第420話 卒業前はお好きですか? 4
「はぁ~あ」
葉月は観念したかのように、態度を一変させた。
「作り物の人格だったか」
赤石は再び葉月と向き直る。
「だから?」
「良いのか、俺の前でそんなことをして? 俺が周りの奴らにでも吹聴すれば、お前の評価なんて吹けば飛んでいくぞ」
「は?」
葉月が赤石に詰め寄り、赤石の顔を覗き込む。
「やれるならやってみれば?」
「……」
葉月の圧力を感じ、赤石は一歩後退する。
「どうせできないでしょ、お前みたいなクソ陰キャ」
「残念ながら、俺はクラスを巻き込んで暴動を起こせるタイプの人間だ。命の一つや二つ、くれてやるぜ」
「アホくさ」
葉月が赤石から離れる。
「出来もしないような大言壮語、本当根暗でキモい陰キャの言いそうなことだよね。不審者が出たら俺が退治してやるわ、とか言ってた口でしょ、お前。気持ち悪いんだよ、本当」
葉月は髪を乱しながら、剣呑な目で赤石を睨めつける。
「そもそも、お前みたいなゴミが何か言ったところで誰か信用するわけ? かたや、嫌われ者の陰キャのゴミ、かたや、皆が憧れる美少女。どっちの言うことを信じるかなんて、明白だよね」
「自分のことを美少女とのたまうような女は信用ならないから、多分俺が信用されるな」
「きも」
葉月が赤石を一瞥もせずに吐き捨てる。
「これ」
赤石がポケットからスマホを取り出した。
「な~んだ」
スマホの画面には、録音中と表示されていた。
「……」
葉月は無言で赤石のスマホを見る。
「いっつもそうやって録音してるんだ?」
「事実を捻じ曲げられないために、自己防衛をしようと思ってな」
「そうやっていっつもいっつも他人を信じずに、自分を守るために、とか言いながら録音してるんだ」
「さぁね」
赤石はスマホをポケットにしまった。
「あれ、な~んだ」
赤石に対抗するかのように、葉月は後方を指さした。
見れば、物陰に隠れ、動画を撮影中のスマホが、置いてあった。
「私も録画してたんだけど?」
葉月はスマホを取りに行く。
「自分の醜態を録画してどうするんだ? 明らかに不利な証拠になるだろ」
「編集して流したら、どっちの状況が悪くなるかは分かるよね?」
「……なるほど」
突然に下着を脱ごうした葉月の行動の意味を、ようやく理解できた。
「かたや、根暗ですぐにキレる頭のおかしいゴミ男、かたや、美少女で信頼の厚い女の子。世間がどっちを信用するかなんて、分かりきってるよね」
「……」
葉月はふふ、と妖しく笑った。
「世論が俺に傾くことはないだろうな」
赤石は鼻で笑った。
「この世界は何をしたかより、誰がしたかが重視される世界だからな。何をされたかより、どういう反応をしたか、のほうが明らかに重要だ。自分の反応次第で、相手をいくらでも殺すことが出来る。自分の意志次第で相手を殺すことが出来るのが、この世界だからな」
「せいか~い」
葉月はスマホをプラプラと揺らす。
「てか、そもそもお前もそんなことする気ないでしょ」
「……」
赤石は無言で黙り込む。
「卒業前に私のことを暴露する意味なんてないし。お前みたいな、利益と自己実現のためにしか動けないような何の面白味もない男がそんなことするとは思えないし」
葉月はスマホをしまった。
「まぁな」
「でしょ」
葉月はくすくすと嗤う。
「手打ちといこうか」
「じゃあお互い今日のことは口外しないことで」
葉月はし~、と指でバツを作り、口元に当てた。
「全部演技だったのか?」
赤石は知りたかったことを、尋ねた。
「全部?」
「お前という人間は。葉月冬華という人間は、お前の作り物の人格で、作り物の行動だったのか?」
「当たり前でしょ。だから何?」
葉月が舌打ちをする。
「人間のサンプリングに長けているのか、本来のお前は」
「お前みたいなクソ陰キャの考えてることくらい分かる、ってだけ。自分の利益のためにしか動けないくせに自分が上に立ったような顔して、他人を愚弄して、貶めて、自分の感情を制御することも出来ずに、わぁわぁわぁわぁぐちぐちぐちぐちネチッこい、男としても三流、人としてもゴミみたいなお前の性格なんて考えるまでもないってだけ。ガキかよ、マジで」
「継続力だけは自信があってな」
「ネチッこいだけでしょ」
はっ、と葉月は一笑に付す。
「八谷をいじめるように仕組んだのも、お前か?」
「だったら?」
「お前が写真を撮ったのか?」
「え~、冬華分かんないよぉ~!」
