第482話 人間心理はお好きですか?
「お前は」
鳥飼は背もたれに背を預けながら、赤石に聞く。
「お前は、私の友達がこのまま一人でずっと辛い人生を送っていけば良いと思ってるんだ」
糾弾か。
赤石は鳥飼と対峙する。
「何度も言ってるけど、お前の友達とその元カレとの関係が分からないから何も言えない。お前の友達が浮気してたのかもしれないし、本当にただ騙されただけの可哀想な人なのかもしれないし、何とも言えない」
「それ、今一人で子供を育ててる女性にも同じことが言えるわけ?」
「まぁ、言えるけど……」
「子供を押し付けられてるんだから、浮気とか不倫とかあり得るわけないだろ」
「女性側が浮気をしても不倫をしても借金をしても嘘を吐いてても、基本的に親権は女性のものだよ。子供の有無じゃ、どっちが悪いかを判断できない」
「……」
「……」
赤石は空になった皿に料理を取りに行く。
「逃げるなよ」
「料理くらい食べさせてくれよ……」
赤石はしばらくの後、帰って来た。
「男の味方をするな」
帰って来た赤石が席に座る前に、鳥飼が赤石に視線を向けずにそう言った。
「俺はいつだって、弱い者の味方だよ。俺自身がそうだから」
「なら男の味方をするな」
「してないっす……」
赤石は料理に手を付ける。
「じゃあ仮に、私の友達に何の落ち度もなくて、ただ馬鹿男に騙されただけで、今そんな状況になってるんだとしたら?」
「それは……」
赤石は少し考える。
「まぁ、可哀想だな、とは思うよ」
「……ほら出た」
化けの皮が剥がれたな、と鳥飼は赤石を指さす。
「それだよ。男は男同士で連帯意識があるから、犯罪者を庇おうとする。仲間の男が女の子を凌辱したら、男は悪くない、と言い出す。お前らはクズだ」
「俺をそんな連中と一緒にしないでもらいたいね。ボスザルを嫌悪してるのに、俺がそんな奴らの味方をするわけないだろ。そもそも、そんなことをしたら俺が結婚した後に俺の嫁が、そして娘がヒドい目に遭う可能性があるだろ。擁護なんてするか。同性の擁護をしてるのは、どちらかというとお前らの方だろ」
「違う。じゃあそのクズ男のことをどう思う?」
「悪い奴だな、と思うよ」
「ほら出た。お得意の仲間意識だ。男の問題はお前ら男が責任を持って追及しろ。お前ら男がそいつらを追及して、ちゃんと養育費を払わせろ」
「えぇ……」
赤石は困惑する。
「いやぁ、難しいんじゃないか、それは……」
「やっぱりお前らのクズの連帯意識だろ」
「えぇ……」
赤石は少しの間、頭をひねった。
「例えばだが、世界には色んな犯罪があるだろ。男からの恋愛詐欺があるのと同じように、女性からの恋愛詐欺もあるだろ。男が女性から恋愛詐欺を受けたことを涙ながらに訴えたとしたら、お前はどうするんだ? その女に金を返すように皆で力を合わせて言いにいくのか? いかないだろ。ともすれば、金を騙された男の自業自得、多少の間、夢を見させた代金なら安い方だ、とでも言うんじゃないか?」
「……」
「正直、俺はそれで良いと思うし、同感だよ」
「……」
赤石は料理に手を付けた。
「世界には色んな犯罪がある。窃盗、強盗、殺人、結婚詐欺。意図的なものから、不注意で起こしてしまった犯罪もある。その大半は男によるものだから、男が悪いという点においては、俺もそうだと思う。でも、じゃあ被害に遭った人のために何か率先して動くかと言われると、俺もお前も、きっと動かないだろ。可哀想だとは思うが、それでもやっぱり自分の人生が一番だと、思うんじゃないか?」
「……」
「魅力的な女性に結婚詐欺に遭って、老後に使う二千万円が消えました。このままでは生活が立ち行かなくなって死んでしまいます。助けてください、お願いします。このままでは老後を過ごせないんです。お願いします、お願いします」
「……」
「お前らは可哀想だとすら、思わないんじゃないか? バカな老人に夢を見させてあげただとか、こんな老人が若くて美しい女と結婚できるわけないだろ、頭悪いんじゃないか、と罵るんじゃないか?」
