第471話 高校の卒業旅行はお好きですか? 6
「――君」
赤石は自分の名前が呼ばれた気がした。
「……」
赤石は辺りを見渡す。
夜も更けたが、まだ目が闇夜に慣れていない。
光あふれるホテルから出て来た赤石は、目を凝らす。
「……」
気のせいか、と赤石は再び星を見る。
「――石君」
「……?」
赤石は再び辺りを見渡した。
ぱちぱちと瞬きをした後、糸のように目を細めた。
「――赤石君」
「あ」
赤石はようやく、自分の下へと向かってきている人の影を確認した。
「赤石君~」
「来たか」
肩口で切りそろえられた髪に、朱色のヘアゴムを付けた少女が、そこにいた。
「赤石君~」
暮石三葉その人が、赤石の下へとやって来ていた。
沐浴を終えた後なのか、暮石の髪は艶があり、月の光に照らされ、光っていた。
赤石は普段見慣れない暮石の姿に、少し緊張する。
「走るなよ、危ないぞ」
赤石は遠くから暮石に声をかける。
「赤石君~」
暮石は歩く速度を緩めない。
「ゆっくり歩け、って」
「大丈夫大丈夫、私頑丈だから」
「もう怪我する前提じゃねぇか」
暮石は闇を切り裂きながら、赤石の下へとやって来た。
「お待た~」
「ああ」
「お股!?」
暮石が赤石を二度見する。
「うるさいな……」
暮石は赤石の隣に歩み寄った。
「やっほ」
「ああ」
「元気?」
「一日中一緒にいただろ」
「夜の赤石君は元気かな、って」
「俺は夜の方が元気だよ」
「夜の方が元気!?」
暮石は目を丸くして赤石の全身をじろじろと観察する。
「止めろ、変態」
暮石を向いていた赤石は、体ごと背けた。
「やっぱりお股じゃん!」
「おいおい……」
赤石はため息を吐く。
「お前までそんな下品な女になったのか?」
「私はずっとこんなだったけど」
「……まぁ、言われてみればそうか」
暮石は、言葉を選ばない。
それが下品であろうと道理に背いていようと、その場がより盛り上がるのであれば、その言葉を使うことを躊躇しない。
いわば、滅私の盛り上げ上手であると、赤石は知っていた。
「ごめんね、こんな時間に呼んで」
「いいよ」
高梨から星をみることを勧められたすぐ後に、赤石は暮石からメッセージを受け取っていた。
少し二人で話したいから外に出てくれないか、とメッセージを受け取っていた赤石は、暮石の要望に応えた。
肉眼で星を見ようと機会を伺っていた赤石にとっては、さして大きな要望でも何でもなかった。
「何してたの?」
「星を」
「ほう、ホシですかい、赤石警視総監」
暮石は口端を吊り上げ、目を鋭く光らせた。
「犯人の動向はつかめましたかい、赤石警視総監」
「警視総監は現地に出て来ないだろ」
「やっぱり上の連中は会議室でぶうたれてるばかりですからねぇ、赤石警部。現場に出ても来ないあんな役立たず共は今すぐにその椅子から降りて欲しいもですねぇ、警部」
「全くだ。事件は現場で起こってるんだ。現場を知らないお上さんがまともな指示を出来るとは思わないな」
赤石は暮石の冗談に乗っかり、上着で顔を隠す。
「して、ホシは今どうですかい、警部」
「あぁ、ここ一週間張り込んでるが素寒貧。当たり一つありゃしねぇ」
「カカカカッ、そりゃあ張り込みにも熱が入るってもんですよ、警部」
「そうだな」
赤石と暮石はガードレールに肘を置きながら、遠くを見やる。
「赤石君は星が好きなの?」
「急に」
飽きた暮石が本題に戻す。
「星っていうか空が、な」
「ふ~ん」
「ああ」
「……」
「……」
沈黙。
「今日はありがとね、本当に」
「こちらこそ」
「またこうして赤石君と仲良くできて私嬉しいな」
「俺もだよ」
暮石は星を指さしながら、言う。
「あれなんていう星座?」
「あれはピザ」
「美味しそう~。あれは?」
「あれは餃子」
「美味しそう~」
「あれは?」
「あれは水餃子」
「あれは?」
「あれは冷凍餃子」
「あれは?」
「あれは焼き餃子」
「餃子ばっかりなんだね」
「昔の人も星を見て空腹を紛らわせてたんだろ」
「あれは?」
「あれはベガ、デネブ、アルタイルで構成された夏の大三角だな。ベガとアルタイルは恋人なんだ。二人は恋人なのに、恋人に挟まれたデネブは一人ぼっちで可哀想だよな」
「急に」
赤石の説明の解像度が上がり、暮石はふふ、と吹き出す。
「あとザで終わる単語よわ」
「思いつかなかった」
「水餃子とか焼き餃子とかせこっ!」
「思いつかなかった」
もう、と暮石はきゃははは笑いながら赤石の肩を叩く。
「はぁ……」
暮石は白い息を吐く。
「やっぱり赤石君と一緒にいると楽しいな」
「……」
呟くように、ぼそ、と暮石は言った。
「そうか」
「うん」
赤石は暮石に目もくれず、答える。
「……」
「……」
しばらくの間、暮石は赤石と共に星を眺める。
「ごめんね、赤石君、あの時は」
