第521話 高梨のお見送りはお好きですか?
「行きましょう、赤石様」
赤石が家の鍵をかけたことを確認し、那須はすぐさま歩きだした。
「どこ行くんですか?」
「歩きながら話します」
「まさに今なんですが」
那須は階段を下り、時折赤石を気にしながらずんずんと進む。
「お嬢様のところまで赤石様をお連れいたします」
「歩いて……?」
赤石はぞっとする。
「いえ、私のお車でお連れいたします」
「誘拐だ……!」
赤石は青白い顔で言う。
「今はそんなお戯れに付き合っている暇はないので、ここは私の顔に免じてご乗車のほどよろしくお願いします」
「優しくしてくださいね……」
「気持ち悪いですね」
「那須さん?」
「失礼。失言でした」
那須は軽く咳払いをする。
「運転できるんですか、那須さん? 運転してるところ見たことないですけど」
「ええ。運転が出来ないと高梨財閥に採ってもらうことはできませんから」
「なるほど」
そういえば那須も高梨財閥に正式に採用されたんだったな、と思い出す。
「実は那須さん、すごい能力のある人なんですね」
「今まで赤石様は私のことをどうご覧になっていたんですか?」
こちらです、と那須は近くの駐車場まで赤石を案内した。
「こちらご乗車ください」
「高そうな車……」
赤石は那須の言われた通り、助手席に乗車した。
「では、出発します」
「安全運転でどうぞ」
「死ぬ時は一緒なので安心してください」
「……」
赤石は絶句し、那須を見る。
「冗談です。出発します」
那須は車を出した。
道中で赤石は那須に質問をする。
「で、俺は今何でさらわれてるんですか?」
「お嬢様が旅立ってしまわれるのです」
「その旅立つ、っていうのがどうにも引っ掛かってて」
赤石は額に人差し指を当て、悩む。
「もしかしてなんですけど、高梨は何か重病で……」
旅立つとはどういう意味なのか。
高梨の死を、赤石は連想する。
「いえ、全くそんなことはないですが」
「じゃあ今から死のうとしてるとか……」
「お嬢様がそんなことを!?」
那須は赤石の言葉に驚き、目を丸くする。
「いや、旅立つっていうからもう長くないのかと」
「あ、ああ」
那須はほっと胸を撫で下ろした。
「いえ、お嬢様が東京に行かれるので」
「……え?」
想定外の答えに、赤石は唖然とした。
「降ろしてもらっていいですか?」
「何故ですか?」
「どうでもいい……」
高梨が東京に行くからお見送りをさせに来たのか、と赤石はようやく察しが付く。
「高梨の見送りに今連行されてるってことですよね?」
「はい、まさしく」
「別に東京に行くくらい大したことじゃなくないですか? そんな、恋人が仕事の都合でアメリカに行くロマンスドラマじゃないんですから。東京に大学があるから東京に行くだけですよね? 大袈裟な……」
赤石はため息をついた。
「でも皆様、駅でお待ちですよ」
「皆様……?」
赤石は小首をかしげる。
「どうやらお嬢様は赤石様をお見送りに呼ばれていなかったみたいで」
「めちゃくちゃ干されてるじゃないですか。ますます行きたくないですよ、そんなところ」
「可哀想だったので私が赤石様をお連れしようと」
「余計なお世話すぎるでしょ」
赤石はどこで降りようかと思案する。
「そう言わずに。もうじき着きますので、お別れのご挨拶でも……」
「降りたい、と言えば降ろしてもらえるんですか?」
「ええ。そこからはご自分の足で帰宅なさってください」
「ガチ誘拐じゃないですか……」
えぇ、と赤石は困惑する。
「きっと良い体験になりますよ」
「なるか」
那須と話を交わす間に、二人は駅に着いた。
「到着なさいました」
「ありがとうございます」
赤石は那須の車から降りた。
「お嬢様はあちらにいらっしゃいますので」
「新幹線出る時間過ぎてないと良いですね」
赤石は那須に道を教えられ、言われた通りに向かった。
しばらく歩いたところに、高梨がいた。
「ええ、あっちでもよろしくやってるわ。あなたも頑張りなさいね」
駅構内で高梨が見知った顔と挨拶を交わしている。
高梨は上麦の頭を撫でた。
「え!?」
高梨は遠くからやって来る赤石を視認し、声を荒らげた。
「お~。遅いぞ、悠人!」
「赤石、遅い」
「もう行くけど……」
事前に高梨に挨拶をしていた須田、黒野、上麦たちが次々に赤石に声をかける。
「いや、呼ばれてなかったんだよ」
「赤石君……」
赤石は高梨の下へとやって来た。
「呼んでもないのに、何でやって来たの?」
