第419話 卒業前はお好きですか? 3
目的地へ向かっている最中、赤石はふっ、と気付く。
「いや……」
もし自分の想像が当たっていたとして、もしそれが真実だったとして、今から向かって直接声をかけるのか?
卒業間近、生徒たちが仲良く写真を撮っている現場に?
赤石は少し頭を冷やした。
「意味……ないか」
さすがに今はどうしようもない、と悟った赤石は足を止めた。
赤石の行く先では、沢山の生徒たちが喋々喃々と、和気あいあいと、雑談を繰り広げている。
「……無理だな」
赤石は踵を返した。
「……っ」
「あれぇ?」
赤石が後方を振り返ったその瞬間、猫なで声のような甘い声が、赤石の耳に届いた。
「こんなところで、何してるのぉ?」
赤石は対峙する。
甘い声で赤石をねっとりと値定めする、その声の主――
葉月冬華と。
いつものごとく、露出の多い服に加え、じゃらじゃらとしたアクセサリーを付けた葉月は、上体を捩じらせている。
「この先は女子トイレしかないよぉ? あれぇ?」
別棟から回り込んで遠回りをしてきたため、赤石は女子トイレしかない道を引き返そうとしていた。
葉月は手が収まりきっていない長い袖でこしこしと目をこすりながら、赤石をぼんやりと見つめる。
「や~ん、もしかしてぇ、変態さん、ですかぁ?」
葉月は屈み、赤石を見上げた。
「うみゅぅ……冬華は変態さんなんか駄目なんだもん……」
葉月は涙目でそう答える。
「えっとぉ」
葉月が赤石を指さした。
「一組? だよねぇ。なんでこんなところにいるのぉ?」
二年の時、赤石は葉月との関りがほとんどなかった。
第三者を通して間接的に話すことがほとんどであり、葉月のパーソナリティを詳しく知っているわけではない。
だが、そんな状況ではあるが、赤石は何度か葉月と、コンタクトを取ったことがある。
何度かコンタクトを取ったことがあるその記憶の中で、赤石は赤石なりの答えを、導き出していた。
「なぁ」
赤石は、こう、結論付けている。
赤石の直観が、こう告げている。
全ての犯人は、葉月である、と。
「今から二人で話せないか?」
前方には女子トイレがあり、後方は生徒たちが談笑している。
ここで話せば、誰かがやって来るのは時間の問題だった。
幸い、休憩時間はまだ残っている。
赤石は葉月に、そう提案した。
「うみゅぅ……冬華、今、忙しくてぇ……」
「ならここで言っていいのか?」
「赤石君は格好良いけどぉ、でもぉ、冬華のタイプじゃないからぁ~」
「告白じゃない」
「……うみゅう」
葉月は袖で口元を隠しながら、とろん、とした目で赤石を見つめる。
「男の子ってぇ、皆変態さんだからぁ、冬華ぁ、信じられないんだけどぉ、でもぉ、赤石君がそう言うならぁ、ちょっとだけぇ、時間取るよぉ……」
うう、と泣きながら葉月は階段を降りる。
「助かるよ」
葉月の発言に、いちいち調子を崩される。
あくまで、まだただの推察の段階であり、憶測でもある。
少し性急すぎたか? と赤石は自身の行動を反省した。
「裏庭でぇ、良いぃ?」
「あぁ」
葉月はドアを開け、裏庭へ出た。
「冬華ぁ、男の人に告白されるのぉ、もう何回目か分からなくてぇ、冬華は全然好きじゃないし、そんな思わせぶりなことしてないのにぃ、なんかいっぱい告白されてぇ」
赤石の前を歩きながら、葉月は滔々と話し続ける。
「今までの男の人もぉ、赤石君みたいにぃ、本当は告白じゃないって言いながらぁ、連れて来てぇ、でもぉ……」
裏庭に着いた。
途端、葉月が赤石に抱き着いた。
「こんな風にぃ、押し迫ってきてぇ」
葉月が赤石の背中に腕を回す。
「俺のものになれ、ってぇ」
葉月が赤石の首筋に舌を当て、首筋の太い血管に沿って、舐めた。