「……」
「俺は別に、それで良いと思ってる」
「……」
赤石は料理を口に放り込み、合間合間に話す。
鳥飼は料理に手を付けず、ただただ赤石の話を聞いていた。
「男が加害者でも、女が加害者でも、やっぱり他人のことはどうでもいいんだよ。それに俺自身も、そんな奴とできれば遭遇したくない。顔を見ただけで殴ってくるような連中とまともな対話が出来ると思えない」
暴力という力を持つ男が、その力を持つだけの器があるとは限らないと、赤石は常々思っている。
「それに、一生を誓い合った男と結局離れ離れになるなんて、何が起こればそうなるのか俺はよく分からない。申し訳ないけど恋愛は俺の管轄外だし、何も言えない。俺はコメンテーターでも、人民を導くリーダーでもない。俺の主張が必ず正しいこともないだろうし、俺の今までの経験や性格から、歪んで、偏った意見だってきっと何度も言うだろう」
「……」
「果たしてそんなお互いに将来を誓い合った身で最終的にお互いを蛇蝎の如く嫌い合うなんて、俺たちの常識でそんなことが起こり得るのか、本当に全く理解が及ばない」
「別に一生を誓わなくても、体くらい許す……」
「そんなわけないだろ」
「……」
鳥飼は肩を、震わせた。
「女の子は……女の子は、弱いんだよ!」
「……」
鳥飼はそう、叫んだ。
「女の子は……弱いんだよ」
そして呟くように、そう言った。
「そんな、女性だから弱いって固定観念は良くないぞ。女性を軽視してる」
赤石自身、周りにいる女から弱いという印象を受けたことはない。
一年間のいじめを誘発させた鳥飼。
クラスの前で告白をした水城。
民意を操る葉月。
常に高慢で、だがそれが許されるほどの才能を持つ高梨。
防戦一方で話を聞くしか出来なくなるような攻撃力の暮石。
赤石の中で女は弱い、という印象を受けたことはなかった。
「そうやってまたお前は、思ってもないことを言って、自分に都合の良いように誘導しようとする」
「……」
「女の子は、どうやったって、やっぱり、弱いんだよ。一人では生きていけないんだよ。そうだよ、男の手が、必要なんだよ。パートナーが、必要なんだよ。だから、だから、そうやって逃げられたら、私たち女は、ただ、困るんだよ」
「……」
「女の子は、その時できた彼氏に簡単に体を許しちゃうんだよ……。一時的な恋愛で盲目になって、大して好きな男じゃなくても、体を許しちゃうんだよ。その時の彼氏が、自分の全てだと思っちゃうんだよ。裸の写真を撮らせて欲しいと言われたら、相手に嫌われたくなくて、裸の写真を撮らせちゃうんだよ。女の子は、弱いんだよ……。意志も身体も、本当はお前が思ってるより、ずっとずっと、弱いんだよ……」
「……」
そうか、と思った。
ようやく鳥飼の本音が見えた、気がした。
「だから、もしお前が三葉や白波のことを自分の良いように扱って、捨てるんじゃないかって、怖いんだよ……」
「……」
「女は強いだとか、一人でも生きていけるだとか、男なんていらないなんて、本当は誰も思ってないんだよ……。やっぱり大半の女の子にとって、男は支えであって、柱なんだよ。男に支えてもらわないと、やっぱり生きていけないのが、大半の女の子の総意なんだよ」
「それは……きっと、男にだって同じだよ。お互い支えあって生きていかないといけない。どっちかが欠けたら、駄目なんだろう」
「……」
「……」
きっと、自分の主張を捻じ曲げて自分の良いように話を展開しようとしていたのは、鳥飼の方なんだろう。
赤石はそう思った。
女性は強くなければいけない、一人で生きていける、支えなんて必要ない。
そう鳥飼は自分で自分に言い聞かせていた。
周囲の友人が陥る状況から異性を敵視し、そんな敵と一緒にいるならもう自分一人で生きていった方が良いと、そう言い聞かせていたんだろう。
それが鳥飼の、矜持だったんだろう。
