第414話 共通一次試験はお好きですか? 3
「てぇへんだ、てぇへんだぁ!」
櫻井と水城が受験票の問題に取り組んでいたところ、一人の男が人の輪から抜け出してきた。
「号外! 号外! てぇへんだ、てぇへんだぁ!」
男、霧島尚斗は人の輪から抜け出し、会場を駆け回った。
「あ、悠人君!」
「あぁ」
赤石を見つけた霧島が、赤石の下に走り寄って来る。
「てぇへんだ、てぇへんだぁ!」
「久しぶりだな」
「てぇへんだ、てぇへんだぁ!」
霧島は赤石の前で止まった。
「てぇへんだ、てぇへんだぁ!」
「大変なのは分かったから、早く何が大変なのかを言えよ」
霧島はわざとらしく、肩で息をする。
「はぁ、はぁ……」
霧島は流れてもいない汗を拭う。
「受験前に余裕だな、お前」
「実はかくかくしかじかで」
「古臭い演出だな」
霧島は息を整え、話し始めた。
「あ、裕奈ちゃんおはよう~」
花波の存在に気が付いた霧島が挨拶をする。
「ええ、おはようございます」
花波は西洋風の挨拶をする。
「何それ、可愛い!」
「ありがとう存じます」
「そう言えば今朝方から実は僕、緊張してて――」
「早く言ってくださいまし」
霧島は、あはは、と笑った。
「実は、志緒ちゃんが受験票を忘れたらしくてさ」
「なるほど……」
今もなお、人の輪の中心から声が薄らと聞こえる。
「親に持って来てもらったらいいんじゃないか?」
「お母さんは車運転できない、ってさ」
「じゃあタクシーで来てもらったらいいんじゃないか?」
「なんか電話もつながらないんだってさ」
「じゃあ帰ればいいんじゃないか?」
「そんなに家は近くないみたい。今帰ってもギリギリ、って」
「なるほど」
赤石は少し考えこむ。
「でもこういうのって、普通運営に聞いたらなんとかなるんじゃないか?」
赤石は小首をかしげた。
「素人質問で恐縮なんですが」
赤石は付け加える。
「核心を突いてる奴だ!」
霧島が跳ね上がった。
「こういう時どうしたら良いか分からないもんだよね」
「まぁネット頼りになってしまうところはあるよな」
赤石はスマホで検索した。
「ネットが正しいとも限らないしな。取り敢えず聞いてみるのが一番先じゃないか?」
「そうだよね! 実は僕もそう思ってたところだったんだよ~」
「大変だ大変だ、って騒いでたじゃねぇか」
「こうしちゃいられない!」
霧島は後方を振り返った。
「早く伝えて、ヒーローにならなくちゃ!」
「なんて下品な思いやりなんだ……」
霧島は走り始めた。
「ありがとう、悠人君! 君の名前も出しておくよ!」
「止めろ、出すな」
「じゃあ地位と名声は全て僕のものだ! ハハハハハハハハハハ!」
そう言って霧島は人の輪の中に入っていった。
そしてしばらくして、騒動は収まった。
「全く……」
人の輪は少しずつ減っていった。
「大丈夫か、受験前にこんな騒動」
赤石は悪態をつく。
「会場、開きましたわよ」
受験会場の扉が、今開いた。
「会場が、開場した……」
「ダジャレに聞こえるけど、意味が被ってるだけだな」
赤石たちはゆっくりと立ち上がった。
「さぁ、行きましょう、皆さん」
花波が一番前を歩く。
「緊張はしてませんこと?」
「さっきの騒動で変に緊張したよ」
「周りの人たちも変な緊張をしていなければいいのですけれど……」
赤石と須田も花波の後を追う。
「……」
「ん?」
上麦が座ったまま、動かなかった。
「行かないのか?」
「……」
上麦が冷や汗をかいている。
「お腹痛い……」
「……」
赤石は辺りを見渡した。
「大丈夫か?」
「……」
上麦は喋らない。
「もしかして何か悪い物食べたか?」
「違うヤツ」
「違うヤツ?」
赤石は腕時計に目を落とす。
「まだ結構時間はあるから、体調整えて来いよ」
