第524話 駅のホームで走り回るのはお好きですか? 1
高校一年生、夏休み直前――
「ばいば~い」
「ばいば~い」
「また夏休み明けたらね~」
「ねぇ、カラオケ行かない?」
「日本、さすがに暑くなりすぎじゃない?」
生徒たちはそれぞれの思いを口にしながら、下校する。
「はぁ~……」
櫻井は大きなため息を吐きながら、学校を出ていた。
五柱の天使たちのサポーターに任命され、櫻井は随分と疲弊していた。
「ったく、なんで俺がこんな目に……」
櫻井が文句を言いながら昇降口を出ると、一人の女子生徒が腰を落とし、身をかがめ、地面に視線を這わせながら何かを探していた。
「……」
気になった櫻井は女子生徒の下まで近寄った。
「げ」
「あ」
五柱の天使が一人、八谷恭子が、しゃがみ込んだまま何かを探していた。
「一体何の用?」
「何、って別に……」
櫻井は口ごもる。
「お前こそ、こんな所でしゃがみ込んで何してんだよ」
「私は別に……」
八谷は答えるかどうか逡巡し、
「落とし物をしたから探してるだけだけど」
「……」
八谷はそうピシャリと言うと、再び落とし物探しに戻った。
「もう学校も今日で終わりだぞ? また新しいの買えば良いんじゃないか?」
必死になって探し物をする八谷に、櫻井は不思議そうな顔で聞く。
「あんたなんかに!」
八谷が声を荒らげた。
「あんたなんかに、私の気持ちは分からないでしょうね」
「……」
八谷はうつむく。
「私のたった一人の、たった一人の私の友達。その友達からもらった物が大切だなんて気持ち、あんたなんかには分からないでしょうね」
「……」
櫻井はポリポリと頬をかいた後、八谷の隣にしゃがみ込んで、一緒に落とし物を探し始めた。
「……」
八谷が横目で櫻井を瞥見する。
「別に、勘違いするんじゃねぇぞ」
櫻井は口を尖らせながら、言う。
「俺はお前らのお世話係になったから、いやいや探してるだけだからな」
「……」
八谷はふっ、と笑った。
「あっそ。じゃあ好きにすれば」
八谷と櫻井は二人で落とし物を探し始めた。
「はぁ……」
落とし物を探し始めて二時間、未だに何の成果も、得られていなかった。
「あ」
ポツポツと、雨が降って来る。
雨は次第に強くなり、ザアザアと本降りになった。
「一旦雨宿りするわよ」
くい、と八谷は親指を昇降口に向け、櫻井に雨宿りを提案した。
「分かった」
櫻井と八谷は二人で昇降口の中に入る。
「ちょっと私、先生にも何か知らないか聞いてくるわ」
「……あぁ」
トイレに行きたくなった八谷は適当な理由をつけて、櫻井の下から離れた。
十分後、ようやく戻って来た八谷の視界には、誰の姿も映っていなかった。
「ま……そうよね」
櫻井は、帰っていた。
いや。
二時間も探し物に付き合ったんだから、むしろよく付き合てくれた方か。
八谷は小さなため息を吐いたまま、雨が明けるのをまった。
「……」
三十分経っても、一時間経っても、雨は止まなかった。
「仕方ない」
諦めた八谷は雨の中、探し物を再開した。
「え……」
昇降口を出て再び校舎の周辺を探していると、車軸を流したような大雨の中、傘もささずに一人探し物をしている男が、いた。
「な、何してんのよあんた!」
櫻井その人が、雨にザアザアと降られながらも、必死に探しものを続けていた。
八谷はすぐさま櫻井に駆け寄り、自分の傘に入れた。
「何って……そんなの、探し物に決まってるだろ?」
雨に随分打たれたからか、櫻井は元気のない笑顔で、八谷に笑いかけた。
「大切なもんなんだろ?」
櫻井は八谷の傘から出て、再び探し物を始める。
「だったら、雨が降ろうが槍が降ろうが、見つけたいだろ。お前のために、見つけてやりたいんだよ。それが人情ってもんだろ」
「……もう!」
八谷はすぐさま、探し物を再開した。
「あ」
探し物を再開すること五分――
「あった!」
櫻井が大声で叫んだ。
「え、え、え!?」
「あったあったあった!」
櫻井が飛び跳ね、八谷に見せる。
「これーーーーーーーーーーーー!」
八谷は櫻井から探し物を受け取り、胸に抱えた。
「あ……」
八谷はびしょ濡れになった櫻井を傘の中に入れ、頬を染めてうつむいた。
そして、自分が嫌っていた人間と一緒になって喜んでいる自分を俯瞰して、妙に恥ずかしくなった。
「ま、ありがとうと言っておくわ」
八谷はツン、とした表情で櫻井に感謝を示した。
「……ったく可愛くねぇ女」
櫻井はため息を吐き、八谷の頭に手を乗せた。
「そうやって一人で意地張るのも悪くねぇけどよ、ちょっとは俺のことも頼ってくれていいんだぜ?」
櫻井は八谷の頭を撫でた。
「俺もお前らのお世話係に任命されたんだからさ。ちょっとは俺のことも、頼ってくれよ」
「……ま、今回のことだけはありがとうと言っておくわ」
「嫌味なヤツ~!」
櫻井と八谷はお互いに顔を見合わせ、笑い合った。
櫻井が探し物を始めて五分後には既に探し物が見つかっていたことは、誰にも知る由がないことだった。
『ドアが閉まります、ご注意ください』
鈴ノ宮高校からの最寄り駅で、八谷は一人、電車を待っていた。
生徒たち、そして校外の人たちが同様にして、駅で電車を待つ。
