第470話 高校の卒業旅行はお好きですか? 5
「なんで俺が怒られるんだよ」
「女の子に言うセリフじゃないでしょ。私の胸を凝視して。恥を知りなさい、ゴミ男」
「俺が言った訳じゃないのに……」
高梨は乳搾りの体験を止め、赤石に代わる。
「ごめんね高梨さん、赤石君にも乳搾りの体験させてあげて、って意味で、高梨さんのおっぱいを絞らせてあげてって意味じゃなくて」
「何を言ってるのよ、あなた」
高梨は頬を赤く染め、暮石から視線を外す。
「そんなこと分かってるわよ。誤解をさせた赤石君が悪いわ。あなたは何も悪くないわよ」
「この世の不条理すぎるだろ」
赤石は高梨に代わって、乳搾りの体験をした。
「どうだった?」
乳搾りの体験を終えた赤石に、暮石が話しかけた。
赤石は手をグーとパーにして感触を思いだす。
「しばらく忘れそうにないな、この体験は」
「気持ち悪い……」
赤石のコメントを聞いた高梨が、汚物を見るような目を向ける。
「物事がどう解釈されるかって観測者次第なんだってよく分かったよ」
「何を言ってるのよ」
「高梨はそういう知識で頭がパンパンだ、ってことだよ」
「なっ――!」
赤石に手痛いしっぺ返しを食らった高梨は、歯ぎしりをした。
「今に見てなさいよ、あなた」
「怖い怖い」
赤石は高梨から離れ、その場を後にした。
「少年よ、大志を抱けってやつじゃない、これ?」
新井が銅像の前でポーズを取る。
「写真撮って、写真!」
赤石がスマホを空に掲げ、自撮りする。
「お前の写真いらないから!」
赤石たちは観光地を次々と制覇していく。
「この鐘をカップルで鳴らしたら絶対に別れない、って伝説があるんだって!」
「なんかそういう鐘って結構日本全国色んな所にあるから、いまいちピンと来ないんだよな」
「良いじゃん、日本各地に幸せになれる鐘があるなら」
赤石たちは山頂の鐘を鳴らしに来た。
「カップルで鳴らさない?」
三千路が提案する。
「カップルなんていないだろ」
「はぁ……」
三千路はため息を吐いた。
「じゃあ私と統と悠で鳴らそっか」
「いいぜ!」
「三人で鳴らしてどうなるんだよ」
三千路は赤石と須田の肩を抱く。
「俺たちの友情は、永久に不滅だぜぇ!」
三千路がハイテンションで鐘を鳴らす。
「はぁ……」
「いぇーーー!」
赤石と須田は三千路に続く形で、声を上げた。
「見せ場終わったから、あとの皆は適当に組んでやったら良いよ」
「人でなしすぎるだろ、お前」
赤石たちは観光地を回り、北海道を満喫した。
夕方――
「じゃあ皆、また明日ね~」
「ばいば~い」
「後で部屋行くかも~!」
ホテルに着き、夕食を共にした赤石たちは散り散りになり、解散した。
「うっひょー!」
部屋に入った須田は、豪奢な部屋に歓喜していた。
二人一部屋、須田と同室でホテルの部屋を予約していた赤石が、遅れてやって来る。
「綺麗な部屋だな」
「ベッド飛び込もうぜ!」
「嫌だよ、体汚いだろ」
「それもそうか」
須田はベッドの端に、ちょこんと座った。
「いやぁ、楽しかったなぁ」
「な」
赤石はその日のうちに撮った写真を見返す。
金箔を口の周りにつけている上麦、銅像の真似をする新井、須田、三千路、三矢。
真剣に牛の乳を搾る平田、撮られていることに気付き眉を顰める平田。
山頂から広がる景色に目を奪われる花波、赤石に無理矢理写真を撮らせた八谷。
高梨の身の回りの世話をする那須、そして那須に絡みつく未市。
動物に向かって威嚇する京極、動物に威嚇され怯える佐藤。
餌やりの体験をする暮石、鳥飼、上麦の三人。そして照れくさそうにピースサインをする鳥飼。
見れば、一日の思い出が沢山だった。
高校最後の卒業旅行、依然として一人を貫いていた赤石の周りには、いつの間にか、沢山の人がいた。その縁を話したくない大勢の人が、赤石の周りには、いた。
「……」
赤石はスマホの写真を一枚一枚、ゆっくりと見返しながら、嘆息した。
「……」
赤石はベッドに背を預け、天井を見た。
「楽しかったな」
遅れて、須田の質問に、返答する。
本当に、本当に、楽しい、旅だった。
高校三年間、辛いことや嫌なこと、許せないことや不愉快なこともたくさんあった。
だが、総じて、彼ら彼女らとの縁を結べたことは、赤石にとって小さくない喜びでも、あった。
「そうだなぁ」
須田は、道中で買った謎の置物を見ながら、そう答えた。
「悠、ベッドに寝ころんでんじゃん!」
赤石に視線を向けた須田が、指摘する。
「ヤバいヤバい」
赤石は起き上がり、埃を払った。
「ホテルの店員さんに迷惑がかかるな」
「本当だよ、全く……」
ふっ、と須田は笑う。
「疲れたな、今日はもう」
「ああ」
「先風呂入って良い?」
「ああ」
須田は浴室へと入る。
「覗かないでよね、エッチ!」
「覗くわけないだろ」
須田は浴室のドアを閉めた。
「……」
写真を眺めていると、赤石のスマホがブブ、と震えた。
『外を見てみなさい』
高梨から、一件メッセージが来ていた。
「これは……」
