第516話 後期試験の合格発表はお好きですか? 5
「――――」
船頭はその場で泣き崩れ、赤石は船頭の隣でただただ立ちすくんでいた。
「また来年頑張れよ、な」
赤石は船頭を慰める。
「……」
船頭は顔を隠しうつむきながら、右手をひょい、と上げた。
「ん?」
「……」
船頭の右手には、受験票が握られていた。
赤石は船頭の右手から受験票を受け取る。
「一三〇二一五六、一三〇二一五六、一三〇二一五六……」
赤石は船頭の受験票に書いてあった受験番号を掲示板で確認する。
「……」
掲示板に、合格者の受験番号が貼ってある。
一三〇二一三五、一三〇二一三七――
「……」
赤石は目を凝らす。
一三〇二一四三、一三〇二一四九――
「……え」
一三〇二一五六、一三〇二一五九、一三〇二一七〇。
船頭の受験番号が、そこにあった。
「受か……ってる?」
赤石は呆然と、掲示板を見ていた。
「受か、った」
船頭が涙と洟でぐちゃぐちゃになった顔で、赤石を見上げた。
「……」
赤石は無言で、船頭の顔を見た。
「受かったーーーーーーーーーーーーー!!」
船頭はそのまま立ち上がり、赤石に抱き着いた。
「分かった分かった、分かったから」
赤石は船頭を引きはがす。
「受かった、私受かったよ!」
船頭は興奮しながら赤石に言う。
「おめでとう。これから同じ北秀院大生としてやっていこう」
「やった、やった、やったーーーーーーーー!」
船頭は飛び跳ねる。
「受かった、受かった、受かった、受かったーーーーーーー!」
船頭は涙を流しながら極上の喜びを体で表現する。
赤石は改めて、受験票と掲示板とを交互に見た。
「驚いたな……」
前期試験で落ちたのに、より門の狭い後期試験で受かるなど、想像もしていなかった。
まさかの合格に、赤石はただただ茫然としていた。
「やった、やった、やった、やった、やったーーーーー!」
船頭はその場で何度も飛び跳ねる。
「これで悠人と一緒の大学生!」
船頭は赤石の隣で、何度も何度もその喜びを表現した。
赤石の家のインターホンが、鳴らされる。
「……」
昼時、昼食を共にしようという魂胆もかねて、八谷が赤石の家にやって来ていた。
「あれ」
再び八谷が赤石の家のインターホンを鳴らす。
「……」
赤石の家からは、誰も出て来ない。
「なんで?」
昨晩遅くに赤石が帰宅したことを知っている八谷は、小首をかしげた。
「……」
今日も予定があるのか、と八谷はとぼとぼと落ち込んで帰る。
「はぁ……」
最近は赤石とすれ違ってばかりだな、と八谷はため息を漏らした。
タッパーも返してもらっていないため、昼食をかねて赤石を誘うつもりだったが、八谷の目論見は全て失敗に終わっていた。
「どうしたらいいんだろ」
八谷は小さな歩幅で、ゆっくりと家へ帰る。
「あれ」
「……?」
八谷の耳に、なじみのある声が聞こえてきた。
「恭子……?」
「……聡助」
八谷と同様に、とぼとぼと帰る櫻井が、そこにいた。
「きょ、恭子!!」
「……」
八谷を見つけた櫻井が、飛んでくる。
八谷はバッ、と櫻井から距離を取る。
「どうしたんだよ恭子、こんなところで! 偶然じゃねぇか!」
「う、うん」
八谷は嫌そうな顔で櫻井と対峙する。
「聡助は」
「あ、あぁ……」
水を向けられた櫻井は、再びテンションを落とした。
「実は俺、北秀院の後期試験受けてたんだけどさ」
「聡助が……」
そういえば、と思い出す。
今日は北秀院大学の後期試験の合格発表だったと思い出し、八谷はハッとした。
「でもさ、俺落ちちゃって」
「そう、なんだ……」
もしここで受かっていたらまた赤石と話せなくなっていたんだろうか。
八谷はほっと胸を撫で下ろした。
「残念だったわね」
