第68話 無償の愛はお好きですか? 7
ガラガラガラ。
教室に、扉を開ける音が響き渡った。
赤石が、教室に姿を現した。
赤石はのろのろと歩き、座っていた席に向かって歩く。
「あら、赤石君が帰って来たようね」
「あれ、あいつ保健室行ったんじゃなかったのか……?」
高梨と櫻井が赤石に目を向け、話し合った。
赤石は伏し目がちに下を向き、自席に辿り着いた。
「赤石君、早かったわね。保健室に行ってなかったのね。ところで、八谷さんもトイレに行ったんだけど、鉢合わせしなかったかしら?」
「…………」
赤石は血色の悪い顔で、高梨を見た。
「…………帰る」
「…………え?」
赤石は机の上に置いてあった筆箱やポスターのラフ画を、乱雑に鞄の中に入れ始めた。
手荒く入れたことが原因で、ラフ画が描かれた紙はぐちゃぐちゃになり、皺のついたまま鞄の中に入った。
「ちょっと何をやってるのよ、赤石君。そんなことしたらラフ画が滅茶苦茶になるでしょう。止めなさい」
「どうせいいだろ、こんなものあってもなくても同じなんだから」
投げやりに返答し、鞄を肩に担ぎ、赤石は歩き始めた。
櫻井とその取り巻きは、奇異なものを見るような視線を向ける。
「ちょっと待ちなさいって言ってるでしょ、赤石君。私がポスター描いてるんだからあなたも残りなさいよ」
「描いてねぇじゃねぇか」
高梨の前には、赤石が教室を出てから一切筆の進んでいない絵があった。
「どうせお前も櫻井と話してるんだから俺が帰ったって何も問題ないだろ。進んでないのに俺がいる必要もねぇだろうが」
お前も。
「…………何なの、その言い方。喧嘩売ってるのかしら」
「事実を的確に述べただけだ。櫻井と話して進まないなら帰って一人で描いた方がましだ」
吐き捨てるように、言う。
高梨は眉間に皺を寄せ、赤石を睨みつける。
図星が、と赤石は心中で毒を吐いた。
「じゃあな」
赤石は踵を返し、ドアへと歩き出した。
「おい、待てよ赤石」
歩き出したのも束の間、櫻井が赤石の肩に手をかけた。
「お前その言い方はないだろ? 高梨が可哀想だと思わないか? なぁ、赤石、一緒にやろうぜ、な?」
「…………」
偽善者が。
赤石は光のない目で櫻井を見る。
「一緒にやる、って何をだよ? お前は何か進んでんのか? 俺が出てから帰ってくるまでの間にお前は何か進んだのか? 女と話してただけだろ? セットも全く完成してないし、何の生産性もない。何を一緒にやるって言うんだ? そういうのは自分の仕事をきちんとこなしてる奴だからこそ言えるセリフだ。お前は何も言う資格はねぇよ」
「なっ…………」
赤石は櫻井の手を振りほどき、肩で風を切りながら教室を出た。
「おい、待てよ赤石!」
「…………」
櫻井の声を背中で聞きながら、赤石は歩く。
「…………」
曇天の空模様だった。
「…………」
自室。
赤石は家に帰り、ベッドに体を預け、ただひたすらに静止していた。
ゴロゴロゴロ。
雷の音が鳴った。
赤石が帰宅して暫くしてから、雨が降り出した。
そこからはなし崩し的に雨が降り出し、天候は一気に悪化した。
雷が鳴り、光り、大きな音を鳴らす。
ゴッ。
「…………」
ゴロゴロゴロ。
雷が、鳴る。
赤石は何もせず、何の生産性もなく、ただただベッドの上で横臥していた。
合理的でない、無為な時間を過ごしていた。
「…………」
徐に、スマホを手に取った。
時刻は七時三〇分。赤石の感知しない間に、随分と時間が経っていた。
父親も母親も家におらず、一人っ子の赤石は家に取り残された状態になっている。夕餉も取らず、ただただベッドの上で横臥している。
学校で残って文化祭の作業をしていた生徒たちはどうなったのか。
何も考えないままに『ツウィーク』を起動させ、櫻井のアカウントを見た。
サクライ
今日は文化祭の準備が大変だった。
何故か、赤石がキレて準備もせずに出て行った。
