第508話 初めての下宿先はお好きですか? 12
「暮石?」
赤石は辺りを見渡した。
部屋の中には、誰もいない。少なくとも、赤石の視界の中に暮石の姿は、ない。
「暮石」
赤石は部屋の中を探し始めた。
ベッドの下、クローゼットの中、トイレ、洗濯機が設置されている場所の隙間、思い当たりそうなところを探してみたが、やはり誰もいない。
「……」
赤石は部屋の扉を開けて、外に出た。
まだ暮石が家を出てそこまで時間が経っていないのかもしれない。
赤石は家の周囲を軽く見渡してみたが、暮石の姿はなかった。
「暮石……」
赤石は部屋に戻り、鍵をかけた。
暮石にスマホで連絡をしてみるが、既読にならない。
「……」
赤石は机の前に立ちすくんだ。
机に置かれた紙のメッセージを見返すが、何もない。
「暮石~」
赤石は再び家の中を探し始めた。
浴室、物置の中、扉の後ろ、探してみるが、やはり誰もいない。
「暮石」
赤石はリビングのカーテンを開けた。
「あ」
「あ」
リビングのカーテンの裏に、暮石は隠れていた。
見つかった暮石は焦りながら、丸めてくしゃくしゃにしていた紙を広げる。
「て……てってれ~」
暮石はくしゃくしゃの紙を広げ、赤石に見せた。
紙には、ドッキリ大成功、と書いてあった。
「お前……」
赤石は、はぁ、と大きなため息を吐く。
「ビックリさせるなよ、お前本当に」
「ビックリした? ビックリした?」
「どこにも行ってなかったから良かったものの」
「ドッキリ大成功~」
いぇい、とはしゃぎながら暮石はカーテンの裏から出て来た。
「赤石君」
暮石は両手で赤石の肩を持った。
「君は合格だ」
ふんす、と鼻を鳴らしながら暮石は言う。
「合格って……」
「私が急に消えたら赤石君がどうするかな、って見てたんだよ。怒り出すかな、とかぶち切れるかな、とか」
「心配になっただろ」
「赤石君はぶち切れたり怒らなかったから、合格!」
暮石は赤石に向けて親指を立てる。
「お前……」
赤石は呆れ果てる。
「まぁ、良いよもう。見つかったし」
「さっすが赤石君」
これ返すね、と暮石は赤石の財布から抜き取ったお金を渡した。
「こんなビックリさせることはもう止めてくれよ」
赤石は暮石に釘をさす。
「だ、だってだって! 赤石君が悪いんだよ! 私がお金盗むかもしれない、とか変なこと言いだしてさ! 彼女にそんな疑いかけてきたんだから、赤石君は何されたって文句言えないよ!」
「まぁ、それはそうなのかもしれないけど」
赤石は他人を信用できない。
信用しきれない。
仮に、それが暮石だったとしても。自らの彼女だったとしても、完全に信頼を置くには、抵抗があった。
「だから私が赤石君を教育してあげたんだよ! 私が本当にお金盗んでどっか行ったらこんなことになるんだよ、って教えてあげたんだよ! 私は本当に赤石君の言う通りのことをしたらどうなるか、って赤石君に教えたかったんだよ!」
ぶんぶんと暮石は腕を振る。
「疑われる方も、辛いんだからね!」
「……ごめん」
赤石はただ謝ることしか、出来なかった。
「全く……」
暮石は頬を膨らませる。
「いいよ。今度から気を付けてね」
暮石は赤石の頭を撫でる。
「私はこんなことする女じゃないから!」
「……」
暮石は不服そうな顔で、赤石を見た。
「面倒くさい女だな」
赤石はボソ、と呟いた。
暮石は赤石の呟きを、聞き逃さない。
「知ってる、赤石君?」
暮石は赤石の腰を持ち、自身に引き寄せた。
「女の子は、皆面倒くさいの」
赤石の耳元で、そう囁いた。
「……」
赤石は何度目とも知れぬため息を吐き、苦笑した。
「そうか」
「恋人になるってことは、そういう面倒くささも受け入れる、ってことだから」
「じゃあもう何も言わないよ」
「よろしい」
暮石は赤石を解放した。
「じゃ、私お風呂入って来るね」
