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ラブコメの主人公はお好きですか?  作者: 利苗 誓
第11章 卒業式 後編
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第472話 高校の卒業旅行はお好きですか? 7



「一回お試しで、遊びでもいいからさ、私と付き合ってみない?」


 暮石は赤石の目を見ながら、そう言った。


「……」


 声が、出ない。


 想定外の暮石からの告白に、赤石は息が詰まる。

 暮石が自分のことを好きだとは、思っていなかった。

 面と向かって気持ち悪いと言われたあの時から、暮石は常識的な感性を持った女子生徒で、常識的に断罪しただけであり、自身に対して行われる好意的なあれそれも、全て暮石の常識的な感性によるものだと、感じていた。


 そういう人間なんだろう、と、ただそう思っていた。


 事実、暮石は赤石以外の誰に対しても、赤石と同じように振る舞う。

 隣の男子生徒を性的な冗談でからかうこともあれば、女子生徒同士で群れたりもする。

 ただただ常識的で、ただただ誰に対しても好意的で、ただただ自分を好いているように見えるだけの普通の女子生徒だと、赤石はずっと思っていた。


「俺を……か?」


 赤石は何とか声を絞り出した。


「うん、そうだよ」

「……」


 暮石は赤石から視線を外さない。

 暮石と一度視線が合うと、意図的に視線を外さない限り、十秒も二十秒も、その状態が続く。


「……」


 赤石の脳裏に、暮石と交際をした後の日常が想起される。

 暮石と交際をした後、自分は一体どうなるのか。


「……」


 赤石はゆっくりと、目を開けた。


 そして――


「ごめん」


 赤石は、ただ一言、そう言った。


「無理だ。お前とは付き合えない」


 暮石と交際をした後のイメージが、全く想像できなかった。

 暮石と良い関係を築ける気が、しなかった。


「俺の中の愛は多分、暮石が思っているよりも、もっとずっと、重くて、汚くて、欠落してて、救いようがないものだ。裏切られるのは嫌だし、俺は相手からもっと愛されることを願うと思う。それこそ、暮石が思っている何倍も閉鎖的で、閉塞的で束縛的で、お互いを苦しめるようなものになると思う」


 そして何より、赤石の中の愛の定義に、暮石は当てはまらなかった。

 暮石が、その愛の定義を成せる人間だとは、思えなかった。


「ごめん」


 赤石は、暮石から目を離した。


「……そっか」


 暮石は赤石から、視線を外した。


「ちょっと、お話しよっか」

「……ああ」


 暮石はその場で軽く屈伸運動を繰り返した。


「赤石君ってさ」

「ああ」

「怒らないでね?」

「言葉ごときで俺は怒らない。ただのツールだからな」

「ふふ」


 暮石は苦笑する。


「だが、言葉の裏に隠れた害意のある攻撃には、攻撃で返さなければいけない」


 赤石はそう付け加えた。


「赤石君らしいね」


 なんだかな~、と暮石は膝を曲げる。


「んとね、赤石君ってさ、いっつも受け身だよね」

「……」


 暮石は言い当てるように、スパッと、そう言った。


「受け身だな」

「何かあってもさ、積極的に自分から何かしようとかさ、事態をもっと好転させようとかさ、もっと良くしようとか相手を貶めてやろうとか、そういうことしないよね」

「そうするだけのパワーがないんだろうな」


 そして赤石は、自分にその積極性が備わっていないことを、自覚している。

 赤石にできることは傍観と反抗のみであり、事態の好転や牽引を積極的にするタイプではない。


「自分がヒドい目に遭っても、警察に突き出してやろうとか相手を牢屋にぶち込んでやろうとか思わないタイプだよね」

「程度によるが、牢屋にぶち込んだら今度は逆に牢屋から出て来たあとが怖くなるだろ。今後何かされた時に相手を殺す手段として証拠を持っておいた方が、平穏に生きられそうだ」