だが現実は、違う。
男は不必要だと断定した鳥飼の信念とは裏腹に、鳥飼の周囲の友人は段々と憔悴していったんだろう。友人が陥る状況と自分の思考とのギャップに、悩んでいたんだろう。
本当に鳥飼が思っていたことは、きっと、いま口にしていることなんだろう。
「女の子には、男が必要なんだよ」
「……」
「そうだよ。やっぱり女の子には、男が必要なんだよ……。一人で生きていけるだとか、そんなことは、絶対にないんだよ……」
「……」
「男はいらないとか、産業廃棄物だとか、ゴミだとか、そんなこと本当は思ってなんて……ないんだよ。ただ男から見放されることが怖くて、ただ自分一人で子供を背負って生きていかないといけないことが怖くて、そう責め立てるしか、ないんだよ」
「……」
鳥飼はうつむく。
「だから、お前みたいに、女の子が全部悪い、だとか自業自得だ、とか言われると、反発したくなっちゃうんだよ。分かってよ、私たちの、気持ちを……」
「……」
赤石は手を止めた。
「確かに、自業自得だし、自分の見る目がなかっただけだろ、とは思ってる」
「……」
鳥飼は悲し気な目で赤石を見る。
「でも、そう思ってるのも本心だし、でも、そんな大したことじゃないよね、と思ってるのも、ちゃんと俺の本心なんだよ」
「……」
鳥飼は口を結んだ。
「男に捨てられたなんて、そんなの自分で選んだ男の話なんだから、全部自分の自己責任だろ、とも思うけど、でも、子供を一人で育てることになったからって、じゃあ人生が全部駄目になったのか、と言われると、そうは思わないのも、ちゃんと俺の本心なんだよ」
赤石は飲み物に手を付けた。
「四十や五十になってから焦り始めるくらいなら、別に若いうちに子供がいた方が良いかもしれないし、孫やひ孫の顔だって、若いうちに見れるだろ。男なんて別に騙された奴以外にもいくらでもいるし、本当に一人が嫌なら、再婚でも何でもすれば良いと思ってる」
それは紛れもない、赤石のもう一つの真実。
「ただ順番が変わっただけで、高校生でシングルマザーになったからって、人生を全部棒に振ってるわけがないし、滅茶苦茶になってるわけでもない。ただ順番が変わっただけだ。確かに今後の人生の難易度は上がるかもしれないけれど、馬鹿な男と子供を作ってしまったことを間違いだと思ってるなら、次はより良い選択をすれば良いだけだと思ってる。夫婦の三割は離婚する今の世の中で、別に自分一人で子供を育ててる人が完全に人生を失ってるなんて、俺は本当に全然そんなこと思ってないんだよ」
「……」
鳥飼は拳を握りしめる。
「これは俺の本心なんだよ。信じてもらえないかもしれないけれど、こう思ってるのも、ちゃんと俺の本心なんだよ。自分の都合の良いように話を誘導してるわけでも、心情を捻じ曲げてるわけでもない」
「……」
「完全に悪いことばかりとも言えないし、親のサポートだってきっとあるだろ。若いうちに子供がいれば、守るものを持って強くなるだろうとも思うし、若いうちの失敗は後々同じ失敗をしないために必要な経験だとも言える。確かに取り返しのつかないものも沢山あるけれど、お前の友達がただ騙されただけの女の子だとするなら、可哀想なだけの人生だとも思ってないし、人生が詰んでるわけでもない。本当に困ってるのなら、周囲の人間が、お前たちがサポートしていけば良いだけだろ」
「……」
赤石は天を仰ぎ、大きく息を吐いた。
「男に騙された馬鹿な女は自業自得だと思うし、でも、それでも大した問題じゃないよね、とも思ってる。お前がどう思ってるのかは知らないけれど、人間心理はもっとずっと根深くて、奥深くて、多面的で、複雑なんだよ。俺だってそうだし、きっとお前だってそうだろ。一面的に悪い所だけじゃあないだろうし、きっと良い所だってある。本当にどこを切り取っても問題のあるだけの奴もいるだろうが、少なくとも俺は俺の中では筋が通ったことを言っているつもりなんだよ」
「……」
