第473話 高校の卒業旅行はお好きですか? 8
2025/03/02(日)地の分を一部修正しました。
暮石から告白を受けた赤石は、二人でホテルへと戻った。
「汚れちゃったね」
「ああ」
暮石に押し倒された赤石の背中は、泥と砂で汚れていた。
「掃ったげる」
「頼む」
「オンバサラサトバハイテイソワカ!」
「祓うな」
人差し指と中指を立てて呪文を唱える暮石を見やる。
「アイアムヒューマン」
「中一イングリッシュじゃん」
「ノットゴースト」
「ごめんごめん、顔色がゴーストだったから」
「失礼すぎるだろ」
赤石はむくれた表情をする。
「まぁまぁ。愛嬌でしょ、これくらい?」
「不安だな、お前の真意が」
「はいはい、好き好き」
暮石は赤石の背中をはたき、汚れを落とした。
「汚れがしつこいから、後でちゃんと綺麗綺麗してね」
「人をしつこい油汚れみたいに」
「それはさすがに斜に構えすぎだよ、赤石氏」
ははは、と暮石は苦笑する。
「……」
「……」
まだ交際をし始めたばかりで、お互いの距離感がつかめない。
二人は顔を見合わせて、笑った。
「赤石君が今日から私の彼ぴっぴってことで、良いんだよね?」
暮石はもじもじとしながら、聞く。
「古臭い言葉」
「赤石君は女子高生に詳しくないから知らないと思うけど、全然現役で使われてる言葉だよ」
「嘘だろ……」
ふふふ、と暮石は妖しく笑う。
「あ、あと、私たちが付き合ったことはさ、黙っとかない?」
「ん?」
暮石は人差し指を立て、自身の唇に当てる。
し~、といたずらに笑いながら。
「別に良いけど、お前は良いのか?」
「ううん、私は全然。なんかさ、私たちが付き合ってるって言ったら皆気遣いそうじゃない?」
「あぁ……」
赤石と暮石の二人が同じ集団にいれば、自然、その二人への気遣いも増える。
交際とは二人の間だけで行われるものではなく、当然、集団における立ち位置も意識しながら進めていかなければならないものである。
「ほら、別れたりしたら私たち同じ集まりとか行けなさそうだし」
「もう別れる心配してるのかよ」
赤石は半笑いで暮石に目を向ける。
「でもなんか不義理な気もするな」
「皆に気遣わせる方が不義理だよ」
元々、自分から交際の有無を発信する立場ではなかったため、赤石としては大きな支障はなかった。
「やっぱり私、赤石君のことずっと好きだと思うからさ。もし別れることになっても、私とはずっと友達でいて欲しいな」
暮石は赤石に背を向けながら、呟くようにして、そう言った。
ずっと好きだから。
暮石の言葉を聞き、赤石は優しく微笑んだ。
「もしそんな未来がやって来たとしても、俺も、その後もずっと仲良くして欲しいよ」
「……ん」
暮石と赤石は拳を合わせた。
「ずっとも~」
「はいはい」
にしし、と暮石はいたずらに笑った。
「じゃあ私たちが付き合ってることは私たちだけの秘密ね」
「分かった」
「二人だけの秘密って、なんかエッチだね」
「はいはい」
「指切りしよ?」
「ああ」
赤石と暮石は指切りをした。
「……じゃ、また明日」
「あぁ、また明日」
赤石と暮石は二手に分かれ、それぞれの部屋へと戻って行った。
そして二人は日常に、返る。
赤石が自室に戻り、扉を開けると、部屋の中で筋トレをしている大男が一人、いた。
「おぉ、お帰り~」
須田が部屋でスクワットをしながら赤石に声をかける。
「旅行まで来て筋トレなんかしてんなよ」
「いやいや、こういうのは日々の鍛錬の賜物だからさ」
よ、ほ、と須田は軽々と、そして自由自在に体を動かす。
「筋肉バカ」
「良い褒め言葉」
「褒めてない」
赤石は汚れた服を脱ぎ、無造作にカバンに突っ込んだ。