「まぁ、それもそうだけどね」


 ん、と暮石は相槌を入れる。


「恋愛だって、そうだよね」

「……」

「赤石君は人に告白しようとか、交際中の人を寝取ってやろうとか、そんなことは思わないよね」

「……ああ。寝取るのはまた話が違ってきそうだが」


 事実、赤石は誰にも告白をしたことがない。

 そうするだけの勇気と積極性が、赤石にはない。


「例えそれがどれだけ成算が高いものだったとしても、赤石君は絶対に自分から告白はしないよね」

「百パーセントじゃないからな。自分が傷つく可能性を考えると、大人しくしておくのが一番だろう。まぁ、将来変わるかもしれないから何とも言えないが」

「そうだよね」


 暮石は赤石の生態の多くを、理解している。

 理解して、それを言語化している。


「恋愛ってさ、そうじゃないじゃん」

「……」


 非難するような目で、暮石はそう言った。


「そうじゃ、ないじゃん」

「……」


 暮石の言っている言葉の、意味が分からない。


「恋愛において最も重要なことって何か、分かる?」

「顔とか性格の良さとか?」

「ううん……いや、それも大事なんだけど」


 暮石は人差し指を額に当て、う~ん、と悩む。


「確かに、よっぽど顔が良かったりお金を持ってたりしたらまた話は変わって来るけどさ、私たちみたいな普通の人にとって、恋愛を成功させる上で最も大事なことって何か、分かる?」


 櫻井は何故モテるのか。

 さしてお金持ちというわけでもない、容姿が圧倒的に優れているわけでもない、何か突出した能力を持っているわけでも、社会的に成功しているわけでも、人から一目置かれるような何かがあるわけでもない。

 櫻井は、何故モテるのか。

 櫻井は、何故ハーレムを作ることができるのか。


「正解はね、積極性」


 暮石が人差し指を、立てた。


 そうだ、そう結論がつけられる。


 結局のところ、積極性がない限り、普通のスペックの人間が複数の異性からモテることなど、不可能に近い。

 それがどれだけ有害なものであったとしても、どれだけの下心をはらんだものであったとしても、積極性がない限り、普通のスペックの人間がハーレムを築くことなど、不可能に近いのだ。


「草食系男子ってあるじゃん?」


 暮石は続けて言う。


「ツケマとかピアスとかカラコンとか顔に色々付けてたりする」

「それは装飾系女子」


 冗談を言う赤石をたしなめる。


「赤石君って、典型的な草食系男子だと思うんだ」

「ああ」


 積極性の持っていない自分が草食系男子に分類されるだろうことは、赤石自身分かっていた。


「草食系男子って、モテないじゃん?」

「急に刺されたぞ」

「いや、真面目に」

「まぁ、そうだな」


 自分から告白をしない、積極性のない男子がハーレムを作ったり多くの異性から告白をされるような例は見ない。


「自分にパートナーがいるかどうかって、そういう積極性が大事だと思うんだよ、お姉さんは」

「……」


 それが、事実だ。


 ある種、赤石の中での、有害な積極性。

 それを持っているのが櫻井であり、それができることが、ハーレムを築く唯一の要因であり、全てなのである。

 ハーレムを作るには、多数の異性からモテるには、すなわち積極性が、自分から行動をすることが、肝要なのである。


「女の子ってさ」


 暮石は女子を代表して言う。


「やっぱり、白馬の王子様を待ってるんだ」


 口を尖らせながら、暮石はちら、と赤石を瞥見した。


「女の子は、自分から告白なんて普通はできないんだよ。いつだって、男の子から告白されることを待ってる」

「……」


 赤石は返答に窮する。


「だからさ、男の子が告白することこそが、女の子と交際できる唯一のキーにして、最大の要因。男なら男らしく、女の子に告白する。これだけが、交際相手がいる男の人といない男の人の、唯一にして、最も大きい違い」

「そんな……」


 暴論だ、と赤石は言いそうになる。


「男らしいとか女らしいとか、こんな時代になって古臭い。男は男らしくとか女は女らしくとか、そんなの間違ってるだろ」


 あくまで赤石は常識人ぶる。常識人を、気取る。

 いやみにも、聞こえるように。


「ううん、間違ってない。男の子が女の子に告白する。男は男らしく、女の子に告白する。女の子は女の子らしく、身を可愛くして、男の子からの告白を待つ。これが全てなんだよ」