鳥飼が洟を鳴らす。
「俺もお前も、自分が経験したことや環境、立場があるだろうから、主義も主張も全然違うと思う。俺だって一面的に悪い所ばかりじゃないつもりだし、お前だって一面的に悪い所ばかりだとも思ってない。思ってないし、そう信じたくない」
「……」
「例えば、弟が自分より突出した才能を持っていて、世間から多大な評価を受けているのに、自分は何の才能もない凡人だったら、兄はどう思う? 弟を誇らしいと思うだろ。俺の弟はすごいやつだ、と触れて回るだろう。でも、それと同時に、やっぱり憎らしいよね、とも思うはずなんだよ。弟を誇りに思うと同時に、でもやっぱり、兄の自分が弟よりも優れていないことに劣等感や焦燥感を覚えるとも、思うんだよ」
「……」
「憧憬と誇りと同時に、劣等感と焦燥も感じてると、思うんだよ。それが原因で弟に当たってしまうこともあるだろうし、それでも外では弟を誇るかもしれない。人間の感情はお前が思うような一面的で純粋で単純なものだけじゃなくて、もっと奥が深くて、複雑で、多面的なものなんだと、俺は思ってるんだよ」
「……」
「例えば、一緒に夢に向かって活動をしていた友達がいて、自分は何も評価されずに友達だけが評価されてしまったら、きっと純粋な喜びだけを覚えるわけじゃないと、思うんだよ。良かったね、今までの苦労が報われたね、と友達を応援して友達の成功を喜ぶと共に、なんで同じことをしてるのに自分だけ評価されないんだろう、と嫉妬心も感じると思うんだよ。なんで彼女は才能があるのに私には才能がないんだろう、と思うはずなんだよ。純粋な喜びとは正反対の感情を同時に内包することなんて、全然珍しいことでもないし、その感情自体は撞着だってしてないんだよ」
「……」
鳥飼は洟を鳴らす。
目尻を、拭う。
「だからこそ、お前には、ちゃんと俺のことを、見て欲しいんだよ。お前の中の悪意の檻に閉じ込めて、俺が純粋な悪意だけで出来ている人間だと、思って欲しくないんだよ。俺の中では、筋の通ったことをしてるつもりなんだよ。一面的に俺を悪だと断定して、そういうレッテルを貼って俺を見て欲しくないんだよ。本当は俺だって、もっと全員がよりよく生きれれば良いと思ってるし、誰も彼もを無差別的に厭悪してるつもりもない。俺にとっては確かにお前は嫌な奴だけど、でもそれと同時に、もしかしたら良い奴でもあるかもしれないと、思ってる。多面的で複雑な感情を、少しは斟酌してもらえると、俺もありがたいよ」
「……」
鳥飼は目尻を拭った。
それが赤石にとっての、強さと弱さ、建前と本音であり、鳥飼にとっての口上も、鳥飼自身の強さと弱さであり、建前と本音だった。
単純に、騙されたことを馬鹿だと断じる赤石の本音があると同時に、でもそれでも救いはあるよね、とも、思っていた。
女性は一人で強く生きていける、男なんかに頼る必要もなく、今すぐ死に絶えれば良い、と思っている鳥飼の本音と同時に、一緒に人生を歩いて欲しいとも、思っていた。
鳥飼はただ一人の女性として社会の仕組みに怒っていたが、それと同時に、パートナーと一緒に歩けない人生を深く憂慮しても、いた。
相反する赤石の建前と本音。
相反する鳥飼の建前と本音。
裏返った意見は、あるいは表裏一体でお互いの本音なのか。
赤石は鳥飼の本当の気持ちを。本心を知った。
鳥飼は赤石の建前と本音を。本心を知った。
「……別に、そんな一面的なことだけだと思ってないし」
鳥飼は目尻を拭いながら、凛然とした態度で言う。
「……そうか」
赤石もまた、凛然とした態度でそう言う。
お互いに相手の弱さを知り、何に怯え、何を信じているのか。
何を正しいと思い、何を嫌いだと思っているのかを、知ることが出来た。
相互に嫌いあっていたお互いの距離感は、建前と本音、理想と現実とのギャップを埋めることで縮まり、理解度が高まった。
「……」
「……」
二人は料理に手を付け、ようやく本格的に食事を続けた。




