第446話 卒業式はお好きですか? 7
「疲れたな……もう帰りたい」
赤石と新井が二人で昇降口から出たところ、
「おい、ちょっと」
赤石の肩が掴まれた。
赤石が振り返ると、クラスメイトの男がにやにやと笑みをはりつけながら、そこにいた。
赤石、新井の三年の頃のクラスメイト、小田泰弘。
ついぞ、赤石と一年間口を利かなかった男が、そこに立っていた。
卒業式を終えた今、元クラスメイトという形になるな、などと赤石は益体もないことを考える。
「聞きたいことあるんだけど」
薄笑いをしながら、小田は新井に向かって歩み寄った。
新井は険しい顔で男と対峙する。
「なぁ、これってお前らのこと?」
小田はスマホを掲げ、新井の目の前に出した。
「……」
新井は口をつぐんだまま、小田の前で立っている。
「ねえぇ~、いいじゃんいいじゃん由紀ちゃ~ん。俺らの仲じゃ~ん」
ねぇ~教えてよ~、と小田は軽快なステップを踏みながら、新井に尋ねる。
小田と赤石とは面識がなかったが、小田と新井とは一年間を通してそれなりに会話を交わしていた。
「全く、由紀ちゃんもいけずだなぁ。クラス内で付き合ってたのに誰にも言わなかったんだから。俺にくらいこそっと言ってくれても良かったのに。あっ! だから二人とも教室であんまり話してなかったのね。バレると思ったんだ? やっぱり付き合ってるのバレたくなかったんだ?」
あはは、と小田は手を叩いて笑う。
やっぱり付き合ってるのがバレたくなかった、と聞き、自分と新井とで天秤が釣り合っていないということなのだろう、と赤石は得心する。
「折角なんだから恋バナ聞かせてよ~。どうせ最後なんだし、もう全部ぶっちゃけても良くない?」
小田は新井に顔を近づける。
新井は黙り込んだまま、ただその場で困惑していた。
「……」
新井が赤石に視線を送る。
赤石は新井たちから距離を取り、ロッカーに背を預け、後方で新井たちを見守っていた。
「ねえぇ~、お願いお願い、聞かせてよぉ~。あ、なんならこれから俺らご飯行くからさ、そこで恋バナとかしてくれない? ほら、そこの赤石君も誘ってさ」
小田は赤石に手を振る。
赤石は頭を振った。
「一年間黙って付き合ってきたんだから、ちょっとくらい教えてくれたって……ねぇ~!」
小田は赤石に同調を求める。
赤石は苦笑で反応する。
「ほら、由紀ちゃん。カモン! セイ! 恋バナ求む!」
小田は中腰になり、新井からの恋バナを待つ。
「……」
新井はまだ、何も話さない。
小田を前にして、ひどく当惑していた。
それでも、赤石は新井と小田の間に何も割り込まない。
「え~っと……」
何から切り出せば良いか、と新井は目を白黒させる。
「この大学生の彼氏……みたいなのも付き合ったわけ? 赤石君の前に? どうだった!?」
新井が話を切り出す前に、矢継ぎ早に小田は新井に尋ねる。
「もしかして、あれ……ヤっちゃったりしてる?」
小田は小声で新井に耳打ちする。
「やっぱり大学生の彼氏って、そんなに魅力的なのかねぇ~」
小田は頭の後ろで腕を組み、口笛を吹く。
新井はまだ山田に弱みを握られているかもしれないことを思い出し、下唇を噛んだ。
「それで、赤石君とは今も付き合ってんの?」
で、どうよ? と小田は尋ねる。
「……」
新井は沈鬱な表情でうつむく。
「あ……」
聴いてはいけないことを聞いてしまったのか、と山田は赤石と新井とを交互に見た。赤石を見ながら新井を指さし、俺やっちゃった? とでも言いたげに口を動かす。
「もしかして付き合ってるんじゃなくて、アレな友達だったりする……?」
小田は赤石と新井とを交互に見ながら、そう聞いた。
「……」
新井は、ぱっ、と前を向いた。
「ううん、別に付き合ってないから」
そして明るく、そう答えた。
「あ、そうなの? じゃあやっぱりセのつく、アレな友達だったり……」