「男らしくとか女らしくとか、そういう時代じゃないだろ」

「そういう時代じゃないことなんて、有史以来一度もなかったんだよ」


 暮石は据わった目で、赤石の瞳を覗き込んだ。


「ううん、間違ってる。いや……間違ってるって言い方はおかしいか。赤石君だって、もう分かってる」


 そうだ。

 分かっている。

 そんなこと、赤石自身、ただの一つも、思っていない。


「男は男らしく女に告白しろよ」


 暮石はドスを利かせた声で、そう言った。


「これだけが全てで、これだけが真実」


 そう言うと、肩の力を抜いて、赤石から視線を外した。


「今も女の子はね、ずっと好きな男の子から告白されないかなぁ、って待ってる。首を長くして、好きな男の子から告白されることをずっと待ってる。アカウント教えてください、とか勉強教えてください、とか好きな子にちょっかいをかけて、告白されることを、ずっと待ってるんだよ」

「そんなのお前には分からないだろ」

「ううん、違うよ。分かるよ」


 所詮赤石は、男である。


「男の子の赤石君が女の子の世界を分かるっていうのは、おかしくない? 私はずっと女の子同士で恋話してる。皆が皆、告白されたいな、って言ってる。事実、赤石君の知ってるカップルも、皆男の子の告白で始まったんじゃない?」

「……」


 そもそもカップルの知り合いがいないし、なれ初めも知らない。


「男の子の赤石君が女の子のことも分かってるっていうのは、ちょっと傲慢じゃないかな? 俺は賢いから女が何を考えてるかも分かるって思うのは、傲慢じゃないかな? いつだって一番詳しいのは、一番内部で活動してる人だよね? 現場にいる人だよね?」

「現場からの力強いメッセージ……」


 暮石の言っていることが正しいと、赤石もそう思った。


「そもそも好きなんだったら自分から告白しろよ」

「今それは私の話してることと関係がないし、主題がずれるから黙って聞いててもらっていいかな? こうあるべきとかこうするべきっていうのは、今話してることと関係がないって、赤石君でも分かるよね? 今どうなっているかを話してるんであって、どういう原因で何故そうできないかは今の話と関係ないし、話がブレて全然違う話になるからさ。分かるよね?」

「はい……」


 赤石は暮石から反論を封じられる。


「女の子はずっと、好きな人から告白されるのを待ってる。男の子は告白したら、相手と交際できる可能性がある。それができない赤石君みたいな草食系男子は、交際相手もいないまま一生一人で過ごしてく」

「一生!?」

「一生」


 急に人生ごと否定された赤石は大仰に振る舞う。


「それで赤石君みたいな草食系男子は、何をしても女が悪い、とか女が全部問題だ、とか、女がいるからこんなことになった、とか、女は頭が悪い、とか言い出すようになるんだよ。モテない自分を棚の上に置いて、女が悪いからだ、とか見る目がないからだ、とか言い出すようになるんだよ。自分の積極性がないのが原因なのに、その原因を女の子に押し付けて、自分は何も悪くないような顔をして、女の子を一方的に糾弾するの。愚かしいことこの上ないよね?」

「事実、女が全面的に悪いこともあるし、女が告白をしないならその考えも完全に間違ってるとも言い切れないだろ。女が告白したら解決する話なんだから」

「だから黙って聞いてて」

「はい」


 途中で口を挟んだ赤石は、再び押し黙る。


「原始の時代から、私たち女の子は男の子に見初められることを、告白されることをずっと待ってきた。だから、今の私たち女の子も、男の子に告白されることをずっと待ってる。環境が変わっても、生態が変わることなんてない。時代ごとに遺伝子が急に変異して、皆が遺伝子の性質を急に失うことなんて、ない。男らしくなくても良いとか、女らしくなくても良いとか、そんなこと決してあるはずない。ただの甘え。男はずっと男らしくしないといけないし、女はずっと女らしくしないといけない。それができないなら、黙って口閉じてれば良いと思うんだ」

