第402話 オープンキャンパスはお好きですか? 5
『責任の所在を他人に求めるのは、自分に自信がないから?』
モニターの中で、十分程度の映画が流れる。
里野は足を畳み、ワンピースを抑え込むようにして手を添えていた。
未市はまだ、帰って来ない。
『前からずっと思ってたんだけど、無責任だよね。言葉も行動も』
里野が画面の向こう側で、悲し気に笑った。
「赤石君」
「……?」
赤石の右隣りで、里野が呟いた。
「……って、結構可愛い顔してるね」
「え?」
里野が赤石の右手に自信の左手を、そっと合わせる。
「要から聞いてて想像してた顔より、ずっと可愛い顔してた」
「……はあ」
里野が赤石に顔を近づける。
唐突な展開に、赤石は里野から目が離せない。
「赤石君って、乱暴な人なんだよね」
「いや、暴力ふるってないんで、別にそんなことないと思いますけど」
「学校で色んな女の子に暴言吐いてる、って聞いたよ」
里野が赤石に指を絡ませる。
「女の子、嫌いなの?」
上目遣いで、里野が赤石を下から見上げる。
「人間が嫌いです」
赤石の左に、八谷がいる。
赤石はこれ以上里野から距離を取ることが出来ない。
「そ」
里野は元の位置に戻った。
八谷が赤石のフードを引っ張り、喉が締まる。
「赤石君は、なんで、女の子にヒドいことを言うの?」
「それが正しいと思ってるから」
「ヒドいことを言うことが?」
「正しいことを言うことが」
「正しさって、でも、人の価値観次第だよね。絶対的な正しさって、ある?」
「俺が信じることは、少なくとも、俺の中では、全て正しい」
「ふ~ん……」
里野が足を伸ばした。
「人から否定されたとしても、それは正しいことなの?」
「客観的な意見は参考にしながら、それでも譲れないところもあると思います。間違っていたと思ったら、意見は修正します」
「正しさを流布する人は、危険だよ」
「正しさは流布していません。誰の心にも正しさはあるから。ぶつかることもある。自分を絶対的な正義だと信じて他者を断罪することこそが、ただ一つの悪でしょう」
八谷がもう帰ろう、と赤石に耳打ちする。
赤石は挑戦的に、里野と目を合わせる。
「赤石君って、暴力的だよ」
「暴力は振るってないですよ」
「言葉の、暴力だよ」
「そんなものないですよ。実態が伴ってないんですから、何も起こってないのと一緒だと思います」
「……」
赤石の指に絡められた里野の指に、力が入る。
「言葉の暴力は、暴力だよ」
「俺はそうは思わないです」
「暴力だよ」
「押し付けですか?」
「……」
里野は目を潤ませる。
「赤石君って、可哀想な、人だね」
「どこがですか?」
「壊れちゃってる」
「……そう思ったことはないです」
「そういう状況に陥ってるから、自分が何を言われても何も感じないから、そう思うんだよ」
「初対面ですよね」
「話はたくさん聞いてるから」
里野は赤石の頭に手を置いた。
「可哀想にね。沢山嫌な思いしてきたんだね。家で暴力を振るわれてる子供は、他人にも暴力を振るうようになるんだよ。暴力を振るうハードルが下がってるから。暴力を振るうことが普通になってるから。犯罪行為に走る人の多くは、家の中に問題があるの」
「俺の家は問題ないですよ。普通の家です」
「今まで色んな言葉で暴力を振るわれたんでしょ? だから、言葉で暴力を振るわれることが普通になってる。自分自身も、何も感じなくなってる。言葉が持つ力を、侮ってる。自分が傷つけられてきたから、平気で他人を傷つけるようになる」
里野は赤石の頭を撫でる。
「今まで人から言われた言葉が、赤石君を傷つけてるんだよね。自分が今までいじめられてきたから、他人をいじめるのが普通になってるんだよね。壊れちゃってるんだね、赤石君は」
里野が赤石をそっと抱き寄せた。
「でも、大丈夫。誰かに愛されたら、きっと他人にヒドいことだって、言わなくなると思うよ。愛したら、きっと愛を返してくれるって、信じてる、私は」
里野が赤石の耳元で、
「壊れてても、私が愛してあげる。私が赤石君を、救ってあげる」
そう囁いた。
ぞわ、と鳥肌が立った。
と同時に、八谷が赤石の腕を引っ張り、ソファーから立ち上がった。
「どうしたの?」
里野はきょとん、とした顔をする。
「赤石に変なこと言わないでください」
「言ってない……けど?」
「止めてください」
八谷がうなる。
