第74話 神奈の心はお好きですか? 3
「出た~~~~~~………………」
雲も晴れ、わずかに日の光が照り付ける蒼穹の下、赤石は茫然としていた。
赤石と高梨の前には年季の入った巨大な屋敷があり、ただただ茫然としていた。
古き良き日本の家宅を彷彿とさせる屋敷。その屋敷の周囲を広く長い塀が囲んでおり、およそ屋敷の全容が分からない程の大きさだった。
「ここが神奈先生の家よ、赤石君」
「はい」
名のある地主のような大きな屋敷に住む神奈を、赤石は例によって穿った目で見る。
八谷は素封家であり、神奈もまた素封家だった。
どうしてこう、ラブコメに出てくるようなヒロインは総じて令嬢や素封家が多いんだろう、と疑問に思う。一般家庭並みの庶民的な家に住む赤石には、理解が出来なかった。
富裕層の住まう地域にでも移住してしまったかのような感覚にとらわれる。
立て続けにラブコメのヒロインたる八谷と神奈が金持ちだったことを不審に思った赤石は高梨を見た。
まさか……。
「高梨、お前もしかして金持ちだったり……」
「……? お金持ちなのかどうかは知らないけれど、マンションをいくつか持ってるわね。私の父はIT企業の社長なのよ。メーカー、ピグリオールの社長は私の父よ」
「…………」
出た~~~~…………。
「私が勉強も運動も出来るのも、芸術方面に秀でてるのも、全部私がやらされてきたからなのよ」という高梨の語りを聞き流しながら、赤石は疲れ切った目を向ける。
八谷と神奈に続き、高梨までもが金持ちだった。
そういえば絵を描けるのも英才教育の賜物と言っていたな、と思い出す。IT企業の社長を父に持ち、マンションをも保有する高梨。そして叔父は高校の校長。
もう櫻井の取り巻き全員が金持ちでも驚かない。
「そんなにおかしなことかしら? 私はそこまでおかしなことだと思わないんだけれど……」
「なんでだよ。お前さっきまで埃臭いあばら屋にいただろうが。あれが一般庶民の住まう民家だよ。常識を知らない所も本当深窓の令嬢って感じだな」
「自分の家をあばら屋というのは良くないわよ、赤石君。あと、私は常々常識人でいるはずなのだけれど」
「そうか……」
もう何も言うまい、とため息を付く。
「まあ、取り敢えず訪問していいか?」
「そうね、早くインターホン押しなさいよ」
赤石は目の前のインターホンを押した。
途端、物陰に隠れた。高梨は不審な目で赤石を見る。
「……? 何してるのよ、赤石君、そんな所に隠れて。人を呼んでおいて隠れるとは不躾よ」
「いや……神奈先生とは色々あったからまずは高梨を緩衝材にして、後々俺も現れる作戦をとらせてくれ」
「そう……まぁいいわ。でもきちんと自分で話を通すのよ」
「分かってる」
高梨は前を向き、楚々とした立ち振る舞いで神奈が出てくるのを待った。
「…………なんだぁ~」
「あら、神奈先生、お久しぶり。昨日ぶりですね」
「高梨か……。今日はまた一段と目がくらむような服を着てるな。何の用だよ……今日は体調悪いから学校休む、って連絡聞かなかったかぁ?」
「どうせ風邪なんて引いてないんでしょう?」
「…………」
無言。
あれだけのことを犯した神奈もまた、赤石と同じく学校を休んだ。
高梨はふふふと、嫣然と微笑む。
「赤石君、来なさい」
「…………赤石!?」
高梨が後方に声をかけ、赤石はゆっくりと物陰から姿を現した。
「昨日ぶりです、先生」
「…………あぁ」
赤石の視線と神奈の視線が交錯する。どちらもが硬い表情で、今すぐにでも殺し合いを演じそうな雰囲気が流れる。
「……」
「……」
重苦しい沈黙が降りる。
「神奈先生、赤石君と話さなきゃいけないことがあるんじゃないですか?」
「……」
神奈は睨みつけるように高梨を見た。
「何のつもりだ……高梨?」
「あら、何のつもりでもないですよ。ただ、神奈先生が赤石君と喧嘩をしたんじゃないか、って問い詰めたら赤石君が教えてくれたのよ」
「……」
「……」
無言の圧力が、二人の間で交わされる。
神奈は、はぁ、とため息を付いた。
「…………入れよ、お前ら」
神奈は扉を開け、二人を出迎えた。
「お邪魔するわ」
「お邪魔します……」
二人は、ゆっくりと門をくぐった。
八谷宅と同じく玄関まで距離があり、道ともしれない道を歩く。
きょろきょろとあたりを見回すが、依然として屋敷の規模が計り知れなかった。鹿威しや鯉が泳いでいる池などがあり、過去にタイムスリップしたかのような感慨にふける。
「じゃあ、赤石はそこで待っててくれ」
「待たせて頂きます」
「……」
神奈は赤石と高梨にお茶を入れ、客間の一室で待たされた。
その後数分もしない内に、高梨は席を立った。
「じゃあ赤石君、私はちょっと席を外すわ。後は一人で頑張って頂戴」
「え……お前帰るのか?」
「違うわよ、お手洗いを借りるだけよ。その間に神奈先生との話し合いが終わってしまうかもしれないわね」
暗に、神奈との話し合いが終わるまでは戻ってこないことを、示唆していた。
「俺一人か……」
「不安なのかしら、なら私と一緒にお手洗いにでも付いてくる気?」
「じゃあお言葉に甘えて」
「何を本気にしているの、気持ち悪い。冗談を真に受けないで、神奈先生と話をつけなさい」
「俺も冗談だろうが」
ふふ、と微笑し、高梨はふすまを開け、出て行った。
「…………はぁ」
赤石は息を吐き、天井を見やる。
ぽちゃん、と鯉が水面を叩いたような音がした。
カーン、と鹿威しが石を叩くような音がする。
耳をすませば、さわさわと水の音が聞こえる。
「…………いい家だな」
自然豊かで、外を見やってみれば多くの木々が茂っている。
花も多く生えており、植物園のような状態の場所も、あった。
古色蒼然だとか、風光明媚だとかいう言葉が頭を巡る。
原始の自然を目にして、心が落ち着く。
ススス。
自然の音に交じり、ふすまを開ける音がした。
「お前だけ…………なのか」
「……高梨はどこかに行きました」
神奈が部屋に、入って来た。風邪であることを強調するかのようにマスクをつけ、五月だというのにも関わらず着こみ、体調の悪さを演出する。
「先生……」
「…………」
嫌な空気が、流れ始めた。