カーテンを開けた赤石は空を見て、声を失った。
地元では見られないほどの数多の星が、夜の空に浮かんでいた。
「……」
色々な観光地を見て回ったが、赤石にとっては、それが最も心を打つものであった。
様々な星の一つに自分たちがいるのであると自覚させられる、雄大な光景。
赤石の腕に鳥肌が立つ。赤石は腕をさすった。
「綺麗だ……」
赤石の地元でも、多くの星を見ることは出来た。
だが、北海道のそれは、地元をはるかに上回る美しさだった。見たことのないような量の星々が空に浮かび、その一つ一つが、自分自身の想像をはるかに上回る大きさであることを、赤石は知っている。
まるで自分が太刀打ちできないような遠大で神秘的なそれを見ることは、赤石にとって小さくない感動だった。
手を伸ばせば届きそうな光が、赤石の目に入る。
小さく、それでいて美しい星の光が、夜の闇を彩っていた。
「……」
赤石はしばらくの間、うっとりと空に見惚れていた。
ブブ、と赤石のスマホが再び震える。
「生で見てみなさい。絶景よ」
「……」
ごくり、と生唾を飲み込む。
窓越しではなく、地面に足をつけて。
ホテルを離れ、地に足をつけて見る星は、今見ているそれよりも、より一層感動のあるものなのだろう。
「……」
赤石は浴室へと向かった。
「ちょっと外へ出てくるけど良いか?」
「オッケー」
「鍵、借りるぞ」
「オッケー! ちゃんと閉めてってくれよ~」
「らじゃ」
赤石は鍵とカバンを持ち、ホテルの一室を出た。
赤石にメッセージを送ったのと同じタイミングで、高梨はスマホを確認した。
「白波」
「なに~」
下着だけでベッドに寝転がり、足を投げている上麦に、高梨が声をかける。
「少し外に出てくるわ」
「ん~!」
高梨は出来る限りのお洒落をして、ホテルの一室を出た。
「よし……」
高梨は気合を入れる。
「……」
高梨は再びスマホを見た。
『見に行ってみる』
赤石から返信が来ていた。
「赤石君……」
高梨は秘めた思いを胸に、階下へと向かった。
「赤石君……」
高梨は赤石への思いを小声で復唱しながら、通路を歩く。
「わ」
「え?」
エレベーターの前で、高梨は暮石と出会った。
「こんな夜更けにどうしたのかしら、あなた」
「た、高梨さんこそ」
高梨は突如として出会った暮石に動揺していた。
こんな夜更けに誰かと出会うとは思わず、手に力が入る。
そしてそれは、暮石も同様だった。
「私はちょっと外の空気吸おうかな~、って。ほら、北海道だし、自然豊かじゃん?」
「軽薄な女ね」
「なっ……高梨さんこそ、どうしたのさ!」
「私は……外の空気を吸おうかと」
「同じじゃん!」
あはは、と暮石が苦笑する。
暮石に合わせ、高梨も苦笑する。
「……」
「……」
気まずい沈黙が二人の間に流れる。
「じゃ、じゃあ……」
「ええ……」
目的が同じだから一緒に外を見回ろうか。
高梨にとって、今一番言われたくないセリフだった。そしてそれは、暮石にとっても同様だった。
お互いに、そう言われることを警戒したような立ち回りをしていた。
「……」
「……」
お互い、無言になる。
高梨にとっては外の空気を吸う以外の明確な目的があり、暮石にとっても同様の目的がある。
「じゃあ、一緒に……」
「あと!」
高梨が付け加える。
「ホテルの売店とかも見に行こうかと思ってるわ」
取って付けたような、目的。
暮石と行動を共にしたくないがためについた、苦し紛れの嘘。
「あぁ~……」
暮石は少しの間、考える。
「じゃ、じゃあ仕方ないね! 私もちょっと外でラーメンとかあったら行ってみようかなぁ、なんてさぁ! あはははは、あはははは!」
暮石もまた、嘘を吐く。
「あはははははは」
「ふふふふふふふ」
暮石と高梨はお互い、笑い合った。
胸三寸、お互い様々な思いを隠したまま、氷上で嘘が繰り広げられる。
エレベーターが来るまでの時間が、とても長かった。
チン、という音とともにエレベーターがやって来る。
「あ、エレベーター来たね」
「そうね」
暮石と高梨は同じエレベーターに乗り、階下に降りる。
「……」
「……」
再び、無言になる。
何か口をついて言葉を発すれば、今取り決めた約束が反故になる可能性があった。どうしても、お互いに行動を共にしたくないが故の、沈黙。
「高梨さんは、売店だよね?」
「え、ええ」
「じゃ、じゃあ……」
「ええ。元気になさいね」
「ありがとね」
高梨と暮石はそこで別れた。
「……」
高梨と暮石はお互いの動向を確認しながら、別々の方向から外へと向かった。
「……綺麗だな」
ホテルから離れ、少々離れた場所でガードレールに肘をつき、赤石は空を見ていた。
赤石は瞳をキラキラと輝かせながら、空満点の星を見る。
地面に立ち、空を見上げる行為を、赤石はいたく好んでいた。
「――い」
「……」
耳を澄ます。
赤石は誰かの声を聞いた。
ばっ、と近くを見渡すと、一人の少女が向かって来ている姿が見えた。
「――赤石君」
赤石は遠くから声の主を、確認した。