文化祭も近いのにあいつは準備もしないで、教室の雰囲気だけを悪くして帰って行った。
脚本家の癖に何も手伝わない。
悲しい人間だ。
「…………」
櫻井の投稿を見て、背筋が凍った。
自分に対する悪意が、ぶちまけられていた。
赤石は『ツウィーク』内で櫻井をフォローしておらず、櫻井もまた赤石をフォローしていない。
つまり、自発的に赤石が探し出さない限り、櫻井が投稿した一件は、赤石には届かなかった。
「…………」
櫻井の投稿を目にしたことで、心が痛くなった。
だが、櫻井の投稿を見る。
自分に不都合なことが起きている時、その件に対して関知するか、無関心でいるかのどちらかの対応が取られる。
自分に関係する不都合な真実を遮断するか、不都合だとしてもその真実を知ろうとするか。赤石は、後者に当たる人間だった。
サクライ
雨が降って来て結構濡れた。
ちょっと風邪を引きそうな気がする。
「…………」
赤石を貶した投稿のすぐ後、文化祭とは全く無関係の投稿がされていた。
そしてその投稿には、三件の返信があった。
初冬
サクライ大丈夫? 風邪引いてるの?
しおりん
今日はごめんね!(焦)私のせいで雨当たっちゃったよね?大丈夫?風邪引いたらお見舞い行くからいつでも言ってね!
雪由紀
聡助超馬鹿www
「…………」
櫻井のフォロワーが、櫻井の取り巻きが、櫻井を慮る返信を、していた。
「…………」
意味が分からない。
全く、意味が分からない。
自分は殆ど働いていないのにもかかわらず『文化祭の準備が大変だった』という旨の投稿。
自分を扱き下ろし、貶すかのような投稿。
『脚本家の癖に何も手伝わない』という、他者だけに苦労を押し付けるその姿勢。
悲しい人間だ、と一方的に悪を決めつける、その姿勢。
そして、その旨の投稿をした櫻井の真意。
赤石は、人として駄目な人間だ。お前らはあいつとは関わらない方が良いぞ、との警告をしているようにしか、見えなかった。
赤石がフォロワーにいないが故の、行き過ぎた悪意の喧伝。
赤石は櫻井を、受け入れることが出来ない。
肌に合わない、合うといった、そういうレベルの問題ではなかった。
狂っている。
平気でクラスメイトのことを貶すことが出来る櫻井も、その櫻井の傲岸不遜な投稿を見た後でさえ櫻井に対して好意的な言葉を吐く取り巻きも。
全てが、狂っている。
やはり、取り巻きは自分のことを敵対視していたのだと、赤石は気付いた。
自分を扱き下ろし、悪意を吐き出したような投稿を見た後でさえ櫻井に媚びへつらう。つまりは、櫻井の言が正しく、自分が間違った悪人だと認識されていると、そういうことだと、理解した。もしくは、悪人どころか感知すらされていない、空気のような何かと思っているのか。
「…………」
気持ちが悪かった。
吐き気がした。
他者に見えるようなところで、平気でクラスメイトに悪意を吐ける櫻井も。その櫻井を持ち上げるかのように好意的な返信をする取り巻きも。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。
何もかも、気持ちが悪かった。
人の悪意を受け入れるかのような取り巻きの態度。人を扱き下ろすことを是としているかのような櫻井の態度。
そのどちらも、平田のそれとさほど変わりはないものだと、認識する。
お前は…………。
お前は一体、何様のつもりなんだ。
人を裁断するような投稿をするお前は一体、何様のつもりなんだ。
理解できない。本質的に、自分とは別の生き物だ。
「………………」
トン、トン、トン。
雨垂れが金属に当たり、鈍い音を響かせる。
恋は盲目。好意を寄せる人間がどれだけ悪人であろうと、妄信的にその行為を称賛する。
それが、櫻井の取り巻きの好意。
取り巻きに全面的に称賛される櫻井の傲り。
赤石は、吐き気を押さえながら、櫻井の投稿を見ていた。




