第407話 四条有栖はお好きですか? 1
十一月が終わり、十二月になった。
共通一次を目前に控え、教室の中もピリピリと、重苦しい空気が流れていた。
「てかさ、入試くらいでいちいちビビりすぎじゃね?」
静まり返った教室の中で、女が言った。
「そ、そうだよね、あはは……」
女子生徒、四条有栖が呼応した。
女子生徒たちは教室の隅で一団を築いていた。
「昨日の俺彼見た~?」
「見た見た~」
「え、どこが良かった?」
「お前は俺のものだろ、とか言って後ろから抱き寄せてくるの超良かった~」
「え~、分かる~」
現在それぞれの女子生徒が好意を寄せているアイドルの話で、盛り上がる。
「アリスは?」
「え~っと、普段あんなに俺様なのに、他の男に取られそうと思った途端に弱弱しくなって、ずっと俺の傍にいろよ、とか言う所超良かった~」
「「「え~~、分かる~~~」」」
「あのギャップが良いよね~」
くだらないな、と思った。
女子生徒たちの一団の話について行くためだけに、四条は件のドラマを視聴していた。
一団について行くためには、常に一段の統一された意志に従わなければいけない。
「アリス誰推し?」
「え~、でもまだ決められないかも~」
「もう本当アリスいっつも決断力ないよね~」
「だって、裏切られるかもしれないも~ん」
男性アイドルに本来、興味はない。
ドラマにも興味がなかった。
「あ、昨日上がった最新動画で推しが超良くて~」
女はスマホを取り出し、動画サイトでアイドルの動画を流し始めた。
『どうも、ファンの皆さん、こんがおこんがお、獅子雪ですっ! はい、今回はですね~、ちょっとやってみたい企画がありましてですね~』
スマホの中でアイドルの男が企画の説明を始める。
『はい、ナオトの私物と俺の私物を交換してみたドッキリ~~~!』
男は勢いよく手を叩いた。
ファンファーレの音が鳴り響く。
「え~~、格好良い~~~」
「たまに見える腕の血管エモすぎ」
「抱かれたい~」
女子生徒たちがスマホを囲み、口々に男を褒める。
「細マッチョな所が良いよね~」
周囲の女子生徒たちの称揚に一歩遅れた。
四条がどうにか美点をひねり出し、男を褒める。
毎日、これの繰り返しだった。
昨日見たドラマの話、昨日見たアイドルの話、最近推しているアイドルの話、声優の話、好きな男の話、カップルが別れた話、結婚した女優の話、その繰り返しだった。
四条は性愛に大した興味を持てなかった。
周囲の女子生徒と合わせるためだけに、周囲の女子生徒が喜びそうな言葉を使い、喜びそうな反応をし、喜びそうなところを褒めた。
反応を一つでも間違えてしまえば、輪を乱し、排斥されることになる。
女子生徒の一団から除け者にされないため、周囲の女子生徒たちの反応を見ながら、ただ合わせることだけに躍起になっていた。
「てかさ、あいついつまでいるんだろうね」
「ね」
昼食時にいつもいなくなるはずの男が、まだ席に座っていた。
「ねぇ、言ってきなよ、邪魔だからどけ、って」
「え~、無理無理。気持ち悪いよ~」
くすくすと嗤う。
女子生徒たちの視線の先で、数学の公式集を見ている男子生徒、赤石がいた。
結局三年になって一度も馴染むことのできなかった男が、顔を上げた。
「ヤバいヤバい、聞こえてるって!」
「いや、ふふ……」
くすくすと嗤いながら、女子生徒たちは赤石から視線を逸らす。
「……」
赤石は本を閉じ、机の中に入れ、席を立った。
「あ~、やっと行った」
赤石が教室を出ると、ようやく女子生徒が顔を上げた。
「マジキモくない?」
「分かる」
「全然喋らないよね」
「陰気臭い」
「陰キャだよね」
「分かる。陰キャキモいよね」
女子生徒たちはくすくすと嗤い、ようやく弁当を広げた。
「アリス、早くご飯食べよ?」
「あ、う、うん」
四条は赤石の机に座り、女子生徒たちと机を合わせた。
先ほどと同様に、好意を寄せている男性アイドルの話、好きなバラエティ番組の話、隣のクラスのカップルが別れた話などをして、昼食を取った。
「ねぇ、最近調子乗ってる一年がいるって聞いたんだけど」
「え?」
昼食を取り終わり、女子生徒のボスがそう言った。
「なにそれ?」
「もう私らもすぐ卒業するからって調子乗ってんじゃない?」
「何かあったの?」
「なんかさ、カバンにキーホルダーつけてんだって」
「え……」