「風呂入った後に筋トレなんてして、また汗かくぞ」
「大丈夫大丈夫、こんなの軽いトレーニングだからさ」
須田はそう言いながら、筋トレを続ける。
「風呂入るぞ」
「ん~」
赤石は浴室へと入り、湯を浴びる。
「お湯加減いかがですか~?」
外から須田が赤石に声をかける。
「上々だ」
赤石は浴室の外にいる須田に聞こえるように、声をあげた。
「あの、私、まだここに入ったばかりでよく知らなくて! 何か困ったことがあったら仰ってくださいね!」
「風呂屋で働いてんのか、お前は」
仕事に慣れない新人を気取る須田に、赤石が投げかける。
「名前取られるぞ」
「贅沢な名だねぇ。お前の名は人だよ。良いね、人!」
「滅茶苦茶身元バレバレじゃねぇか!」
須田との軽快なやり取りも、いつもより心地よかった。
赤石はしばらくの間湯を浴び、浴室を出た。
「気持ち良かった」
「そうかそうか、つまり君はそういう奴だったんだな」
「ずっとこんな奴だろ」
星を見に行き、暮石との交際を決め、夜もすっかり更けていた。
時計の短針も、そろそろ十二を指そうとしている。
「悪いな、俺が遅くなって。そろそろ寝るか?」
「いや、いつも俺これくらいに寝てるから」
「そうか」
赤石は部屋の中を歩き回る。
「電気消して良いか?」
「おっけ」
赤石は部屋の電気と思しきスイッチを押した。
「……」
ベッド横の照明の電気が付いた。
「ホテルのスイッチって意味分からないところ付くよなぁ」
「客にエンタメ届けてるんだろ」
「これエンタメだったの!?」
赤石は別のスイッチを探し、押した。
「お」
「お~」
部屋の照明が消え、暗くなった。
「プラネタリウムセット持ってない?」
「未来から来た猫型ロボットか、俺は」
赤石はベッドへと潜った。
「でもプラネタリウムセットって良いな」
「でしょ。悠とか好きそうだな、って思って」
「多分好きだな」
また余裕が出来たら検討してみよう、と赤石はスマホにメモしておいた。
「冷た」
布団に潜った赤石は、いの一番にそう言った。
「寒い時期のお布団って温かくて頼りになるけど、最初はとっつきにくいよなぁ」
「そうだな」
「バトルものの漫画にも、最初はとっつきにくかったけど徐々に頼りになる仲間とかいるよなぁ」
「何の話してんだよ」
赤石は布団にくるまり、スマホに手をかけた。
『女子会~』
暮石から、メッセージが届いていた。
寝巻姿の暮石が部屋でポーズを撮っている写真が、送られていた。
「……」
赤石は暮石にメッセージを返す。
「今日は色々あったなぁ~」
「そうだな」
隣のベッドで寝ている須田は、仰向けになりながらスマホをいじっていた。
「楽しかったなぁ」
「これで俺たちも高校卒業だな」
「そうだなぁ~……」
感慨深いような、長かったような。
『今、何してる?』
『電気を消して統貴と雑談』
『楽しそう。私もそっち行きたいな』
『そっちも楽しいだろ』
『もう会いたくなっちゃったもん』
赤石は暮石とメッセージを交わしながら、須田と話す。
「まさかあの高梨とこんな遊ぶような仲になるなんて、思ってもなかったよなぁ」
「そうだな」
赤石と須田から見た高梨は、もっと高潔で、強く、努力家で、何よりも正しさを追い求める、才知ある女性だった。
高梨とここまで距離が近くなることは、二人とも考えてもいなかった。
「もっと高潔でとっつきにくい人かと思ってたよなぁ」
「そうだな」
それは赤石にとっても同じで、赤石にとっての高梨は、道標のようなものだった。
「そういう意味で言えば、高梨も最初はとっつきにくいけど後々頼りになる仲間みたいな、冬の布団みたいなものなのかもなぁ」
「変な例えだな」