出来るだけ焦らないように、落ち着いた声音で話すように、努めた。
「どうしましたの?」
「どうした?」
二人が戻って来た。
「お腹、痛い」
「あら、まぁ……」
花波が手で口元を隠す。
「私たちは遅れて行きますわ。ごめんなさい、先に行っておいてくださいまし」
「まだ時間はあるからゆっくりして来いよ」
「えぇ、すみません」
赤石と須田は花波と上麦を置いて、会場へと向かった。
「よし、行くか、統貴」
「おうよ、相棒!」
赤石と須田は腕を軽くぶつけた。
「ふ~……」
共通一次試験の二日間が、終了した。
赤石たちは電車に揺られ、帰途についていた。
「……」
「……」
「……」
それぞれがへとへとな顔をしている。
「すごい濃厚な二日間だったね……」
「……ああ」
「疲れましたわ……」
「ん」
「……」
「……」
会話が、弾まない。
「ひっ……ひっ……」
小さなうめき声が、聞こえてくる。
「どうした……?」
電車の席に座ったまま、船頭が泣きじゃくっていた。
「ガチャガチャで欲しいのが出なかったのか」
「ちがう」
「無線イヤホンを側溝に落としたか?」
「違うよ」
船頭が赤石の脛を蹴る。
「痛っ!」
赤石は脛をさする。
「弁慶だったら俺が泣いてたな」
「もう……」
船頭が肩を震わせる。
「私、北秀院、行けるかな……」
船頭がしゃがれた声で、聞く。
「まだ分からないだろ」
「自信ないよ、共テ何点取れたか」
船頭が目を腫らして、そう言った。
「採点まだだろ」
「でも、行けなかったらどうしよう、って……」
船頭が小さく呻く。
見てみれば、電車の中でも何人か沈んだ顔をして泣いている生徒たちがいた。
「私、全然勉強してこなかったから、なんで今まで勉強してこなかったんだろう、って。すごい悔しくて。解けないのが悔しくて」
船頭は小さな声で、そう呟く。
「なるようになるだろ」
「悠人は良いよ、今までずっと勉強してきたんだから、結果出てるよ、きっと」
「……」
赤石は何も言えなかった。
「なんで私、あんなに遊んでたんだろう。なんで私、もっと勉強しなかったんだろう」
「……」
「……」
「……」
葬式のような暗い雰囲気が、赤石たちに重くのしかかる。
「皆と一緒の大学に行きたいよ……」
「……」
「……」
赤石たちは静かに、電車に揺れる。
「綺麗だな、夕日が」
立って電車に乗っている赤石が、ぼそ、と呟いた。
「え?」
「あぁ……」
「うん」
船頭が後ろを振り向いた。
綺麗で雄大で、手が届かないけれど存在感がある、大きな大きな橙色の夕日が、沈もうとしていた。
「綺麗……」
夕日を見た船頭もまた、呟く。
あまりにも明るく、美しい橙色の光が、赤石を、須田を、船頭を、三千路を、そして生徒たちを、照らす。
電車が、揺れる。
ガタンゴトンと、一定のリズムを刻みながら、電車が、揺れる。
赤石たちは夕日に照らされながら、呆然と眺めた。
まるで見えない何かに立ち向かうように。
あるいは、憧憬か。
尊大で手の出せない、それでいて美しい自然に、赤石たちは目を奪われていた。
「今度また採点でもするか、一緒に?」
赤石は船頭にそう声をかけた。
「私も行っていいかしら?」
高梨が割り込む。
「お前は良い点だろうけどな」
「ありがとう。行かせてもらうわ」
赤石は船頭の肩をぽんぽん、と叩いた。
「まだ前半が終わっただけだ。後半もある。気を張って行こう」
須田は口を開け、ただただ呆然と夕日を眺めていた。
「何かあったら、慰めてやるよ」
「……うん」
船頭は涙を拭った。
「そうですわね。皆さん、まだ頑張っていきましょう」
花波がその場を締めた。
「成長したわね、私たち」
「……そうだな」
赤石たちはガタンゴトンと、電車に、揺れた。




