第542話 間宮瑠々はお好きですか? 1
高校三年、春。
学年も新たに、クラスメイトも刷新され、教室の中はにわかに色めきだっていた。
いや、むしろ色気づく、と言った方がより正確なニュアンスか。新しい男女の出会いに、生徒たちがどこか色気づいたような空気感がして、苦手だった。
男を意識してうっすらと匂ってくる香水の匂い、女を意識してちらちらと横目で覗いてくる気持ちの悪さ、年がら年中男の話で盛り上がっている集団、逆に女を意識せずに何もかも諦めたような顔で、スマホゲームの課金ガチャを楽しんでいる集団。
どこを見てもうっすらと性の臭いがして、気持ちが悪かった。そんな性の臭いを充満させる人間という生き物が、気持ち悪く思えてならなかった。
「瑠々ちゃんって言うの?」
「うん、そうだよ~」
「え~、かわいい~」
そして、そんな価値観を携えたまま何を言うことも出来ず、周囲の人間に阿諛追従することでしか生きていけない自分が何よりも一番恥ずかしく、不甲斐なかった。
特に秀でた特技もなく、頭が良いわけでも顔が良いわけでもなく、運動が出来るわけでも人より優れた発想が出来るわけでもなく、人を驚かせるような頭の回転の速さも持ち合わせず、ただただ一般人として生きてきた。
「瑠々ちゃんって趣味何なの?」
「手芸……かなぁ」
「えぇ~、すご~い!」
人に自慢できるようなものを何も持ち合わせないただの女子高生、間宮瑠々(まみやるる)は、不快な気持ちを必死で押さえながら、周囲の人間とコミュニケーションを取っていた。
絶賛、世界への反抗期の真っ只中だった。
そんな間宮が興味を持ったのは、隣の席に座る一人の男子高校生、赤石悠人だった。
絶対に関わってはいけない人間として噂の絶えない、三白眼で人相の悪い男。数多くの悪い噂を残すその男の隣に、間宮は座っていた。
鳥飼という同級生の女子生徒に乱暴をした。
教室で暴れ回り、女子生徒の顔面を踏みつけた。
学校の備品を壊し、教室で暴れ回った後に数々の女子生徒を泣かせた。
散々な噂をされている危険な男に、間宮は興味を持っていた。
さすが同級生の女子生徒を密室に閉じ込めて乱暴したと言われているからか、三白眼で人相も悪く、いかにも犯罪を犯しそうな顔つきをしている。
間宮は絶対に関わらないでおこう、という決意とは裏腹に、どういう人間なのか、という興味も同時に持っていた。
それは一人の人間として、ではなく、純粋に一人の男として、である。
相反する二つの感情に、間宮は懊悩する。揃いも揃って色気づく、この教室の空気に自分もあてられたのか。自分の性質が、心底嫌になる。
恋愛というのは、危険であれば危険であるほど面白い。刺激が強ければ強いほどそそられる。チカチカと視界が明滅するほどの強い衝撃を、味わってみたいのだ。数多くの人間が――それも地位や名声を十二分に獲得したはずの――ただ刺激がある、というだけの薬物で、人生をダメにしてきている。刺激というのは人生で最も怖く、それでいて最も魅力的な暴力なのである。
間宮は人前で見せる柔らかな表情の奥底に、強い被虐願望を持っていた。
「……」
ひそかに赤石に興味を持つ間宮は、ちらちらと横目で見る。
「あ」
赤石がカバンから出そうとしたスマホを机に引っ掛け、手から落とした。これはチャンスだ、と間宮は赤石のスマホを拾った。
「……?」
赤石のスマホのカードポケットに、アイドルと思しき女の子のステッカーが入れてあった。
「落としたよ」
「どうも」
間宮は不思議に思いながらも、スマホを赤石に返す。
「その人、アイドルの人? 好きなの?」
良い切っ掛けだ、と思い、間宮は赤石に写真の人物について問いかけた。
「いや、全く」
「……?」
当然好きだ、と返って来る想定だったため、予想外の返答に、間宮は虚を突かれる。
「なんて名前の人?」
「さぁ」
「……?」
