第546話 志藤志保はお好きですか? 3
赤石が暮石に断罪された後。鳥飼の件について話し合うため、暮石たちは集まっていた。
「やっぱり私は前からおかしいと思ってたんだよ」
志藤は暮石たちに、自身の論理をまくしたてていた。
「やっぱりね、私は前からあいつおかしいと思ってたの。あかねがそんなことされたのも納得だよ。もっと前から私がちゃんと皆に言ってたら、こんなことにならなかったのに……」
志藤は悲しげな目で鳥飼を見る。
「そもそもね、あいつ最初から人を見下してる所があったんだよね。私分かってたんだよね。っていうか、私もその被害者っていうか、私もあいつのせいで気分を害したこともあったし、前々から多分そういうことをするんじゃないか、って思ってたんだよね。私が何も言わなかったからあかねまでこんな目に遭っちゃって……。っていうか、そもそもあいつ顔がキモいよね。ブスっていうかキモいっていうか、そもそも人間の顔じゃないっていうか、いかにも犯罪犯しそうな顔してるっていうか、目つきがもう犯罪者なんだよね。犯罪者顔っていうか、やっぱり犯罪とか犯すようなやつってああいう顔してるんだなぁ、って思った。なんていうか、もう予想通りの展開になったっていうか、もうあかねが心配で本当に仕方ないよ。言葉の節々から、私たちのことを見下してるのが伝わって来るよね、あいつ? 思えば、私たちを見る時もおかしい顔してた。こんなことになる前に私がちゃんと言っておくべきだったのに……」
水を得た魚。志藤はのべつまくなしに、講演会のごとく、赤石への罵詈雑言を暮石たちに浴びせる。
「もういいよ……」
鳥飼が志藤をなだめる。
「なんで!? あかねがあんな目に遭ったんだよ!? このまま許しておいていいの!? このまま放っておいて良いの!? 警察! 警察に突き出さないと! 早くあいつを捕まえないと私たちも心配で学校行けないよ!」
「もういいいの……」
鳥飼が顔を伏せて、呟く。
「私は結局無事だったんだから、もういいの……。警察に捕まって私たちを逆恨みして、牢屋から出た後に誰かが被害に遭ったりするのも嫌だから……」
鳥飼はか細い声で、絞り出すように、言った。
「で、でも!」
「もういいの!」
鳥飼が金切り声を上げる。
「これは、もう終わった話なの……。もう思い出したくない……」
鳥飼が手で顔を隠し、さめざめと泣きだした。
「……辛かったね」
志藤は鳥飼の背中を撫でることしか、出来なかった。
修了式も終わり、志藤は自宅で漫然と春休みを消化していた。
「……」
志藤はソファーに背中を預けながら、スマホでショート動画を見ていた。
「志保、あんたねぇ、いつまでもそうやってスマホばっか触ってないで、早く勉強しなさい。もう大学受験まで一年ないのよ」
春休み、家の掃除を開始した母親に、小言を言われる。
「うっさいなぁ……」
志藤はスマホを持ったまま、場所を変える。
「あんたねぇ、勉強もせずにそうやってスマホばっか見てたら、ロクな大人にならんよ!」
「もう、うるさい!」
母親は大声を上げる。
「そんなにスマホが気になるなら、お父さんに言って志保のスマホ解約してもらうからね!」
「なんで私のスマホの話になるわけ!?」
志藤が青筋を立てながら母親に反駁する。
「あんたがそうやってスマホばっか見て勉強せんからでしょ!」
「してるから!」
もう、と言いながら志藤はスマホの電源を切った。
「してるのに何よ! あんた学校の成績も全然ダメでしょ! 勉強してるなら、なんであんなに成績低いのよ、えぇ!? 言うてみなさいよ! 頭悪い!」
「勉強したからって、誰でも成績上がるわけじゃないから!」
いちいちいちいち、ぶつぶつぶつぶつ、やかましい。
志藤は母親が嫌いで嫌いで、仕方がなかった。
「それとも何か、あんた勉強もできずに大人になって、風俗嬢にでもなって働いて稼ぐつもり!?」
「……っ」
志藤は舌打ちをする。
「あんた勉強もできないくせに、これからどうやって生きていくのよ。勉強もできない人間が行ける所なんてどっこもないんやからね」
