外した。


「…………っ」


 驚き、神奈は目を剥く。

 赤石の頬は、腫れていた。


「そ…………そんなに……私は…………う……」

「いや、これはさっき高梨に叩かれた分です」


 恐らく勘違いをしているだろうな、と思った赤石は最初に断っておく。


「でも、先生に叩かれたものも蓄積されてますからね」

「………………ごめんなさい」


 視線を落として、神奈は謝った。

 

「ごめんなさいじゃ……ないですよね?」

「……」


 なだめすかすように、とめどなく、話す。


「先生……先生って、なんで先生って言われると思いますか?」

「…………?」


 怒られると思っていた神奈は、少し怯えながら赤石の発言の意図を汲み取ろうとする。


「先生って言われるのは、学校の教師だけじゃないですよね。弁護士とか漫画家とか小説家とか、医者とかもそうですよね」

「……そうだな」

「れっきとした先生の意味合いというのはあるんだと思います。でも、でも俺は……」


 一拍。


「自分の為に何かをしてくれる、尊敬できる人を、先生と呼ぶんじゃないかと思います」

「…………」


 それは、赤石の個人的な思考。通俗的なものではなく、狭義で、独りよがりな思考。


「その意味合いで言うのなら……昨日の先生は、少なくとも俺は先生とは言えません」

「…………そうだな」


 小さく、呟くような返答が返って来る。


「職務怠慢に加えて、私情を持ち込んで、挙句生徒に怒り心頭で暴力を振るうなんてもってのほかだと思います」

「…………その通りだ」

「昨日の今日ではありますけど、生徒に教えることを放棄して今みたいに風邪のフリをするのも、俺は違うと思います」

「…………そうだよ、風邪なんかじゃねぇよ」


 神奈はマスクを外し、着込んでいた服を脱いだ。 


「それが、先生なんですか? それが、正しい先生としての在り方なんですか? 生徒の行く末を閉ざすようなことをする……それが、先生なんですか?」

「…………ごめんなさい」


 細々と、いつもの溌剌な声とは違う細々とした声が、神奈から出ているとは思えない力の弱い声が、出てくる。


「正しいことを認めないで、間違っていることを押し付けるような……それが、教師なんですか? それが、正しい先生の在り方なんですか?」

「……ごめんなさい」

「先生はそれを正しいと思ってるですか? 生徒に自分の悪意をぶつけるのが、正しいと、本気でそう思ってるんですか?」

「…………ごめんなさい、ごめんなさい」


 ぽろぽろと涙が畳に落ちる。


「でも…………」


 言葉に詰まった。


「でも…………」


 悪意を他人にぶつける。

 それは、


「俺も同じですよ……」

「…………え」


 自嘲するような顔で、呟いた。


「俺も、同じですよ。自分の悪意を、先生にぶつけた。先生の悪意を増長させるような言葉を、使いました」

「…………そんなことは」

「そんなことは、ありますよね。俺も、先生と同じことをしてたんですよ…………」


 伏し目がちに、睥睨する。

 自分に足りない何かを見るように、自分の中の何かを探し出すように、言葉を紡ぐ。


「俺も先生も、間違ってたんですよ」

「間違ってなんて、ない!」


 叫声が、客間に響き渡った。


「私は……間違ってた…………」


 うるんだ瞳で、赤石を見る。


「けど…………お前は、間違ってなかったよ……」


 視線を落とし、神奈は頭を下げた。


「赤石…………ごめん、ごめんなさい……ごめんなさい……」


 大粒の涙が、とめどなく神奈の目元から流れ落ちる。

 ぼたぼたと、畳に涙が当たる音がする。


「…………先生、俺も、俺も、悪かったです。先生だけが悪いだけじゃ、ないんです。すいません……すみませんでした」


 赤石も頭を下げる。

 神奈と赤石は共に、頭を下げあっていた。


 赤石は無言で泣き続ける神奈と相対した。


「……」

「うっ…………うっ…………」


 部屋に、神奈の嗚咽だけが響く。


「うぅ…………ぐ……」

「……」 


 あぁ。


「……」


 人間なんだな。


 そう、思った。

