第466話 高校の卒業旅行はお好きですか? 1
船頭は北秀院大学の中で、静かに待っていた。
日頃のけたたましさも鳴りを潜め、ただただ目の前の試験に、集中していた。
「ふう……」
手が冷たい。
かじかむ指を、必死で温める。
「大丈夫、大丈夫……」
北秀院大学しか受けていない船頭は、後期試験に落ちれば後がなくなる。
自然、一年後を待つしかなくなる。
「大丈夫、大丈夫」
船頭は学業成就のお守りをぎゅっと握った。
「大丈夫、私はやれる。大丈夫、私はやれる」
目をつぶり、自分に言い聞かせるようにして呟く。
成算は低いが、やるしかなかった。
「あ」
遠くで、三千路の姿を発見した。
三千路もまた船頭の姿に気が付き、手を振って来る。
「鈴奈ちゃん……」
船頭は破顔する。
手を、振り返す。
そんな三千路と船頭の間を、一人の男が横切った。
「……あ」
顔に大きな傷跡を作った櫻井が、そこにいた。
「……」
見知った顔を見て、船頭は眉を顰める。
何故顔に傷跡があるのか、何故ここにいるのか、同じ大学を志望していたのか、もし自分も相手も受かれば、大学生活にも関わって来るのではないか。
ぐるぐると、益体もないことを考える。
「しっかり!」
船頭は自身の頬を叩いた。
「そんなことどうでもいい。考えるのは後」
今はただ、目の前の試験に集中だけすれば良い。
船頭はふっ、と短く息を吐き、目の前の現実に相対する。
「やるぞ!」
船頭は後期試験に、挑む。
「キマシタワ~!」
「うるせぇなぁ」
後日、赤石たち一行は空港にいた。
赤石の隣で花波がテンション高く声を上げる。
「もう全部完全に終わり!」
「解放的……」
船頭たち後発組の受験も終わり、赤石たちの高校生活は、完全に幕を閉じた。
そして今、赤石、高梨を含む一行は卒業旅行に来ていた。
「で、どうしてこの人が?」
赤石たちの卒業旅行に一人混じる女に、赤石は水を向けた。
「やあやあやあ、どうもどうも」
初めまして、と女は次々に握手を求めていく。
「初めまして、未市です」
未市はニコニコと微笑みながら赤石と握手した。
「知ってます」
「初めまして」
ニコニコと微笑みながら、握る手に力が入る。
「未成年だけで旅行なんてしたら何かあった時に対応できないでしょ? だから成人済みの私が一緒に来た、ってわけ」
「多分俺たちも全員成人だと思いますよ」
「年齢では成人でも、高校生は未成年みたいなもんなの」
「本当ですか?」
騙されてる気がするな、と赤石は高梨たちを見る。
「赤石君も嫌でしょ? ご両親一緒での卒業旅行は」
「まぁ、それは」
「それに比べて、私はまだぴっちぴちの女子大生で、しかも卒業生。こんなにはまり役もいないでしょう?」
「はぁ……」
赤石は渋々ながら、未市の帯同に理解を示した。
「どうもどうも」
赤石の下を離れ、未市は参加者に握手を求めに行った。
「行ったね」
「ああ」
赤石の下に、船頭がやって来る。
「久しぶり」
「久しぶりだな」
船頭が片手をあげる。
「タクシー呼んでるのか? 俺に任せとけ」
「んなわけないでしょ!」
船頭が赤石の肩を叩く。
「本当に久しぶり」
「最近会ったろ」
「受験勉強でもう本当ヘトヘト。やっと解放された……」
「後期試験か」
「うん」
船頭は顔を伏せる。
「結果が出るまで分からないけど、私も悠人と同じ大学に行きたいから」
「……そうか」
複雑な表情を湛えたまま、赤石はぎこちなく笑みを浮かべた。
「受かってると良いな」
「……そうだね」
船頭もまた、ぎこちなく笑う。
「ちょっとちょっと、私もいるんですけどぉ?」
