第534話 小田泰弘はお好きですか? 5
「なになになになになに」
小田は水城のキーホルダーから手を離し、慌てて水城の下へと戻って来た。
「どうしたの、水城ちゃん?」
「何かあったの?」
水城のただならぬ様子を察して、周囲の女子生徒たちが集まって来る。
「ううん、違うの」
水城は泣きながら、首を振る。
「何かされたの?」
「何か嫌なことがあったの?」
「私たち力になるよ」
教室の中がざわざわと騒がしくなる。
女子生徒が、それも校内一の美少女天使と呼ばれている水城が、さめざめと泣いている。ただ事ではない。
周囲の生徒たちの視線は、水城に向けられる。
「何があったのか言ってみて?」
「大丈夫、辛くないよ」
「大丈夫、大丈夫」
周囲の女子生徒たちが水城の周囲に集まり、背中をさする。
水城は泣きじゃくり、小さな過呼吸になる。
「本当に……大丈夫……だから」
水城は目尻を拭いながら、キーホルダーに視線を向ける。
「どうしたの?」
「これが何かあったの?」
「何かされた?」
水城の視線を察して、女子生徒の一人がキーホルダーに視線を向ける。
「ち、ちがっ……俺は何も……」
キーホルダーを揶揄して喧伝していた小田に、一斉に非難の目が注がれる。
小田は慌てて、どもることしかできない。
「そのキーホルダーね……私の親戚からもらったものでね……」
水城はとつとつと話し始める。
「その子はまだ小さくて、体も弱い子でね。体も弱いからずっと入院してて、私もよくお見舞い行ってたんだけどね。いつもお見舞いに行ったらよく笑ってくれてね。自分が辛いのに、私のことばかり考えてくれてね。ある日、ちょっと学校であった辛かったこと話したら、その子が私のために、って作ってくれたのがそのキーホルダーなの。体も辛いはずなのに、何日も何日もずっとずっと頑張って作ってくれたものだからね……。だから、形が悪いって、汚いって、あの子のことを思い出しちゃってね……つい、つい」
水城はキーホルダーにまつわるエピソードを語る。
「病気がちで、入院もしてたのに、自分の方がずっと大変なはずなのに、私のためにって、辛い体で作ってくれたものだったから……。わたし……ごめんね、私、ちょっとビックリしちゃっただけだから、ごめんね」
水城は洟をすする。
「でも、その子はもう……」
水城は顔を伏せ、ふさぎ込んだ。
「うそ……」
周囲の生徒たちから、水城に同情の視線が向けられる。
「最っ低……!」
八谷は眉を顰めながら、小田を強く批難した。
「お前、よくそんなこと言えたよな」
櫻井が小田に向かって冷たい言葉を浴びせる。
「水城がどういう思いでお前の言葉を聞いてたのか分かんねぇのかよ、お前はよ!」
櫻井が声を荒らげ、教室内がビリビリと震撼する。
「そ、そんなつもりじゃ……」
小田はわなわなと震え、一歩、また一歩と後退する。
「なんでそんなヒドいこと言えるわけ?」
「今のは本当冗談になってないよね」
「言って良いことと悪いことが分からない人っているよね」
「なんで平気な顔してそんなことできるわけ?」
「あり得ない」
「あ~、思い出した。私こいつずっと昔から嫌いだったんだ」
「うわぁ……最低すぎ」
「キモいからもう口閉じてよ」
「前からずっとこんなだったよね」
「ひとでなし!」
「私絶対いつかこうなるって思ってた」
元々デリカシーのない小田に苛立っていた生徒が多いからか、小田を糾弾するような声でいっぱいになる。
「てか、毎回毎回昼休みにやって来て本当ウザいんだけど」
「水城ちゃんに嫌がらせしに来てるわけ?」
「前から嫌いだったんだよね、私こいつ」
「私も」
「私も」
「分かる」
「デリカシーとかないの?」
「常識なさすぎ」
水城のキーホルダーとは関係のない部分で、小田が糾弾され始める。
「ってか、お前なんかが水城ちゃんと釣り合うわけないじゃん」
「言って良いことと悪いことの区別もつかないわけ?」
「私も前こいつにヒドいこと言われた」
「私も」
「本当嫌いなんだよね、こいつ」
小田にデリカシーのない発言をされた女子生徒が束になって、小田を叩き始める。
「俺もこいつウザいと思ってたんだわ」
「なんでそういうことが平気で言えるかなぁ」
「あのさぁ……」
「謝れよ」
小田を糾弾する空気が醸成され、成り行きを見守っていた男子生徒たちも小田を囲み始めた。
「そうだよ、謝れよ!」
「自分が何したのか分かってんのかよ!」
「なんで泣かせるようなことするんだよ!」
「謝れよ!」
「謝れよ!!」
「え、あ、え……」
小田の味方は、もう誰もいない。
元々別のクラスの生徒たち、小田と面識のある生徒も多くはない。
「本当キモい」
「水城ちゃん、大丈夫?」
「水城ちゃん可哀想」
「ねぇ、早く謝りなよ!」
「なんで何もしないわけ? 自分が悪いと思ってないわけ?」
「最低!」
「謝ることもできないの、終わってる」
「水城ちゃん大丈夫?」
「やっぱり結局こうなるんだね」
「他にも被害者いるんじゃない?」