 同じ、人間なんだなと、そう、思った。


 先生は、とかく神聖な職業として見られる。

 年の差もあり、間違いの一切ない人間だと、とかくそういう風に思われがちだ。


 だが。

 だが、神奈も赤石と同じく、一人の人間だった。

 一人前にもなり切れず、一人の人間として恋をして、一人の人間として生きていた。自分と何も変わらない、同じ人間。


 そう、思った。


「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 誰に向けて言っているのかも分からない謝罪をし続ける。


 自分の悪意をぶつける人間は、神奈である必要性はなかった。

 神奈なら受け入れてくれると思ったから。それも、あった。

 だが、一番の原因は、自分の慕う高梨と八谷が、自分の嫌悪する櫻井に頭を撫でられ額をつけられて喜んでいる姿を見ることで、溜まりこんだストレスだった。


 ずっとずっと溜まりこんだストレスが、神奈と二人きりという好条件の時に重なり、爆発した。

 神奈である必要はなかった。その事実が、より一層赤石を苦しめた。


「先生……」

「……」


 神奈が、首をもたげた。涙で潤んだ瞳が、赤石を捉える。


「先生は、間違ってます」

「…………」


 再度、視線を落とす。


「でも、俺も間違ってます」

「…………」


 諭すように。


「いや、違いますかね……」


 一拍。


「俺たちは、間違ってました」

「…………」


 すとん、と、胸に落ちた気がした。

 何かわだかまりのようなものが崩れる音がした気がした。


「間違ってました、そう言えるように、なるべきだと思います」

「…………」

「先生も俺も、一人の人間です。自分の感情を制御しきって生きていく、そんな聖人なんかじゃ、ありません」

「…………」

「時には怒りますし、喜びますし、悲しみますし、嫉妬だってします」

「…………」

「先生も……そうですよね」

「…………」


 こくん、と神奈は頷く。


「先生……」

「…………」

「過ちは、直していきましょう」

「…………」

「俺も先生も、間違っていたことは間違ってたと自認して、そうして直していきましょう」

「…………うぅ」


 神奈の嗚咽が、漏れる。


 許せない事なのかもしれない。

 怠惰、色欲、強欲、憤怒、虚飾、傲慢、嫉妬。

 先生という立場にも拘らず生徒を殴り、悪意をぶつけるような人間は、許されるべきではないのかもしれない。

 赤石自身、許したいとは思わない。


 でも。


 でも。


 でも、許してやりたかった。


 神奈を、許してやりたかった。


 平田の件で、神奈に誠実性を感じた。

 表も裏もない神奈を信じたいと思った。


 なら。


 なら、許してやればいい。

 過ちは、一緒に乗り越えればいい。


 人を、好きになりたい。

 

 赤石は、人を好きになりたい。


 一緒に学んで、一緒に成長して。


 神奈を許して、共に、成長したい。


 まずは人を好きになる所から、人を受け入れるところから、始めたい。


「ごめんなさい…………ごめんなさい…………赤石……ごめんなさい」

「…………」


 神奈は額を畳に擦りつけ、謝り続けていた。


 人の間違いを受け入れられるようになりたい。

 人として間違うこともある。

 そんな間違いを、受け入れてあげたい。


 間違っていたなら、修正すればいい。

 自分も、間違ったんだから。

 間違っていたのかどうかは分からない。でもそれでも、変わりたいと、自分で願った。


 なら。

 そうなら。


 神奈も、自分の過ちを恥じているはずだ。

 

「先生……」


 赤石は神奈に寄り添った。


「過ちを受け入れて、自分の間違いを認めて、自分の弱さを認めて、そうやって成長していきましょうよ」

「…………うぅぅ……」

「先生、俺も、すみませんでした」


 客間の一室には、神奈の涙声と謝罪の声が、長く、長く響いていた。



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