「道徳の授業で学んだこと全否定だ」


 事実、赤石も同様に思っている。

 どれだけの美辞麗句を重ねようとも、男は男という生物であり、女は女という生物である。周りが何と言おうと、環境がどう変わろうと、遺伝子という楔から逃れることは出来ない。


 交際相手を求めるのならば、男は男らしくいなければ、いけない。

 既存のレールに乗らなければ、既存の生活に乗れない。


「でもね、いつだって例外は、あるの」

「例外……」


 赤石はそこでようやく、暮石に意識を向ける。


「私みたいに、自分から告白できる女の子だって、いるんだ」

「……」


 そして話は、戻って来る。


「でね、私みたいに告白のできる強い女の子なら、赤石君みたいな草食系の弱い男の子と付き合うことも、可能なんだ」

「……」

「これがね、草食系男子がパートナーを持つための、唯一の方法」

「……」

「自分に何の力もない、何の積極性もない平凡な赤石君が持つ、女の子と付き合う唯一の方法なんだ」

「……」


 暮石は、まくしたてる。


「自分から告白する女の子って、本当に稀なんだよ。普通の女の子が勇気を出して告白するのなんて、それこそよっぽど差し迫った時か、どうしようもなくなった時くらい。普通は男の子にちょっかいを出して、男の子に告白されるのを待つものなんだよ」

「……」


 赤石は恋愛を知らない。

 今まで積極的に恋愛に勤しんで来なかったため、赤石には恋愛が何か分からない。

 ただ愛を求め、がんじがらめに、愛してほしいとだけ、思っていた。


「赤石君はさ、自分から告白できないよね?」


 暮石が赤石に迫る。


「まあ」

「今さ、私の告白を断ったら、赤石君はこれから先、一生一人ぼっちだよ」

「……そんなことないだろ」

「ううん、そんなことある。容姿だって優れてるわけでもないし、取り立ててお金を持ってるわけでも、頭が良いわけでも、社会的な地位があるわけでも、人より優れた何かがあるわけでもない」


 暮石に追い詰められ、赤石はガードレールを背後にする。


「ううん、むしろ、赤石君なんてどっちかというと男の子としては下の下、下の下の下の下、別に格好良いわけでも頭が良いわけでもないし、性格なんて最低最悪。すぐに女の子を泣かせるし、失礼なことも平気で言うし、直情的ですぐに怒る。自分をコントロールもできないし、到底女の子とまともな関係を築けるような男の子じゃない。下の下の下の下の下の赤石君がこれから先、何の積極性も持たない、何の武器も持たないのに、パートナーができるなんてこと、あり得ない。起こりっこない。赤石君なんかが女の子と付き合えることなんて、これから先一生ないよ。そんな機会、絶対来ない。来るわけない。草食系の赤石君が草食系を止めない限り、そんなことは絶対に起こり得ない」


 暮石は赤石の両手を握る。

 指を絡め、赤石に接触する。


 暮石の汗を感じた。

 暮石の指を通して、生ぬるい汗が、赤石の指にもまとわりつく。

 赤石の手の平と暮石の手の平が重く、鈍く、接触する。


 暮石に詰められ、赤石もまた、手の平に汗をかく。

 お互いの汗が絡み合う。


「でも赤石君は、赤石君を止められない。赤石君は、赤石君であることを止められない。草食系男子の赤石君は、草食系の赤石君であることを、止められない。赤石君は、変わらないから。ううん、変われないから、と言った方が正しいかな。だから、赤石君は今を逃したら、この先一生、女の子と付き合えることなんて絶対にない」


 赤石は暮石を、引き離せない。


「……ごめん、暮石、無理だ」


 それでも赤石は、断る。

 どうしても赤石の脳裏には、暮石に言われたあの言葉が、残る。


『気持ち悪い』


 暮石が自分を好きだということに、何の合理性もない。この先、暮石に愛される未来が、想像できない。


「なんで?」


 暮石は赤石の手の平を握ったまま、聞き尋ねる。


「お前は俺が、気持ち悪いんだろ?」


 赤石は口端を歪める。


 お前は俺が嫌いなんだろ?