自分と話したくないのだろうか。あるいは、人と話すことを拒んでいるのだろうか。要領を得ない、もとい、意味不明な返答に、間宮は小首をかしげる。
だが、相手が自分を避けているとしても、ここは一歩踏み込むところか。
間宮は続けて赤石に尋ねる。
「好きじゃないアイドルの人のステッカーをスマホに入れてるの?」
「まあ」
「名前も知らないのに?」
「まあ」
「なんでそんなことするの?」
「なんでって、好きなアイドルのステッカー入れてても面白くないだろ」
「……?」
意味が分からない。
「好きじゃないアイドルのステッカー入れてる方が意味分からなくない?」
「好きじゃないからこそ、入れてることに意味が生じるんだよ。好きなアイドルのステッカースマホに入れてるのは普通だろ。名前も知らない謎のアイドルのステッカーをカードポケットに入れてる方が面白いだろ?」
「……」
唖然とした。
事前に聞いていた赤石という人間像から、あまりにも大きくかけ離れすぎている。
「誰かに拾われることを祈って、わざとスマホ落としたの?」
「勘繰りすぎだろ。たまたまだよ。もう何年も前からずっと入れてる」
確かに、スマホを開けば目に入るわけだ。拾わずとも、目にする機会はきっとあるだろう。
「どこで買ったの?」
「知人からもらった」
「知人はそのアイドルのファンなの?」
「なんかコンビニのくじで九十パーセントオフだったから、可哀想でつい買っちゃった、って。それで、余ったステッカーを俺にくれた。ちなみに、そいつは五分の一サイズのアイドルのフィギュアが当たって、置き場所に困っていた」
「ふふっ」
思わず、笑ってしまう。
「今はそいつの家に知らないアイドルのフィギュアが飾ってあるらしい」
「ははは」
「今ではこれも何かの縁だから、と名前も知らないそのアイドルのフィギュアを丁重に扱っているらしい」
「信仰の発生現場だよ、もうそれ」
あまりにも意味が分からない。意味のない行動をするその人物像に、吹き出してしまう。
「それで、全く見も知らないアイドルのステッカー入れてたら面白いと思ったんだ?」
「他の万人がお気に入りのアイドルのステッカーを持ち歩くなら、俺は自分が知らないアイドルのステッカーを持ち歩くことにする」
「逆張りってやつだ」
「ビジネス的投機に優れている、と言って欲しいな」
「あははははは」
間宮は手を叩いて笑った。
話してみればやはり変わり者ではあるが、想像以上に変な人間であった。
そしてそれは赤石への好奇心を増進させる、大きなきっかけになった。
「おはよ」
「おはよう」
それ以降、間宮は隣の席の赤石によく話しかけるようになった。
「今日は何で来たの?」
「トゥクトゥクで」
「あははは」
間宮は赤石の一言一句に、声を上げて笑う。
「どこに駐車してきたの?」
「このままだと俺の彼女がアメリカに行ってしまうんだ、って叫んでる人がいたから、貸してきた」
「トゥクトゥクを?」
「トゥクトゥクを」
「どうなったの?」
「トゥクトゥクで空港まで彼女迎えに行ってた」
「彼女さんもビックリするよ」
トゥクトゥクで空港まで彼女を迎えに行く彼氏の想像をして、ははは、と間宮は笑う。
「なんでトゥクトゥクで来たの、ってツッコミどころ満載だよ」
「でも最近では、観光用に電動のトゥクトゥクとかが整備されてる所もあるらしいぞ」
「なにそれ」
赤石はスマホで間宮に、日本で整備されつつある電動トゥクトゥクを見せる。
「ほぇ~」
「だから、これからはトゥクトゥクで結婚式まで行って、その結婚ちょっと待った、とかが発生する可能性もあるわけだ」
「トゥクトゥクである必要性がないんだよ」
間宮は赤石の肩を叩く。
楽しい、と思った。
そして愛しい、とも思った。
それこそ、赤石から告白をしてくるのなら、付き合ってやっても良いと、そう思うほどには、赤石に好感を持っていた。
「はぁ~、おかしい」
間宮は笑いすぎで疲れ、目尻の涙を拭った。




