第551話 唐沢暁斗はお好きですか? 1
「……」
トロッコにおける人間の善悪の議論をして数日、赤石は校庭に備え付けられたベンチに座り、一人漫然と空を眺めていた。
「あっ」
「……?」
赤石の隣を、一人の女子生徒が通る。
「えっと……」
女子生徒、新妻東和子は赤石の顔を見ると、その場で足踏みを始めた。
「あの、前はありがとう」
髪は三つ編み、丸く大きな眼鏡は優等生を思わせる。
何一つ校則を破らないような着こなしの制服に加え、おどおどとした声音や表情は、対峙した相手にイラつかれることが多かった。
肌はボロボロでそばかすがあり、服や髪にも気を遣っていないことは第三者の目から見ても明らかな少女。
総じて、野暮ったい、垢抜けていない、という印象の強い少女に、赤石は一瞥をくれた。
「あっち」
赤石はゴミ箱のある方を指さす。
「え? あ、う、うん、ありがとう」
ゴミ箱の場所を教えられた少女は、手に持っていたゴミを捨てに向かった。
そしてトコトコと帰って来る。
「こ、こここ、ここ、いいかな?」
新妻は赤石の隣を指さした。
「六十分で五千」
赤石は手の平を新妻に見せた。
「お金取るの!?」
「こっちも慈善事業でやってるんじゃないんでね」
「学校だから赤石君の資産でもない……と思う」
「……」
赤石は黙り、新妻が座れるだけの空間を空けた。
「ありがと」
「ああ」
新妻は赤石の隣にちょこん、と座る。
「……」
「……」
赤石と新妻は、ほぼ初対面である。
トロッコの議論の際にほんの少し話した程度で、学校生活を送る上で必要な会話以外、大して実のある話はしていない。
えっと、その、と新妻はおろおろとしながら赤石の隣であわあわとする。
「何してたの?」
「気分が悪くて」
赤石は呆然と空を見上げていた。
「大丈夫? 保健室行く?」
新妻は赤石の顔を覗き込み、心配する。
「大丈夫。まだ学べる」
「学習意欲が異様に高い……」
新妻は一旦、胸をなでおろした。
「えと、あの、前はありがとござます」
新妻はおっとりとした口調で話を切り出し、赤石に頭を下げた。
「私、お喋りがあんまり得意じゃなくて……」
新妻が言葉に詰まっていた様子を、赤石は思い出す。
「だから、私、赤石君みたいになんでも言語化できる頭の良い人って、ちょっと尊敬しちゃうな」
新妻はもじもじとしながら、赤石を見る。
「喋るの苦手な奴なんているんだな」
「いるよいるよ」
ここに、と新妻が自分を指さす。
「その割には今は喋れてるな」
「一対一は全然大丈夫なの。でも、いっぱい人がいると、見られてるって感じて、ちょっと……」
新妻は胸元を押さえる。
「……」
「……」
会話が続かない。
「私とのお話って、面白くない?」
「ん?」
新妻は心配したように、赤石に尋ねる。
「そんなことない」
「……そっか」
「……」
「……」
また、沈黙。
「私と喋るの、嫌じゃない?」
「なんだよ、鬱陶しいなぁ」
赤石は眉を顰める。
「ご、ごめんね。私……もう帰るね」
新妻は立ち上がる。
「いや、いいって。座っとけよ」
「……ごめんね」
新妻は赤石に促され、再び椅子に座った。
「自信なさすぎだろ」
「だって、皆何考えてるか分かんないじゃん」
「面倒くさいな。じゃあ書いとくよ」
赤石は胸ポケットから紙とペンを取り出し、紙にペンを走らせ軽くちぎり、学ランの襟の隙間にねじ込んだ。
「暇……」
新妻は赤石の襟に刺さった紙を読む。
「私、何か赤石君の気に障るようなことしてないかな?」
「俺は器が大きい方だから、そんな簡単に傷つかないよ」
「……そっか」
