第444話 卒業式はお好きですか? 5
「あ、いたいた」
平田の母、平田洋子と話す赤石を、新井が発見した。
「や、やっほ~……」
新井がおずおずと赤石に話しかける。
「えっと……赤石の、お母さん?」
初めまして、と新井が洋子に挨拶をする。
「あ、始めまして。朋美の母です」
「あ、は、はじめまして……。新井と申します」
新井が照れながら言葉を返す。
「新井さんも朋美のお友達?」
「……」
新井は無言で平田と目を合わせる。
「あぁ、はい、そうですね」
空気が悪くなる前兆を察した赤石が、助け舟を出した。
「もし良かったら、今度家に来てください」
「あ、それは……はい」
平田と山田を取り合った過去があるため、新井としてはおいそれとは頷けなかった。
「ねぇ赤石、なんか見られてない?」
新井の噂が広まっているからか、赤石と新井は変に目立っていた。
「お前は見られてるかもな」
「やっぱり付き合ってるって思われてるのかな? 帰ろうよ!」
新井は小声で赤石に叫ぶ。
「嫌だよ、両親来てるし。お前だけ帰れよ」
「で、でも……」
「それに俺何も悪いことしてないし。お前は色々責められる原因あるかもしれないけど」
「分かってるならそんなこと言わないでくれる!?」
新井が赤石の脚を蹴る。
「ふふふ」
洋子が微笑んだ。
「お二人とも、仲が良いんですね」
「いや、これは、その……」
新井がぽりぽりと頭をかく。
「うちの娘も、ずっと男性をとっかえひっかえしてねぇ。付き合っては別れて付き合っては別れて……」
「もういいって! もう、さっさとどっか行って、お前ら!」
余計なことを話されると察した平田は、しっし、と赤石と新井を追いやった。
「もうちょっと話したかったのになぁ」
渋々ながら、赤石と新井は平田の下を離れた。
「ねぇ、もう良いでしょ? 帰らない?」
「いや、だってまだ母さんと会ってないし、お前もお母さん来てるんじゃないのか?」
「私は……」
「由紀」
冷たく鋭く、それでいてはっきりとした存在感を持つ声が、新井に投げかけられた。
「由紀」
新井の母親、新井香織が、そこに立っていた。
香織は剣呑な目で新井を見据える。
「帰るわよ」
「お、お母さん……」
香織は新井の腕を強く握り、
「帰るのか……?」
香織に連れていかれる新井を、赤石は見送る。
「痛いっ……!」
新井が香織に抵抗する。
「まだっ、帰らないからっ!」
「由紀!」
新井は香織の腕を振りほどき、赤石の背に隠れた。
「えぇ……」
突如として背に新井を背負った赤石は、困惑する。
「帰らないのか?」
「この後、皆でご飯食べに行くもん」
「そんな約束してたんだな」
「してないけど。っていうかお前も行くんだけど」
「身に覚えのない約束が」
赤石は両手を上げて後ろを振り返るが、新井は赤石の視界から隠れるようにして避ける。
「由紀」
香織は多くを語らない。
ただ娘の名前だけを、呼ぶ。
「帰った方が良いんじゃないか? お母さんも怒ってるみたいだし」
「高校最後の卒業式に早く帰りたくない」
「親の言うこと聞いといた方が良いんじゃないか?」
「なんで赤石はそうやってすぐに私のことを家に帰らそうとするわけ?」
新井が半眼で赤石を睨みつける。
「……」
香織は腕を組んだまま、ヒールで地面をコツコツと鳴らす。
「由紀」
再三にわたり、香織が新井の名前を呼ぶ。
「イヤ。まだ帰らないから、お母さんだけ帰ってて」
「さんざ待たしておいてすぐ帰らそうとするなよ」
「待っててほしいなんて言ってないから」
新井は母と視線を交錯させる。
どうせ充足した高校生活を送っている自分が憎いんだ。
楽しそうにしている自分が憎いんだ。
そうやって、自分より幸せな人を見つけて、一つずつゆっくりと潰していくことが自分の母の楽しみなんだと、思ってはばからなかった。
自分の娘が自分よりも充足した生活を、高校生活を送っていることが、憎くて憎くてたまらないんだと、新井はそう解釈していた。
だからこそ。
母がもっと、より、自分のことを憎くなるように、充足した高校生活を見せつけてやろうと、新井は考えた。
自分は充足した生活を送っている。
母よりも恵まれた生活を送っている。
毎日が楽しくて仕方がない。
そうして自分が幸せであることを見せつけることが、新井にとっての、母親への何よりの仕返しであった。
新井は母と、強く対立していた。
「帰るわよ、由紀」
香織がコツコツとヒールを鳴らしながら赤石の後ろの新井に近づく。
「イヤ! ご飯食べてから帰る!」
「わがまま言わない。ほら、帰るよ」
赤石を挟み、香織と新井が対峙する。
「止めて欲しいな……」
赤石は新井とその母に挟まれ、いたたまれない気分でいた。
「赤石も何とか言ってよ! ほら、いつもの悪口!」
「変な言い方するなよ。いつも悪口言ってるみたいに思われるだろ」
「実際そうじゃん」
新井が赤石の肩越しに、香織を睨みつける。
「帰らないって言ってるんだから放っといてよ!」
「いいから早く帰るわよ」
「いーやーだ! 赤石、なんとかして!」
「なんとかって、そんな子供向け番組のヒーローじゃないんだから……」
母と対立することで、新井がさらに周囲から浮く。
生徒たちはそれぞれ自身の親と話していたが、現在進行形で目立っている新井の存在に気付き、ちらちらと視線を送る者も増えてきた。
「わがまま言わない。もう大人でしょ」
「大人じゃない! まだ子供!」
新井は赤石の背に再び隠れた。
「ほら、赤石!」
「えぇ……」
新井は赤石の背を押した。
赤石はたたらを踏みながら、香織の前に出る。
「……」
「……」
赤石と香織は無言でお互いの目を見る。
「えっと……初めまして。由紀さんと友達やらせてもらってる、赤石です」
「……」
香織は何も話さない。
「えっと……由紀さんは俺らが責任を持って送るんで、大丈夫です」
「お気遣いありがとう。でも家庭の問題なので」
「それは確かにそう」
香織は赤石の横を通り過ぎ、新井を追う。
新井は香織から逃げるようにして、後退する。
「学校の中で遊ぶなよ」
赤石は香織、新井を追いかけた。
そして実際、香織が新井の何に怒っているのか、ある程度の察しは付いていた。
元々カバンで母親を殴りつけるような新井の行動から考えて、母親と対立していることは道理だった。
そして男性関係にだらしのない新井の性格から考えても、香織の性格を受け継いでいるんだろうな、と考えていた。
「お母さん、ここは穏便に」
赤石は再び香織の前に出る。
「ごめんなさい。でもこれは家族の問題だから……」
「そう言われると弱いんだよなぁ……」
赤石はだが、それでも食い下がる。
「何がイヤなんですか?」
赤石は挑戦的な目で、香織を見た。
「何が……? 帰る準備をしてるから帰るだけだけど?」
「何か用事があるんですか?」
「……あなたには関係ないでしょ」
逃げ回る新井を、香織が再び追いかける。
理性的な話をしようとしても、かわされる。
かといって、母親の心を抉るようなことも出来ない。
「どうしたもんだかなぁ……」
赤石は話を聞かない香織を前にして、決めあぐねていた。