 かつて八谷にしたそれとは明確に異なる。

 本当に、そう思っているから。真実に即しているから。

 なんらかの意図がなければ、そんなことは、しない。


「……」


 暮石はそこで初めて、口を閉じた。


「……」

「……」


 暮石がうつむく。


 ほら見たことか、と赤石は鬼の首を取ったように、醜く、笑った。

 お前は所詮、何かあれば自分の下からすぐに逃げ出す愚か者の畜生だ、と。

 お前に愛など語れるわけがない。

 お前ごときが愛などとおこがましいことを言うな。

 お前に愛なんて存在しない。

 自分だけが愛の存在を知っていて、自分だけが愛を証明できる。


 お前は何者でもない。

 愛を知っているのは、自分だけなのだ、と。


「お前は、俺が――」


 赤石が口を開きかけた途端、


「それは」


 暮石が口を挟んだ。


「それは、赤石君が、好きだったから、なんだ……よ」


 暮石は目から涙をこぼしながら、言った。

 赤石の両手を握ったまま、赤石をガードレールまで追いつめたまま、暮石は涙を流す。


「ごめん、分からないよね……」


 暮石は、小さく呟いた。


「ごめん、ごめんね……」

「……」


 赤石は何も分からず、ただ暮石の言葉を、待つ。


「私、ずっと赤石君のことが好きだった。ずっとずっと好きだった。でも、赤石君があかねと二人きりで体育倉庫にいたことを知って、ショックだった。あぁ、なんで私じゃないんだろう、って。なんでずっと私と一緒にいたのに私じゃないんだろう、って。なんであかねなんだろう、って、ずっと思ってた。だから……」


 暮石は赤石の服に顔をこすりつけ、涙を拭う。


「だから、私はずっと赤石君が好きだったんだよ。赤石君が私を選ばないことに、腹が立ってたんだよ。だから、だから、だから……」


 だから、赤石の話も聞かず、一方的に赤石を断罪した。

 いや。

 そうしたかった。


「私だったら、赤石君になんでもしてあげるのに。私だったら、赤石君と付き合えるのに。私が一番、赤石君と仲が良かったはずなのに。だから、それでもあかねを選んだ赤石君が、許せなかった。それでもあかねを襲おうとした赤石君が、許せなかった」

「……」


 暮石は洟をすする。


「ううん、こんなの全部言い訳。全部ただのおためごかし。本当は赤石君があかねと一緒にいるのに、心底腹が立っただけ。だから赤石君に、あんな風に言ったの。ごめん、ごめんね……」