高校を卒業して高梨と会えなくなることだけが、心残りだった。
『ちょっとエッチ写真』
服をはだけた、寝巻姿の暮石の写真が送られてきた。
赤石は咄嗟にスマホの画面を隠した。
『変なもの送って来るな』
赤石はスマホを隠しながら暮石にメッセージを返す。
『彼氏特権』
『それはどうも』
むず痒いような、夢見心地のような、妙な気分になった。
「夜だねぇ」
「そうね」
暮石の部屋も赤石と同様に照明を落としていた。スマホを触りながら同室の八谷と雑談をする。
「さっきから何撮ってるの?」
赤石のために自撮り写真をパシャパシャと撮っていた暮石に、声がかけられる。
「ちょっと写真送ろうと思って~」
「そうなんだ」
暮石は八谷に背を向けたまま、写真を撮る。
「誰に送るの?」
「ん~、恭子ちゃんでもそれは秘密~」
「そっか」
暮石の反応から、誰に写真を送るのかの想像はついた。
暮石ととりわけ仲が良いわけでもなく、浮いた噂をあまり聞かなかったため、八谷は少々面食らった。
これ以上は暮石のプライベートに踏み入れることができないと、そう悟った。
「恭子ちゃんってさ」
「……何?」
暮石が八谷に視線を向ける。
「好きな人、いる?」
「え、え、え!?」
暮石はニヤニヤしながら八谷に聞く。
「……いる」
「キャーー!」
暮石は高い声をあげた。
「え、誰!? 誰!?」
食い気味になって八谷に尋ねる。
「……秘密」
「え、同じクラス!? もしかして今回の卒業旅行のメンバーにいたりして!」
「秘密~」
「キャーーーー!」
暮石は枕を抱きしめ、興奮する。
「暮石さん……は?」
「ん~、私ぃ?」
暮石はまた、ニヤニヤとしながら考える。
「私も内緒~」
「もぉ~」
きゃはは、と二人の女子が恋話で盛り上がる。
「暮石さんって恋愛経験とか豊富そうよね」
「全然全然全然! 私なんてもう全然モテないから! モテそうに見える?」
「うん」
「全然全然! 私、恭子ちゃんみたいにかわいくないし……」
「暮石さんもかわいいよ」
「え~……嬉しい」
暮石はベッド横の照明を利用して、指でハートを作る。
「私たち、好きな人とか被ったらどうする?」
「ん~……」
八谷は暮石が赤石に投げかけた言葉を、人伝えに聞いている。
赤石から暮石に告白するわけがない以上、暮石と赤石が交際することなど、万に一つもあると思っていない。
「やっぱり譲るんじゃないかな」
「そうだよね~……」
暮石の好きな人は私の好きな人ではないけれど。
八谷は安心しきった顔で、暮石に微笑みかける。
「恋って早い者勝ちだよね、やっぱり」
「……そうかも」
暮石の言葉を聞いて、八谷も自身の恋愛を思い浮かべた。
恋は早い者勝ち。
恋愛は、友情関係にすらヒビを入れる劇物である。
相手に奪われる前に、奪うしかない。
「でも恭子ちゃんとか色んな男の人から言い寄られてるから、そういうの苦労しなさそ~」
「全然そんなことないわよ」
ふふふ、と八谷は笑った。
「暮石さんのことが好きって人も聞いたことあるし」
「嘘!? 誰!? 教えて欲しい!」
暮石はそれでそれで、と続きを促す。
「赤石君とかだったりして」
「あ~……」
八谷は言葉に詰まる。
そんなわけないでしょ、と、喉元まで出かけた言葉を、ぐっとこらえて飲み込んだ。
「南くん……とか」
「あ~」
暮石は頭をかいた。
「あいつは誰にでも言ってるからな~」
「そう……なんだ」
いままでツンケンとして、女友達とあまり恋話をしてこなかったため、八谷にとって暮石との恋話は新鮮で楽しかった。
「案外、私たち同じ人が好きだったりしてね」
「ふふふ……そうだったら困る」
「ね~」
八谷と暮石はその後、飽きるまで恋話を続けた。




