第41話 高梨八宵はお好きですか? 1
「恭子………………ごめん! 俺が悪かった!」
「…………え、聡助……?」
赤石が欠席した当日、八谷は校内で櫻井に呼び出されていた。
櫻井は八谷の前で地に額を付け、土下座して謝罪していた。
「ごめん! 俺が悪かった! 俺が……俺が何とかするべきだった! ちょっと理由があって……」
「う…………ううん、もういいわよ。解決したんだから」
八谷は必死に櫻井の肩を持ち、立ち上がらせる。
「本当にごめん恭子…………俺は駄目な奴だ」
「い…………いいわよ、全然! 聡助が謝る事じゃないわよ! それに、私の責任であると言えば私の責任だから…………」
八谷は斜め下に目線を向け、口を堅く結ぶ。
八谷は、酷く自分を嫌悪していた。
赤石に言われたことが全て図星だったこと。
赤石を利用しているだけの自分の浅ましさを指摘されたこと。
自分で解決もせずに、いじめの解決を全て他者に任せてしまったこと。
赤石を、あんな風にさせてしまったこと。
八谷は、自分を責めていた。
自分を責める八谷が、櫻井に助けに来なかった、と怒る道理も、そこにはなかった。
櫻井は八谷を瞥見する。
「恭子……本当に……俺が悪かった……」
「い……いいのよ聡助! 本当に私が悪かったんだし、もう解決したんだから! ほら、元気出しなさいよ! そうじゃないと私も元気でないわよ!」
櫻井は肩を落とし、がっくりとうなだれる。
八谷は櫻井の肩をペシペシと叩き、無理に笑顔を振るまった。
「本当に……本当にこんなどうしようもない俺を許してくれるか?」
「も……勿論よ! 私が聡助を嫌いになるなんてありえないわ!」
捨てられた子犬のような目をする櫻井を、八谷はいとおしく慰めた。
だが、胸の奥で赤石に対する罪悪感は膨らんでいった。
八谷は、自分を厭悪していた。
自らの心中の罪悪感が膨らむとともに、自身の悪癖と対峙していくように、八谷は櫻井を慮りながらも、自分と戦っていた。
雨が強く降る休日。
赤石は学校を欠席した翌日の休日も自室に引きこもり、イヤホンをつけてただひたすら空を見上げていた。
代り映えのしない雨雲を、見上げていた。
ブルルルルル。
キコキコと椅子がきしむ音しかしなかった一室に、スマホの振動音が響いた。
赤石は力なくスマホを手に取る。
そこには、六〇件を超える不在着信の連絡が届いていた。
『カオフ』の通知を見てみると、同様に一〇〇件を超える連絡が届いていた。
取り敢えずとして、赤石は『カオフ』を開いた。
『赤石、返事しなさい』
『赤石、話したいことがある』
『私待ってるから』
『何で今日学校休んだのよ!?』
『赤石お願い返事して』
そこには、赤石の安否を心配するメッセージが何十件も寄せられていた。全て、八谷からのものだった。
次いで、不在着信を見てみる。
それらも同様に、全て八谷からのものだった。
文字で返信するのも億劫だ、と思った赤石は八谷に電話をかけた。
プルッ。
「もしもし!」
「うるせっ……」
電話をかけた途端に大声を浴び、反射的に赤石は耳元からスマホを離した。
再度スマホに耳を当てる。
「もしもし」
「もしもし!」
興奮した様子で八谷は何度も言葉を繰り返す。
「あんた何で学校来なかったのよ! なんで電話出てくれなかったのよ! 何で連絡返してくれなかったのよ! 心配……心配したじゃない!」
「…………」
そこには、いつもと変わらない八谷の声音があった。
どうやらいじめられていたことからは脱却できたようだな、と赤石は安堵する。
「返事して! 返事してよ赤石! 生きてる!? 死んでない!?」
赤石に返事をさせる暇もなく、八谷はまくしたてる。
いつもの八谷だな、と思いながら赤石は口を開き、
「もう、俺に関わるな」
自身と縁を切ることを、返答した。
「…………あ」
「…………」
「…………な……」
単語にもならない言葉の羅列だけが、発せられた。
赤石は以前のように電話を切らず、八谷の言葉が出てくることを静かに待った。
自身の矜持が許さないからと、即座に電話を切ることはしなくなった。ちゃんとした対話をしようと、少しでも心がけるようになった。
