第461話 決闘はお好きですか? 3
「ちっ」
商店街で赤石に逃げられた櫻井は、大きく舌打ちをした。
「ふざけんなよ、あいつ……」
櫻井は怨嗟の表情で商店街の路地裏を抜ける。
人目の少ない場所を通り、櫻井に注目する人はいなくなった。
大通りを抜け、櫻井は酒屋の多い路地へと入って来た。
「案件を上手くこなすにはコツがあってだな」
「仕事で大事なものって何か分かるか?」
「なんかさ、大包さんってさ……あれじゃない?」
「分かる~。大包さんってなんかさ、ヤバいよね?」
「私なら出来ます、とかいきなり言い出した時笑ったよね」
「分かる~」
人気の少ない路地裏を通りながら、櫻井は歩く。
時たま、酒場から大人の声が漏れ聞こえてくる。
「ちっ」
櫻井は再び舌打ちをした。
赤石に逃げられた手前、酒場から聞こえてくる楽しげな声が、より一層耳に障った。
虫の居所が悪いまま、櫻井は険しい顔で歩く。
人気の少ない暗い路地裏を抜けようとした時、より一層不快な声が櫻井の耳をつんざいた。
「うちの嫁が、これまた本当できない嫁でさぁ」
しゃがれたダミ声が、居酒屋から聞こえてくる。
隠れ家の雰囲気を呈する居酒屋から、男の声がより一層目立って聞こえてきた。
道に少しはみ出したテーブル席から聞こえてくるそれは、櫻井にとってはひどく不快に思えた。
「何があったんスかぁ、本当に」
「いやぁ、本当嫁が何も出来なくてなぁ。駄目な嫁なんだよ、俺のは」
「「わははははははははは」」
男二人で愚痴や文句を肴に、酒を堪能していた。上司と部下との関係が見て取れた。
テーブル席が店をはみ出し、櫻井の通行の邪魔をしていた。
「作る飯はまずいわ、家に帰ったら一日何もしてなかったこともあるわ、昼はお高いご飯でランチしてるわ、ちょっとは我々サラリーマンのために何かをしようという気はないのか、とね」
「あぁ~、それは最悪ッスねぇ。まずい飯なんて食べさせられたら一日やる気でないスもんねぇ」
「いやぁ、なんであんなに毎日毎日料理してるのに上達しないのかね」
「部長のことが嫌いでわざとまずい物作ってるんじゃないスか?」
「がははははは、違いない。アレルギーある食べ物を入れてきたこともあるからね。本当にあいつは俺を殺そうとしてるのかもしれないなぁ。こんな十年も二十年も一緒にいてアレルギーすら知らないって、どういうことなのか理解に苦しむなぁ」
「滅茶苦茶命狙われてるじゃないスか。部長が死んだら、骨は拾っときますよ」
「保険金狙いだったりしてなぁ!」
「はははははははははは」
がははは、と男二人が笑う。
時刻は二十一時、夜というには少々早い時間に、男二人は出来上がっていた。
男たちの下品な笑いに、櫻井は心底イラついていた。
「嫁もちょっとは顔が良かったら全然許せるんだけどなぁ。もう毎日テレビの中の女優を見るくらいしか楽しみは、ないっ!」
「はははははは。もうちょっと愛してやってくださいよぉ。ご結婚してるんスから」
「殺そうとしてくるやつを愛すことなんてできないからなぁ」
横に大きく太り、およそ健康とは言えない体つきをした男は、煙草を吸った。
「ちょっとトイレへ」
「あ、了解ッス」
男が椅子から立ちあがった瞬間、
「おっとっとぉ――!」
「……っ!」
酩酊状態と肥満状態とが重なり、男はバランスを崩し、横を通ろうとしていた櫻井に、覆いかぶさるようにしてぶつかった。
「痛てて……申し訳ない」
男は櫻井に軽く詫びを入れ、トイレへと向かう。
「おい」
櫻井は拳を握りしめ、背を向けて去る男を睨みつけた。
「待て、って言ってんだろうが!」
「おわっ――!」
櫻井は男の背中にタックルをした。
自身より体重が軽いとは言え、後方から予期せぬタックルを食らった男はたたらを踏み、前に向かって転倒した。
「何すんだ、クソガキ!」
「人にぶつかっておいて、お前はまともに謝罪も出来ないのかよ!」
「ちょっとちょっと!」
赤石との争いで溜まったストレスが、櫻井をさらに激昂させる。
櫻井は男の胸倉を掴んだ。
「自分の嫁さんも大切に出来ねぇような奴が、偉そうなこと言ってくんじゃねぇよ!」
櫻井は倒れた男に馬乗りになる。
自分の妻を下げるような発言を繰り返す男に、櫻井は心底嫌気がさしていた。
「おいおいおいおい!」
事態の深刻さを察した部下が、櫻井を引きはがそうとする。
「なんだ、お前! 誰か!!」
急に後方からタックルをされ、馬乗りにされた男は恐怖と驚愕の表情を見せる。
周囲の人間に助けを求めた。
「そうやって自分の嫁さんを馬鹿にして、何か良いことでもあんのかよ! 自分の嫁さんも大事に出来ねぇやつが、偉そうなこと言ってんじゃねぇよ!」
櫻井は引きはがされそうになりながらも、男の胸倉をつかみ続けた。
「誰か、誰か!!」
「ちょっとちょっと、お客さん!」
店の奥から、エプロンをつけた店員が出てくる。
「店の中で暴れるのは止めてください! 店の外でやってください!」
近くにいた客も立ち上がり、櫻井たちから距離を取る。
「誰か警察呼んで!」
「自分のやってることが間違ってるって、一度も思ったことねぇねぇのかよ、お前は! こんな所で管巻いて、自分の奥さん悲しませて、そんなことしてお前は満足なのかよ! なんとか言えよ!」
「警察! 警察呼んで!!」
「お店の中で暴れないでください!」
「部長!」
阿鼻叫喚が店内にこだまする。
櫻井を止めようと、多くの人間が席を立った。
「こいつが! こいつが全部おかしいんだろうが!」
櫻井は立ち上がった有志の男たちから体を拘束され、引きはがされた。
「家にも帰らねぇで、こんなところでずっと飲みふけってるお前みたいなやつが、嫁さんを馬鹿にする権利なんてあんのかよ! 何とか言えよ!」
「何なんだ、こいつは……」
櫻井に馬乗りにされていた男は立ち上がり、服についた埃をパンパンと掃う。
「自分がおかしいことを、自覚しろよ!」
それは男に対しての言葉か、赤石に対しての言葉か。
男は櫻井を見下げる。
「いきなり人に突っかかってきて、君はどういう教育を受けてるんだ!」
男は顔を真っ赤にしながら、怒った。
「全く……最近の若い奴は皆こんなのか。最近の若いのは忍耐ということを全く知らん。もうこの国は終わりだな」
「放せよ! まだ話は終わってないだろうが!」
櫻井は男たちに拘束されたまま、その場で叫んでいた。




