第479話 特別はお好きですか? 1
赤石、上麦、鳥飼の三人が、集まっていた。
「……」
「……」
「……」
鳥飼が来たことでパワーバランスが崩壊し、不穏な空気が立ち込める。
「白波、ケーキ、好き!」
暗雲立ち込める空気を打破しようと、上麦が空元気でそう言った。
「……」
「……」
赤石も鳥飼も、何も言わない。
お互いに相手が率先して喋ると思いこみ、自分から話しだそうとしない。
「赤石、卒業旅行、楽しい!」
「……ああ」
「……」
赤石は上麦をちら、と瞥見すると、再び料理を口に運び始める。
「……」
「……」
「……」
三人が、無言で食事をする。
「あ……あぁ~! 白波、嬉しいなぁ~!」
上麦は芝居がかった表情で、歌を歌う。
「……白波、ちょっと飲み物!」
赤石と鳥飼との空気に耐え切れなくなったのか、はたまた気を遣ったのか。
上麦は赤石たちの下を離れ、飲み物を注ぎに向かった。
「……」
「……」
赤石と鳥飼は、二人目を合わせず、食事する。
「……」
「……」
斜向かいとなっている二人は、お互い相手に無関心であるかのように、食事を、続ける。
同級生でも何でもない、赤の他人かのように。
「……」
「な」
最初に口火を切ったのは、鳥飼だった。
鳥飼の声を聞き、赤石は顔を上げた。
「……」
「……」
赤石は鳥飼を見るが、鳥飼は赤石に一声かけた後、言葉が続かない。
「……」
鳥飼は何かを言おうとして、言葉を飲み込んだ。
「……ごめん」
絞り出すかのように、鳥飼は、赤石にそう言った。
「別にもういいよ。過去は覆らない。終わったことは取り戻せない。昔を気にしてても、今は何も変わらない」
「……」
鳥飼の言葉を待ってから、堰を切ったかのように、赤石は話した。
「これからどうするかしか、俺は……俺たちは選べない。今まで何があったとしても、もうどうにもならないんだよ。相手に怨恨を残すか、囚われることを恐れて何も残さないか。それくらいしか、できることはない」
「……」
鳥飼は赤石の話を、じっと黙って聞く。
「お前は、なんであんなことをしたんだ……?」
シンプルに、赤石にとってずっと疑問に思っていたことだった。
「どんな言葉でも受け入れる……いや、お前の言葉を盾にして今さら昔の話を蒸し返したり、約束を反故にしたりしない。本音を、本心を、教えてくれ。俺は嘘で塗り固められたおためごかしなんて聞きたくない。俺たちがどんな関係性だったとしても、俺は当人に、お前に宿る真意とその真実が、知りたい」
果たして、あそこまでするようなことだったのか。ずっと、疑問だった。
「お前はあそこまでして、俺を殺したかったのか?」
赤石にとっては、鳥飼を責めているわけでもなかった。
ただ純粋に、赤石は鳥飼の考えが、知りたかった。
「お前を殺したかったわけじゃ、ない。ただ、純粋に、三葉と白波がお前と仲良くするのが、嫌だった。ただ、それだけ。本当に、ただ、それだけ」
「……そうか」
本当に、それだけの理由なんだろう。
だが、それこそが、鳥飼にとっては受け入れられないことだった。
「俺と関わるのが嫌だった。それだけ、なのか?」
「……まぁ」
「別に俺の一人や二人いたところで、あいつらにとっての一番は俺じゃなくて、お前のはずだろ?」
「違う」
鳥飼は据わった目で、赤石を見る。
「いや、違わない。違わない……けど、やっぱり私らは男と女だ」
鳥飼は手を開いたり閉じたりする。
「彼氏が出来て、連絡を取りづらくなった女の子を何人も見た。遊ばなくなった女の子を何人も見た。馬鹿な男に騙されて高校を中退、シングルマザーになる子もいた。当時付き合ってた男は逃げて、私の大好きな親友だけが傷つけられた。人生を歪められた」
鳥飼は憎しみの籠った目で、しかし赤石には視線を向けず、言う。
「女の子は……ううん、多分、誰だって。どうしても、恋人の存在に重きを置いてしまう。恋人の存在がその子の生きがいになって、人生になって、指針になって、全てになる。そうして自分の人生を放棄して、男にすがるようになって、自分の人生を失って、十代なのに人生を全部棒に振ってしまった友達を、私は何人も知ってる」
「……」
赤石は静かに、鳥飼の話を聞く。
「私は三葉と白波を男の脅威から解放したかった。ゆっくりと、でも着実に、三葉と白波の心がお前にも傾いていることを分かってた」
「……」
そして実際、赤石は暮石と交際することとなったため、何の反論も出来ない。
「このまま私が何もしなかったら、三葉が、あるいは白波がお前と交際して、人生の全てをお前に捧げることになる。女の子の人生は、男に捧げるためにあるんじゃない」
「別に、お前が暮石か上麦にそう言えば良いだけなんじゃ……?」
「女の子の人生は、男に捧げるためにあるんじゃない。あるんじゃない……けど、私が何を言っても、馬鹿な男に人生を捧げちゃう女の子がいる。だから、私は、そんな女の子を救いたい。騙されて人生を狂わされる女の子を、助けたい。だから、私は、三葉と白波を守るために、例え自分がどれだけ汚れ役になったとしても、例え自分がどれだけ傷ついても、三葉と白波を守りたかった」