「あぁ……。予備校に行って、一年浪人してまた勉強し直そうと思う」
日夜バイトに明け暮れ、時間のなかった櫻井は北秀院に受かるほどの学力を蓄えることが出来なかった。
「あと、俺恭子に言いたいことがあってさ」
「……何?」
沈んだ表情をする櫻井に、八谷が身構える。
「……ごめん!」
櫻井はその場で頭を下げ、謝罪した。
身に覚えのない突然の謝罪に、八谷は小首をかしげる。
「俺、ずっと間違ってた!」
櫻井は八谷に謝罪したまま、言葉を重ねる。
「俺、ずっと、恭子のことを苦しめてたってやっと気が付いた! 俺はずっと俺のために行動してきて、ずっとずっと恭子のことを苦しめてきたんだって、やっと気付けたんだよ……」
櫻井が涙目で八谷を見る。
「ごめん、恭子。俺が恭子を追い詰めちゃってたんだな……。俺、恭子の気持ちも考えないで一人で突っ走っちゃってさ……」
櫻井が困り笑顔で目尻を拭う。
「俺も恭子みたいになりたいと思って北秀院を受けたのに、こんな結果になっちゃってさ。本当、情けないよ、俺」
そうなんだ、と八谷は櫻井から距離を取る。
赤石の家の近くで、櫻井との会話を続けたくなかった。
「ごめん、恭子。俺、心を入れ替えるよ。大学には落ちちゃったけど、心を入れ替えてまた一からやり直そうと思う」
櫻井は笑顔で八谷に笑いかけた。
「頑張って」
八谷はそれじゃ、とその場を後にしようとする。
「……っ!?」
八谷が櫻井に手を振った最中、櫻井の後方を、赤石が、横切った。
そして赤石の横では、笑顔でスキップをする船頭が、いた。
「――――――」
息が、出来ない。
赤石と目が合う。
八谷と目が合った赤石はぷい、と視線を逸らし、そのまま先を急ぐ。
「まっ――!」
出かけた声を慌てて塞ぐ。
「え?」
遅きに失する。
声を上げた八谷に反応し、櫻井は後方を振り返った。
「……」
櫻井もまた、赤石を視認した。
赤石は横目で櫻井と八谷を見ながら、そのままその場を去った。
「だから恭子、俺のことを見ててほしいんだよ! 変わった、新しい俺を、見ててほしいんだよ!」
櫻井は何事もなかったかのように、再び八谷に向き直った。
「確かに今までの俺は恭子にとって理想的なものじゃなかったのかもしれない。でも、俺も改心したんだよ。ちゃんと相手のことも思ってした行動じゃないと、相手に誤解されたりするんだな、って分かったんだよ」
櫻井が八谷に向けて何度も言葉を発するが、八谷の耳には何も入って来なかった。
櫻井を振り切り赤石を追おうとしたが、船頭と二人でいるのに邪魔をしてはいけない、とブレーキがかかる。
「実は俺以外にも結構受験失敗してる奴がいてさ。やっぱり大学受験って運みたいな所もあるのかもしれねぇよな。皆で集まって予備校通いになるんだよ、俺たち」
八谷は櫻井の身の上話をただただ呆然と、聞いていた。
「高校を卒業するころも変な嘘の噂流されてさ、俺本当困ってたんだよ。その時俺さ、理解したんだよ。あぁ、やっぱり相手のために思ったことでも、相手から怒りを買うこともあるんだな、って学べたんだよ! 俺は自分で自分のことを強く反省したんだよ。今まで俺はずっと間違ってたんだ、ってその時やっと理解できたんだよ」
櫻井が高校卒業後に陥った状況など、どうでも良かった。
その後櫻井がどうなろうと、どう意志を変えようと、今の八谷にとっては、全く何の興味もなかった。
櫻井に何が起き、何を思ったのか、全く何の興味も、持てなかった。
「……」
今まで赤石に語った言葉も信念も、ただの嘘になり果てた。
赤石からは、今の自分は何をしているように見えたのか。
何をしていると思われたのか。
八谷はただただ呆然と、その場で立ちすくんでいた。