「……」


 ああ。

 そうか、と思った。


「私って、ヒドい女だよね。あの後も赤石君にずっと冷たくして、ずっと赤石君に悪者を背負わせちゃって。でも、でも、ごめん、やっぱり、許せなかった」


 暮石の気持ちが、痛いほど、よく分かった。

 暮石は自分と同じなのだ、と。


 かつて自分が八谷の心を壊したように、暮石も赤石の心を壊そうと、した。

 自分が八谷にしたことがそのまま返ってきたのだと、そう思った。


 ただただ、自分のしたことが自分に返ってきているだけだったのだ。


「赤石君なんて苦しんじゃえって、私、そう思ったんだ」


 えへへ、と笑う。

 涙を流し、洟を流し、ひどく醜く、暮石は、赤石に、笑いかける。


「私を選ばない赤石君なんて、死ぬほど苦しんじゃえって、そう、思ったんだ」


 愛と憎悪とは、紙一重である。


 愛が重ければ重いほど、憎悪にも転換される。

 何故、自分のことを選ばないのか。

 何故、自分を捨てるのか。

 何故、自分ではないのか。


 興味が、執着に。

 愛が、憎悪に。

 思いやりが、押し付けに。

 愛情が、殺意に。


 愛が重ければ重いほど、相手への憎しみもより一層、澱のように、深く、醜く、淀み、粘つき。

 赤石を社会的に殺そうとした暮石は、ある意味では赤石と同様の心因であり、ある意味では赤石よりも、より一層赤石を愛していたということでも、あるのではないか。


 赤石は泣きじゃくる暮石に、押し倒される。

 ガードレールのそばの森に連れ込まれ、赤石は背に詰めたい土の感触を感じた。

 暮石の涙が、赤石の顔に落ちてくる。


「ごめんね、何言ってるか分かんないよね。でも、それが本音。私を選ばなかった赤石君が、死ぬほど憎かった。でも、殺したいほど憎かった赤石君は、今は食べたいほど好きなんだ」


 暮石は赤石の首元に顔をうずめた。


「だから、私と、付き合ってほしい」


 暮石は赤石の首元に顔をうずめたまま、再び、そう言った。


「草食系の赤石君は、私を逃したらもう二度と女の子と付き合うことなんてできないよ」


 暮石は自分が思っているよりも、ずっと闇の深い人間だった。

 誰にでも優しく、誰にでも平等で、誰にでも明るく接してきていた暮石は、自分が思っているよりも、もっと、ずっと闇の深い、人間だった。

 愛に囚われて、愛に生きている。

 愛がために相手を傷つけて、愛がために相手を支配しようとする。


 暮石は、赤石の頬に落ちた涙を手で拭う。


「赤石君は男の子としても下の下の下の下の下の下の下、顔だって別に良くはないし、お金もないし、勉強が出来るわけでも背が高いわけでも運動が出来るわけでもないし、性格なんて最低。女の子を何人も泣かして悦に入ってるような最低最悪のゴミ。その上、積極性がなくて自分から何かをすることもできなくて、それでいて女の子から愛されることを求めてる」


 暮石は赤石を詰る。

 ただ、ひたすらに、詰る。


「赤石君がいま私と付き合わなかったら、赤石君は将来、何でもかんでも女の子のせいにして、自分が女の子から愛されないことを糾弾して、自分が原因なのに、自分の奥底にある醜い本性を隠して、なあなあにして、見ないようにすると思うよ。それで、何でも女の子が悪いことにして、赤石君はずっと一人で管を巻いて、女の子を糾弾し続けることになるよ」


 暮石は洟をすすりながら、とつとつと、話す。


「今! ここに! 私が、いるのに!」


 暮石は手を振り上げ、赤石の顔面横の地面に、振り下ろした。

 

 暮石の振るった拳が地面に激突し、衝撃で、小さな虫が羽ばたき、闇夜に溶けていく。

 赤石の顔に泥がかかる。


 三月の夜にしては、北海道は肌寒い。

 泥が、冷たかった。


 赤石と、赤石の上に乗りかかる暮石の周囲を、小さな虫が飛んでいく。


 小さな虫の声だけが、闇夜の静寂に響き渡る。


「むしろさ、いま私と付き合わない理由があるならさ、教えてよ」

「……」


 赤石は、一方的に暮石からの攻撃を受ける。


 そうか、そうなのか。


 今、自分が暮石と付き合わなければ、自分には一生そういう機会がないのか。

 言われてみて初めて、思いいたる。

 そして暮石の告白を受けない理由もないのか、と。

 自分にとっては暮石が最上であり、その他の誰とも交際をすることはないのか、と。


「別に遊びで良いって、言ってるじゃん。遊びで良いから一回付き合ってみよ、って言ってるだけじゃん。なんで? なんで駄目なの? お試しで付き合うのの、何が駄目なの?」

「……」


 暮石の数々の言葉を受け、赤石自身何が駄目なのか、よく分からなくなった。


「それって、赤石君の変なプライドだよね? 赤石君の変なプライドで、私をいじめようとしてるだけだよね? 赤石君にとっては私よりも、赤石君自身のどうでも良いプライドの方が大事なの? それって私よりも、大事にするようなものなの?」