「うるさい!」
実際、志藤は勉学に身が入っていなかった。
勉強することの意味を、見いだせずにいた。
「あんた家事すらもロクにできてないのに、どうやってお嫁に行くつもりなのよ! 未来の旦那さんのために、あんたは何ができるのよ!」
「うっせぇんだよ、クソババア!」
母親はつくづく、時代遅れである。
女は嫁に行くべきという旧態依然とした悪しき風習が、母親の中に根付いて、取れない。
「クソババア、って何よ! 勉強も出来ない、家事もできない、そんなんでどうやってお嫁にもらってもらうのよ! 勉強もしてないんだから、皿くらい洗いなさい! 勉強もまともにできないくせに、未来の旦那さんに頼る以外にあんたにどういう生き方があるって言うのよ!? 旦那さんが働いて自分は専業主婦にでもなるつもり!? これからどうやって生きていくかも決まってないのに、文句ばっかり言わない!」
「あぁ~、もう……」
志藤は頭をかきむしる。
親世代の価値観は、凝り固まっている。今の若者の価値観とは、全くもって、相反している。
「良い会社の男の人と出会うためにも、あんた自身が良い会社に入る必要があるでしょ! 社会構造っていうのはね、ちゃんと身分ごとに分かれてるのよ! 頭の悪い大学に入って頭の悪い会社に入って、頭の悪い職場で働き続けて、良い会社の給料良い男の人と出会うことなんて絶対ないからね! そもそも、頭の悪い大学ならお母さん絶対認めないからね! 偏差値の低い大学なんて行かせる余裕はウチにはありません! 頭の悪い大学に行きたいなら、一人で行ってください!」
キンキンと騒ぐ母親が、ひどく不快だ。
不快な母親に嫌気がさした志藤は、その場を後にした。
「頭の悪い大学なんか、頭の悪い男の人しかいないんやからね! お母さん、頭の悪い旦那さんなんか絶対許さないよ! 頭の悪い男の人なんか頭の悪いことしでかすに決まってるのに、絶対結婚なんて許しませんからね! 大学入って頭の悪い男の人の子供を妊娠して大学中退なんて絶対許しませんからね! どうせそうやってあんたは頭の悪い大学の頭の悪い男の人に騙されて、一人で生きていくことになるんやからね! お母さん、頭の悪い旦那さんなんか絶対に許しませんからね!」
母親は背を向けている志藤に、そう言い放つ。
「ちっ」
舌打ちをする。
赤石の言葉を思い出す。どいつもこいつも勉強勉強、聞くだけで吐き気がする。
「あんたは大人になってしょうもないブラック企業で社会の歯車になって働くつもりやないの!? あんたの今の成績で、これからどうやって生きていくつもりなのよ! 良い会社に入るには、ちゃんと勉強して良い大学行かないとダメでしょ! 良い会社の人は良い大学の人しか採用せんからね! そうやって社会のふるいにかけられてるのよ、あんたは! 大学受験のことちゃんと考えてんの!? これから大学受験始まるのに、こんな調子で何とかなると思ってるわけ!? 今のままで良いと思ってたら大間違いやからね! 今のままで良い大学に行けないことは分かってるでしょ! 早く勉強しなさい! お母さんは頭の悪いアホ大学に行かすためにこうやって働いてるわけと違うからね!」
母親の高音が頭に響く。
母親のいちいち軽蔑を挟む言い回しが、鼻につく。
「早く死ねばいいのに」
志藤は母親が、嫌いだった。
母親の価値観が。母親の顔が。母親の声が。
母親の全てが、嫌いで嫌いで仕方がなかった。
こんな人間から生まれたことが、屈辱で仕方がなかった。
できるだけ苦しんで、死んでほしい。
だからこそ、他者に母親の劣悪さを、母親という存在の害悪さを、伝えたかった。
「ちっ」
志藤は自室へと入り、ドアを閉めた。
母親から物理的に距離を取った。
「……」
スマホの電源をつけ、ショート動画を漁る。
母親の狂った価値観に同意をした赤石が死んでくれて、良かった。
もう二度と狂った価値観を産出する人間を、許してはいけない。
志藤は狂った母親と狂った価値観を持つ男たちが、嫌いで嫌いで、仕方なかった。
「死ねよ、ゴミ」
志藤は自室で、小さく呟いた。