「……ああ」
何を言いたいのかは、なんとなく分かった。
それ以上は追及しない。
「……」
「……」
「さむっ」
暮石は肩を震わす。
「赤石君?」
「うん?」
「さむっ!」
「寒いな」
「いや、そうじゃなくてさ」
ん、と暮石は片手を赤石に出した。
「服」
「これか? 似合ってるだろ」
「ちょうだい」
「新手の山賊か?」
赤石は自身の肩を抱いた。
「いやいやいや、女の子が寒くしてるんだから、服くらい貸してくれてもいいでしょ!?」
「寒いって分かってその格好で外に来たんだろ? 一回ホテル帰って服取って来いよ」
「嘘じゃん、えぇ!? 女の子のミスは男の子がカバーするものでしょ!?」
「間違った固定観念を植え付けられている……」
はぁ、とため息を吐きながら赤石は暮石に服を渡した。
「へへっ、サンキュ」
「はい」
暮石は赤石の上着に手を通した。
赤石の服の裾を掴み、顔の近くまで持って行った。
「赤石君の匂いがする……」
「気持ち悪いな」
「発酵したチーズみたいな臭い」
「失礼すぎるだろ」
「へへっ」
「そんな失礼なことを言うなら返せ!」
「や~~~だ!」
赤石は暮石から服を取り返そうとするが、暮石は赤石から逃げる。
「あはははははっ、赤石君おっそ~」
「駄目だ……受験で引きこもりすぎたから体が……」
赤石は息を切らし、膝に手をついた。
「雑~魚、雑魚! お兄ちゃんよわよわ~」
「お兄ちゃんじゃない」
暮石は赤石の下まで戻って来た。
「手伝ってあげよっか?」
息を切らしその場で座り込んだ赤石を見下ろしながら、暮石が言う。
「何を?」
「立つのを」
「じじい扱いするな」
よっこらせ、と言いながら赤石は立ちあがった。
「じじいじゃん」
「山に芝刈りにでも行くか」
「文明レベルまでじじいみたいになってる」
「文明レベルがじじいってなんだよ」
赤石と暮石は、歩いて元の場所へと戻った。
「ありがとね、赤石君」
「ん?」
「ううん」
何を言いたいかは分かっている。
だが、より深く言及するには、赤石の勇気が足りなかった。
過去のことを蒸し返せば、再び暮石と話せる気がしなかった。
赤石は再び、黙殺した。
「はぁ~……」
暮石は大きな息を吐いた。
「息白いねぇ」
「な」
はぁ、と暮石は息を吐く。
「赤石君もやって?」
「ああ」
赤石は息を吐く。
白い吐息が夜空に吸い込まれていく。
「寒いね」
「な」
暮石は手をこする。
「あっためて?」
「お前、これ以上俺の服剥ぎ取るつもりかよ」
もう何もねぇよ、と赤石は両手を広げて見せる。
「手が寒いの」
「俺も手が寒い。手袋なんて持ってきてないからな」
「嘘だ! さっきからポケットに手突っ込んで、あったかそう! カイロか何か入ってるだろ、この悪者め!」
「用意周到なことを悪者扱いするなって、おい、ちょっと」
「えいっ!」
暮石は赤石のポケットに手を入れた。
「勝利! 我、勝利の確信をしたり!」
暮石はそのまま赤石のポケットからカイロをもぎ取った。
「わははははは! 正義は必ず勝つ! ざまぁみろ、怪人め!」
「正義が何か考えさせられたよ」
暮石は赤石から奪い取ったカイロで手を温める。
「……あれ?」
暮石は小首をかしげる。
「あんまりあったかくない?」
「朝使ったやつだから」
「そんな……」
暮石は愕然とする。
「じゃあ赤石君の手も……?」
暮石は赤石の手を両手で包んだ。
「冷たい……」
「だから言っただろ」
暮石は目を丸くして赤石を見た。
「真実はこんなにも残酷なんだ……」
「そういうもんだよ」
「私は愚かだった……赤石君は温かいものなんて隠し持ってなかったんだぁ……!」
暮石はその場に崩れ落ちた。
「ふえ~ん、しくしくしく、ふえ~ん」
「嘘みたいな泣き方」
顔を隠していた手をどけ、ばぁ、と暮石は赤石を驚かせた。
「あははははははは、あはははははは」
「うるさいなぁ、全く……」
暮石は腹を抱えて笑う。
「でもちょっとあったかいよ。まだこのカイロ、死んでない」
「いや、死んでるよそいつは。現実から目を背けるのはもう止めろ、暮石」
「……ふふ」
暮石はくすくすと笑う。
「はぁ~」
「今日はため息が多いな。また、ため息合戦か?」
赤石も息を吐く。
「ん~にゃ」
暮石は赤石を見た。
「楽しいな、って」
「そうか。それは何よりだよ」
赤石は苦笑した。
「はぁ……」
暮石は吐息で手を温める。
「好きだなぁ、赤石君」
「……」
赤石は目を丸くして、暮石を見た。
「ね」
暮石は赤石を見ずに、言葉を続ける。
うわごとのように。
あるいは。
「赤石君さ」
暮石はゆっくりと、赤石を見た。
赤石と暮石の視線が、交錯する。
「一回お試しで、遊びでもいいからさ、私と付き合ってみない?」
暮石は赤石に向かって、そう言った。




