第549話 トロッコはお好きですか? 1
昼下がり、十三時半頃――
季節は春。進級して、間もない頃。
中学二年生になった赤石の教室では、道徳の授業が行われていた。
「暴走するトロッコが一台、あります。トロッコの行く先には五人の作業員がいて、このままでは五人の作業員が死亡してしまいます」
赤石の教師は生徒たちに、道徳の授業を教えていた。
「ここで、皆の手元にはレバーがあります。このレバーを引けば、暴走するトロッコの進路が切り替わって、五人の作業員を救うことが出来ます。でも、切り替わった線路の先には一人の作業員がいて、一人の作業員が死亡してしまいます」
教師は道徳の教科書を読みながら黒板に図示し、子供をなだめるような声音で話す。
赤石の教師は、レバーを引いた際に罪に問われることはないなど、条件の仔細を説明する。
「さて、皆はレバーを引きますか? 引きませんか? 皆さんの班の中で考えて、ディスカッションしてみてください」
教師はパン、と手を叩く。
六人で一つの班を作っていた赤石たちも、班の中でレバーを引くグループとレバーを引かないグループで左右に別れ始める。
「……」
赤石悠人、中学二年生。
赤石は班の中で、レバーを引くグループの下へと集合した。
「はい、ありがとうございます」
結果、クラス全体で見ればレバーを引く選択をした生徒の方がやや多かった。割合にして、六対四。
だが、赤石の班では、レバーを引く選択をした生徒は赤石ともう一人、班の中にいた女子生徒だけだった。
「じゃあ今から、皆さんは班の人たちと、何故そう思ったのか議論してください」
教師はそう言うと議論を行う時間を板書し、教卓で生徒たちを見守り始めた。
「え~と……」
男が一人、手を上げた。
「ちょっと俺、レバーを引く人の気持ちが分かんないんだけど」
班の中でいの一番に声を上げたその男子生徒は、唐沢暁斗といった。
「いや、レバーなんて引いたら自分が殺したのと一緒じゃん」
唐沢は笑いながら言う。
「なんでレバー引こうと思うか意味分からんのだけど。なぁ、皆!?」
唐沢は同じグループになった残りの三人に聞く。
「そっちはどう思ってるわけ?」
唐沢は赤石たちに水を向ける。
「あ、えと、その……う……」
水を向けられた女子生徒は、言葉に詰まる。
どもり、言葉が上手く出てこない。
「いや、なんか何言ってるかよく分かんないんだわ」
唐沢はけらけらと笑った。
上手く話すことが出来ず、女子生徒、新妻東和子は顔を赤くして押し黙った。
新妻は助けを求めるような表情で、赤石を見た。
「……」
赤石は新妻の表情を一瞥し、口を開いた。
「五人を殺すより一人を殺した方がましだから、一人殺す。それだけ」
赤石はそれだけ言うと、口を閉じた。
「いや、五人死ぬのは自分のせいじゃないけど、一人死ぬのは自分のせいじゃん? じゃあ、自分が殺したってことになるじゃん?」
唐沢は身振り手振りを交えながら話す。
「死ぬ人数をコントロールできる権利を得た時点で、どちらにせよ自分が殺したのと一緒だろ。なら、出来るだけ自分が殺す人数は少ない方が良い」
「いやいやいや」
唐沢は手をブンブンと振る。
「五人は別に自分がいてもいなくても犠牲になってたんだから、いてもいなくても一緒じゃん」
「死ぬ人数をコントロールできるんだから、自分の主観によって考えるべきだろ。相手がどうかとか環境がどうかとか運命がどうかとか自分がいなかったら、とかじゃない。お前が一人殺すか五人殺すか選べ、ってことなんだろ。仕方ないから一人を殺すだけ」
「じゃあその状況になった時点で、誰かを殺すことは確定ってわけ?」
「そう」
「……」
唐沢は悩む。
「お前は自分の手で一人殺すことはためらわないんだ?」
「躊躇わない。絶対に躊躇わない。一秒もためらわない。殺す。今すぐ殺す。何も悩むことなく殺す。すぐに殺す。出来るだけ早くに殺す。即座に殺す。何も迷わない。迷えば五人が死ぬだけだ」
「うわ、サイコパスじゃん」
唐沢は嘲笑する。
「え、分かる」
唐沢の隣にいた女子生徒もまた、笑いかけた。
