第413話 共通一次試験はお好きですか? 2
「ふ~……」
共通一次試験当日、櫻井は水城と共に電車に乗っていた。
「今日、だな」
「うん、今日……だね」
櫻井は水城の手を取る。
「一緒に頑張ろうな、志緒!」
「……うん!!」
水城は嫣然と微笑んだ。
そして二人は会場に入る。
「最後に英単語とか覚えとかなくていいか?」
「今さらやってもだよ~」
あはは、と水城が微笑む。
水城は時計を見た。
あと少しで、会場が開く。
「あとちょっとで始まるね」
「そうだなぁ……」
櫻井も、時計を見る。
周囲の生徒たちも時間を気にし、持ち物の確認をし始めた。
「持ち物、確認しとかない?」
「え? あ、あぁ、そうだな。すっかり忘れてたなぁ」
櫻井と水城はお互いに持ち物を確認しあう。
「筆記用具は?」
「うん、大丈夫、持ってる」
「時計は?」
「大丈夫、持ってる」
「アラームとか鳴ったり、計算できたりしないよな?」
「しないよ~、あはは」
水城はあはは、と快活に笑う。
「受験票は?」
「持ってる――」
そこで、水城の声が止まった。
「志緒?」
「……あれ? あれ、あれ、あれ?」
水城がカバンの中を漁る。
「ど、どうした?」
櫻井も顔色が悪くなる。
「ま、まさか……?」
「ない、ないよ! 受験票ないよ! なんで!?」
水城が大慌てでカバンの中を探す。
「絶対今日忘れないように、って! 今日忘れないように、って!」
水城が今朝から今までの行動を振り返る。
「朝絶対忘れないところに受験票置いてて……」
水城は朝、家を出てから今までの行動を思い返す。
「あ……」
朝、絶対に忘れないでおこう、と受験票を玄関に置いていたことを、思い出した。
絶対に忘れないように、目につく玄関に置いたため、逆に受験票を忘れてしまっていた。
カバンに入れ忘れないように、という配慮が原因で、逆に受験票を入れ忘れてしまった。
受験票は最後に玄関で持って行くため、持ち物の確認から漏れていた。
あとは受験票を持って家を出るだけ、と思っていたはずなのに、いつの間にか、持ち物を確認した、という事実だけが記憶に残り、受験票を持ってくるのを忘れてしまっていた。
「どうしよう! どうしよどうしよどうしよう!」
水城が明らかに狼狽する。
「ヤバい、本当にヤバいよ! 置いてきた! 置いてきちゃったよ!」
水城が泣きそうな顔で櫻井を見る。
「う……嘘だろ」
櫻井がわなわなと震える。
「誰か!!」
櫻井はすぐさま、声を張り上げた。
「誰か、志緒のために力を貸してやってくれ!」
一年に一回、このたった一日のために三年間学習し続けた結果が、まさに今日、発揮される。
ここで失敗すれば、次の機会は翌年になり、多くの不利益を被ることになる。
「誰か! 誰でもいい! 力を貸してくれ!」
試験会場が開く前に突如として叫び始めた櫻井に、周囲が迷惑そうな顔をする。
ある者は櫻井の近くから離れ、ある者は櫻井たちを囲むようにして眺めていた。
「えっと……何があったの?」
普段、水城と懇意にしている女子生徒が櫻井に事情を尋ねる。
「志緒が受験票を忘れたんだ!」
「えっ……」
カバンの中を延々と探し続けている水城を見て、女子生徒が不憫そうな顔をする。
「でも、受験票なんてそれこそ本人の問題で、私たちにはどうしようもできないんじゃ……」
女子生徒がおずおずと意見した。
「志緒、家には!?」
「電話してるんだけど繋がらない! 繋がったとしても、お母さん、車運転できないから……」
水城家、もとい葵家は離婚後、車を使わないようになっていた。
水城の母親である紅藍は元々車を運転することが出来ず、車で受験票を持って来ることが出来ない。
茂と連絡を取りたくない紅藍が茂の協力を固辞し、紅藍とその娘の二人で受験に臨むようにしていた。
「できることは、ある!」
櫻井が叫ぶ。
「誰か! 誰か、車を貸してくれ!」
「車を貸して、って……」
藪をつついた女子生徒が半歩下がる。
「車なんて誰が運転して……」