八谷は無線イヤホンをつけながら、憮然と時間を過ごしていた。
「わーーーーーーー!」
駅のホームに、大声を上げながら階段を下りてくる少年がやって来る。
初めての電車で舞い上がったのか、あるいはいつもそうなのか。
少年は高いテンションで、ホームを駆け回る。
「お母さん、電車――!」
少年は階段を下り、ホームを走り回った。
「おっと」
「あ」
「うわ」
少年がホームを駆け回り、少年の動線を防がないようにして、人々が少年を避ける。
縦横無尽にホームを駆け回り、時には点字ブロックの上をも駆ける。
「あっ!」
少年の動線にいながらも自分から道を譲らなかった一人の男子高校生と、正面衝突した。
「危ねぇだろうが、クソガキ!!」
一人の男子生徒は苛烈な剣幕で、少年に怒鳴りつけた。
少年の腕を力強く掴み、面と向かって少年に罵声を浴びせる。
「死にたいなら一人で死ね!」
「うええええぇぇぇぇん」
少年は怒られたことに驚き、その場で泣きわめく。
男子生徒は冷たい目で、少年を見下ろす。
高校一年生、赤石悠人その人だった。
「ちょ、ちょっと、何してるんですか!」
スマホに目を落としていた母親が息子の泣き声に気付き、すぐさま駆け寄って来た。
「あんたが母親かよ。自分の息子の面倒ぐらい自分で見ろよ」
赤石は少年を掴んでいた手を離し、少年は号泣しながら母親の下に泣きついた。
「子供に向かってそんなことするなんて、一体どういう教育受けてきたらそうなるの!?」
女は大声で赤石に怒鳴りつける。
「駅のホームで走り回るなんて、どういう教育を受けさせたらそうなるんだよ」
赤石は母親を睨みつける。
「ちょっと!」
一連の出来事を近くで見ていた八谷は、さすがに見過ごせない、と割って入って来た。制服を見るに、同じ高校の同級生であることも分かっていた。
「あんた子供に向かってなんてことするわけ!? 自分が年上だからって良い気になってどういうつもり!?」
八谷は見知らぬ男を怒鳴りつける。
女は少年の頭を撫でながら、赤石と八谷の下から距離を取る。
「お前こそどういうつもりだよ」
見も知らぬ他人から声をかけられ、赤石は不機嫌に答える。
「可哀想でしょうが、子供が! 謝りなさいよ!」
八谷は少年を指さし、大声を上げる。
「子供の親が謝るべきだろ。何を謝ることがあるのか教えて欲しいね」
「何を……って。あんた、子供を泣かしておいてそのふてぶてしい態度はどういうつもりなわけ!?」
「駅のホームを走り回ってる方が悪いだろ」
「そんなの、言い方ってもんがあるでしょ!」
「言い方があるのなら、まず俺よりも先にお前がそいつを捕まえて母親に説教するべきだっただろ」
「なんで説教なんてする理由があるのよ!」
八谷は白熱して、頭に血が上る。
「なら、お前はこいつが誰か他の人を殺したらどうするつもりだったんだ?」
「は!?」
赤石の言っている意味が分からない。
「こいつが駅のホームを走り回って、例えば小さな女の子を突き飛ばして、その子が電車に轢き殺されたらどうするつもりだったんだ? 小さな子供が死んで良かった、と喜ぶのか? こんなことになるとは思わなかった、と泣き崩れるのか? 見て見ぬふりをして、無視を決め込むのか? 誰にも止められないことだった、と悲しむのか?」
「それは……」
どもる。
「電車に轢き殺されないにしても、誰かとぶつかってそいつ自身が線路に落ちたらどうするつもりなんだ? 頭を打ったら? 誰かを傷つけたら? 誰かを線路に落としたら? お前は一体、どうするつもりなんだ? 責任を取って保証金でも出してあげるのか?」
赤石は立て続けに言葉を重ねる。
「馬鹿か、お前は。ちょっとは頭使えよ。こんな所で走り回ったら危ないだろ。誰かが線路に落ちたらどうするつもりなんだ。言ってみろ」
「そ、そんなの、なってみないと分からないでしょ!」
「なってみないと分からないから、なる前に事前に教えないといけないんだろうが」
「お母さんがいるんだから、お母さんが止めるでしょ!」
「その母親が止めてなかったから、傍若無人にそのガキが走り回ってたんだろうが」
赤石は母親を睨みつける。
「そんなに手に持ったスマホが大事ならスマホに飯でも食わせとけ、クソババア」
走り回る子供を制止させず、スマホを見続けていた母親を、赤石が口汚く罵る。
「そんな言い方ってないでしょ! 言い方ってもんがあるでしょ!」
「何もしなかった人間が偉そうに説法垂れてんじゃねぇよ。消えろ」
赤石は八谷をしっし、と手で追い払う。
「言い方ってもんが、あるでしょ!」
「優しく言ったところで、記憶に残らないだろ。そんなにあのガキが大事なら、お前はあのガキにこれからずっと付きっ切りで学びでも与えてろ。鬱陶しいから早く消えてくれ」
八谷と話すことに興味を失ったこと、そして子供が母親に泣きついていることを確認した赤石は、八谷との会話を切り上げた。
「何あいつ」
それから何度か赤石を罵倒したが無視をされたため、八谷は子供をなだめに向かった。
櫻井なら、絶対にあんなことはしなかったのに。
八谷は私怨の籠った目で赤石の背中を睨みつける。
「きっしょ」
八谷は一人、呟いた。
「早く死ねば良いのに」
八谷は赤石の死を、強く願った。