葉月は演技がかった声でくねくねと上体を捩じらせた。
「学校の掲示板を作ったのもお前か?」
「ふみゅぅ~……」
「おかしいと思ってたんだよ。俺と櫻井とその取り巻き、八谷や水城、新井、どう考えても櫻井の周りの人間だけ、ピックアップされる回数が段違いだった。恣意的な操作を感じてたんだよ。当初はあいつらを嫌いな奴がいるんだと思ってたが、全部お前が仕組んだことだったんだな」
「うみゅぅ~……。何言ってるか全然分かんないよぉ~……」
葉月がやったことだと考えれば、櫻井の取り巻きのことに詳しかった理由もうなずける。
高梨の別荘で会った時と同じようにして、同様にして、葉月は櫻井の取り巻きたちを監視し続けた。
自分のいなかったところで、気付かれないように、あるいは偶然を装って。
その中でたった一回だけ気付いたのが、別荘での出来事だったのだろう。
気付かれることを想定していなかったからか、その場で思いついた霧島への責任転嫁という形が、今の今まで功を奏していたことになる。
「お前がやったんだろ?」
「……」
葉月ははぁ、と大きなため息を吐く。
「だったら何?」
だったら、葉月はどこまで関わっているのか。
「鳥飼の件もお前のせいか?」
「……はぁ?」
葉月が表情を歪ませる。
どうやら違っていたようである。
「櫻井の卒業式の件もお前の責任か?」
「……?」
櫻井の卒業式の件も、櫻井が自主的にやったことらしい。
「暮石もお前の手先か?」
「……意味分かんないんだけど」
思っていた以上に、葉月が関わっていなかった。
ただ単純に、自分は純粋に嫌われていたのである、と知ることになる。
「新井が弾かれたのも、お前のせいか?」
「さぁ~?」
葉月はへらへらと笑う。
「俺より前に気付いた奴が何人かいたんじゃないか?」
「……」
自分より先に気付いた人間がいるんじゃないか? そう思えてならなかった。
それほどまでに、葉月の犯行は杜撰で、とても完璧といえるような代物ではなかった。
「今までに気付いた奴はどうした」
「さぁ? 死んだんじゃない?」
「……堕としたのか」
自分にやったのと同じように、葉月は気付いた者と恋仲になることで、事実を隠蔽してきた。
葉月ほどの容姿の人間が無条件で近寄って来れば、恋に落ちるのも道理だろう。
恋に落ちなかった者は、何らかの手段を用いて、動画や写真を用いて、ある種、恫喝のような形で、今まで秘密を守ってきたんだろう。
「お前は一体、何人の人間の弱みを持ってるんだ?」
「……お前のもあるよ」
葉月は一枚の写真を投げてよこした。
「……」
服をビリビリに破かれた新井が、赤石の家の玄関で話している写真が、そこにあった。
「誤解だ」
「誤解か誤解じゃないかは世間が判断することだから」
「まぁ、お前には全部分かってるんだろうな」
赤石は写真を葉月に投げて返した。
「いらないんだ?」
「どうせデータごと持ってんだろ」
「まぁね」
葉月は赤石の写真をしまった。
「この写真が出たらお前もそこそこ困ることになるけどね」
葉月は、からからと嗤う。
「俺の録音した音声が流れたら、お前もおかしくなるけどな」
「ふふふ」
「ははは」
赤石と葉月は二人して、嗤う。
「新井と赤石、秘密の関係。金で繋がった黒い性交渉。赤石の暴力により憔悴する新井。赤石と新井の熱い一夜、こんなところかな」
「掲示板にでも写真付きで流すか」
「流そうと思ったらね」
葉月はスマホを取り出した。
「でも私はお前らなんかどうでもいいから。だからそんな意味のないことはしない」
「……」
葉月はスマホをしまった。
もし葉月が何もかもを嫌になって、何もかもを流そうとしたら、どうなるんだろうか。
もしも理性なきこの獣が全てをネットにぶちまけたら、どうなるのだろうか。
「……」
いや。
人間というのは、得てしてそういうものである。
全員が全員、自分の持っている他者の昏い部分をぶちまけてしまえば、それこそ人間社会が立ち行かなくなるだろう。
皆が皆、少しずつ他者の昏い歴史を持って、自分を守るために、それを公開せずに、一生を終えるものである。
新井の写真も、もし山田がその気になれば、公開される可能性も、あるんだろう。
そうやって、お互いがお互いに、相手の昏い部分を隠し持ったまま、牽制して、自分に悪意が及ばないようにして、なあなあにして、過ごしているのである。
「お前は一体、何が目的なんだ?」
赤石は葉月に、そう尋ねた。