「……」
道理は、通っているのだろうか。
何故、その過程であんなことになってしまったのか。
「それに……」
鳥飼は声を震わせる。
手を震わせながら、赤石を、指さした。
「お前は……絶対に、女の子の人生を、滅茶苦茶にする男だからだよ」
震える指で、鳥飼は、赤石を指さす。
「……」
やはり、そう思われていたのか。
赤石は、何も言えなかった。
「お前は絶対に女の子の人生を、滅茶苦茶にする。自分本位で身勝手なそのお前の腐った性根は、絶対に女の子の人生を、滅茶苦茶にする。女の子の人生を、絶対に、滅茶苦茶にする」
「……」
赤石は一息、ついた。
自分がそうでないという自信は、自分にも、なかった。
「女の人生は男のためにあるんじゃないし、男のために捧げるものでもないんだろ? そんな俺の一人や二人いたところで、暮石や上麦がそうなるように思えないぞ。お前は暮石や上麦の意志を軽視しすぎてる」
そしてそれも、赤石の本心だった。
例え自分がどれだけ女の人生をダメにする男だったとしても、暮石や上麦がそうなることを唯々諾々と飲み込むとは、思えなかった。
「いや、そうなる。女の子は弱いんだ。三葉だって白波だって、それは例外じゃない。馬鹿な男に騙されて、滅茶苦茶にされて、これからの人生を全部棒に振る。お前みたいな悪意の塊は三葉や白波を騙して、二人の人生を滅茶苦茶にする。絶対に、だ」
鳥飼は赤石にさした指を、下ろさない。
「暮石や上麦が俺より弱い、と? 俺はそうは思えないね。暮石や上麦と俺を比較するなら、俺だってあの二人の方が俺よりもずっと強いと思うよ。俺があいつらに勝てるビジョンが湧かない」
「いや、絶対にそんなことはない。お前は悪意の塊だ。三葉や白波を手籠めにして人生を棒に振らせて、無理矢理子供を産ませて、お前は逃げる。お前にはそう出来るだけの力が、ある」
「いやいや……」
何を言っているんだ、と赤石はため息を吐く。
意味不明な、鳥飼のただの一人相撲。
そうとしか思えなかった。
「暮石や上麦は俺より弱い? お前は自分の友達が信じられないのか?」
「信じてた友達がいた。親友がいた。みんな強くて、自分の意志を持ってて、格好良い、尊敬できる友達だった。でも、今は馬鹿な男に騙されてシングルマザー。人生を棒に振った」
「別に高校を中退したからって、人生棒に振ってるわけでもないだろ。起業でもできるし、働くことだって、なんならネットがある今なら、夢をかなえることだって何歳からでも出来る。むしろ、大学なんて遊ぶためにあるような場所に行かない分、他の人より成功する可能性だって高いかもしれない。動画でも投稿して有名になってる人なんて枚挙にいとまがないほどいるだろ」
「そういう、ところだよ」
鳥飼は芯をついたかのように、赤石の言葉を捉まえた。
「そんなこと、お前は思ってなんてない」
「……」
半分は正解で、半分は嘘だった。
「大学に行って、レールに乗って歩くことこそが成功への道で、高校で子供を産んで中退したような頭の弱い馬鹿な女は一生幸福にもなれないまま、一生他人に騙されて、自分の人生を失って死んでいくと、お前は思ってる」
「俺にどんなイメージ持ってんだよ……」
鳥飼は赤石を睨みつける。
「本音だよ。確かに、レールに乗った人生が良いと思う一面もある。でも、だからといって高校を中退したからといって必ず人生が失敗だとは、俺は到底思えない」
「嘘だね」
鳥飼は即座にそう返した。
「お前は場所と状況によって、嘘と本音とを使い分ける。どう返せば相手が今より立場が悪くなるか。どう答えれば相手が今より追い詰められるか。お前は常に本音と嘘と建前とを使い分けて、相手が泣いて謝るまで、許しをこいねがうまで、徹底的に潰そうとする」
「……」
本音と嘘と建前とを使い分けているつもりはなかったが、相手を潰そうとする、という一面においては、当たっていた。
「お前は自分の力に、無自覚だよ」
「自分の力……?」
以前にも言われたことのある、言葉。
自分は特別である、と。
力、とは一体何なのか。
意味が、分からない。
「顔も普通、運動も普通、頭も普通、特に秀でた才能もない、ただの一般人だよ、俺は」
「嘘だ」
鳥飼は赤石を見る。
赤石の中の何かを捉える。
赤石の、もっと奥の奥の奥の深層の。
赤石の、根幹に当たる部分。
赤石が自分で奥底にしまい込んでいる、澱のような、何か。
「お前は自分で自分を特別だと思ってる」
「思ってないよ」
「お前には、力がある」
「だから、何のだよ」
「……」
鳥飼は大きく、息を吸った。
そして、赤石を、赤石の中の何かを、直視する。
「言葉」
鳥飼は、ただ一言、そう言った。
「お前の話す言葉には、力がある。そしてお前自身も、それを、自覚してるはずだ」
「……」
赤石は自分の中をさらうようにして、今までの人生を、思い返していた。