 そうなのか。

 そうなんだろうか。


 思考が、まとまらない。

 目の前で馬乗りになって泣いている暮石を、何故自分は拒絶しているのか、分からない。


「何が駄目なのか、教えてよ」

「……」


 赤石は、声が出せない。


「でも、俺、船頭と受験の結果を――」


 そうだ。

 暮石よりもまず、船頭との約束が、残っている。

 赤石は必死に、暮石からの告白を断る口実を考える。


「私がそんな程度のことで、はい、じゃあ止めます、って言うと思った? そんなのどうでも良いから、好きにしてよ。私と付き合ってよ」

「……」


 赤石は再び、考える。


「俺は、人から愛されたいんだよ」

「私以上に赤石君のことを愛してる人っているの? いるなら教えてよ!」

「……」


 分からない。

 何も、分からない。


「お前にも俺にも、他にもっと良い人がいるかもしれないし……」


 八谷や高梨の顔が、浮かんでくる。


「その人たちはさ、赤石君にちゃんと告白してるの?」

「……」


 正式に告白をされたのは、八谷だけなのか。

 いや、八谷も櫻井への愛が憎悪に転換され、櫻井を貶めるためだけに自分に告白したのだったか。


 何も、分からない。

 暮石の告白を断る口実が、何も、浮かばない。


「それにさ、遊びで付き合うんだから、別に告白されてそっちの方が良いって思ったならその人と付き合っても良いって、言ってるじゃん!」


 そんなことは言っていない。


「そんな中途半端なことはできない」

「だったらさ! だったら、なに!?」


 暮石は声を荒らげる。


「それでも良いから付き合ってほしいって、私は言ってるじゃん! 私の思いを無視して、勝手に赤石君が聖人ぶって悦に入ってるだけじゃん! 私はそれでも良いから付き合ってほしいって言ってるだけなのに、赤石君が勝手に私はそっちの方が良いって変換してるだけじゃん! そっちの方が私は嬉しいんだよ! そうしてほしいんだよ! 遊びで良いから付き合ってほしいって、言ってるだけなんだよ!」

「……」


 暮石に反論する方法が、何も思い浮かばない。

 暮石の激情への対処法が、何も浮かばない。


「それがイヤなら、ちゃんと、腰を据えて、私と付き合ってよ! そうしてほしいって言ってる私の思いを無視する意味って何!? 何が不満なの!?」


 暮石は何度も地面に拳を打ち付ける。


「でも……」

「さっきからでもでもでもでも、うるっさいんだよ!」


 暮石は赤石の顔を両手でつかんだ。


「そもそもそんなこと、あるわけないじゃん! 赤石君のことを好きな女の子が赤石君に告白してくることなんて、あるわけないじゃん! 頭も悪い、顔も悪い、金もない、社会的な地位もない、性格はゴミ、下の下の下の下の下、すぐに怒るし、女の子の話は聞いてくれないし、皆から嫌われてるし、お前みたいな男を好きになる女なんているわけないじゃん!」

「……」


 赤石は目を丸くして、ぽかんと口を開ける。

 声を震わせながら、暮石は言葉を紡ぐ。

 

 そうか。

 それもそうか。

 自分のことを好きになる女など、いるはずもないか。


 あるいは当たり前で、言われてみれば当たり前で、どうしようもなく、当然なこと。

 自分のような性格の人間が女性から好意を寄せられるはずが、ないのだ。

 考えれば、あまりにも自然で、当たり前なこと。


「キープで良いから付き合って、って言ってんの! 他の女の子とデート行っても良いし、もっと良い人がいたならすぐに乗り換えても良いから、それでも付き合って、って言ってんの!」