「皆の両親が車を出して、志緒を家まで連れて行ってくれ!」
櫻井が頭を下げる。
「頼む! 今からでも車で往復したら、ギリギリ間に合う時間帯なんだ! 頼む、車を貸してくれ!」
櫻井を取り囲むようにして見ている同級生に、頭を下げ続ける。
「……え、どうする?」
「ヤバくない?」
「なんでこんな日に受験票忘れてるの?」
「集中力削がれてすごい迷惑なんだけど」
「もっと違う所でやってくれないかな」
「本当うるさいんだけど」
「マジ迷惑」
「消えて欲しい」
「うるさい」
「知らないよ、そんなの」
「あっち行こ?」
「本当嫌だよね」
「マジうるさいんだけど」
「自業自得じゃね?」
「てか、誰?」
「今まで自分らは誰か助けて来たわけ?」
だが、櫻井たちに対して、冷たい視線、声が浴びせられる。
「なんで……」
櫻井は拳を握る。
「なんでお前らは、友達のために協力しようとしねぇんだよ!」
櫻井を取り囲むようにして、ただ見ているだけの同級生に櫻井が叫ぶ。
「なんでお前らは、友達を助けてやろうって思えねぇんだよ! なんでお前らは、困ってる人を放ってんだよ! 友達が困ってんだよ! 同級生が困ってんだよ! 助けてやろうって気はねぇのかよ!」
櫻井が叫ぶが、周囲の同級生たちは手も貸さない。
「いや、だって今から連絡してたらお母さんとかお父さんに迷惑かかるし」
「友達が困ってんだよ! 助けてやるのが筋ってもんだろうがよ!」
「こっちも人生かかってんだよ! 自業自得じゃん!」
「……っ!」
女子生徒の剣幕に気圧される。
「自分が忘れ物したからって他人におんぶにだっことか止めてよ!」
「車出すくらい良いだろうが! それでお前らは何か困るのかよ! 何か不利益でもあんのかよ!」
「今日は試験の当日だよ!? 車だってすごい混んでるし、混んでるんだから、いつもの時間で間に合うとは限らないよね!? それで間に合わなかったら、どうせ手を貸した人のせいにするつもりなんでしょ!? お前のせいで試験に落ちた、って。自分が何言ってるのかよく考えてから物申したら!?」
試験前でピリピリと張りつめた緊張感があった。
会場の、張りつめた糸が、今、切れた。
「そんなこと言わねぇよ!」
「そんなこと分かんないじゃん!」
「俺が言ってんだから言わねぇって言ってるだろ!」
押し問答になる。
「そもそも自分の両親をこんな時間に呼びつけたら、お母さんもお父さんも不安になるし、私だって試験中に不安と心配で試験に集中できなくなるよね!? 私たちはどうなってもいいって言うの!?」
「友達を助けることが、試験に集中できなくなることより下って言ってんのかよ!」
櫻井が剣呑な目で女を睨みつける。
女もまた、剣呑な目で櫻井を睨み返す。
「大体、人の両親頼る前に、まずは自分の両親頼ったら!? 休日だよね!? 父親にでも母親にでも、家から車出してもらえばいいじゃん! 他人の親頼って、他人の車使って往復するより、よっぽどいいに決まってるじゃん!」
「志緒の家は離婚してんだよ!」
「……」
「……」
「……」
途端に、静寂が訪れる。
櫻井は、はっとした顔で辺りを見渡す。
水城が離婚したことは周知の事実だったが、周囲の同級生全員が知っているわけではなかった。
「……」
「……」
「……」
水城が離婚をした、というセンセーショナルな事実に誰も口を挟むことが出来ず、ただただ時間だけが過ぎていく。
「誰でもいいから、車くらい貸してくれよ!」
櫻井が再び叫んだ。
「――っていうか、お前が自分の両親呼んだらいいじゃん」
ぼそ、と誰かが呟いた。
声の主を探すが、判定できない。
「俺は妹と二人で暮らしてんだよ……」
櫻井は、そう返した。
「……」
「……」
無情にも時間だけが、どんどんと過ぎていく。
「うっ……ひっ……ぐすっ……」
声を押し殺したようにして泣く、水城の泣き声だけが会場に響く。
「ひっ……ぐすっ……ひっ……」
水城は泣きじゃくり、櫻井は叫ぶ。
櫻井と水城は一向に解決策を見いだせないまま、その場で叫び、泣いていた。




