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ラブコメの主人公はお好きですか?  作者: 利苗 誓
第2章 文化祭 前編
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第67話 無償の愛はお好きですか? 6

 


「なんで……どうして……」


 赤石は、壊れた機械のように何度もうわ言を呟き、教室を出た。

 神奈の姿は、既にない。どこに行ったのか。そんなことは、どうでもよかった。


「どうして神奈先生が怒って……」


 諭されることはあっても、怒られるようなことは言っていなかったはずだ。それがどうして…………。


 赤石は何度も何度も呟き、壁に手をやりながら茫然自失と廊下を歩いていた。


 頬が熱を帯びていることも、足元がふらついていることも、今の赤石には関係なかった。


 分からない。許せない。度し難い、屈辱。言いしれない、怒り。


 それは自分に対する感情か、神奈に対する感情か、はたまた櫻井かその取り巻きに対する感情か。


 赤石は、ふらふらと幽鬼のように歩く。


「あ…………赤石?」


 赤石に、声がかけられた。

 廊下の先で、八谷がいた。心配そうな目をして、赤石を見る。


「赤石…………さっき神奈先生が廊下走ってて……先生なのに廊下走るっておかしいわよね…………あはは」


 会話のとっかかりとして神奈を挙げた八谷は、てこてこと赤石に近寄った。


「あ…………赤石? なんで壁に手なんて当てて……調子悪いの……?」


 赤石からの返事がないことを不審に思った八谷は、俯き、伏し目をしている赤石をのぞき込む。


「あかい…………し?」


 訥々と、再度名前を呼ぶ。

 八谷は、赤石の頬が腫れていることを、見た。


「大変じゃない、あんた頬腫れてるわよ! もしかして壁に手を当ててるのも調子が悪いから…………早く保健室に行くわよ!」


 狼狽した八谷は、赤石の手を持った。

 が、力の入っていない赤石は、八谷の握った手からするりと抜ける。


「赤石…………大丈夫?」


 八谷は、赤石をのぞき込む。

 その手が、赤石の腫れた頬に触れた。


「触んじゃねぇっ!」

「…………っ」


 赤石は、激発した。

 八谷は赤石の様子にびくつき、咄嗟に手を引いた。


 赤石は茫然自失とした態度とは一変し、神奈に言われた言葉を思い出した。

 八谷が触れたことをきっかけに、思い出した。


『聡助のことを悪く言うな』


 無類の、愛。

 比肩することすらおこがましいほどの、櫻井に対する愛情。


 それは櫻井の取り巻きの一人である八谷でも同じはずだと、そう、気付いた。


 八谷は恐怖と心配と不安と、また言いしれない感情を灯した瞳で赤石を見る。


「あ…………赤石、風邪……? どうしたのよ……何か変よ…………」


 赤石は八谷を睨め付ける。

 こいつも同じだ。


 他の取り巻きと何一つ変わらない。


「それに、頬腫れて……痛い……のよね?」


 八谷は再度手を赤石の頬に出す。


「触んなって言ってんだろうが!」

「なっ………………ん……で……」


 赤石は、八谷の手を強く振り払った。

 赤石の手が当たり、八谷の手の甲が少し赤くなる。


「どうして…………ねぇ赤石、早く保健室行くわよ……」

「うるせぇよ。指図すんな」


 赤石は、自分を見失った。

 常軌を、逸した。


 不安は、焦燥は、堕落は、負い目は、劣等感は、怒りに変わった。


 不機嫌に、何もかもに怒りをぶつける。


「風邪だから調子悪いのよね? 分かるわよ、私も風邪とかでしんどいとちょっと人が変わるって……」

「黙れって言ってるだろ」


 八谷に、当たる。

 完全な、八つ当たり。


 赤石の心に潜んだ闇が、赤石を蝕む。心の奥底に蔓延った劣等感が、八谷に怒りをぶつける。


「大丈夫よ、私が保健室に連れて行ってあげるわよ」


 八谷は赤石に駆け寄り、手首を掴んだ。


「…………っ!」


 赤石の体中に怖気が走る。


「止めろって言ってんだろうが!」


 手を振り払い、八谷を遠ざけるため、押す。


「気持ち悪ぃんだよお前! 俺に何の関係があんだよ、放っとけよ!」

「そんな…………関係なくなんて…………ない!」

「関係ねぇだろうが! お前も…………お前も櫻井が好きなんだろうが!」


 全く関係のない怒りを、八谷にぶつける。

 それは、余りにも見当違いな返答。要領を得ない、おかしな返答。


「…………」


 八谷は俯き、伏し目がちになる。


「気持ち悪ぃんだよ、お前は! 櫻井が好きならずっと櫻井のそばで馬鹿みたいに愛想を振りまいとけよ! 俺に関わるなよ! どうせお前も俺のことをなんとも思ってねぇんだろうが! イラつくんだよ、その手前勝手な行動がよ!」