カバンにキーホルダーをつけてはいけない、という校則はない。
だが、一年生は原則、カバンには何もつけてはいけない、という暗黙の了解、ないしは不文律があった。
カバンにキーホルダーをつけても良いのは二年になってから、という不文律が、あった。
「一応まだ一年なんだし、キーホルダーつけるのは早いよね?」
「早い」
「うん、おかしい」
周囲の女子生徒は口々に同意する。
「まぁもしかしたら知らなかっただけかもしれないからさぁ、ちょっと教えに行かない?」
「うん、そうしよ」
「確かバド部だよね? 彩音の後輩じゃん。ちょっと教えてあげないとね」
「まぁ、知らなかっただけかもしれないよね」
「とりあえず教えるだけ教えないとだよね」
女子生徒たちは一年の下へと向かった。
「はい」
チャットをし、女子生徒たちは一年を女子トイレに呼び出した。
「なんですか?」
先輩に呼ばれた一年は女子生徒たちの前に立つ。
「あのさ、カバンにキーホルダーってつけてる?」
「え……あぁ、はい」
一年はけろ、とした顔でそう言った。
「何つけてるの?」
「水族館で買ったイルカ? らしいです」
一年は疑問符をつける。
「買ったのに覚えてないの?」
「あ、いや、彼からもらって」
「……へ~」
一年は照れたように笑う。
女子生徒たちは一年を白い目で見る。
「今一年だよね?」
「はい」
「じゃあキーホルダーはつけない方がいいかもしれないな~」
女子生徒は穏やかな表情で、そう言った。
「え、なんでですか? もしかして校則違反とか……?」
「ううん、全然そんなんじゃないんだけど」
一年は小首をかしげる。
「全然そんなんじゃないんだけど、キーホルダーって二年から、ってことになってるから~」
「うん、知らなかったと思うから全然良いんだけど~」
「知らなかったと思うから全然良いんだけど、二年になってからキーホルダーってつけるもんだから~」
「……?」
一年は承知が出来ない、といった表情で口をへの字に曲げる。
「そういう校則なんですか?」
「ううん、校則とかそういうのじゃなくて、先輩たちが今まで築いてきたルールっていうか~、そういうことになってるから~。全然知らなかったと思うから、明日から直してもらったら私らも全然何も言わないんだけど~」
「……ちょっと意味が分からないです」
一年は真っ向から反抗する。
「いや、だから、キーホルダーは二年になってから、ってルールだから~」
「ルールって、誰が決めたんですか?」
「それはだから、先輩から脈々と受け継がれてきたっていうか~」
「校則に反してないのに、誰のためのルール何ですか?」
「いや、誰のためっていうか~……。うん、知らないなら全然外してもらうだけでいいんだけど~」
メンツが、ある。
一年生は目立ってはいけない。自分たちの顔を汚してはいけない。常に先輩を立てなければいけない。
先輩を立てるためだけの不条理なルールが、今まで脈々と受け継がれてきた。
「いっそのこと、今からなくなった方が良いルールなんじゃないですか、それ?」
一年がそう提唱する。
それは許されない。
「いや、本当はもっとあって~、私らが良くしてきたから色んなルールもなくなって~。今の一年は恵まれてるよ~。だってキーホルダーとかメイクとか、ちょっとしかそういうのないし~」
自分たちは先輩に抑圧され、ロクなお洒落も出来ずに生きてきた。
それなのに、自分の次の代から何の縛りもなく、自由に生きるのは許せない。許されない。
自分たちがされて来た抑圧を、後世にも伝えようとする。
自分たちだけが損をするようなことは、許さない。
「……すみません、もう休み終わるんで良いですか?」
一年が腕時計を見る。
「あぁ……うん」
女子生徒は一年を解放した。
「先輩、そろそろ入試ですけど、大丈夫ですか?」
帰り際に一年は、そう言った。
「……」
一年の背が、小さくなっていく。
「なんなの、あいつ?」
「調子乗ってない?」
「私らの時はあんなの絶対許されなかったけどね」
「私らが優しいから許してやってるだけで」
「本当それ」
女子生徒たちは口々に一年の悪口を言い放った。
「ねぇ、彩音、今度彩音からも言っといて」
「うん、分かった。まさかあんな子だったなんて思わなかった」
四条も同様に悪口を言い連ねる。
そして。
何の生産性もない無駄なやり取りだと、心底思った。