「八谷ちゃん? だったっけ。八谷ちゃんも赤石君にひどいことを言われたんじゃ、ない?」
「……」
八谷は顔を伏せる。
「男の子って、みんな犯罪者なんだよ。加害欲求で溢れてる。八谷ちゃんも赤石君といたら、またヒドいことを言われちゃうかもしれないよ?」
里野はふふ、と嫣然と微笑む。
八谷はうなったまま、顔を上げることが出来ない。
「赤石君も、自分を肯定されたいと思ってるんじゃないかな。自分に自信がないから人に当たっちゃうんじゃないかな。私は肯定してあげるよ、赤石君のことも、八谷ちゃんのことも」
「……」
八谷が赤石を見る。
赤石は何も、喋らない。
映画は既に、終わっている。
「……」
ピピピ、と扉から音が鳴った。
「や~、やっと指導終わった~。も~、皆が変なゴミ捨てるから私ばっかり怒られたじゃん。これからちゃんとルール決めとかないと――」
未市が赤石たちの様子を見て、ぱちぱちと瞬きをする。
「どうしたの、皆?」
「さっきまで映画、見てたの」
「あぁ、作った奴? 赤石君、どうだった?」
未市が赤石に水を向ける。
「面白かった、です」
「本当かな~」
あはは、と豪快に笑いながら未市は椅子に座った。
「お菓子あるけど、いる?」
テーブルの上にはお菓子と大皿が置いてあった。
里野は未市の隣に座る。
「赤石君も、座っていいよ」
里野は自分の右隣りの椅子をポンポン、と叩いた。
「……帰ろ、赤石」
八谷が赤石に耳打ちする。
「いや、でも今来たばっかだし」
「……」
赤石は誘導されるがまま、里野の隣に座った。
「赤石君、うちを志望してて、受かったら映研に入る予定なんだよ~」
「へぇ」
里野は頬杖をつき、赤石を値定めするように見る。
「だよね?」
「はい」
「八谷ちゃん、は?」
里野が八谷を見た。
「……受かったら、私も入ります」
「え、そうなの!?」
突然のカミングアウトに、未市が目を丸くした。
「なんだ赤石君、早く言っといてよ! そんなの初めて聞いたよ! も~、こんな有望な若者が二人も入る予定だなんて、困っちゃうなぁ~」
あっはっは、と笑いながら未市は頭をかいた。
「初めて聞いたぞ」
「今決めた」
八谷は里野を睨みつける。
「あ、二人ともお菓子食べていいよ」
「いただきます」
赤石が大皿からチョコレートを取る。
「口、開けて」
里野が赤石のチョコレートを横取りした。
「いやいやいや」
赤石は里野からチョコレートを奪い返した。
「なになに~。二人とも、もう仲良くなったの~?」
「そうだよ、ね」
「はは……」
赤石たちはそのまま小一時間雑談をした。
「楽しかったよ、今日は、赤石君」
「ありがとうございます、部室を紹介してくれて」
「ああ。あとは大学に受かるだけだね」
「そうですね」
未市は赤石と八谷を駅まで送り、見送りをしていた。
「あと二カ月で共通一次だね。ファイトだよ、二人とも」
「ありとうございます」
未市と赤石は両手の拳をコツン、と当てる。
「じゃ、今日はこれで」
「ありがとうございました」
「ばいば~い」
赤石たちは駅の中に入り、電車を待った。
「いた……」
コツン、と八谷が赤石にパンチをお見舞いした。
「なんで何も言い返さなかったの?」
八谷が下を向いたまま、聞く。
「いや、別に言い返すようなことでもなかったし……」
「私イヤよ、赤石があんなにぞんざいに扱われてるの」
赤石が軽く扱われている状態に、我慢がならなかった。
「赤石は何もしてないのに、犯罪者なんて言われて」
「当たらずとも遠からずだろ」
「赤石は何もしてないのに、おかしいよ、そんなの」
「実際そういう傾向はあるから、そう言われても何も言えない」
「差別だよ」
「統計だろ」
「……」
八谷が赤石に体当たりする。
赤石はよろめいた。
「なんで私には冷たいのに、あの人のことは擁護するの? おかしいよ」
「そんなつもりはない」
「口答えしないで」
「……」
赤石と八谷は付かず離れずの距離で、電車を待った。
「私、赤石にあんな部活に入って欲しくない」
「でも先輩に恩もあるし」
「他の部活じゃ、駄目?」
「駄目かどうかは、まだ他の部活を見てないから何とも言えないけど……」
「……」
「……」
沈黙が、流れる。
「私、あんな赤石、見たくなかった」
「……ごめん」
何に怒っているのか分からなかったが、赤石はとにかく謝っておいた。
「ちょっとは聞きなさいよ、私の言うこと……」
赤石たちは電車に乗り、帰路についた。