「……っ!」
赤石が葉月を突き離す。
「……!?」
赤石は自身の首筋に手を当てる。
葉月の唾液がねったりと、赤石の手についた。
「……!?」
意味が分からない赤石は、目を白黒させながら葉月を見る。
「ふみゅぅ……どうせ赤石君も冬華の体が目当てなんでしょ……」
葉月はぐすぐす、とぐずりながらスカートに手をかける。
葉月の下着が、あらわになる。
「うっ、うっ……分かったよぉ……脱げばぁ……良いんでしょぉ……」
くわえて、葉月は下着を脱ごうとした。
「待て、落ち着け」
理解のできない葉月の行動に、赤石は待ったをかける。
このままいけば女子生徒に服を脱ぐように命令している図式が完成してしまうと、直感した。
赤石の中の危機信号が、がなり立てている。
「冬華はぁ、赤石君のことぉ、好きじゃないんだけどぉ、でもぉ、脱げって言われたらぁ……女の子だからぁ……断れなくてぇ……」
葉月が泣き出す。
「俺の話をまずは聞いてくれ」
赤石は葉月と一定の距離を保ったまま、話しかける。
「俺はお前に聞きたいことがあるだけだ」
「ふぇ?」
葉月が頬を上気させ、赤石を上目遣いで見やる。
葉月の異常な行動に心拍数が高まったまま、赤石は、口を開いた。
「霧島が、俺たちの場所を教えたんじゃないのか?」
「……?」
葉月は不思議そうに、小首をかしげた。
「前に一度、高梨の別荘で出会ったことがあっただろ。あの時お前は、誰かに教えてもらった、と言っていた。それは、霧島だったんじゃないのか?」
「……ふみゅう」
葉月は目を隠す。
「全部、霧島が仕組んだことだったのか」
「……」
葉月はゆっくりと、頷いた。
「……やっぱり、そうか」
赤石は、得心した。
八谷のいじめ、学校の裏掲示板、軋轢と不和、どこからともなく知れ渡る情報、その全ての犯人の正体を、得心した。
「全部、お前だったのか」
「……?」
葉月は小首をかしげた。
「全部、お前の仕業だったのか」
「……むぅ?」
葉月は再び小首をかしげる。
「何言ってるか、分かんないよぉ。さっきぃ、霧島君だってぇ、言ったのにぃ」
「霧島じゃないことはもう知ってる。カマをかけただけだ」
「……」
葉月は黙り込んだ。
「ずっと気になってたんだ、お前が誰の差し金で高梨の別荘に来ていたのか」
赤石は葉月に近寄った。
「俺はずっと、霧島がやったんだと思ってた。ずっとずっと、全ての問題の原因は霧島だと思ってた。あんな胡乱な奴はいないからな。でも、その固定観念が俺を間違った方向に突き動かしていた。全ての責任を、霧島に擦り付けていた。仮想の犯人を霧島に仕立て上げることで、お前は霧島に全ての罪をかぶせることで、自分自身から疑いの目を逸らしていたんじゃないのか」
「……」
ブラフ。
霧島に聞いて自分も誘われてやって来た、という体。
軽佻浮薄な霧島ならばこそあり得ると、勝手に納得していた自分が、間違っていた。
霧島だからこそやりそうだ、という勝手な固定観念が、霧島以外の人物を疑うことを阻んでいた。
霧島をスケープゴートにして動いていた、真の犯人は、葉月ではないのか。
「……」
赤石は葉月の返答を待つ。
「ふぇ? 何のことか分からないよぉ」
だが、葉月からは、求めていた反応は、返って来なかった。
「……」
赤石は思考する。
「分かった、じゃあ俺がこの推理を元にして霧島に聞いてみるだけだ」
赤石は踵を返し、戻る。
「霧島がこの一大事件をどう扱うか、楽しみだな」
そう言い残し、ドアを開ける。
「……」
ドアを引く手が、掴まれた。
「はぁ……」
葉月がため息を吐いた。
「なんで分かったわけ?」
甘くねっとりとした声はどこかへ。
鋭い目をした三白眼が、剣呑な目で、赤石を見据えていた。