第52話 葉月冬華はお好きですか? 4
9月26日(火)葉月から櫻井の呼称が一本化されていなかったため、全て「櫻井君」に一本化しました。
高梨は尚も口を開いた。
「でも、おかしくないかしら赤石君?」
「何が」
気分悪く、高梨に対応してしまう。
そんな自分が、嫌だった。
「赤石君が教えてくれた通りなら、いつめんって言葉はいつもいる友達のグループなんでしょう? なら、私はどうなるのかしら。私は今、葉月さんたちと一緒にいないんだけど、私はいつめんの一人じゃないのかしら」
「知らねぇよ。そんなの…………」
途中まで言葉を発した後、赤石は口を閉じた。
高梨の顔を見た赤石は、口を閉じた。
「…………」
高梨は、ひどく悲しい顔をしていた。
目を離せば風と共に散ってしまうんじゃないか、このまま消え去ってしまうんじゃないか、そんな儚さが、高梨にあった。
高梨と出会い、それほど高梨のことを知っているわけではない赤石にも、その高梨の様子は異常だった。
赤石は一度口を結び、もう一度ゆっくりと開口した。
「そんなの、概念によるんじゃないか。今、水城も櫻井もあっちにいないし、いつめんのうちの数人が集まってるって、そういう意味で投稿したんじゃないか?」
「…………そう」
高梨は儚げな動作で、コップに手を伸ばした。
まるで病人であるかのように、心に傷を負った人間かのように、弱々しく、震える手でコップを持つ。
目に見えないほどの震え。凝視しなければ分からないほどの、かすかな震え。
ほんのわずかに、コップの水面が揺れている。
「そうならいいわね」
声だけは気丈に、
「お前は…………」
「? 何かしら?」
赤石に嫣然と微笑みかけ、高梨は対応した。
お前は、そんなに弱い人間だったのか。
中学の頃の業績から考えて、相当に心の強い芯の通った人間だと思っていた。だが、そんな風には見えない。
お前は、何に脅えているんだ。
お前は、何を思ってこんなことをしているんだ。
お前は一体、何なんだ。
演技なのか?
これも演技なのか?
何かしらの心算がある演技なのか?
それとも、何かお前には成すべき大義があるのか? 何かやりたいことがあるのか?
無数の感情が、湧出する。
疑ってはいけない。
咄嗟に、そう思った。
震える高梨を見て。
儚げな高梨を見て。
恩義ある高梨を見て。
心が弱いのか、と見紛ってしまうほどの高梨を見て。
理想像たるそれに近い高梨を見て。
精神的に優位に立った今。
赤石は、そう思った。
たとえ高梨が悪人になっていたとしても、疑ってはいけない。
そう、思った。
それはあまりにも安直だったのかもしれない。
あまりにも子供じみた、ただの下心に基づくものだったのかもしれない。
中学の頃からの恩義を引きずっているからなのかもしれない。
もしくは、よりどす黒い自分の、醜すぎる自分の、認めることすら認められない、下賤な自分の、心根にはびこった何かからか。
精神的に優位に立ったが故の慢心か。
助けてもらった恩義か。
尊敬できると感じている敬意か。
だが、思った。
守らないと。
何か高梨は、見えないものに脅えている。
守らないといけない。
そう、思った。
高梨を守れば、高梨から慕われるのかもしれない。
そんな感情が芽生えているのか。それも、本質的に櫻井に似たる感情が自分の中に芽生えているのか。
そんなことは、考えなかった。
何度も何度も、高梨の評価が二転三転する。
変わっている、変わっていない、変わっている、変わっていない、変わっている、変わっていない、変わっている、変わっていない。
何度も何度も、評価を覆す。
どうして高梨一人の行動でここまで悪感情を抱いたり、好印象を抱いたりするのか。
どうしてこんなにも評価を変えるのか。
そもそも、どうして自分は高梨に対して評価なんて大層な事をしているのか。
自分は、高梨のことをどう思っているのか。
「…………」
赤石自身、気付いていなかった。