「ああ」
暮石は着替え用の服を持って、浴室へと向かった。
「あ、これ見て!」
途中で暮石が戻り、赤石に下着を見せる。
「じゃ~ん」
今日買ったやつ、と暮石は嬉しそうに見せる。
「高ぶって来た?」
「全然」
「スケベ」
「えぇ……」
暮石は下着をすぐさま隠した。
「じゃ、お風呂入って来るけど、私の物盗まないでよね?」
暮石はにやにやとしながら、赤石に言う。
「盗まないよ」
「絶対だよ、絶対だよ!?」
「盗まない、って……」
早く行け、と赤石は暮石にひらひらと手を振り、追い払おうとする。
「盗むだけじゃないよ! 私のカバンの中とかも絶対の絶対の絶対の絶対の絶対に見ちゃ駄目だからね!」
暮石はカバンを指さす。
「女の子のカバンの中とか見たら本当に別れるから! 絶対別れるから! 絶対の絶対の絶対にダメ!」
「やらない、ってだから」
赤石は暮石のカバンに興味も示さない。
「疑われる方も辛いってこと、分かってくれないか?」
赤石は不敵な笑みを浮かべ、暮石に返した。
「べ~!」
暮石は舌を出した。
「赤石君のバカ、もう知らないから!」
暮石は不機嫌に、音を立てながら歩く。
「赤石君のスケベ! おたんこなす! 変態! お風呂も絶対覗かないでよね!」
「覗かない覗かない。早く行けよ」
暮石は部屋を出ながら、赤石を罵倒する。
そして壁に身を隠し、ちょこん、と顔だけを出した。
「……」
「どうした?」
暮石は顔を赤くする。
「全部嘘。大好き」
「……」
暮石は口を尖らせながら、言った。
赤石は肩で笑う。
「分かったよ、行けって」
「愛してるよ、赤石君」
暮石はそう言うと、浴室へと向かった。
「全く……」
赤石は暮石のカバンに視線を向ける。
あれだけ言うということは、何かこのカバンに見られてはいけない物があるのだろうか。
赤石は暮石のカバンの隣に座った。
「……」
だが、やはり暮石のカバンには触れなかった。
触ってはいけないボタンは、結局触ってはいけない。
やるなと言われたことは、結局やらない。
動物的な本能よりも人間的な理性を重視する赤石は、興味も示さなかった。
そして三十分の時間が、経った。
「終わったよ~」
浴室の方から、声が聞こえてきた。
「今から上がるね~」
「ああ」
暮石が再び壁から、ひょこ、と顔をのぞかせた。
「良いお湯でした」
「そうかそうか」
赤石は暮石に向かって歩み寄る。
「赤石君」
暮石が壁から、出て来た。
暮石はタオル一枚で体を隠し、照れくさそうに体をくねらせる。
「服……は?」
赤石は暮石のカバンを見に戻った。
「忘れたんじゃないよ」
暮石はタオルに、手をかけた。
「着て来なかっただけ」
赤石の視線が、暮石に注がれる。
暮石は赤石の視線を受けながら、ゆっくりと、それでいて確かに。
ゆっくりと。
焦らすように。
暮石は体に巻かれたタオルを取り、タオルをその場に落とした。
「ねぇ」
静かに、タオルの落ちる音だけが、その場に響いた。
細く、しなやかな暮石の肢体が顕わになる。
一糸まとわぬ、暮石の姿が、顕わに、なる。
傷跡一つなく、すべすべと柔らかい肌は、暮石の健康さを何よりも示していた。
日に焼けていない白い肌に、視線を吸い寄せられる。
暮石は目を伏せたまま、手を胸の前で握った。
風呂上がりで艶やかに光る暮石の髪が、肩にかかっている。
頬は赤く染まり、唇はぷっくりと膨らんでいる。
時折、暮石は上目遣いで赤石を見る。
まるで様子見でもするかのように。
まるで見せつけるかのように。
暮石は自身の裸体を、何一つとして隠そうとしない。
「赤石君」
赤石は暮石のその美しい身体から、視線を外せずにいた。
暮石もまた、赤石を見据えたまま、自身の身体を見せつけながら、甘く、ねだるような声で。
「シよっか?」
頬を染めながら、猫なで声で、赤石にそう言った。