 暮石は赤石の頭を掴み、顔を近づけながら、そう言う。


「赤石君みたいな、男としての価値がない、すぐに怒る下の下の下の下の下の下の男が女の子に告白される機会なんて、今を逃したら、もう一生ないって言ってるの!」

「……」

「でも!」


 暮石が赤石に、抱き着いた。


「でも、私は、そんな赤石君のことが、好き」


 赤石の耳元で、囁くように、そう言った。


「……」


 赤石の脳がショートする。

 確かに、暮石を断る理由もないのか。キープをしない合理的な理由はないのか、と、そう、思う。

 自分が間違っていたのか。

 自分の愚かで矮小なプライドが、誰かを傷つけていたのか。

 合理的に考えて、キープをしない理由はないのか。

 自分の考えが間違っているのか。

 そして、自分は暮石を逃せば、今後誰とも交際をすることはないのか。


 赤石は去る者は追わず、来る者は拒まない。


 赤石と交際をする最もシンプルにして、最も効果的な方法――


「わ、か、った……」


 ただ押して押して押して押して押して押して押して、相手がイエスと言うまで、ただ、押し続ける。


「――――――――――――――――――――!」


 言葉にならない声で、暮石が喜んだ。


「大好き!」


 そして赤石に抱き着き、そのまま赤石の頬に口付けをした。


 唐突な好意の表現に、赤石はゾワゾワと髪が逆立ち、鳥肌が立つ。


「……」


 赤石は暮石から視線を外した。


 この日、赤石は初めて人との舌戦で、敗北した。


 赤石は暮石との舌戦に完全に敗北し、ただただ暮石の思う通りの展開と、なった。











「……」


 赤石と暮石はお互いに交際を決め、そのままホテルへと戻って行った。


「……」


 赤石と暮石は、その場を後にした。

 そして、その様子を伺っていた少女が一人――


「ぐすっ……ひっ……ぐすっ……ひっ、ひっ」


 高梨が、木陰から出て来た。

 高梨の目の前で、赤石と暮石のカップリングが成立した。


 涙を流しながら、涙を拭いながら、木陰から出てくる。

 高梨が涙を流したのは、いつぶりだったか。


 星を見ることを提案し、偶然を装って告白をしようとした高梨と、赤石を直接呼びつけた暮石。

 連絡方法と、赤石への思いが、二人の結末に大きな差をつけた。


 もし、卒業旅行がなければ。 

 もし、赤石の気分が乗らなければ。

 もし、赤石が連絡を見ていなかったら。

 もし、高梨の連絡がもう一日早ければ。

 もし、暮石の連絡がもう一日遅ければ。

 もし、高梨がもっと早く告白していれば。

 もし、赤石が星を見ることを断っていれば。

 もし、高梨が赤石に会うことを提案していたなら。

 もし、暮石の思いが赤石に上手く伝わらなかったら。

 もし、高梨が暮石よりも先に会うことが出来たなら。


 そんな未来も、十分に、あった。


 恋愛とは常に、スピード勝負である。

 早い者勝ちであり、積極性の勝負である。


 積極性を持たない者は常に出し抜かれる。

 好意という本来の順位すら、早さの前には無関係である。


 運命の相手とはすなわち、最も早く思いを結実させた者であり、最も積極的だった者であり、その日その時に隣にいた者なのである。


 高梨は、あまりにも遅すぎた。

 高梨は、あまりにも本心を出すのが、遅すぎた。


 遅きに失し、心を砕かれた。


 恋愛において、行動の遅い者とは、すなわち、敗者なのである。


 相手の好意に甘んじている人間は、より手の早い者に、敗北する。



 その日、赤石と暮石が、交際をすることに、なった。


 星は、綺麗だった。





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― 新着の感想 ―
1年間愛情をどろどろに煮詰めてこうなっちゃったかぁ
櫻井ハーレムは彼女出来て崩壊したけど、これどうなるの? 旅行も後半気まずそう。赤石ファミリーも崩壊かな 暮石次第?船頭に頑張ってほしかったな⋯。 受験はせめて受かっていてほしい
ウヒョー!! マジカ!!! もう俺たちの船頭さんくらいしか勝てそうなヒロインいませんけど、修羅場とかあるんですかね? 高梨が告白レース勝つと思ったんだけどなぁ、まさかのバケモンが出てきたな
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