「…………」


 八谷がいじめられていた時にも思っていた感情。

 過ぎた出来事を想起させる、悪辣な一言。


「櫻井を好きな奴が他の男に入れこんでんじゃねぇぞクソが! てめぇも他の女と同じように馬鹿みたいに櫻井に近づいて、馬鹿みたいに櫻井に恋して、馬鹿みたいに櫻井の思惑にも気付かねぇでひたすら愛想だけ振りまいとけよ!」

「…………」


 悪意。

 八谷は唇を噛み、拳を握りしめる。


「てめぇみたいな女がいるから嫌な気分になんだよ! 櫻井櫻井櫻井櫻井うっせぇんだよ! 何が櫻井と上手くいくためだ、何が櫻井のデート現場を見張るだ、気色悪ぃんだよ、てめぇは!」


 ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと心の奥にこびりついていた。


 劣等感がことごとく、吐き出される。


「好きでもねぇ男に思わせぶりな態度とんじゃねぇよ! お前の顔なんて二度と見たくもねぇんだよ! 俺を何だと思ってんだよ、てめぇは! ふざけんじゃねぇぞ! 俺はてめぇに操られる人形じゃねぇんだよ!

 何で俺がお前と櫻井の恋を応援しなきゃいけなかったんだよ! 俺は…………俺はお前みたいな自己中心的なクソ野郎が嫌いなんだよ! 櫻井が好きだとか言いながら俺にも色目を使うようなお前が嫌いなんだよ!」


 一拍。


「誰があの日助けてやったと思ってんだよ! 俺が、お前のことを想って! 俺が助けたんだろうが! 全部を失って、それでもお前を助けたんだろうが! それなのに、それなのに、どうしてお前はへらへら笑って櫻井に媚びてんだよ! なんで櫻井に今までと同じ態度でいられんだよ! 意味分かんねぇ、理解出来ねぇんだよ! なんで櫻井なんだよ!」

「なんでそんなに怒って……」

「お前のせいだろうが! 神奈先生が出て行ったのも、俺が怒られてんのも、全部が全部お前のせいだろうが! 櫻井が好きなのに俺なんかに関わったからあんなことになったんだろうが! 自分一人で櫻井を落とせないお前のせいだろうが! 人を利用する……お前のせいだろうが! 俺は…………俺は、もう嫌だ! 沢山だ! もう何もかも沢山だ!」


 責任転嫁。自身の落ち度を押し付ける、責任転嫁。


 赤石は叫び、八谷の様子も顧みず、ふらふらと体を揺らしながら教室へと帰った。


 それは、八谷に好意を抱き始めているが故の感情。

 恋慕の裏返し。


 好意を抱く女が、自分の嫌悪する男を好きだという混乱。

 誰もかれもが自分を好きになってくれないという、下等な意識。

 赤石の心に巣くう、悪。


 人間は、悪の心に支配されたとき、その心が収まるまでは、冷静を保てない。通常の自身を保てない。


 落ち着かない限り、その行動の整合性を顧みることはない。

 ブレーキの利かなくなった悪意。さしずめ、赤石は暴走する狂人の様相を呈した。


「…………」


 八谷は、強く唇を噛んでいた。唇が切れ、血が流れる。

 握りしめた拳から、わずかに血が流れだす。


「なんで…………」


 呟く。

 どうして。なんで。私は。


 赤石を救えない。ことごとく、行動が裏目に出る。


「…………」


 八谷は廊下の真ん中で、ただ一人たたずんでいた。

 自分は赤石に救って貰った。

 だが、自分は赤石を救えない。

 何も、返せない。


 櫻井を好きなことが原因で、赤石には何も返せない。

 ただただ利用しただけ。


 それだけの自分。

 何も出来ない自分。


 櫻井が好きで他者を利用する、どす黒い欲望に支配された自分。


「…………」


 そんな、ありさま。様相。


 八谷は、自分を恥じた。恥じていた。


 それでも、そこまで言われてもまだ櫻井を好きな自分を、恥じていた。

 どう頑張っても櫻井を嫌いになり切れない自分を恥じていた。

 そうしても赤石よりも櫻井が好きな自分を、恥じていた。


 八谷は、分からない。何も、分からない。


 赤石が何を感じているのか。

 どうして激発していたのか。教室を出た空白の時間に何があったのか。


 何もわからない。

 ただ、これだけは分かっていた。


 赤石が常軌を逸する原因は、櫻井にある、と。


「…………」


 八谷は、うるんだ瞳で赤石の背後を見る。


 その姿は酷くうらぶれた、瀕死の様相だった。

 弱弱しい、狂人の背中。


 八谷は壁に寄りかかり、ずるずると座り込んだ。


 うるんだ瞳に移るのは、櫻井か、赤石か。









 八谷が赤石を心配して探しに来たということを、赤石は分かっていなかった。

 赤石が一人になったタイミングで友誼を取り戻そうとしに来た八谷の好意を無下に断り、扱き下ろしたということを、分かっていなかった。 

 八谷が赤石のことを想っていることを、分からなかった。

 八谷の感情を、寸分も分かっていなかった。

 八谷の思いを踏みにじったことを、分かっていなかった。

 愛の重さを分かっていなかった。


 赤石は、分からない。

 赤石は、人の感情を何もわからない。




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