周囲の生徒が小田を詰める。
「謝れよ!」
「早く謝れよ!」
「自分が何したのか分かってんのかよ!」
「最低!」
「クズ!」
「ゴミ!」
「早く帰れよ!」
小田は周囲の生徒たちからの圧力に負け、
「す、すみません……」
小さく、蚊の鳴くような声で、謝った。
「そんなので水城ちゃんが納得できるわけ!?」
「自分が同じことされて、そんなので許せるわけ!?」
「最低!」
「ちゃんと謝れよ!」
「どんだけ自分勝手に生きてんだよ」
「あ~あ、こいつはこれで謝った気になってるんだろうなぁ」
「水城ちゃんにそんなので聞こえるわけ!?」
「誰に謝ってんだよ」
「こういうやつっているんだよなぁ」
「自分が同じことされて、はいそうですかって許せるわけ!?」
「謝ったフリばっかしてんなよ!」
「本当キモい」
「水城ちゃん可哀想」
口々に、小田が責められる。
「も……」
小田はぷるぷると震え、
「申し訳、ございませんでした。私の軽率な発言で水城さんを傷つけてしまい、大変、申し訳ございませんでした」
その場に五体投地した。
膝をつき、額を床にこすりつけ、ただただ土下座した。
「水城ちゃん……」
周囲の目が水城に向けられる。
「ごめん、ごめんね。私……」
水城は目尻を拭い、声もあげずその場から早足で立ち上がった。
「水城ちゃん!」
「大丈夫!?」
「私ちょっと見守って来る」
数人の女子生徒が水城の後を追う。
「……」
「……」
「……」
「…………」
そしてその場には、本人不在のまま土下座をして謝り続ける小田だけが残った。
「きっしょ」
「最低」
「どういう頭してたらあんなひどいこと言えるわけ?」
「水城ちゃん可哀想」
「なんでそうやってすぐ人のこと馬鹿に出来るかなぁ」
「水城ちゃん大丈夫かな……」
「ねぇ、先生呼ばない?」
「ヒドすぎ……」
「私こいつのこと絶対許せない」
「あり得ないでしょ、本当」
「二度と私の目の前に現れないで欲しい」
「こんなの生きてちゃ駄目でしょ」
「水城ちゃんが可哀想だよ……」
水城本人が不在になり、ただただ土下座する小田に、心無い言葉がかけられていく。
「……」
赤石はその場で土下座する小田を見て、静かに頬杖をついていた。
果たして小田がしたことは、そこまでの悪行だったのか。水城の反応さえなければ、ただ人のキーホルダーをバカにしただけの人間である。
果たして、ここまで土下座して周囲の生徒たちから罵詈雑言を受けなければいけない人間だったのだろうか。
赤石が水城に授けた方策は、たったの二つ。
周囲の人間との対応と差を作ることと、嫌がっているという反応をすること。
水城は赤石の伝えた二つの作戦を、赤石の思っていた以上の形で実践した。
気軽に話せる、気軽にいじれる女子生徒という自分をつくりあげることで、周囲の男子生徒たちがある程度の冗談を言いやすいような状況にした。
そしてそれを笑っていなすことで、ある程度の冗談では自分は傷つかない心の広く優しい人間だ、ということを証明した。
その後、小田の一言で涙を流す。
結果として、水城は全ての問題を解決しただろう。
あれだけ性的なからかいをされても何も怒らなかった水城が、小田の一言で涙を流した。あれだけ器の大きく優しい水城が涙を流した。
小田はそれだけのことをした大罪人であると、周囲の人間に印象付けた。
小田の一言で心を大きく傷つけられた水城は、好感度を下げることなく小田を処刑することが出来た。
これだけ周囲の人間に言われれば、小田はもう水城に近づくことはできないだろう。
水城もごく自然に、小田からのメッセージをシャットアウトすることが出来る。
今は何も話したくない。ごめん、何も話せない。
そうする水城の対応はごく自然であり、小田が水城に対して打てる手はもう何もない。これ以上水城に近づいてしまえば、周囲の生徒たちに焼き殺される。
天に近づきすぎた人間は灼かれ、地に落ちる。
小田の冗談で傷ついたことを生徒たちに見せたことで、男子生徒たちからの性的なからかいもなくなっていくだろう。
どの男子生徒がいつ第二の小田になるのか、分かったものではないから。
どんな冗談を言えば水城がどの程度傷つくのか、分からないから。
これから男子生徒が水城に気軽に冗談を言うことも、難しくなるだろう。
結果として、水城は男子生徒からのからかいをブロックし、自分が被害者になることで、小田を処刑することも出来た。
赤石の作戦を何段階も高次元に仕上げ、全てを完遂した。
「……」
果たして、これが自分の成果なのだろうか。
自分は小田を土下座させ、精神的にまいらせるべきだったのだろうか。
そこまで小田は、悪いことをしたのだろうか。
確かに褒められたものではないが、ここまでの処罰を受けるような人間だったんだろうか。
赤石は何も、分からなかった。
「気持ち悪いから早く消えて欲しいんだけど」
ただただ土下座する小田に、周囲の声は未だ冷たい。
水城の手によって処刑された一人の男が、教室の隅で寂しく、うずくまっていた。