「連れて来られてこの言い草」
赤石は那須に心の中で舌打ちをする。
「那須さんに連れて来られたんだよ」
「呼んでないのに……」
高梨は視線をきょろきょろとさ迷わせる。
高梨は須田や上麦からもらったであろう手土産を持っていた。
「あの」
「どうした」
高梨は恐る恐る赤石に聞く。
「北海道では、ごめんなさい。悪かったわ、私が」
高梨は須田たちに聞こえないように、小声で赤石に謝罪する。
「赤石君が怒ってるかと思って、つい呼びづらくて」
他の人に自分が謝罪している所を見られたくなかったが、これで赤石と離れ離れになると思うと、言わざるを得なかった。
「……?」
赤石は小首をかしげる。
「あの、赤石君に悪いこと言っちゃって」
「……ああ」
赤石は思い出した。
「別に気にしてないよ。いつも通りだし」
「……そう?」
あっけらかんとした赤石の反応に、高梨はきょとんとする。
「でも私のこと放っていったじゃない」
「それもいつも通りだろ」
「そう……ね」
思った以上に赤石が何も思っていないことを知り、高梨は戸惑う。
「いつもあんな感じだろ、お前は。いつからそんな人の目を気にして生きるようになったんだよ」
「まぁ、そうね。そうかしら」
「あんなことで俺がお前に怒るわけないだろ」
赤石は肩をそびやかす。
赤石は高梨に対して大きな恩義がある。
それは今も昔も、ずっと変わらない。
赤石は人から与えられた恩義を忘れない。自分に良くする者は根底から自分に厚意を抱いている者であると、信じて疑わない。
自分に与えられた厚意は生涯続いていくものだと、信じて疑わない。
いや。
そう信じたい。
「……」
問題が何の課題もなく解決したため、高梨は複雑な表情をする。
「もう行くのか?」
「そろそろ行くわ」
「急に言われたから手土産とか持ってきてないぞ……」
赤石はごそごそと私物を漁る。
「良いわよ、別にそんなもの」
「今渡せるのはこれくらいしかないけど」
赤石は鍵につけていたキーホルダーを取り、高梨に渡した。
「これ」
「クマールくんじゃない」
「なにそれ」
高梨は赤石から受け取ったキーホルダーを見て、そう呟く。
「このゆるキャラの名前よ」
目元に濃いクマのある羊のキーホルダーを、高梨はまじまじと見つめる。
「羊なのにクマかよ」
「良いじゃない、それくらい」
赤石はキーホルダーを指さす。
「これ、北海道に行った時に新井にもらったんだよ。本当はまた貸しっていうか、人からもらったものを他の人に上げるのは良くないのかもしれないけど、今はそれくらいしかない」
「そっか」
高梨はうっすらと微笑んだ。
「よく見たら赤石君に似てるわね、この子」
「これを俺だと思って、大切にしてくれ……」
「気持ち悪いのよ」
高梨はべ、と舌を出す。
「それはお前に預けておくよ。また立派な海賊になってから返しに来い」
「はいはい」
高梨は赤石の冗談を打ち切り、クマールくんのキーホルダーをしまった。
「でも、ありがとう」
高梨はぎゅっと拳をにぎる。
「私、とっても嬉しい」
高梨は赤石に向かって、破顔した。
「……」
高梨が笑うなんて珍しいこともあるもんだな、と赤石は呆然とする。
「じゃあ皆、私そろそろ行くわね」
「「またね~」」
高梨は赤石たちに最後の挨拶を終え、駅の中へと消えて行った。
「行っちまったなぁ」
須田は手を振るのを止めた。腰に手を当て、感慨深そうに言う。
「そんな、今生の別れじゃないんだから」
赤石は須田の隣で感傷に浸らずに、言う。
「赤石、遅い」
上麦がビシ、と赤石に指をさす。
「仕方ないだろ、呼ばれてなかったんだから」
「どして?」
「なんか俺がキレてると思ってたらしい」
「当たらずとも遠からず……」
黒野がくくく、と笑う。
「ずっとキレてる人じゃないんだよ」
「わ、笑う時もあるもんね」
船頭が赤石を慰める。
「フォローになってないんだよ。人類は笑うし怒る」
「確かに、よく嗤ってる」
「嘲笑の意味の嗤うだろ、それ」
くく、と黒野は笑った。
「まぁとにかく、高梨のお見送りできて良かったな!」
「上手いことまとまったな、じゃないんだよ」
赤石たちは喋喋喃喃と話した。
「赤石君……」
想定外の赤石の登場に緊張した高梨は、駅のホームで胸を抑えていた。
「……」
赤石から貰った羊のキーホルダーを見る。
「気に入った」
高梨はスマホでクマールくんを調べだした。
そしてクマールくんのグッズを集めることを、決意した。