随分と自己肯定感の低い女だな、と赤石は思った。
「わ、わたしぃ!」
新妻が急に声を荒らげる。
赤石は急な騒音に、ビク、と肩をそびやかす。
「あ、ご、ごめん……」
「今のは本当にごめんと言って欲しいところだな」
「わ、私……」
新妻が小声で話す。
「赤石君のこと、格好良いなって、思ってて……」
「……?」
赤石は小首をかしげる。
「顔? 読モ目指そうかな」
「いや、顔はそんなに……」
「……」
赤石は目を細め、眉を顰める。
「生き方って言うか、考え方って言うか……」
「別に普通だろ」
そんなことか、と赤石は新妻から視線を外した。
「そ、そんなことなくて! 実はずっと前から赤石君すごい人だな、って……」
「いつから?」
「小学生」
「滅茶苦茶前だな。年齢一桁じゃないか」
「えへへ……」
新妻は頭をかく。
「なんていうか、尊敬っていうか……」
「こんな身近なところに俺のファンがいたのか」
赤石は紙とペンを取り出した。
「あげるよ、俺のサイン」
赤石は紙をちぎり、適当に書いたサインを新妻に渡した。
「わっ! 嬉しい……」
新妻は赤石から受け取った紙を喜び、熱い視線を寄せる。
「本当に喜ぶ奴があるか」
「大切にするね」
「適当なところで捨てといてくれ」
「やだ」
赤石は手を差し出す。新妻は赤石からもらったサインを大切そうにしまった。
「ほら、私こんなだから、自分の意見がはっきり言える人って尊敬って言うか……」
「俺みたいなやつどこにでもいるだろ」
「確かに学校の成績もそこまで良くないし運動が出来るわけでもないし、顔が格好良いわけでもないけど」
「言いすぎだろバカ」
赤石はげんなりとする。
「でも、私だけは赤石君の格好良さ? みたいなところを分かってあげれてる気がする」
「……そうか」
赤石はそっぽを向いた。
「まぁ、でも、皆からしたら多分憎まれ口を叩く嫌な人って印象なんだと思うけど」
「いちいち一言多いんだよ」
「多分皆から嫌われてるだろうし」
「こいつ、さらに追加で悪口を……!?」
新妻はベンチにくるくると指で何かを描きながら話す。
「仲良くできたらな、って……」
「……そうか」
新妻が赤石を見上げる。
「赤石君は私の心の師匠。仲良くしてください」
「……」
赤石は一瞬、静止する。
そして、
「存分に背中を追うと良いよ、愛弟子よ」
そう返した。
「――」
新妻は息をのむ。
「やった」
「ちっちゃい喜びが出たな」
新妻は小さくガッツポーズをする。
「赤石君のアウトローっていうか、傍若無人っていうか、嫌われ者な所が好き」
「言葉は慎めよ、新妻」
「えへへ」
新妻は相好を崩す。
不意に笑うその姿が、今まで人の寄り付かなかった赤石からは、ひどく新鮮で、尊いものに思えた。
「トロッコの時に赤石君の話聞いて、やっぱりこの人って嫌われ者だけど、自分に正直な人だな、って」
「過分な評価に感謝だな」
「私もこれから自分の意見を言えるようになって、ちょっとずつ変わっていけたらな、って」
新妻は足をぷらぷらとさせながら、赤石に笑いかける。
「あ、もう次の授業始まるかも」
新妻が時計を見た。
「そろそろ行くか」
「うん、行こっか」
赤石と新妻は、並んで教室へと戻る。
「赤石君とずっと前から喋ってみたかったから、同じクラスになれて、同じ班にもなれて、やっと喋れて嬉しかったよ」
廊下を歩きながら振り向き、新妻が語りかける。
風に揺られ、新妻のおさげが揺れる。
「これからいっぱい、一緒に遊ぼうね」
「……そうだな」
新妻はにっ、と、今までで一番の笑顔を、赤石にして見せた。