それが、一種の感情に基づくが故の評価の変化だということに、気付いていなかった。
その一種の感情が故に高梨を良い奴だ、悪い奴だ、と決めつけようとしていたことに、気付いていなかった。
「はぁ…………」
一度、大きな深呼吸をする。
赤石は、深く息を吸う。
高梨を評価する原因が何に起因していようと関係ない。
もう、高梨が変わっていようと変わっていなくとも、そんなものは関係ない。
自分は、高梨と仲良くしたい。
ずっと、そう思っていた。
自分は、高梨と仲良くしたい。
それを、高梨の一挙手一投足を見て自分が高梨と仲良くする理由がないと、そういう理由が欲しいと、高梨と仲良くする理由が欲しいと、そう考えていただけだった。
それが故の自己問答だった。
高梨と関わらないようにしよう。
それは一種の、好意の裏返しだった。
高梨は闇に飲まれた。
かつての高梨はいない。
だから高梨と仲良くする必要はないんだ。高梨と仲良くするのは間違いなんだ。そう、自分に言い聞かせようとした。
高梨から離れる理由を、必死で探そうとした。
それが、間違いだった。
もう、諦めよう。
いや、始めよう。
自分と対峙することを。
自分の、どうしようもない心と対峙することを。
高梨と向き合おう。
自分は、高梨と一緒にいたい。
そして、変わったとしたならば、高梨を正しい方向へと導きたい。
今の高梨は、少なくとも自分が知っている理想像のようなものからは遠くかけ離れている。
だから。
だから、以前のように慈悲深い、そして誰からも尊敬されるような高梨に、戻してやりたい。
いや、性格は元から変わっていないのかもしれない。
でも。
それなら。
それなら、誰にでも尊敬されるような性格に、してやりたい。
それは、赤石の一種のエゴだった。
他人を変えてやりたいという、高梨だからこそ変えて、誰からも尊敬されるようにしてやりたいという、一種のエゴだった。
完全な、自己満足による心理だった。
高梨は一連の盗撮事件について、裏で手を引いていたのかもしれない。
高梨は櫻井に気に入られたいがために今自分と関わっているのかもしれない。
誰かに頼まれて、何か意図があって、今ここにいるのかもしれない。
それでも。
それでも、良かった。
そんなことは、どうでも良かった。
高梨がどういう人間だろうと、何を考えていようと、そんなことはどうでも良かった。
その自身の心に、嘘を吐いた。
故に、高梨を評価するに至った。
もう、どうでもいい。
高梨が何を考えているのか。そんなことは、考えても分からない。
なら。
なら、今高梨と仲良くしたって良いじゃないか。
意味もなく遠ざけても仕方ないじゃないか。
そう、自分に言い聞かせる。
赤石は、高梨を見守りたい。
人に尊敬されるべき高梨が正当な評価を得られるように、変えてやりたい。
今のままじゃ、あまりにも歪で、おかしくて、不純で、幼くて、居丈高で、毒を吐く、そんな人間に見える。
高梨はそんな評価をされているだろう。
だがそれは、間違っている。
赤石は、決めた。
高梨とこれから嘘偽りなく付き合っていくことを、決めた。
高梨を更生しようと、いや、よくしようと、決めた。
それは、あまりにも櫻井に近しい感情の萌芽。
人を矯正させる。
矯正するという名目で、オブラートに包んだ感情。
それは、矯正であり、強制である。
赤石は、まだ気付いていない。
誰の心にも存在する、一種の下卑た感情を。
櫻井と同じく、好意を持つ者を変えたいと思う。
櫻井と同じく、好意を持つ者に慕われたい。
そのために、エゴイズムを貫き通す。
そんな感情は、誰にでも起こり得ることだと。
櫻井にだけ起こる一種の事変ではないということを、赤石は気付いていない。
赤石自身の好意は、厚意は、行為は、櫻井の本質に近いということに、気付いていない。
それが、櫻井をハーレムの主たらしめる要因の一つであることに、気付いていなかった。