赤石と船頭の間に、三千路が割って入る。
「大丈夫だ……。また、来年がある」
赤石は苦虫を噛み潰したような顔で、三千路の肩に手をポン、と置いた。
「いや、まだ落ちてるか分からないから! 悠人と同じ北秀院の女子大生になるかもしれないから!」
「せめて卒業旅行くらいは楽しんでくれ」
「いや、楽しめるから! 大丈夫だから!」
三千路は赤石を睨みつける。
「まだ結果が出てないから、ひとまず皆受験終わりってことで楽しめるから!」
「そうだな」
赤石はゆっくりと、立ち上がった。
「急に立ち上がると危ないよ、悠」
「じじい扱いするな」
「血圧上がるよ」
「じじい扱いするな」
「一人で歩ける? 抱っこいらない?」
「ガキ扱いするな」
「大丈夫? そんなナリでなんかバレたりしない?」
「人間に擬態する妖怪扱いするな」
久しぶりになる三千路とのやり取りに、赤石は懐かしさを覚える。
「まぁ、悠人も県外に出ないなら大学行ってからも普通に会えるんだけどね」
「まぁそうなんだけどな」
「悠人のお家にお邪魔しちゃおっかなぁ~」
「いや、別に大丈夫……」
「たこ焼きパーティーしよ?」
「私も!」
船頭が話に割って入る。
「受かっても受かってなくても、私もしたい!」
赤石と三千路は船頭を見る。
「良いよ!」
「お前が許可するな」
親指を上げる三千路の手を、赤石が下げる。
「じゃあ今回の卒業旅行くらい、目一杯楽しまないとね!」
三千路が歯を見せて、ニカッと笑った。
「じゃあ危険物通しに行こっか!」
「準備は早くするに限ったことはないからな」
赤石たちは手荷物検査へと向かった。
三千路はカッターを没収された。
「遂に来ました、北海道!」
「「「北海道!!」」」
空の旅を終え、赤石たちは北海道の地に足を踏み入れた。
「さ、皆さん! 早速水着になって!」
「えぇ!?」
三千路が手を叩き、高梨たちに水着の用意を促す。
三月の北海道は赤石たちの想定よりもずっと寒く、赤石は腕をさする。
「ほらほら、旅行と言ったらお色気じゃん?」
「水着なんて誰も持ってきてないだろ」
「全裸パーティー!?」
「全裸にもならないし、パーティーもしない」
赤石が三千路の暴走を止める。
「じゃあ早速第一の目的地、向かいましょう!」
三千路は意気揚々と、一団の先頭を歩き出した。
「赤石、赤石」
元気な奴だな、と三千路の背を見送る赤石の傍に、上麦がやって来る。
上麦は赤石の裾を軽くつまんだ。
「楽しい?」
「楽しいよ。企画者だから気を遣ってくれてるんだな」
上麦は寒さで頬を赤くさせながら、にっこりと笑った。
「良かった」
「ああ」
上麦はポケットから小さなチョコを取り出し、赤石に手渡す。
「白波チョコ」
「何故こんなタイミングで……」
赤石は上麦からチョコをもらう。
「遅れてのバレンタイン」
「完全に忘れてたぞ、そんなもの」
学校がなく、日がな勉強に勤しんでいた赤石にとって、バレンタインの存在は完全に忘却の彼方であった。
「俺もお返しをした方が良さそうだな。何が欲しい?」
「家」
間髪を入れずに、上麦が言う。
「仕方ないな……」
赤石は少し、考えた。
「特別だぞ」
赤石はカバンをガサゴソと漁り、上麦の手に置いた。
「これは……!」
上麦は目を丸くする。
「家だ!」
上麦の手には、貝殻のおもちゃが乗せられていた。
「ヤドカリの!」
上麦はおもちゃの貝殻を手に取り、眺める。
「旅行、楽しく、なる!」
上麦は目を輝かせながら、興奮気味に言った。
「卒業旅行、楽しみだな」
赤石はくすりと笑った。