「全然! 付き合ってもないし、そんな関係でもない!」
新井はもう~、と笑いながら小田の肩を叩いた。
「でも家に入ってた、って」
「それは本当だけど、別にそういう関係でもそういうことをした訳でもないって~」
新井は笑みを湛えたまま、小田から少しずつ距離を取る。
「え、じゃあ夜に赤石君の家に入ったってこと!? それで何もヤってない!? それは、私たち取材班は許しても、世間は許してくれませんよ~」
小田は眼鏡をクイ、と上げるポーズを取る。
「いや、本当に本当だから! ね、赤石?」
新井が赤石に水を向ける。
「ああ」
赤石はようやく、口を開いた。
「嘘だぁ~。赤石君もそんな顔して、ちゃんとヤることヤってんだぁ~」
うりうり、と小田が赤石を肘打ちする。
「やってない、やってない。百歩譲って何かやってたとしても、お前には関係ない」
赤石はちょんちょんと触る小田を退ける。
「嫌な言い方だな~」
小田はむっとする。
「一年間話してなかったからな」
「そりゃぁ、散々やらかしたんでしょ、赤石君? そう思えば、由紀ちゃんもよく仲良くなれたよね~」
こんなのとよく仲良くできたね、という言外の小田の意志を感じ、赤石は苦笑する。
「じゃあさ、じゃあさ、今から飯行くから、二人とも来ない? ね、恋バナしてよ、恋バナ!」
「う~ん、大丈夫かな」
新井は赤石の下へと戻って来た。
「え~、いいじゃん。最後っしょ?」
「……ううん、大丈夫。私、他の人と約束あるから」
「もしかして……?」
小田は赤石と新井とを交互に指さす。
「赤石を含めた数人でご飯行くから」
「やっぱヤってんじゃん!」
小田は地団駄を踏む。
「じゃあヤったか、ヤったかどうかだけ教えて! お願い! 最後なんだからさ! 俺らの仲なんだし!」
お願い、と小田は眼前で手を合わせながら、新井におねだりをする。
「だからそんなことしてないって……」
「いや、でも二人の距離感はヤってるっしょ!」
「はぁ……」
新井はため息を吐いた。
「じゃあもういいよ、それで。もう何でもいい。勝手に解釈して」
「やっぱヤってんじゃん!」
いぇ~い、と小田が拳を上げる。
「これ他の皆にも言っていい!? 言っていい!? 大スクープじゃん! まさか赤石君と由紀が本当にそんな関係だったとは!」
「やってないけど、もう好きにして。行こ、赤石」
「赤石君も隅に置けないねぇ~、ひゅ~ひゅ~」
小田が赤石に投げキッスをする。
「本当に何もやってないぞ」
「もういいよ、赤石。行こ? 時間もったいない」
小田と会話を重ねる赤石の腕を引っ張り、新井はその場を後にした。
「……ちょっとは私の味方してくれたっていいじゃん」
新井が下唇を噛みながら、赤石を見る。
「俺と由紀の仲だもんな! って言ってたぞ、あいつ。俺よりよっぽど懇意なんじゃないのか?」
「……赤石って、本当意地悪だよね」
新井が涙目で赤石を見る。
「私が困ってても知らんぷり。嫌な思いしてても知らんぷり。自分には関係ない、お前の問題だ、って。そうやっていつもいつも、自分に関係ない他人を見捨てて生きてきたんでしょ? 私たち友達だよね? そりゃ……確かに私は赤石にヒドいこともしたけどさ……味方してくれないのはヒドくない?」
「いや、お前と小田の関係性知らないし……」
「嘘吐かないでよ。見たら分かるじゃん。仲良いわけないでしょ。同じクラスだから仕方なく良い顔して喋ってただけに決まってるじゃん。赤石だって分かってるよね? 分かっててそんな意地悪言ってるんでしょ?」
新井は声を震わせながら、言う。