「…………ん」
「…………」
「その…………」
相変わらず、八谷からの返事は舌足らずで、意味をなしていない。
赤石はゆっくりと、八谷の言葉を待った。
「なん…………で?」
ようやく、八谷の口から言葉が出た。
赤石は口を開く。
「お前はあの時何があったのか覚えてないのか? 俺はクラス中の全員に牙をむいて、毒を振りまいてきた。お前の態度から察するに、もういじめはなくなったんだろ?」
「そ……そう……だけど」
八谷は答える。
「お前の悪意が俺の悪意に上書きされたんだよ。クラス全員の嫌われ者になったって訳だ、俺は。だから、お前はもう何もするな。俺と関わるな。これ以上お前が俺に関わると、俺があんなことをした意味がなくなる。またお前も碌な目に合わなくなる」
「それは……そうかも……しれない……けど」
訥々と、返事をする。
まるで頭の中に既にある答えを探しているかのように、八谷は答える。
「今お前が俺に関わってきたら俺がああいうことをした意味がなくなる。だから……お前はもう俺と関わるな。その方が合理的だ」
「そ……そう言われればそうなのかも……しれないけど……けど……」
一拍。
「じゃあなんで赤石は私のことを助けようと思ったの……? 私のことを嫌いになったんじゃなかったの?」
「…………」
…………。
今度は、赤石が答えに窮する番だった。
赤石は、答えられなかった。
何故八谷を助けたのか。そんなことを八谷に面と向かって言うような人間でもなかった。
「電話でも私と関わらない、って言われたし、教室でも私の悪口あんなに言ったのに…………なのに、なんで私を助けようとしてくれたの?」
裏も表もない純粋な質問に、赤石は苦虫を噛み潰したような顔をする。
赤石は震える唇を、無理に動かした。
「正義感…………かもな」
「嘘よ」
が、必死で紡ぎ出した言葉は即座に否定される。
赤石自身、そんな言葉が事実だとは思ってもいなかった。
赤石は更に狼狽する。
「…………悪い。俺も分からない……。なんであんなことをしたのかは……分からない。俺はお前は、自分勝手な奴だと……思ってる」
「………………」
「でも…………お前がいじめられてるままなのは、おかしいと思った。道理が通ってないと……思った。何か…………俺の心にとげが刺さるような…………苦しかった。だから心の棘を抜くみたいな…………そんな意味合いで、ああいうことをしたんだと……思う。それ以上は俺も分からない。なんであんなことをしたのか、それは…………俺にも、分からない」
「……………………そう」
赤石は発露させることもなく、必死に言葉を探す。
幼児が言葉を探し出すかのように、赤石も自身の胸の内にあるものが何かを探しながら、言葉を発する。
見えないピースをはめるかのように、自身の心の隙間を埋めていく。
自身の心に巣くっている何らかの感情を見つけるかのように、言葉に直していく。
頭を整理させる意味合いも兼ねて、文として成り立っていないような言葉を、紡いでいく。
最早赤石は、八谷と櫻井との恋の仲を取り持とうとは考えていなかった。
そうするだけの能力も、理由も、既に失った。
「…………」
「…………」
「赤石…………月曜日は…………来るのよね……?」
まるで赤石の言葉を受け止めたかのように、八谷は話題を変えた。
何も追及することなく、八谷は話題を変えた。
赤石は大きなため息をつき、スマホに耳を当てる。
「行く……。もう休まない。悪かった」
「そう…………じゃあ……いいわ」
八谷は落ち着いた声音で返答した。
「じゃあ切るぞ?」
「分かったわ…………月曜に、来なさいよ」
「…………分かった」
赤石は、電話を切った。
「…………」
ゆっくりと、手を降ろす。
「はぁーーーーーーーーー………………」
張り詰めていた緊張の糸が切れたかのように、赤石は大きなため息を吐いた。
「疲れた…………」
赤石は額にうっすらと汗をにじませ、虚ろな目を天井にやりながら呟いた。
視線を空にやる。
空は、曇天の雲模様から一筋の光明が差していた。
春。
赤石は、言いしれない感情を胸に湛え、何度もため息をついた。