第416話 大学受験はお好きですか?
「……よし」
大学受験、当日の朝。
前日の睡眠は十全に足りていた。
間違えた範囲の復習もした。
北秀院向けの対策もした。
共通一次試験を受けてから今日にいたるまで、出来ることは全てした。
「行くか」
玄関で靴ひもを結ぶ赤石を、須田が待つ。
「ああ、行こう」
赤石は須田の手を取り、立ちあがった。
「今日がこの一年の、最後の苦境だ」
赤石と須田は二人、北秀院大学へ向かった。
そして、二人は――
三月――
「ひゃっほおおおおおおおぉぉぉぉ!」
「よっしゃああああああぁぁぁぁぁ!」
「おっす! 久しぶりぃ!」
大学受験を終え、全ての束縛から解放された卒業生たちが、テンション高く騒いでいた。
「うるさいな……」
「全く」
赤石と新井は二人、登校した。
結局、赤石と新井二人の立ち位置は何も変わることなく、何か画期的な転換や目に見える変化などが起こるわけでもなく、ただ漫然と、灰色の高校生活を送ることになった。
「おはようございます」
花波が少し足を速め、赤石の隣を歩いた。
「ああ、おはよう」
「おはよ~」
三人は教室に入った。
「もう高校もあと少しですわね」
大学の受験を終え、残すところあとわずかとなった。
もはや勉強をする意味など何もなく、あとはただの消化試合だけが残った。
ただ高校に来て友人や同級生と姦しく会話し、遊び、娯楽のような授業が繰り返される、高校生活最後にして最も自由な期間が、今だった。
「別に前期が終わっただけで、まだ後期があるからな」
教室に来てはいるが、まだ前期試験の合格発表はされていない。
後期試験もあるため、完全に何もかも終わったとは言えない状況だった。
「良いじゃありませんか、今日くらいハメを外しても。ほとんどの方は前期で終わるのですから、終わったも同然じゃあ、ありませんくて?」
「呑気な奴だな、お前は」
そういう赤石も肩の荷が下り、少しばかり、リラックスしていた。
後期試験用にまだ勉強は続けていたが、前期試験ほど苛烈には勉強をしていなかった。
「私はもう受かったからな~」
「合格発表はまだですわよ?」
「受かったと思っとかなきゃ、やってけないの」
「果報は寝て待てなんとやら、という奴ですわね」
「語呂いいな」
「ふふ」
花波は薄く微笑む。
スカートの端をつまみ、軽く足を曲げた。
「西洋の挨拶だ」
「赤石さんの熱いコールに答えまして」
「そこまでの熱はなかっただろ」
「あ、あか……赤石」
「……?」
赤石のすぐ後ろで、声がした。
「久しぶり」
「ああ、久しぶり」
赤石の後方に、黒野がいた。
「どうした?」
「いや……久しぶり、と、思って」
「ずっと同じ教室だっただろ」
黒野はうつむきながら赤石と話す。
黒野が赤石と話したことで、花波と新井は二人で会話を始めた。
「し、しばらく、勉強尽くし、だったから、もう、喋れるのも、最後、と、思って」
「あぁ……」
そうか、と感慨深く思う。
ここにいる九十パーセント以上の人間とは、今後もはや会うことも話すこともなくなるのか、と赤石は思い知らされる。
「でも」
「……?」
「こ、これ」
「え?」
黒野は赤石にスマホを見せた。
「見たから」
「ん?」
黒野のスマホには、赤石が映っていた。
「俺……?」
そこには、北秀院大学にいる赤石が、間違いなく映っていた。
「いや、どうやってこんなの……」
「私も、北秀院、受けた、から」
「マジか」
赤石は目を丸くする。
「たまたま、当日、赤石、見たから」
「受けてるなら言ってくれよ」
「受験のペース、乱したく、なかった」
「お前そんな殊勝なことを言うキャラだったか?」
黒野は髪をしきりに触る。
「まぁ、だから、最後じゃ、ないかも、とか」
「そうだな」
赤石は静かにため息を吐いた。
「一緒に受かると良いな」
「……」
黒野は黙り込む。
「お前も、そんなキャラじゃ、なかった、だろ」
「……そうか? 俺はいつも通りだけどな」
赤石は小首をかしげる。
「もっと、黒くて、濁って、汚くて、醜くて、人間的に、愚かで、浅ましい、澱の、泥の、退廃物のような、人間だったはず」
「お前は俺を何だと思ってたんだ」
「成長、しないで、欲しい。私だけ、置いて行かれた、みたいで」
「成長なんてしてないよ。人間的に正しいことを言うだけが成長とも思わないし、思ってることを言わないことも、綺麗な言葉で飾り立てることも、成長と思ったことなんて一度もない」
赤石は窓の外を見た。
「今だって嫌いな奴はずっと嫌いだし、殺したい奴だって星の数ほどいるし、不幸になってくれれば満面の笑みを自然と湛えることが出来るような奴だってたくさんいる。ただ、今は周りにいないだけだ。時が来れば俺は俺になるだけだ」
「ふっ……」
黒野は鼻で笑った。
「嫌いな奴には全員死んでほしいね、全く」
「言って、ない、だけ。私は、もっと、汚く、醜い、お前で、あって欲しい」
「俺はこれからも汚くて醜いどぶ人間として生きていくよ」
黒野はスマホを置いた。
「同じ大学に、行けなかったら、連絡先」
「連絡先……?」
赤石もつられるように、スマホを出した。
「良かったら、友達に、登録、して欲しい」
「いやいや、登録してただろ」
赤石はスマホのチャットアプリを取り出す。
「スマホ、壊れて、買い替えた」
「早く言えよ、じゃあ」
赤石は黒野にアカウントを教えた。
「やっぱり、嫌な奴は、出来るだけ、不幸な目に、遭った方が、良い」
「全くな」
「こ~ら」
赤石と黒野の頭がはたかれる。
「ダメじゃありませんこと、そんなこと言って?」
花波が赤石と黒野の近くに来ていた。
「他の方から見たら、赤石さんや黒野さんが嫌いな人なのかもしれませんよ? それでご自分が不幸になってもよろしくて? 言葉には言霊、というものが宿るのですよ。皆がお互いを呪いあって、不幸になりあったって良いことなんてありませんわよ?」
花波は諭すように、赤石と黒野をたしなめる。
「じゃあこれから先、より一層不幸になった奴がより一層嫌な奴だった、ってことだな。いいぜ、不幸バトルだ。俺より罪人は全員俺より不幸になりやがれ。いや、よしんば俺より善人だったとしても、俺の嫌いな連中は全員俺より不幸になりやがれ」
「こら!」
花波が赤石の膝を叩く。
「痛った!!」
赤石が膝を押さえる。
「さっそくバチが当たったんですわよ」
「違う、当てたんだ」
赤石が花波を睨む。
黒野もまた、花波を睨む。
「クソビッチ……」
「こら!」
花波が黒野の肩を叩く。
「……っ!」
黒野が花波を睨めつける。
「こういうバカクソ女のせいで、私みたいに不幸に遭う人間が増える」
「黒野さん、言葉には言霊が宿ると言いましたでしょう? あなたがそうやって世間を憎み続ける限り、世間もあなたのことを憎み続けますわよ?」
「そうなったら呪い返す」
「駄目ですわよ、呪いなんて。人を呪わば穴二つ。お互いに不幸になることなんて止めてもっと気持ちの良いことをしましょう?」
花波がその場を制圧した。
「アホくさ……」
新井が深くため息を吐き、静かに笑った。