「私がいやいや小田と付き合ってたのを知ってて、自分には構ってくれなかったからってスネてんの? 教室での立場を守るためにいやいや小田と笑って付き合ってた私のことを見下してんの? 赤石がそんな人の機微、分からないわけないよね? いっつも人のこと見て、何考えてるか全部理解してるよね? 誰が誰に何を思ってて、どうしたいか、今までずっと理解してきてたよね? 赤石って、ずっと鈍感ぶってるよね」
新井は一度、呼吸を整える。
「いや……鈍感ぶってるんじゃないか。どうにかして自分は悪くない、って意思表明したいんだよね? 自分は何も悪くないです。自分は相手の気持ちを推し量っただけなんです。自分は相手を思いやったつもりなんです。全部相手が望んでることなんです。そんな顔して、正義面して、人を裁くよね。意地悪するよね。いじめるよね。私が悪いのはそうだけどさ、ちょっとは味方してくれたって良かったじゃん……」
新井が目尻を拭う。
「自分と話すより小田と話してたのはお前でしょ、ってそう言いたいんだよね? 外から見たら確かに私と小田の方が仲良しだし、赤石なんて部外者だよ。でもさ……違うじゃん。分かるじゃん。本音で話してないって、見たら分かるじゃん。赤石だって、絶対分かってるじゃん」
新井は赤石をきっ、と睨みつける。
「赤石は意地悪だよ、本当……。人が見たくないものをわざと直視させようとしてる。人が犯した罪の重さを、わざと実感させようとしてる。聡助ならそんなこと……」
言いかけて、新井は止める。
また赤石に自分を攻撃する材料を出してしまった、と新井は舌打ちする。
いや。
わざと櫻井の名前を出し、自分も赤石を試しているんだ、と気付き、心底嫌な気分になる。
「もうちょっとさ……味方してくれても良かったんじゃないかな、って……」
新井は洟をすすりながら、歩く。
「ごめん……。でも俺、そういう奴だから」
「……知ってるよ」
赤石はそう言うだけで、精一杯だった。
赤石もまた、新井の気持ちを、察している。
新井は自分のために泣いているわけでも、自分の無力感に打ちひしがれて泣いているわけでもない。
自分の身に起こった不遇をぶつける先がなく、ただ身近にいる自分にその不遇と不幸とをぶつけたいだけなのだ。
自分に起こった不幸を他人にぶつけることで、その溜飲を下げているのである。自分に起こった嫌な出来事を他人にぶつけることで、なんとかして自分の感情を発散し、解消しようとしているのだ。
そしてそれだけ自分自身が新井から気を許されているというその証左でも、あった。
「赤石は言動不一致な私たちのことが、憎くて憎くて仕方ないんだよね」
新井は赤石から目を逸らし、前を向きながら、語る。
「でもね、皆が皆、赤石みたいに強く生きられるわけじゃないんだよ? 皆が皆、赤石みたいに強固な意志で人のことを突っぱねることなんて、出来ないんだよ? 嫌われたっていいから自分のやりたいことをするなんて、皆が皆、思えるわけじゃないんだよ?」
新井は言い聞かせるように、赤石に言う。
「俺が?」
不思議なことを言うな、と赤石はきょとんとした顔で新井を見る。
「赤石はさ……特別だよ」
「……」
ずっと脇役の一人だと思って、生きてきた。
そして今も、その思いは変わらない。たとえ自分の人生を書物に起こしたとしても、たとえ自分の人生を書き記したものだとしても、自分はモブの一人であり、特別な経緯も能力も持ち合わせない一人だと、そう考えている。
「赤石は赤石が思ってるより、ずっと特別な人なんだよ」
「……だといいな」
赤石は自嘲する。
「……」
黙り込む。
新井は赤石を瞥見し、ふるふると頭を振った。
「ごめん、そうだよね。私も、もう止める。自分の気持ちに一番になって生きていく。嫌な人と笑って喋らないし、自分の立場を守るためだけに思ってもないことも言わないようにする。だからさ……赤石も、一緒に頑張ろ?」
新井は涙を拭い、赤石を見た。
「俺は……変われないよ」
赤石は寂しげな顔で、そう微笑んだ。