「ね、本当サイコパスすぎない?」
「別に殺すとか言わなくても……ねぇ?」
「そうそう。普段から人を殺す、って選択肢がある人ってなんか怖いよね?」
「な~。おかしいよな」
「絶対俺らが間違ってない」
赤石の発言で、班内がにわかに盛り上がる。
もっぱら、赤石をサイコパスとした方向性で議論が進む。
「えと、あの……」
赤石の隣に座っている新妻はおろおろとして、口を出すことが出来ない。
「てかこれ、サイコパス診断のための話なんじゃない? どっちが死ぬとかさ、サイコパス診断以外の何者でもないっていうか」
「こういう奴をあぶりだすため、的な?」
「あ、じゃあこの二人がサイコパスなんだ」
ははは、と二人の女子生徒が手を叩いて笑った。
「いや、サイコパスなのは五人を平気な顔して殺してるお前らだろ。相手を扱き下ろしたいがために、相手を貶めるようなレッテルを張り付けて、議論から逃げるようなことするなよ。ダサすぎるだろ」
「……」
「……」
二人の女子生徒が不機嫌そうな表情を見せる。
「いや、でも殺す発想とか出て来るのがサイコパスっていうか」
「殺してるんじゃなくて、救ってるんだよ。五人組の溺れた集団に浮き輪を渡すか、一人の溺れた誰かに浮き輪を渡すかだったら、お前はどっちも見殺しにするのか?」
「……いや、それとこれとは話が違うだろ」
「大差ないだろ、どっちも」
唐沢はトントンと指で机を叩く。
「いや、てかさ。そもそもこの質問やっぱりおかしくない? 自分がその状況になった時点で誰かを殺すことは確定、って。現実にこんなこと起こるわけないし、こんなこと考えても意味なくない?」
ね~、と女子生徒が顔を見合わせる。
「いや、ある。この議論をする意味も意義もある。こんな状況が起こってないわけがない」
「じゃあ赤石は暴走するトロッコ今まで見たことあるわけ?」
「トロッコはただの比喩だ。実際に今の世界でトロッコが暴走するようなことが起こるか起こらないかはどうでもいいし、議論には何の関係もない。人を救うことに対する個々人の思想を問うているだけだ」
「……」
「人間には救える命と救えない命がある。何を救って何を救わないかは、日ごろから自分の中で整理をつけておくべきだ」
お前も、と赤石は唐沢を見る。
「お前もお前もお前も、そして俺も。皆人を殺して生きてる。間接的にでも、人を殺して生きてる」
「は? 別に俺誰も殺したことないから」
唐沢は眉を顰める。
「いや、殺してる。今まさにこの瞬間にでも、殺している。お前が今朝にでも捨てたパンが食べれなくて、死んでいる子供たちが世界にたくさんいる」
赤石は隣の女子生徒を見る。
「流行が終わったから、とか言ってお前が大量に捨てた服を作るために、何人もの子供たちが死んでる」
赤石は隣の女子生徒を見る。
「お前がいたずらに垂れ流した水を飲めなくて、世界で何人もの子供たちが死んでる」
赤石は隣の男子生徒を見る。
「自分が被害を受けたら嫌だから、とお前が見捨てて切り捨てた誰かが、今もどこかで勝手に孤独に死んでる」
赤石は対面する四人の顔を見た。
「それはもちろん、俺だって、こいつだってそう」
隣の新妻を指さす。
「生きとし生ける人間は、常に誰かを見殺しにして生きている。誰かの命の上で、成り立ってる。今を生きれなかった誰かの命のおかげで、今も生き永らえることが出来ている。そういう自覚が、お前らには足りない」
「命だって、平等なんだよ……」
女子生徒がボソ、と呟いた。
「そんなわけがない。命が平等なわけが、ない。命には価値がある。皆が皆平等な命の価値を持っているわけがない。命が平等だと言うのなら、お前らは今すぐ五人を助けて一人を見殺しにするべきだ。今まで俺たちはさんざ見殺しにしてきたんだから」
「……」
「……」
「……」
班員が、しん、と静まり返る。
中学時代の赤石は高校時代と違い、もっとずっと、尖っていた。
高校時代のように丸くはなく、ひどく冷たく、暗く、重く、淀み、他者を刺すような性格をしていた。
赤石の中学時代は、常に誰かとの抗争の連続だった。




